星月夜に逢えたら

[hoshizukiyo ni aetara] 古都散策や仏像、文楽、DEAN FUJIOKAさんのことなどを・・・。 

ペール・ギュント 兵庫公演

2015-08-06 | 観劇メモ(演劇・ダンス系)
公演名  ペール・ギュント
劇場   兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
観劇日  2015年7月25日(土)18:00(1幕85分-休憩15分-2幕90分) 
     ※アフタートーク付き
座席   2階


観劇後すぐにツイートした通り。
「ものすご~くよかった。ものすご~くよかった。」
観終わって拍手しながら後から後からいろんな感情がこみ上げてきた。
アフタートークがなければあのまま家まで引きずっていたと思う。
白井さんの発想、演出にまたしてもヤラれました。

原作の古めかしい訳にくらべると、違和感のない現代語翻訳ですんなり
入っていけたのもよかった。
内博貴さんによるペールの美しく奔放な輝きと、全員で何役も演じて
独特の世界を作り上げている出演者たちの一体感が凄かった。




<スタッフ>
作/ヘンリック・イプセン
構成・演出/白井晃
翻訳・上演台本/谷賢一
音楽・演奏/スガダイロー
振付/小野寺修二

<キャスト>
内博貴(ペール・ギュント)
藤井美菜(ソールヴェイ)
加藤和樹 (アスラク、ファン・エーベルコップフ、ベルグリッフェンフェルト 他)
前田美波里(オーセ:ペールの母)
堀部圭亮(ソールヴェイの父親、見知らぬ船客、牧師、痩せた男 他)
橋本淳(マッツ・モーエン、トロムペーターストーレ、フセイン、コック 他)
三上市朗(マッツの父親、ドブレ王 他)

河内大和(ジジイ、謎の声、ボタン作り 他)
小山萌子(ソールヴェイの母親、カーリ 他)
桑原裕子(マッツの母親、緑衣の女、精霊 他)
辰巳智秋(ムッシュウ・バロン、アラブ部族長、船長 他)
瑛蓮(村の女、アニトラ 他)
宮菜穂子(イングリ、フゥフゥ 他)
皆本麻帆(ヘルガ、少年 他)
荒木健太朗(村の若者、指を切る男、盗賊 他)
青山郁代(村の女、ヴァールの娘、アラブ部族の女 他)
益山寛司(村の若者、緑衣の女の子供、盗賊 他)
高木健(村の若者、マスター・コットン、アピス王、水夫長 他)
チョウヨンホ(村の若者、故買人、フェラー、舵手 他)
間瀬奈都美(村の女、ヴァールの娘、アラブ部族の女 他)
大胡愛恵(村の女、ヴァールの娘、アラブ部族の女 他)
薬丸翔(看護師 他)
石森愛望(看護師 他)



<あらすじ>
落ちぶれた豪農の息子で、母オーセと共に暮らしている夢見がちな男
ペール・ギュントは、かつての恋人イングリを結婚式から奪取して逃亡
する。しかしイングリに飽きたら彼女を捨て、トロル(妖精)の娘と婚礼
寸前まで行くが逃げ出す。
その後、純情な女ソールヴェイと恋に落ちるが、穢れないソールヴェイ
にふさわしい自分自身を見つける事が出来るまで、彼女を待たせたまま
放浪の旅に出る。

山師のようなことをやって金を儲けた果てに無一文になったり、砂漠
をさまようなど、世界各国を遍歴をした後、老いて帰郷する。死を
意識しながら故郷を散策していると、死神の使者であるボタン職人と
名乗る男と出会う。
彼は天国に行くような大の善人でもなく、地獄に行くほどの大悪党で
もない「中庸」の人間をボタンに溶かし込む役割の職人だった。

「末路がボタン」というのだけは御免だと、ペール・ギュントは善悪
を問わず自分が中庸ではなかったことを証明しようと駆けずり回るが、
誰もそれを証明してくれず、ペールの人生の無意味を気づかせただけ
だった。
疲れ果てたペールはずっと待っていたソールヴェイのもとに辿り着く……。
(公式サイトより引用)






好きなひとを待たせたまま、自分探しの旅を続けるペール・ギュント。
金と女を手に入れたはずが、すべてを失いズタボロになって故郷に
戻る。それでも最後まで「自分自身」にこだわり続けるペールの物語は、
胸のすくような冒険譚でもなければ、あま~いハッピーエンドでもない。
待ち続けたソールヴェイがペールを迎えるシーンから赤ん坊が再登場
するラストにかけて、私自身コントロール不能の感情と、そして涙。
決して悲しいわけではないのに・・・。

以下、感想というより気づいたことのメモ。

<冒頭の舞台セットに釘付け>
席が遠いので観劇前に前方で舞台上を眺めてみたら、もう芝居が終わっ
てすべて撤去した残骸? と思えるようなセットだった。
太い配管チューブが約2本、天井を突き破って垂れ下がっている。

2階の自分の席に戻り開演を待つ。舞台の奥行きがかなりある。
やがて暗い舞台の上手から人が現れ、残骸に見えた箱状のものを坐って
いじり始めた。パソコン? テレビ? 時代は現代らしい。
人数が増え、気がつくと舞台奥の大きな窓から光が差し、ほの明るい。
窓からの逆光に照らし出された廃墟がたまらなく美しい!
昔観たタルコフスキーの映画「ノスタルジア」を思い出した。
色彩もなく光だけの世界は「ストーカー」のモノクロ映像にも重なる。
たぶん、私はこの逆光の場面ですでに心をもっていかれたと思う。
舞台全体を見渡せる席でよかった。

病院の機材のようなものが置かれ、外では爆撃機かヘリの騒音。
怯える人、車椅子の人、忙しなく動き回る医師、看護師・・・。
白衣(水色)の人がどこかから引っ張ってきたのは保育器。中には
血まみれの赤ん坊。動いてる? 死んでる?
その間も人々は動き続け、2階からの眺めはまるで長回しの映画のよう。

上演中の最初から最後までこの廃墟が舞台上に存在しており、保育器の
前から「ペール・ギュント」の物語が始まる。
ペール以外、場面に応じて俳優たちが両方の時代の役を切り替えるので、
現代にも共有できる自分たちの物語でもあることが実感できた。


<万能の透明ビニールシート>
透明の大きなビニールシートが何度も登場し、その使い方にびっくり。
最初は境界を曖昧にする、絵巻の雲のような存在だと思った。
さらに、ある時はベッドシーツや海の波、遺骸を包む布などになったり、
人物の登場口や場面転換代わりにもなったり。ある場面では姿の見えない
「声」の輪郭になる等、抽象的な使われ方もしていた。
2階席から見ていると、透明シートは大きなアメーバのような有機的で
ダイナミックな動きが面白かった。

<音楽>
スガダイローさん率いるメンバーによるジャズの生演奏。
廃墟にふさわしい、激しく乾いた感じのアヴァンギャルドな曲が多い
なか、ソールヴェイに関わる音楽だけがとても優しく感じられた。
森の中でペールが一人で家を建てて住み始めた時、グリーグの「朝」
のメロディを内くんペールが口笛で吹いているのが聴こえた。(全編
ジャズのオリジナル曲と書いてあったのでこれはサプライズだった。)
それにつづく「朝」をアレンジしたスガさんのピアノ演奏に心が和らぐ。
ふと見ると、家族と離れペールの元にやってきたソールヴェイが!
スガさんが頷くと藤井さんソールヴェイが歌い始める。子守唄のような
優しい印象の曲。
これが最後の二人のシーンでもう一度歌われた。グリーグ版のような
切々と歌い上げるものではなく、子守唄のようにペールを包み、赤ん坊
へとつながる。とても意味のある曲だった。


<自分自身になる、ということ>
生き方の方針として2つの言葉が出てきた。
(痩せた男も、人は2通りの方法で自分自身になる、と言っている。)
・ドブレ王の言った「あるがままに生きる」。
・ペールが言う「自分らしく生きる」。

一見よく似ているけれど、「あるがままに生きる」は今の自分を肯定
し、満足しながら生きる、ということになるだろうか。
一方、ボタン作りに、あなた自身だったことは一度もないと言われた
ペール。自分らしく生きるとは自分を殺すことだとも言われてしまう。
「自分らしく生きる」ために今の自分に満足せず、ずっと自分探しの
旅を続けていた彼は、つまり、自分自身だった瞬間はなかったことに
なる。なんだか禅問答みたいだけど(笑)。


<赤ん坊>
演出の白井さんによれば、この物語は赤ん坊が保育器の中で見た夢、
という設定なのだそう。

保育器の前からペール・ギュントが動き出す、という演出。
現代と原作の時代が二重写しに見えてはいるけれど、ペール・ギュント
を追っていればストーリーを見失うことはなかった。
現代のセットの中にいても不思議じゃないのは、現代の言葉遣いだった
り、テンポの早い展開のせいだと思う。
モロッコにいるペールが携帯電話で呼び出され、応答しながら部屋を
出ていくという大胆な反則ワザもあったが、それすら違和感なかった。

赤ん坊をもってきたのは、白井さん的にはペール・ギュントは現代にも
通じる話だということの確認・実証意図があったのかもしれない。
でも、私にとってはちょっとした甘い飴でもあった。
「ペール・ギュント」は受け取り方に年齢差が出る話だと思う。
ペールの失敗に自分を重ねながら、できることなら人生の一部を書き換
えたいと思ったり(汗)、発することのなかった言葉や感情や涙に後ろ
めたい気持ちになったり(苦笑)。
なので、赤ん坊=人生のやり直し、にすがりたい。

血まみれの赤ん坊は重傷なのか、産み落とされたばかりなのか?
もし命が風前の灯し火であれば、この夢はそのまま赤ん坊の一生に等
しい。そう考えれば少しは救われる気がする。
あるいは、赤ん坊が夢から覚めた後も命長らえるのであれば、この子は
もう一回、イチから人生をやり直せる。
もう遠回りはせず、好きな人を待たせたりもしない・・・はず・・・。

いや、違うな。
いつの時代もペール・チルドレンは、赤ん坊時代にみた夢のことなんか
キレイサッパリ忘れて、やっぱり自分探しの旅に人生の大半をさくのだ
ろうな(笑)。それが生きる意味だから。

もう一つ、赤ん坊を見て感じたこと。
人生は赤ん坊が見る夢と同じくらい短い、一瞬の出来事のように思える。
ソールヴェイというゆりかごで眠るように死んでゆくペール。一方、
ソールヴェイという名の看護師が見守る保育器=ゆりかごで眠る赤ん坊。
年老いて死ぬ間際に見る夢と、生まれたての赤ん坊が見る夢とが交錯する
ラストが苦くも甘くもあった。


ここまで書いて力尽きたので、ソールヴェイについてはあらためて。
(書けたらいいけどね。)


●このブログ内の関連記事
ペール・ギュントからゲスの極み乙女。経由、虹伝説へ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 舞台「浮標」のアンコール放... | トップ | 9月の番組メモ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

観劇メモ(演劇・ダンス系)」カテゴリの最新記事