夫が18歳の時 社長が郷土出身ということで上京し就職した
今はもうなくなってしまった「ホームビルの緑屋」という会社
当時流行った10か月払いの百貨店
そこで知り合った同僚のHさん
お互い20代後半の時別の道を歩き始めて ほとんど会うこともなかった
しかし何も分からなかった東京暮らしを支え合ったことは
何かにつけ思い出しては励みになっていたようだった
40年ほど前にHさんが経営している山形のH旅館に
社員たちと旅行しサクランボ狩りを楽しんだことがある
それ以来毎年 6月の中ごろになると
可愛いサクランボが送られてきて
家族ぐるみのおつきあいが始まった。
今年も例年のようにサクランボが届きました
差出人は奥様の名前でした(^_^;)
まさか!と胸がドキドキしてお礼の電話も2日過ぎてやっとすることが出来ました。
6月8日に心不全で亡くなられたそうで
そうなる1週間前に「大森さんにサクランボを送ってほしい!」と
奥様に伝えられていたので どうしようかと迷ったが
お父さんの遺言だから・・・と
思い切って送ってくれたそうでした。
有限の人生だから 必ず別れは来るのだけれど
悲しくて悔しくて泣けました。
頂いたサクランボは おおつぶで とっても甘くて美味しかった!
毎年当たり前のように心待ちしていたけれど
今年のサクランボは特別でした。
私よりも 夫とは長い間の友達だったHさんの死
夫にこの事実を知らせると
「肩の荷を下ろしたんだね」と小さな声で言った
認知症が進んで時々わからなくなる夫だが
友の死を受け入れられたんだと思うと
胸が詰まった。
自分たちに置き換えてみると
此の事態をどう処理すればいいのか?
無常な現実を思い知っている(^_^;)
今はもうなくなってしまった「ホームビルの緑屋」という会社
当時流行った10か月払いの百貨店
そこで知り合った同僚のHさん
お互い20代後半の時別の道を歩き始めて ほとんど会うこともなかった
しかし何も分からなかった東京暮らしを支え合ったことは
何かにつけ思い出しては励みになっていたようだった
40年ほど前にHさんが経営している山形のH旅館に
社員たちと旅行しサクランボ狩りを楽しんだことがある
それ以来毎年 6月の中ごろになると
可愛いサクランボが送られてきて
家族ぐるみのおつきあいが始まった。
今年も例年のようにサクランボが届きました
差出人は奥様の名前でした(^_^;)
まさか!と胸がドキドキしてお礼の電話も2日過ぎてやっとすることが出来ました。
6月8日に心不全で亡くなられたそうで
そうなる1週間前に「大森さんにサクランボを送ってほしい!」と
奥様に伝えられていたので どうしようかと迷ったが
お父さんの遺言だから・・・と
思い切って送ってくれたそうでした。
有限の人生だから 必ず別れは来るのだけれど
悲しくて悔しくて泣けました。
頂いたサクランボは おおつぶで とっても甘くて美味しかった!
毎年当たり前のように心待ちしていたけれど
今年のサクランボは特別でした。
私よりも 夫とは長い間の友達だったHさんの死
夫にこの事実を知らせると
「肩の荷を下ろしたんだね」と小さな声で言った
認知症が進んで時々わからなくなる夫だが
友の死を受け入れられたんだと思うと
胸が詰まった。
自分たちに置き換えてみると
此の事態をどう処理すればいいのか?
無常な現実を思い知っている(^_^;)