
常磐線・東北本線の交流電化に伴い、既存の直流区間と直通できる電気機関車として
開発されたものである。
昭和37年~昭和42年までの間に63両が製造された。
車体の形状などで昭和37年~38年まで製造された1~50号機の1次型と
昭和41年~42年までに製造された50~63号機の2次型とに分かれる。
車体は鋼鉄製の箱型で正面は非貫通となっている。
塗装は交直機専用のローズピンクである。
1次型では正面に庇があるほか、ヘッドライトが車体に埋め込まれる形で
設置されている。
2次型では庇がなくなり、ヘッドライトも張り出し式に変更されている。
主制御装置は抵抗制御で直流機の機器に交流電化区間を走るのに必要な
主変圧器と整流器を設置したものとなっている。
ブレーキは空気自動ブレーキである。
台車は1次型が心皿式台車、2次型が引張棒式台車である。
これは1次型の台車で大きな前後衝動が問題となったためである。
これら交流機器の搭載で車重が増したため、足回りの軽量化が図られ、
カルダン駆動の技術を応用した1モーター2軸駆動方式を採用している。
通常型の機関車では全軸にモーターを各々配置しているが本形式では
その半分である為、車軸からレールにかかる重量を抑えることが出来た。
1次型の1~30号機は客車牽引にも対応しており、電動発電機を装備している。
また、1~10号機は昭和43年に20系寝台特急用客車の牽引に対応するため、
ブレーキを電磁直通ブレーキにしたほか、客車の台車などに空気を送るための
元空気だめ管の引き通しが行われている。
本形式は直流1500V区間と交流50Hz区間対応のため、北陸・九州地方の
60Hz交流電化区間には導入されず、登場から終焉まで常磐線と東北本線を中心に
運行された。
配属機関区は田端機関区と勝田電車区、内郷機関区で最終的に田端機関区に
集められている。
主だった列車では上野から常磐線経由で青森までを結んでいた
寝台特急「ゆうづる」や急行「十和田」、東北本線で同じく上野~青森間を結んでいた
急行「八甲田」などがある。
それ以外の旅客・貨物列車にも幅広く活用された。
昭和43年に交直両用で交流電化区間も50Hz、60Hz両方を走行可能なEF81型が開発・
量産され、昭和53年に本形式が配置されていた田端機関区にも配属されてきたが
この時点ではEF81形は貨物用に使用されていたので特に大きな影響はなかった。
昭和50年代に入ると、交流機器の老朽故障が目立ってきたため、
交流機器を下ろして直流機に改造することも検討されたが、最終的に
実現しなかった。
昭和55年以降、高速道の延長による鉄道貨物の衰退、客車列車の電車化が進み、
電気機関車の活躍の場が狭まったこと、富山機関区や酒田機関区で余裕が出た
EF81形電気機関車が転属してきたことから廃車が始まり、
昭和61年のつくば博輸送を最後に全機引退した。
JRへの引継ぎ機は存在しない。
引退後、1次型の36号機がJR東日本大宮車両センター(通常非公開)、
2次型の63号機が碓氷峠鉄道文化村(常設展示)にそれぞれ保存されている。

63号機のサイドビュー。前後の台車から伸びる引張棒が見える。
開発されたものである。
昭和37年~昭和42年までの間に63両が製造された。
車体の形状などで昭和37年~38年まで製造された1~50号機の1次型と
昭和41年~42年までに製造された50~63号機の2次型とに分かれる。
車体は鋼鉄製の箱型で正面は非貫通となっている。
塗装は交直機専用のローズピンクである。
1次型では正面に庇があるほか、ヘッドライトが車体に埋め込まれる形で
設置されている。
2次型では庇がなくなり、ヘッドライトも張り出し式に変更されている。
主制御装置は抵抗制御で直流機の機器に交流電化区間を走るのに必要な
主変圧器と整流器を設置したものとなっている。
ブレーキは空気自動ブレーキである。
台車は1次型が心皿式台車、2次型が引張棒式台車である。
これは1次型の台車で大きな前後衝動が問題となったためである。
これら交流機器の搭載で車重が増したため、足回りの軽量化が図られ、
カルダン駆動の技術を応用した1モーター2軸駆動方式を採用している。
通常型の機関車では全軸にモーターを各々配置しているが本形式では
その半分である為、車軸からレールにかかる重量を抑えることが出来た。
1次型の1~30号機は客車牽引にも対応しており、電動発電機を装備している。
また、1~10号機は昭和43年に20系寝台特急用客車の牽引に対応するため、
ブレーキを電磁直通ブレーキにしたほか、客車の台車などに空気を送るための
元空気だめ管の引き通しが行われている。
本形式は直流1500V区間と交流50Hz区間対応のため、北陸・九州地方の
60Hz交流電化区間には導入されず、登場から終焉まで常磐線と東北本線を中心に
運行された。
配属機関区は田端機関区と勝田電車区、内郷機関区で最終的に田端機関区に
集められている。
主だった列車では上野から常磐線経由で青森までを結んでいた
寝台特急「ゆうづる」や急行「十和田」、東北本線で同じく上野~青森間を結んでいた
急行「八甲田」などがある。
それ以外の旅客・貨物列車にも幅広く活用された。
昭和43年に交直両用で交流電化区間も50Hz、60Hz両方を走行可能なEF81型が開発・
量産され、昭和53年に本形式が配置されていた田端機関区にも配属されてきたが
この時点ではEF81形は貨物用に使用されていたので特に大きな影響はなかった。
昭和50年代に入ると、交流機器の老朽故障が目立ってきたため、
交流機器を下ろして直流機に改造することも検討されたが、最終的に
実現しなかった。
昭和55年以降、高速道の延長による鉄道貨物の衰退、客車列車の電車化が進み、
電気機関車の活躍の場が狭まったこと、富山機関区や酒田機関区で余裕が出た
EF81形電気機関車が転属してきたことから廃車が始まり、
昭和61年のつくば博輸送を最後に全機引退した。
JRへの引継ぎ機は存在しない。
引退後、1次型の36号機がJR東日本大宮車両センター(通常非公開)、
2次型の63号機が碓氷峠鉄道文化村(常設展示)にそれぞれ保存されている。

63号機のサイドビュー。前後の台車から伸びる引張棒が見える。