映画で、難しい物語の場合、登場人物に作家の意図を観客のためにガイドさせる、という手法がある。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』では、中年ドクがこの役目を果たしている。
しかも、ガイドが離れることにより、スリラーを発生させることもできる。
大事なのは、このガイドと観客の親密度を上げることで、これがうまく行われないとただの説明役になり、その話を親身に受け取ってもらえない。
なので、逆に親密度が高い人物にガイドをさせるという方法は優れた方法となる。
『BTTF』もそうで主人公の一人であるドクがガイドをしている。
そして、中年ドクは、自分のため(老人ドクのため、科学の徒として)にもガイドをしている、とガイドの意味を都合にしないようにしている。
『シザーハンズ』もその一例。
ナレーション(オーバーボイス、モノローグ)やテロップは物語外のガイドなので、親密度を上げるために、実は重要人物による語りだったという手もよく選ばれる。
信頼度の高い職業の者というのもその一つで、西洋では神父や牧師の語りという親密度が高い職業の語りを採用できる。
ドクの博士であることもその一つ。
ガイド(道導看板屋)の者をガイドにするというのを『プリティ・ウーマン』では用いた。(劇中は難しくないんドえ、語りのスタイルのガイドではあるが)
手法が確立して、広く受け入れられていれば、その反転も可能になる。
『ネクスト・ゴール・ウィンズ』では神父の語りから始めることで、実話を寓話に変換し、さらに宗教譚というズラシも行った。
最も強力なのは、主人公自身の心の声であるが、主人公の心の声はガイドというよりは物語そのものでもあるので、この手法の最大の手法となる。
これの変奏で、インタビュアー役をガイドにし、主人公に語らせる手法もある。
作家や神の語りにしたときに、親密度を高めることができるかは、さらにいろいろな手管を必要とする。
小説などは、この作家自身を語り手にしているのが基本でもあるが、漫画や映画はこれを選択するのが少々難しい。