3月19日はかれこれ40年通っている教会へ、家族とともに参拝。
夫の3周忌の儀式だった。
お父さんへ(感謝の言葉)
「早いもので、あれからもう3年半がすぎましたね。
お父さん、今日は家族みんなで来られたよ。あと1週間遅れたら、命に関わる大変なことになっていた
左耳の真珠性中耳炎で聴力0デジベル、その後、右耳も中耳炎になり大きい手術を二度体験して
両耳合わせて40デジベルとなりましたね。そのたびに神様に命を守っていただきました。
両耳合わせても、ほぼき聞こえなくなったあなたにドラマの説明をしていると、悲劇が喜劇に代わり、
ゆっくり味わうことができなかった、漫才のような毎日でしたね。
それでも、係りの私を助け、地域の信者さんを、
神総本部 関東第一、第二、第三へと栃木偉光会館が開所するまで心導してくれました。
あなたが残した記録ノートを見ると、同乗者の氏名、めいめいが学んだ授業とか、詳しく書いてありました。
数えたら、延べ1800人。私には到底できない事でした。いまさらながらありがとう!
3月15日は私の77歳の誕生日。子供たちからブルーのバラと可愛いカスミソウの豪華な花束が届きました。
生まれて初めての事でしたよ。ブルーのバラの花言葉は”奇跡”だそうで、まさに私に奇跡が起きました。
お父さんが大好きな子供たちは私の誇りです。優しい心は貴方譲りです。
「お父さんは、お母さんのためなら、地球の裏側にいても飛んできてくれるよ。」とうぬぼれている私ですが
子供たちにも、そんな風に仲良く暮らしてほしいと祈っています。
神様に守られ、穏やかに仕合わせに暮らしていますから安心してください。
今日は家族そろって、神総本部で”明生の儀”を受けさせていただいて嬉しかった。ありがとね!」
儀式が終わってから、障害を持っている人たちと毎年、楽しみにしていた
大岡川の桜並木をしばらくぶりに観覧しました。仲間たちと来年も来ようねと約束していた事を思い出し
胸が熱くなりました。大岡川の桜はあの頃と変わらず 優しく迎えてくれました。
そのあと、10年ぶりに勝烈庵で食事をして、
赤レンガ倉庫前を通って、娘夫婦を送り自宅に戻りました。
家族そろっての日帰りドライブでしたが、心のエネルギーを満タンにしていただいた
楽しい一日でした。何事も無駄なことは一つもなく、すべての事に偶然はなく必然であり
逃げないで誠実に向き合うこと。その結果がわが身を救う手立てであると。
何事も自分から出たものは自分に返る出入口。教えが身に染みるこの頃です。
夫の3周忌の儀式だった。
お父さんへ(感謝の言葉)
「早いもので、あれからもう3年半がすぎましたね。
お父さん、今日は家族みんなで来られたよ。あと1週間遅れたら、命に関わる大変なことになっていた
左耳の真珠性中耳炎で聴力0デジベル、その後、右耳も中耳炎になり大きい手術を二度体験して
両耳合わせて40デジベルとなりましたね。そのたびに神様に命を守っていただきました。
両耳合わせても、ほぼき聞こえなくなったあなたにドラマの説明をしていると、悲劇が喜劇に代わり、
ゆっくり味わうことができなかった、漫才のような毎日でしたね。
それでも、係りの私を助け、地域の信者さんを、
神総本部 関東第一、第二、第三へと栃木偉光会館が開所するまで心導してくれました。
あなたが残した記録ノートを見ると、同乗者の氏名、めいめいが学んだ授業とか、詳しく書いてありました。
数えたら、延べ1800人。私には到底できない事でした。いまさらながらありがとう!
3月15日は私の77歳の誕生日。子供たちからブルーのバラと可愛いカスミソウの豪華な花束が届きました。
生まれて初めての事でしたよ。ブルーのバラの花言葉は”奇跡”だそうで、まさに私に奇跡が起きました。
お父さんが大好きな子供たちは私の誇りです。優しい心は貴方譲りです。
「お父さんは、お母さんのためなら、地球の裏側にいても飛んできてくれるよ。」とうぬぼれている私ですが
子供たちにも、そんな風に仲良く暮らしてほしいと祈っています。
神様に守られ、穏やかに仕合わせに暮らしていますから安心してください。
今日は家族そろって、神総本部で”明生の儀”を受けさせていただいて嬉しかった。ありがとね!」
儀式が終わってから、障害を持っている人たちと毎年、楽しみにしていた
大岡川の桜並木をしばらくぶりに観覧しました。仲間たちと来年も来ようねと約束していた事を思い出し
胸が熱くなりました。大岡川の桜はあの頃と変わらず 優しく迎えてくれました。
そのあと、10年ぶりに勝烈庵で食事をして、
赤レンガ倉庫前を通って、娘夫婦を送り自宅に戻りました。
家族そろっての日帰りドライブでしたが、心のエネルギーを満タンにしていただいた
楽しい一日でした。何事も無駄なことは一つもなく、すべての事に偶然はなく必然であり
逃げないで誠実に向き合うこと。その結果がわが身を救う手立てであると。
何事も自分から出たものは自分に返る出入口。教えが身に染みるこの頃です。