飛鳥への旅

飛鳥万葉を軸に、
古代から近代へと時空を越えた旅をします。
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万葉アルバム(奈良):磯城郡、三宅の原 あざさ(アサザ)

2011年08月01日 | 万葉アルバム(奈良)

うちひさつ 三宅の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫き
夏草を 腰になづみ いかなるや 人の子ゆゑぞ
通はすも我子(あこ) うべなうべな 母は知らじ うべなうべな 父は知らじ
蜷(みな)の腸(わた) か黒き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結ひ垂れ
大和の 黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)を 押へ刺す
うらぐはし子 それぞ我が妻
   =巻13-3295 作者未詳=

父母に 知らせぬ子ゆゑ 三宅道の
夏野の草を なづみ来るかも
   =巻13-3296 作者未詳=


(長歌)三宅の原を通り、じべたに足踏み込んで、夏草を腰でかき分けして、どういう娘さんが通っているのかね。それはそうさ、お母っかさん、お父っつぁん、なんか知るまい。その人はね、真っ黒な髪に真木綿で、あざさ型に結び大和産の黄楊の櫛おさえしている素晴らしい私の妻だよ。
(短歌)両親に内緒で彼女の所に通い続けた。夏の三宅は草いきれでムンムンしていた。暑いのによく通ったものだなあ。

青年の心の弾むような歌である。

万葉集に出てくる「三宅の原」は、古代天皇の稲作の御料地「屯倉(みやけ)」、「屯田(みた)」のことで、現在の「三宅町」及びその近傍辺りとされる。

”あざさ”は、現在のアサザの花のことをさす。
蜷(ミナ)は田螺(タニシ)の古名で「美菜」即ち美味な食べ物の意とされている。
蜷の腸(ワタ)は黒焼きにして食べたり眼病などの薬とされていたようだ。

アサザの花
万葉名「あざさ」、現代学名「アサザ」(ややっこしい!)

アサザは「池や沼に生えるリンドウ科の多年生水草で、夏の午前中に黄色い五弁の花を咲かせる。花の大きさは3~4センチ。花は早朝に開き昼頃萎むが、次々と開花する。「絶滅危惧種」に指定されている。

万葉集で「三宅の原」の花として詠まれている。

この万葉歌碑は磯城郡三宅町伴堂にあり、三宅の原をよんだ歌の歌碑(犬養孝氏揮毫)が平成8年(1996年)3月に建立された。

また聖徳太子が飛鳥と斑鳩を往復したという伝承のある直線道路「筋違道」(太子道)が三宅の原を斜めに走っていた。三宅町には太子道の痕跡が残る。

三宅町黒田の太子道
太子は、毎日、愛馬の黒駒に乗ってこの道を通り、三宅町屏風の地で休憩を取ったと言い伝えられ、屏風の杵築神社にはこの様子を表した絵馬が、白山神社には太子が腰を掛けたと伝えられる「腰掛石」が残されている。