MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯658 30年後の姿

2016年12月01日 | 日記・エッセイ・コラム


 相次ぐ日程変更による学生の混乱を避けるため、経団連が新卒学生の就職活動の日程を、来年(2018 年)卒業生も今年と同様「(3年生の)3月に説明会を解禁」し「(4年生の)6月に採用面接などの選考を解禁」とする方針を正式に決めたとの報道がありました。

 一方、この日程には会員企業からの異論も多いため、抜本的な改革は先送りし、再来年の日程は再検討する方針だと9月12日朝日新聞は伝えています。

 実際、新卒者に対する就職活動の日程は(ここのところ)2年続けて変更されており、学生や企業の担当者などの当事者にとって、どうにも落ち着いた感じがしないのは事実のようです。

 新卒者の就職活動については、もともと「12月に説明会解禁」「4月に選考解禁」として申し合わされていたものが、「学生を学業に専念させるべきだ」として2013年に安倍政権が経団連に対して後ろ倒しを要請。これを受け、経団連は2016年卒者の就活日程を「3月に説明会解禁」「8月に選考解禁」に変更しました。

 しかし、水面下で採用活動を前倒しする企業が相次ぐ一方で、当事者である学生や大学の側からも就活期間の長期化などに対する不満の声が出たため、今年の選考開始は再びこれを2カ月前倒しして実施した経緯があります。

 学生が、なるべく早くに就職を決めて楽になりたいと思うのは無理のない話ですし、就職活動が少しでも長くできるのというのも、彼らにとって一つのメリットになるのかもしれません。就職さえ決まってしまえば、もう心配はいらない。残された学生時代を思う存分楽しめるということにもなるでしょう。

 一方、新卒者の「一括採用」という雇用習慣のない欧米などでは、大学卒業まで学業に専念したうえで(無論、そうしないと卒業させてもらえないという現実もあるのでしょうが)、卒業後のインターンや様々なトライアルによって身に着けた社会人としてのスキルを武器に、本格的な就職先を決めるケースが多いと聞きます。

 実際、バックパックひとつで日本を訪れる若い欧米人に話を聞いても、彼らの多くは大学や大学院を卒業したばかりの24~25歳で、就職までの猶予期間を使って世界を歩き見分を深めようと、いわゆる「モラトリアム」期間を自分の将来のために思う存分過ごしているように見えます。

 確かに長い人生においては、自分の将来を(時間をかけて)じっくり考える時間があっても良いでしょう。しかし、(ある意味)決められた「規格」の中で育つ日本の若者にとっては、それまでの日常から離れフリーな立場で様々な経験を積みながら自分の将来の姿を具体的にイメージしてみることは、もしかしたら結構難しいことなのかもしれません。

 さて、私も様々な入社試験や採用試験の面接官を頼まれることがよくあるのですが、そうした際に若者たちに必ず聞こうと思っている質問があります。

 それは、「30年後の自分がどうなっていると思うか?」という問いかけです。

 その頃、貴方はどんな仕事をし、収入はどのくらいで、家族はどうしていて、何を考え、どんなことに悩んでいるか。どんな大人になっていて、若い人たちからどんな風に思われているか?できるだけ具体的に聞かせてくれと尋ねてみます。

 こうした質問に、大方の就活生は(以外にも)戸惑いを隠さず、「ちょっと時間をください」などとしながらも、(面接であることを少しだけ忘れて)結構本気で答えてくれます。

 30年後の彼らや彼女らは、おそらくは子育てもようやくひと段落しつつある時分。(少し疲れた様子の)父親や母親の現在の姿を重ね見ながら、遠い眼差しをしている彼らが何故か愛おしく感じられる瞬間です。

 50歳過ぎと言えば企業でも先が見えてくるころで、そろそろ老後の心配などもしているかもしれません。重役になっていて社長の椅子を狙っている(だろう)と答える猛者もいれば、40歳で起業して好きな仕事で頑張っているという者、(結婚しているとは思えないので)海外でバリバリのキャリアウーマンとして活躍しているという人もいるし、専業主婦で子供が4人と答えた女性もいました。

 こうした(少しひねった)質問への回答は、意外にも本人の考え方を的確に反映することが多いようで、ポジティブな人はよりポジティブに、ネガティブな人はネガティブなりに人となりを伝えてくれます。

 面接に臨むイマドキの若者たちは皆それぞれ十分なトレーニングを積んできていて、ちょっとやそっとのことでは驚いたりもしませんが、こうした「正解のない」問いに対しては意外に脆く本音を晒したりするようです。

 一方、この質問は、学生の人柄や意欲を確かめ、量るためにばかりしているわけではありません。

 (自分自身ももしかするとそうだったのではないかと思うので言うのですが)大体、多くの日本の若者は、自分が目指す将来の姿を具体化することから逃げているのではないかと感じる時があります。

 漠然としたイメージはあったとしても、大抵は(「この程度だろうな」というような)ぼんやりした形に留めていて、年収はどのくらいとか、どこまで出世する(そして「そのためにどうする」)というような計画的なものにはしていないのが普通でしょう。たとえ考えていたとしても、親や友人に具体的に話をすることはどう考えても照れくさいし、変な奴だと思われるのもいやだと思ってもおかしくはありません。

 一方、欧米の若者と話をすると、「こうなりたいから何歳でこうして…」と具体的な計画を持っていることが多いのに驚かされます。彼らの話はある意味臆面もなく、荒唐無稽であったりもするのですが、それはそれで聞いていて気持ちのよいもので、思わず応援したくなったり、そうでなくても人生の先輩としてアドバイスの一つもしたくなったりしてきます。

 「言葉の力」というのは不思議なもので、一度自らが選択した言葉を口から発してしまうと、その言葉自体に自らがからめとられ、その呪縛から逃れられなくなるものだと言われています。

 勿論、実現しない場合も多いわけですが、人前で具体的に言ってしまった以上、そのイメージが頭のどこかに残って、気が付けばそのために一生懸命頑張っている自分に気が付いたりするし、周囲の者もその(不思議な)力に巻き込まれて応援したりしてしまう。

 最近はやりの「有言実行」ではありませんが、言葉にはそうしたパワーがあるのはどうやら事実の様な気がしています。

 日本は、古来「言霊の国」と言われ、一旦口に出したことは(良いことも、もしかしたら悪いことも)現実になると言われています。30年後の未来の姿を口に出したことで、その未来はきっと彼らの現実にまたひとつ近づいたと言えるかもしれません。

 そして、それは私自身、若者の未来を寿ぎ、期待し、応援する大人でいたいと、改めて感じる瞬間でもあるのです。
 


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