廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

旧烏山町 中山小学校

2013年10月24日 19時42分33秒 | 栃木の廃校
烏山の名産品として最近有名になりつつある「中山かぼちゃ」。
きめ細やかでホクホクとした味わいは、
あまりかぼちゃが好きでない人も思わず「うまい」と言わせるおいしさ。
宇都宮のフタバ食品が売り出している「中山かぼちゃアイスクリーム」は
知る人ぞ知るかくれた逸品です。

そんな、烏山名産中山かぼちゃ発祥の地、那須烏山市中山地区にある
中山小学校に行ってきました。
現在は「中山構造改善センター」として日々改善に取り組んでいるようですよ。
田舎に行くとよく改善センターを目にしますが、
いったい何を改善しているのでしょう。

昭和47年に大桶小学校、滝田小学校の3校の統合で七合小学校になりました。
校庭跡は当然のようにゲートボール場になっています。
桜の木にグランド整備の竹箒が立てかけてありました。
一見、和気あいあいのゲートボールも実際は厳しい上下関係がありそうです。
60歳代はまだ新人扱い。練習終わりのグランド整備…。
まぁ、想像ですけど…。

廃校巡りをしていて、探す目印になるのは桜の木。
校舎が取り壊され、遊具が撤去され、門柱が引き抜かれても、
桜の木だけは残っています。

ここにも桜の木だけは当時と同じように残っていました。
春は奇麗でしょうね。









旧南那須町 八ヶ代小学校

2013年10月21日 16時15分38秒 | 栃木の廃校
四頭身の二宮像がいる、旧南那須町 八ヶ代小学校を訪ねました。
旧南那須町の廃校のほとんどが、地域のコミュニティセンターに姿を変えています。
ここ、八ヶ代小学校跡もゲートボール場を併設したコミュニティセンターになっています。

ゲートボール場の横には南那須町おなじみの廃校記念碑。
そして振り込み詐欺注意の看板。
おじいちゃん、おばあちゃんが集るゲートボール場にはマストの看板ですね。
「この前、孫が交通事故起こしちゃって300万振り込んだんだよ」
「そう言えば、家の孫も会社のお金落としちゃって200万立て替えたんだよ」
ダメ絶対!! だまされちゃダメですよ。

そんな八ヶ代小学校ですが、創立は明治18年5月。
昭和49年3月31日近隣5校の統合によって閉校しています。
1970年代南那須町では10校近い小学校が統廃合されています。
しかもそのほとんどが公民館やコミュニティセンターとして、
地域の中で生き続けています。
中には当時の木造校舎が残っているところもあり、
さすが廃校に優しい町「旧南那須町」。

当時を思い起こさせるものは多く残っていませんが、
国旗掲揚塔と四頭身のドラえもん型二宮像が当時を偲ばせます。


















福島県 下郷町楢原小学校三ツ井分校

2013年10月13日 12時35分09秒 | 福島の廃校
福島県下郷町は茅葺きの集落大内宿があることで有名ですが、
山間には昔ながらの家並みの集落が多く残っていて面白い場所です。
今回訪れた三ツ井分校もいくつかの古い集落を過ぎ、
譲り合わなければ通れない細い道の先にありました。

大正9年開校。
昭和45年の廃校ですから40年が過ぎていますが、
思いのほかきれいに保たれています。
増築を繰り返したつぎはぎの校舎ですが、
何となく湯治湯の温泉旅館を彷彿させます。

楢原小学校は現在調べただけで以下の7つの分校を持っていたようです。
下郷町立楢原小学校宮山分校(1961年12月廃校)
下郷町立楢原小学校栄富分校(1966年廃校)
下郷町立楢原小学校三ツ井分校(1970年廃校)
下郷町立楢原小学校豊成分校(1979年廃校)
下郷町立楢原小学校弥五島分校(1979年廃校)
下郷町立楢原小学校中山分校(1993年休校)
下郷町立楢原小学校戸赤分校(1999年休校)

山間の集落に加え、冬は豪雪地帯ということもあり分校が多いのでしょうね。
ここ三ツ井分校のある安張の集落にも古い家屋が何軒かありますが、
小さな子どもがいる感じはしません。












茂木町 桜井小学校

2013年10月09日 11時14分59秒 | 栃木の廃校
古い地形図と現在の地図を照らし合わせては
廃校を求めてふらりふらり。

そんな廃校巡りでは美しい木造校舎があったりするのは極めてまれなケース。
大抵は建物は取り壊され、良くて廃校記念碑や二宮像が残っているパターンがほとんど。

地域のコミュニティセンターや公民館に姿を変えいる場合は、
ゲートボール場となって、昔の少年少女の嬌声が聞こえることもある。

今回訪ねたのは栃木県内でも廃校数が多い茂木町。
山間の町で、集落ごとに学校が必要だったのでしょうか。
ここ、桜井小学校は明治8年道生舎として開校。
その後、何回かの名称変更を経て昭和16年に桜井国民学校、
昭和22年に須藤村立桜井小学校、
昭和26年に茂木町立桜井小学校になっています。

古い地形図を見ると道路のすぐ横に文マーク。
これなら苦労せずに見つかりそうです。
しかし、あたりを付けた場所には学校跡の気配がありません。

何度か地形図と現在の道路を照らし合わせると、
どうやら道路改修が行われた様子。
高台にあった学校の校庭は掘削され道路となってしまったようです。
ふと、道路から土手の上を見ると…。
藪の中に二宮像発見。

道路改修で学校跡地は無くなり、
わずかに残る土手の上に記念碑や二宮像は移転されたようです。

栃木県では珍しいブロンズ製の二宮は
優しい微笑みで眼下の道路を見続けています。

記念碑には廃校時の卒業生の名前が刻まれていました。
昭和60年の卒業生は7名。
平成を前に100年に渡る歴史を閉じています。
卒業生にすると跡地も無くなるのは寂しいでしょうね。












宇都宮市 旧豊郷村中央小学校海道新田文教場

2013年10月07日 19時31分03秒 | 栃木の廃校
宇都宮市にもわずかに分校跡がありますが、
今回は分校の前身、分教場跡です。
旧豊郷村の中央小学校の分教場として明治40年に設置されました。
その後場所を移して海道町分校となります。
分教場としては昭和29年までこの場所にあったようです。

現在は海道町の公民館になっています。
もちろん、当時の建物は残っていませんが、
この分教場跡の目玉は二宮像です。

一般的な二宮とは一線を画す脱力系。
石工はきっと子どもたちに勉学の大切さを伝えるべく、
心を込めて彫ったのでしょうが、
出来上がりは…。

これこそゆるキャラ。
まじめに作ったんだけどどこか変。

最近のわざとらしいゆるキャラなんか目じゃないっしょ。






南会津 下郷町旭田小学校落合分校

2013年10月02日 18時35分59秒 | 福島の廃校
大河ドラマ「八重の桜」は「あまちゃん」ほど視聴率を稼げていないようですが、
どうにかまだ見続けています。

会津戦争に至る戊辰戦争では栃木県でも宇都宮城の陥落、日光口の戦いなど数々の戦いがあり、
気持ちとしては会津に肩入れしたくなりますね。

そんなわけで今回の廃校は会津。
日光街道から会津西街道を北上し、五十里、三依、横川を経て会津田島、下郷とやってきました。
もろに旧幕府軍が会津へと落ちてゆく道ですが、
その何年後かにはイギリス人の女性旅行家イザベラ・バードが旅した道でもあります。

バードはその後京都で、同志社の新島襄、八重にも会っています。
バードが日光で宿泊した金谷カッテージインは日光金谷ホテルの前身、
また、日光を広く海外に紹介した最初ではないでしょうか。
彼女の書いた「日本奥地紀行」は西洋人の特権意識や日本人を蔑視した表現も多々あるのですが、
明治の日本の地方を紹介した意味では面白い本です。

話しが逸れましたが、下郷町立旭田小学校落合分校です。
当ブログの表紙を飾っている廃校にもかかわらず今頃レポートします。
廃校は2005年です。
しっかりとした門柱越しに平屋の木造校舎が美しい。
門柱は昭和29年に卒業生の父母と教師によって作られたとプレートが埋込まれています。
分校にしては実に堂々とした佇まいです。

訪問日2012年9月。