雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

時々間違う ・ 小さな小さな物語 ( 1028 )

2018-05-11 17:01:56 | 小さな小さな物語 第十八部
犯罪や不祥事が発生するたびに、関係者や組織の長たちが、「このような事が二度と起きないように規則を見直し、指導を徹底します」といった趣旨のコメントを発信する姿をよく目にします。
まあ、不本意な形で責任を問われている立場としては、このようなコメントを述べざるを得ないのでしょうが、聞いている人たちの心にどの程度響いているのでしょうか。
発信している方は誠心誠意だとしても、被害者的な立場の人はもちろん、外野席で興味本位で見ている人たちでさえ、一種の儀式のように感じているのではないでしょうか。

事件が発生した後、懸命に収束に努めている方々を揶揄するつもりではないのですが、私たちの多くは、どんな大事件であっても、「二度と起きない」などということが実現できない事を知っているのではないでしょうか。
つまり、私たちは、時々間違う動物なのであって、清廉潔癖で完璧な人間など、そうそういるものではないように思われます。もしいるとすれば、その人は人間の範疇を越えているように思うのです。
見方を変えれば、私たちはすべからく「時々間違いながら」生きており、社会を形作っているということになります。私たちは、少しでも間違いを少なくするように努力すべでありますが、間違いから派生する罰を負うのは当然としても、許し合う心も必要な気がするのです。

ところで、この「時々」という表現方法ですが、どのくらいの頻度を指しているのでしょうか。
千回に一度起きるものを「時々」とは表現しないでしょうし、十回のうち八回・九回起きる場合を「時々」と表現するのも違うように感じます。天気予報では、「晴れ時々曇り」と言う場合は、曇りが半分以下ということになるようです。また、その対象によって、時々の示す頻度は大きく変わるかもしれません。
これらを勘案して、時々を五回に一度と大胆に設定した場合、私たちは一日に何度も間違いを起こしていることになります。というのは、私たちは日常生活において、一日に無意識のうちに多くの決断をしています。起き出す時、家を出る時、道を歩いている時、等々だけでも多くの決断を必要としています。そう考えれば、私たちは一日だけでも、何度も何度も間違いを起こしていることになります。それは、最善ではないというだけの間違いが大半なのでしょうが。

少々理屈っぽくなりましたが、私たちは、社会生活を傷つけるほどの間違いは、法律や規則として定めているわけですから、無制限に間違いを起こすことが出来るわけではありませんが、可能な限り、相手の間違いには優しくありたいものです。常に小さな間違いを重ねている人の集団であっても、安定したそれなりの社会は作り上げられるものです。
追求することが正義のような国会や、このところ話題を独占している暴行事件などを見ていても、もう少し他人の間違いに優しくてもいいのではないかと思ってしまいます。
それも、所詮、人間という動物が、自分の間違いには優しく、他人の間違いには厳しいという性のなせる業なのでしょうねぇ。

( 2017.11.24 )

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