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芝離宮・旧新橋駅停車場

2012年06月27日 | 散歩
 卯月の会、今月は「芝離宮・旧新橋駅停車場」散策。
芝離宮・シオサイトにある旧新橋駅停車場は誰も初めてのところなので、新鮮な気分でスタート。


浜松町駅(北口)
ここからすぐそばに旧芝離宮恩賜庭園がある。

<旧芝離宮恩賜庭園>
小石川後楽園と共に、今東京に残る江戸初期の大名庭園の一つ。回遊式泉水庭園の特徴をよくあらわした庭園で、池を中心とした庭園の区画や石の配置は、非常に優れている。
明暦(1655~1658年)の頃に海面を埋め立てた土地を、延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が4代将軍家綱から拝領した。


旧芝離宮恩賜庭園 入口


全景
回りに高層ビル群に囲まれているが、こじんまりとしているが回遊式庭園の全てが点在した魅力ある公園だ。
池は海水を引き入れた「潮入りの池」で、引き潮の時は中島から浮島に渡れたり、潮の干満により州浜や島々の風景が劇的に変化したといわれている。現在は残念ながら海水の取り入れができなくなり、淡水の池になっている。


インドハマユウ
公園の緑の中に、ひときわ純白な花が異彩を放っていた。


雪見灯籠
かなり大ぶりの雪見灯籠であり、ここからの眺めが一番か。


ケヤキの大木から覗く


池わきの木にムクドリの大群が・・


大山から池を望む


西湖の堤
中国杭州の西湖を模した堤という。


中島 
中国で仙人が住むと言われる「蓬莱山」を表した中島の石組。
特に大久保家の藩地であった小田原から、多くの根府川石が運ばれ、いくつかの石組と泉水周りの飛石に使われている。


世界貿易センタービルの左手に東京タワーが見える


池のほとりに咲くネジバナ


タブノキ お椀を伏せたような半球形になっているのが特徴


蝋梅の実


キキョウと藤棚


竹芝通りを歩く



帆船の帆を模した


竹芝埠頭からの眺め
隅田川、勝鬨橋、東京スカイツリーが見える


川下方面には埠頭に停泊した船・レインボーブリッジが見える


竹芝駅 ここから「ゆりかもめ」で新橋に向かう。


ゆりかもめ これに乗るのはひさしぶり!


新橋駅着。汐留シティセンターが間近に。この裏に旧新橋駅停車場がある。

<旧新橋駅停車場>
新橋~横浜間に日本の最初の鉄道が敷設された時に建てられた「旧新橋停車場」を復元したもので, 国の史跡に指定されている。ここが鉄道の発祥の地である。
この周辺一帯は 旧・汐留駅(貨物駅)の跡地で 31ヘクタールという広大な面積がある。現在は再開発されて 10棟を超える超高層ビルが建ち並ぶ“汐留シオサイト”に変貌した。その北端, つまり 初代の新橋駅があった場所に この「旧新橋停車場」が復元された。


旧新橋駅停車場
中に無料の展示室があったが、大半はビヤダイニングライオンが店を構えていた。


明治20年ごろの旧新橋駅 『東京府中史』巻頭より


正面
現在の新橋駅は2代目で, 初代の新橋駅は 1872(明治5)年に開業した わが国初の鉄道の起点となったが, 1914年(大正3)年に 東海道線・東京駅の完成により, それまでの烏森駅を新橋駅と改称し, 旧新橋駅は汐留駅と改称して, 貨物専用駅となった。
汐留駅は 長い間東京の貨物輸送の拠点だったが, 貨物輸送が衰退した結果, 1986(昭和61)年に廃止された。
旧駅跡は 汐留シオサイト開発に際して発掘調査の結果, 「旧新橋駅停車場」の遺構が発見され, 2003(平成15)年 その場所に 開業当時の駅舎が再現された。


裏側にあるプラットホーム


遺構を覗く


復元線路 明治時代の線路等が使われている


0(ゼロ)マイルポスト
鉄道の起点であった「0哩標識(ゼロマイルポスト)」が 当時と全く同じ位置に再現されている。

昼食は汐留シティセンターB1Fにある蕎菜 汐留店 (きょうさい)に入る


生ビールで乾杯し、特盛天そばを食す。そばの量は大満足。

このあと、新橋烏森界隈の「焼き鳥店」で2次会。
Sさんの天津・北京の旅話しを聞きながら、店内には昭和のなつかしいポップスの歌が流れていた。

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