星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

ひとり語り 弥々  観劇メモ

2009-11-10 | 観劇メモ(演劇・ダンス系)

劇場     兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール
観劇日    2009年11月8日(日) 14時開演
座席     J列

作/矢代静一
演出・出演/毬谷友子
演奏/稲本渡(ラストのクラリネット演奏)


私にとって毬谷友子さんといえば、夜長姫!
大阪・中座で観た夢の遊眠社「贋作・桜の森の満開の下」の印象が大だった。
その後他の舞台でも観たことはあったけれど、これほど凝視したのは17年ぶり。
それと符合するように「ひとり語り 弥々」も初演から17年目。
今回あらためて凄い個性と鋭い感受性を持ち合わせた女優さんだなと感じた。
ぶっちゃけ常人じゃないぞ、と(笑)。

千秋楽のカーテンコール。
涙で言葉をつまらせた毬谷さんの挨拶はこんなふうだった。
「この作品は父が追い求めていたマグダラのマリアを描いた最後の作品です。
5年がかりで映画化したもう一人のマグダラのマリア『宮城野』を、来年の
3月21日にこの劇場で観ていただけることになりました。もう一人のマグダラ
のマリアに逢ってやってください。父も喜ぶと思います・・・」

先に1人目のマリア、弥々に逢った。



~ある日、年老いた良寛のところに若い女性が訪ねてきた。
彼女は良寛が若かりし頃にひとめ見て好きになった女性、弥々の娘だった。
娘は母が書き残した手紙を元に、母の想いを伝えるために自ら「弥々」を
演じて見せる。それは16歳から72歳までの一人の女の一生だった~
というのがごくごく簡単なあらすじ。

インタビュー記事によれば、ひとり芝居じゃなく、ひとり語りと題されて
いるのは、文学の言葉を語ることに重点を置いたからだとか。
なるほど想像する余地の多い芝居で、自由に妄想できる私好みの舞台だった。
最小限にとどめた舞台セット、見立てを巧みに利用した衣装・小物使い以外
はほとんど役者の体ひとつで勝負。
黒のシンプルなドレスをまとった毬谷さんが、ときには寝っころがって片肘
ついてしゃべったり、布団に見立てた赤いストールの下で男の手(毬谷さん)
がもぞもぞ動いたり、恐ろしく腰の折れ曲がった老女(これも毬谷さん)が
のそっと歩いていったり・・・。
とりわけ最大の舞台装置といえるのが、毬谷さん自身の変幻自在の声音だ。
16歳から72歳まで、あるいは男性の台詞も含めて、トーンもテンションも違
うさまざまな声を次から次へと一人で演じ分け、しかも観客を飽きさせない。

芝居の終盤、72歳の女の顔を見た瞬間ゾクッと凍り付き、理由不明の涙があ
ふれた。あまりにリアルだったからかもしれない。
そこから先は熱くて・・・静かな感動に包まれていった。

一人の女性にとって、自分が愛されたという事実は一生の宝物。
突き抜ける言葉。まぶしい視線。まっすぐな愛。
どんな時にも、これさえあればなんとか生きてゆけると思えるすべてのもの
を若かりし頃の良寛が弥々に与えてくれたんだな、と。
上人様と呼ばれるようになった、立派な良寛ではなく。
あいのことして、男運のない女として、あるいは片目の女郎として、決して
幸せとはいえない生涯で、その宝物はきっとダイヤモンド以上にキラキラ輝
いていたに違いない。
人生最後の選択は弥々にとっては悲しい出来事ではなく、人生サイコーの場
所に戻る手段だったんだなと思う。
ありがとう、と何度も言いながら。
たとえ、人違いで受け取った言葉だったとしても。

すべて観終わったときにこみあげてきたのは、まるで80分間のラブレターを
読み終えたような感覚だった。
舞台では弥々から良寛に宛てた手紙ではあったけれど、むしろ男性から女性
へのラブレターのような感覚・・・。
サイン入り台本が完売だったので、舞台の台詞をいま反芻することはできな
いけれど、たしかえらいお坊さんになった良寛が弥々に言った言葉。
「自分のことをそんなふうに卑しめてはいけない」。
それはどんなときにも自尊心を持って生きてほしい。私がかつて愛したひと
だから、という願いがこもった応援メッセージではなかったろうか。
そこに作家の「弥々」に対する目線が感じられ、この作品全体が、傷つき、
心に襞を抱えた現代女性へのラブレターのように感じてしまったのだった。
それは、矢代静一氏がマグダラのマリアを描きつつ、毬谷友子のために書い
た父から娘へのラブレターともいえるかも。

私自身が最期の瞬間に思い出すキラキラした宝物は何だろう。
妄想が妄想を生み、とうとう勝手にそんなメッセージを受け止めてしまった
80分だった。

<追記>ラストの演奏は兵芸限定バージョンだったんだ~♪


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2 コメント

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想像する余地の多い芝居! (あず)
2009-11-13 01:03:06
ワンダホー!! 
何度も「そうそう・・・そうなのよー」って突っ込み入れながら読ませていただきました。

「想像する余地の多い芝居」 私も同じ事を感じてました。
私は「ひとり芝居」も「ひとり語り」も観てまして、今回2回目の「ひとり語り」でした。
「ひとり芝居」では、良寛様(栄蔵)の台詞は「男」という形で音声で入ってたんです。
男性の声という形で存在を示してしまうと「想像」には限りがあるように思いましたが、
「ひとり語り」のように全てを毬谷さんが語られると、舞台上に実像はなかったけれど
いろいろ想像でき見えたように思います。
そこで、私が一番強く感じたのは、良寛様の”眼差し”でした。
弥々がどんな悪態をついて酷い事をしていても、柔らかな視線で優しく弥々を眺めている
良寛様の ”眼差し” を感じ、胸に熱いものが込上げ気がつけばどーっと涙が溢れてました。
だからかなぁ・・・ムンパリさんの仰る「ラブレター」というのは、もの凄く理解できました。
ちなみに、私が観た1999年「ひとり芝居」の良寛様の声は、染五郎さんでした!

久々に毬谷さんの舞台を拝見して、また、舞台『宮城野」を観たいという欲が出てきました。
ちなみに、私の野望は、舞台『宮城野』を毬谷さんと愛之助さんで観たいんです!
返信する
あずさま♪ (ムンパリ)
2009-11-13 12:59:51
拙い感想にコメントいただきありがとうごさいます!
あずさんは、ひとり語りだけでも2回目だったのですね。
しかもひとり芝居のほうもご覧になっていたとは!
私はひとり芝居を見てないため、語りとの違いがどういうものか
イマイチわからなかったので、へええ~という感じです。
染五郎さんの声、とはずいぶん具体的な!(笑)

今回は想像の中で見える海辺やお寺の周囲の風景、それに
栄蔵ぼうの輪郭や表情、そういう一つ一つが「弥々」の世界を
作りあげていくようで、楽しみがありました。
たった一度観劇しただけの印象を素直に書きましたが、
あずさんとも想いが共有できて嬉しいです~♪

> 私が一番強く感じたのは、良寛様の”眼差し”でした。
おお、そうです、そうです~!
その温かさを私も感じました。
そして”眼差し”を感じながらもあえて悪態をつく弥々の心情も
また切ないものがありますよね。
最後はその眼差しを抱いたままいっちゃったのでしょうか。

> 私の野望は、舞台『宮城野』を毬谷さんと愛之助さんで観たいんです!
その野望に一票!!(笑)
映画も舞台も、そうですよね。
まずは映画。その日が早く訪れますように~♪

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