もぐらもちの写真散歩

写真がメインの散歩日記です。古い写真も紹介します。

20231003 片瀬江島港の② 07 Vario-Sonnar T* 28-85mm

2023年11月16日 00時01分00秒 | ContaxVario-Sonnar28-85

いや、いや驚いた?マナスル?お坊さん、先生の話を書いて?今さっき、馬渕大使の月例動画?目を見張って?慌てた。お坊さん?違うけど、同じ曹洞宗のお坊さん?でもう違う?若い?おかしい?入学した時のマナスルは?27歳?だったと思う。僕たちと、一回りしか違わないハズ?このお坊様?もの凄く若い?実年齢?住職?を考慮すれば、40半ばは過ぎて居るはず?50前半も。可笑しい?表現するなら、半分?有り得ない?実年齢の二倍ある人が、若い人の半分?いや、マナスルの半分?この印象から、気持ちがぶれない。話し方が幼い?いや、若い?話す内容でも、受ける印象は同じ、1㎜もずれない。あの学校に居て、者達に聞けば?多分だが?僕と同じ事を言うに違いない。失礼な言い方かも知れないが「人の大きさ?」この言葉(の意味?)を初めて実感、出来きてしまった。申し訳ないが、実感する。先ほど童画を見終わったばかりなので、本当に申し訳無く思うが。心に偽りなし。ショックだ。人、姿が似過ぎていると、重なると言うが?其れがいけなかった?横に並べてのシルエットなら、頭の形だけ。御師のあれはマナスルの所以なのだ。話す内容のも重なるのだが、大きさ?深さ?質と言えば?音?声?その上であの時感じた深さの様なもの?まるで違う。あの時の僕たちの立場?卒業寸前の僕ら、暗いのさ?15 vs 30、そのまま?言葉に出して「小人(子供)と大人」そのままだ。驚愕に値する実感。改めて、あの時の中学校に感謝する。(もう一度)言っておくが、僕等は、正確に言えば。中学を卒業しての高一の春、始めの全国共通一次試験で国語だけ、麻布、灘、ラサールのすべてをおさえて、その時の成績は「日本一」これだけは、本気で気持ちが良い。ただ、少し残念なのは我らは三位へ落ち、だった。悲しい。何故、其れを知りうるか?内の学校は何故か?この(日本の一番最後に貴族になった人の孫。だから、高校まで学習院で、東大は?実力。教え方は?もの凄く疑問だけど、結果は?)先生に、一年以上国語を教わる仕組みだった。国語教育ドーピング?我々までは。で、三位に落ちた責任をとって?僕等の学年だけは、高校でも一年間教わったのでは無い。計四年?何故それが出来たか?中高と敷地が隣で、校長が同じ。中一から高一まで、真面目に国語の授業を受けた。その後は酷かった。新採一年目の女の先生。泣かせてしまった。誓って言う、虐めでは無い。漢文の授業に時に、教科書を読んでくれるのが3?4人しか居なかった。内二人は、その先生よりも、明らかに差を付けて上手かったのだ。一人は、工業高校卒で、東京工大へ入学した。で、僕は駅弁大学を出て、公立学校の教師になった。中学から上の工業高校に、その、約二百名の内で、教師になった者が。二十名居る。何か可笑しいだろ?其奴らの中で、6年間三奇人と言われ続けた俺は?喜劇という者は居ても、悲劇と言ってくれる者は居ない。おまけに、その女の先生は、空いている時間の全てを使って、中学校へ行き、俺の担任に土下座。頼んで教えて貰った。その後同じ公庫へ入学した弟は虐められた?漢文のテストで辞書持ち込み可。B4 の学んだプリントを持ち。冬休みの宿題は韻をふんだ漢詩(唐詩で確立された)を書く。夜中に泣いていたので。俺が四言絶句を韻を確かめて作った。 脱線のし過ぎで?兎に角。国語は四年間幸せだった。漢文については、三年生の後半は教室内で、各自自由に学習。大学入試のシグマベスト漢文。夏目漱石全集に挑戦する者も居た。古典落語、百人一首。この頃は、ぼくら、同じ駅に降りる者達四人で、16分で96首。時間は余ったが出てこない。福島大学の卒業寸前で、相手は須女のクイーン戦の選手の新入生に負けるまで、不敗。 何の話しだった?怖い先生のお大きさ?あ、武術力の差?だったかも?真逆?人徳?人間としての?では無いよな?

コメント
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