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亀戸散策

2010年12月18日 | 散歩
 今年最後を飾る卯月の会散策は、亀戸。
朝は冷え込んだが、散歩中は雲ひとつない青空で風もなく、散歩日和だった。


亀戸駅


蔵前通り 天神橋の先にオリナスを望む


船橋屋、くずもちが名物だ。


パン屋の店先に亀戸らしく亀をかたどったパンがあった

<亀戸天神>


いよいよ亀戸天神へ
正式名は亀戸天神社。
菅原道真を祀り、学問の神様として親しまれている。特に1~2月の受験シーズン土曜・日曜には、道真の加護を求めて絵馬を奉納する受験生で境内が溢れる。


太鼓橋の向こうに東京スカーツリーが見える


太鼓橋と社殿
正保年間(1644~1647)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして寛文元年(1661)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。
当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。
寛文2年(1662)、地形をはじめ社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが太宰天満宮にならい造営された。


社殿前に広がる藤棚、初夏には見事な藤の花が見られる。
神前結婚式があり、白無垢の花嫁姿が人目を引いた。


社殿 献額と鈴


絵馬
亀戸天神社の“うそ鳥”。“うそ”は幸運を招く鳥とされ、毎年新しいうそ鳥に替えるとこれまでの悪い事が“うそ”になり一年の吉兆(きっちょう)を招き開運・出世・幸運を得ることができると信仰されてきた。


絵馬
「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」 道真が5歳の頃庭に咲く紅梅を見て詠んだ歌だそうだ。


神牛
自分の体で悪い部分を撫でるとそれが良くなるという亀戸天神の御神牛。亀戸天神にまつられている菅原道真は生まれたのも亡くなった年もウシ年。太宰府天満宮の場所も、菅原道真が遺言で、私が死したときはその体を牛車に乗せ、牛が停まった場所を墓としてくれ、として決まったほど牛に縁が深いとされる。


太鼓橋と梅

<亀戸香取神社>
亀戸天神から東へ400m程歩くと亀戸香取神社がある。


亀戸香取神社
天慶の昔、平将門が乱を起した時、追討使俵藤太秀郷はこの香取神社に参拝し戦勝を祈願した。乱はめでたく平定することができ、神恩感謝の奉賓として弓矢を奉納、勝矢と命名された。
この古事により、1000年の時を経て今も「勝矢祭」が守り伝えられている。
歴代の天皇をはじめ源頼朝、徳川家康などの武将達、また剣豪塚原卜伝、千葉周作をはじめとする多くの武道家達の篤い崇敬を受け、武道修行の人々は香取大神を祖神と崇めていた。
このような由来から、亀戸 香取神社は「スポーツ振興の神」として、スポーツ大会・試合の勝利を願う多くの参拝者が訪れ篤い祈りを奉げている。


社殿


亀戸大根発祥の碑
普通の大根(青首大根)より小ぶりで、にんじんを少し大きくしたぐらいの大根。
江戸末期の文久年間(1861~64)に栽培が始まり香取神社周辺が栽培の中心地となっていた。


亀の井の由来の碑、および井戸
昔この村には有名な井戸があり、'亀の井戸'からやがて、現在の地名である亀戸になったという。


<亀戸水神宮>
さらに東へ600m程行くと小さな亀戸水神宮に出会う。


亀戸水神宮
おそらく亀戸の由来に関係する神宮だろうがNETで検索するも詳細不明。


水神森の碑
昔はこのあたりは鬱蒼とした森だった。


境内の片隅に何故かゾウの置物(遊具?)があった。

<亀戸中央公園>
ここから東武線をまたいだところに亀戸中央公園がある。


亀戸中央公園
日立製作所の亀戸工場のあったところを買収し、整備したもので、A・B・Cの3地区に分かれている。
この公園は「サザンカの名所」として親しまれており、今回の散策の目的のひとつである。
サザンカを50種4000本も栽培しており、まとまって咲いているので見応えがある。


サザンカ「富士の嶺」




サザンカ「立寒椿」




メタセコイヤ(スギ科)


公園の一角でみられた紅葉


時計塔


サザンカ「想夫恋」、演歌にあるような名前だ。


白い花びら、縁のかすかな桃色が印象的だ。


散歩の終点:亀戸水神駅


昼食は北千住のそばや”柏屋”で。
2階座敷が満杯で、やむなく1階椅子席で我慢。
定番のほろ酔いセットを注文。

このあと松戸へ戻り、年忘れカラオケ。
20時までの4時間を3人で歌いまくった。

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