ほうれん草に牛乳
果ては水にまで
放射性物質が検出された
「多少基準値を超えてはいるが
問題はありません」
食べても害がないといっておきながら
出荷制限の矛盾
これでは不安をあおってしまうよ
その昔
広島と長崎に
原爆が落とされた
それは剥き出しの放射能
今起きている原発の非ではない
壮絶な戦火の後
その土地で食べ物は作られて
水だって飲んだはずだ
それはおそらく
今ある基準値を
大きく上回るものだったに違いない
それでも食べた、飲んだ
無論、今のように情報があったわけではないだろう
仮にあったとしても
未来の健康を気遣うよりも
今この命をつなぎとめる
そのことに終始した
それ以外にないからだ
そして被爆(あるいは被曝)したかもしれない
だけど
広島、長崎の人々がすべてが被曝したわけじゃない
当然だけど
今はそれぞれの土地で
それぞれの名産がある
過去
広島、長崎に原爆が落とされたからといって
その土地で採れたものを避けている人っているのかな?
いるかもしれない
今情報が溢れている
それにより知識も増えた
が、過敏になりすぎてる
注意することにこした事はないけど
必要以上の注意は混乱を招く
妊婦さんや
幼い子どもには心配だろう
避けられるうちは
避けたほうが気が休まる
ただ慌てず転ばないような気遣いでね
つまりそれは
今日の命を考えるほど
食料に関しては問題はないのかもしれない
現代
未来の健康を気遣う余裕がある
いいことだ
だったら
もっと深刻な問題がある
ほうれん草に牛乳
果ては水にまで
放射性物質が検出された
今回の事故、あるいは事件とも呼べる
この事象は
十年後、二十年後
あるいは人の一生では
発症しないかもしれない
それぐらいのレベルではないのだろうか
むしろ
喫煙による害や
塩分のとり過ぎなど
生活習慣病は
早い人では小学生から予備軍がいるのだから
灯台下暗しとはよく言ったものです
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