廃校を巡る

風雪に耐えた美しい木造校舎。小さな空き地にポツンと二宮尊徳。
錆びたブランコに、朽ちかけた百葉箱。廃校ノスタルジア…。

千葉県 佐倉市 志津小学校 青菅分校 

2016年03月22日 14時49分25秒 | 千葉の廃校
千葉市にあるホキ美術館へ出かけた帰りに立ち寄った志津小学校青菅分校。
訪れた時間は太陽が沈んでやや薄暗くなった時間帯。
校舎横の集会所には明りがついています。
どうやら近隣の方の集会が開かれているようです。
集っている方に一声かけてそそくさと撮影開始。
写真では明るく写っていますが実際はかなり暗くなっています。

折しも靖国神社の桜が咲き、東京ではサクラの開花宣言が出された日ですが、
1週間後だったら幻想的な写真が撮れたことでしょう。
敷地のまわりは桜の木に囲まれ満開の時はどれほど素晴らしいことか…。

木造の校舎は昭和30年建築。志津小学校第二分校時代の建物のようです。
昭和52年の閉校から39年が経っていますが今だ地元の方がきちんと管理しているようです。
一見すると山奥の分校跡に見えますが、
ニュータウンのユーカリが丘駅から数分の場所にこんな雰囲気のある分校があるとは…。

校舎も全体に桜色。可愛らしい色合いでした。













軟式野球ボールが転がっていました。
野球をするには狭く、キャッチボールには充分の校庭。





満月と桜のつぼみ。来週は満開でしょうか。


千葉県 佐倉市 根郷小学校 馬渡分校

2016年03月15日 18時49分23秒 | 千葉の廃校
手元の地図にマーキングされているところを見ると、
以前古地図と照らし合わせて学校跡があると目星を付けていたようだ。

まったく記憶が無いのだけれどとりあえずいってみよう。
ナビの案内ではほとんど田んぼ脇のあぜ道を進むようにいっているが、
対向車とのすれ違いはできそうにないほどの細い道。

ヤバい、個人のお宅に入ってしまいそうな路地を彷徨うこと数分。
金網に囲まれた学校跡らしき空き地を発見。

どうやらここが馬渡分校跡のようです。
1969年の閉校ですのでやはり校舎は残っていませんでしたが、
馬渡分教場跡の碑に刻された沿革によると、
閉校後もつぼみ保育園、馬渡保育園として転用され
平成24年の解体まで校舎は残っていたようです。

閉校後43年間も転用され子供達の場として使われていたのはすごいことです。
石碑によると昭和22年の火災焼失による再建から閉校までより、
閉校後の余生の方がはるかに永いことになりますね。

最近まで昭和22年建築の校舎があったのもすごいですが、
大切に使っていた地元の方の愛情も感じます。
見てみたかったですね。

学校時代のものは確認できませんが、
石の門柱ぐらいでしょうか。
遊具類は保育園時代のものでしょう。

校舎はありませんでしたが
梅の香りがするちょっとホッとする学校跡でした。











千葉県 白井市 白井第二小学校 平塚分校

2016年03月07日 18時17分05秒 | 千葉の廃校
年度末の3月。
何かと忙しくバタバタしているところですが、
花粉舞う中、久々に木造の分校跡を見てきました。

場所は千葉県白井市。
栃木から出かけるにはなかなか遠い。

高速を使えば楽ですが、元来の街道・旧道好きとしては一般道でGO!
この辺は千葉でもあまり行かない場所で土地勘もない場所ですが、
千葉ニュータウンからクルマでわずか10数分の場所。
こんなところに木造の分校の校舎があるなんて、
なかなか地元の方でも知らないのではないでしょうか。

神社の脇には分校入口の看板も残っていました。
更にその下には「平塚分教場入口」と刻された石碑もあります。
石碑の側面には東京40粁 県●應?30粁と刻され道標にもなっていたようです。

頭上は成田発着の飛行機のコースになっているようでひっきりなしに飛行機が飛んでいます。
静かな分校跡とはいきませんが、なかなかいい佇まいの分校です。
平成15年の閉校から13年。当時低学年だった子供達もそろそろ二十歳。

校庭にある掲示板には当時の子供達のメッセージが残っていました。
さすがに13年経って読みづらくはなっていますが、
当時の生き生きとした様子がうかがえます。

廃校記念碑などは見当たりませんでしたが、
二宮像やタイヤ飛びが残っています。
小学校に付きものの鉄棒やブランコはありませんでした。

白井第二小学校 平塚分校 沿革
白井第二小学校HPより抜粋
明治 7年  名内小学校(東光院)開校
明治18年  中村小学校と改め、富塚・平塚小学校を本校の分校とする
明治20年  中村小学校を廃し、本校は平塚校の分校となる
明治22年  白井尋常小学校名内分校となる
明治25年  白井町立名内尋常小学校と称する
昭和10年  名内尋常小学校及び富塚尋常小学校と合併して白井第二尋常小学校と称する
昭和11年  新校舎落成し、移転する
昭和16年  国民学校施行令により白井村立白井第二国民学校と改称する
昭和22年  学制改革により白井村立白井第二小学校と改称する
昭和29年  町村合併により旧永治村の平塚分校が白井第二小学校平塚分校となる
昭和36年  開校25周年記念行事、校歌を制定する
昭和52年  鉄筋コンクリート校舎落成する
平成15年  平塚分校を本校に統合する




分校入口の看板



看板下には分教場時代の入口石碑が残っていました。
白御影石の立派な石碑です





本校の名前はなく分校のみの校名プレートにプライドを感じますね


集会所に利用されているのか手入れされてきれいに保たれています。









講堂の中も現役時代並みにきれいです



ブラウン管にガチャガチャ回すタイプのチャンネルが懐かしいテレビがありました。
「ちょっとチャンネル回して」こんな風にいうと完全に昭和の人扱いされますね。


かなり読みづらくなっていますが分校最後の子供達のメッセージ。


大正11年 分教場増築記念碑も現存