雅工房 作品集

長編小説を中心に、中短編小説・コラムなどを発表しています。

新古今和歌集を学ぶ ・ 小さな小さな物語 ( 1027 )

2018-05-11 17:03:12 | 小さな小さな物語 第十八部
今、「新古今和歌集」を勉強しています。
もっとも、勉強しているといえば大げさですが、私のことですから、何冊かの参考書を気の向くままに読んで、自分の好みを重視して歌の意味を理解しようとするのですから、遥か千年を超える昔に作られた珠玉の作品を、どの程度正しく受け取ることが出来るのか極めて疑問と言えるかもしれません。
まあ、その点には目をつむることにすれば、なかなか楽しいものです。

「新古今和歌集」は、第八番目の勅撰和歌集にあたります。
勅撰和歌集は、「古今和歌集」を第一番目として、二十一代集と呼ばれるように数多く作られていますが、「新古今和歌集」は、その八番目というわけです。私のような、興味本位で古典の和歌集を見てみようとした場合、一番著名なのは、やはり「万葉集」と思われますが、次いで「古今和歌集」そして、その次には「新古今和歌集」が候補に上がるのではないでしょうか。つまり、二十一ある勅撰和歌集の八番目という中途半端な位置にありながら、和歌集として重要な地位を占めているということになります。
「新古今和歌集」は撰進にあたって、「古今和歌集」を強く意識していたようです。選歌にあたっては、「古今和歌集」以後の勅撰和歌集に採用されている作品は除くことにされています。「万葉集」については、勅撰和歌集にあらず、と言うことで、除外の対象にはならなかったようです。その結果、もちろん、「古今和歌集」などに載っている著名な人物の歌も多く採用されていますが、かなり新鮮な感じがあります。
それともう一つ、「新古今和歌集」の歌風は、「古今和歌集」以来の感性を引き継ぎながらも、より優雅に、より抒情的に育成されたものとされています。良く言えば技巧的に優れ、悪くいう人は小手先の技巧に走っているとも評されているようですが、総じて優雅さが際立っているようにも感じられます。
そして、何よりも私にとって興味深いことは、この和歌集が誕生したのは、源平の合戦があり、その後の鎌倉幕府と天皇権力とが激しく衝突した時代であったことです。

「新古今和歌集」は後鳥羽院の勅命により誕生しました。
後鳥羽天皇は、第八十二代の天皇ですが、その前の天皇は、源平合戦の壇ノ浦の戦いでわずか八歳で入水した悲劇の幼帝安徳天皇なのです。
後鳥羽天皇は、即位したのは満年齢でいえば四歳の時なので、もちろん本人の意向など関係なく即位させられたのでしょうが、安徳天皇が崩御する半年以上前のことであり、三種の神器もない状態であったことから、何かと悪評が付きまとう部分があったようです。後鳥羽天皇が上皇となって後も朝廷権力を掌握し続けて鎌倉幕府と激しく対立したのには、即位の不明瞭さに対するコンプレックスがあったのかもしれないと思うのです。
やがて、承久の乱に敗れた後鳥羽院は隠岐の島に流され、その地で生涯を終えています。

『 われこそは 新島守よ 隠岐の海の 
            あらき波かぜ 心してふけ 』
これは、後鳥羽院の歌です。流人の身になっても、誇りも気力も旺盛な、それでいて何とも切ない歌ではないでしょうか。私はこの歌が大好きで、当ブログの『運命紀行』の中でも[われこそは 新島守よ」という作品を書かせていただいています。
「新古今和歌集」は、この激しい生涯を送った後鳥羽院の勅命によって誕生したということも、限りない興味を与えてくれているように思うのです。

( 2017.11.21 )




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