ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

出雲市文化伝承館で開催中の「春日裕次展」で対話型鑑賞会を行いました

2023-06-06 16:41:26 | 対話型鑑賞

5月28日(日)春日裕次展 「みんなで一緒にアートをみてはなそう!」

会場:出雲市文化伝承館

午後の部 13:30~14:30

ファシリテーター:①吉澤敬士 ②貞岡陽子 ③春日美由紀

参加者 一般の方 8名・みるみるの会メンバー 2名

鑑賞作品 ①胎動 ②扉 ③スクラップ

レポーター:春日美由紀

 

今回は「鑑賞作品のシークエンスについて」レポートします。

※シークエンスとはVTS(Visual thinking strategies)で言うところの、複数のアート作品を連続して鑑賞する場合に、作品を脈絡なく鑑賞するのではなく、鑑賞者が順序にもとづいて鑑賞していくとことで連続して鑑賞していく作品の中に包含される解釈にある種の通底するものが見い出せ、そのことによってより深く作品を味わうことができるように、あらかじめ仕組まれた作品群のこと。(シークエンスはファシリテーターが構成する。)

 

 私以外の2名のファシリテーターは、対面で実物の作品を前にしての鑑賞会が初めてだったので事前に画集に収められることになっている作品画像を提供し、フリーに選んでもらうところから始めました。

 吉澤さんが「胎動」を貞岡さんが「扉」を選ばれたので、私は「スクラップ」にしました。この「スクラップ」は2作品あって、私は当初、画集の「13.スクラップ 2000年」を選んでいたのですが、この作品が展覧会では展示されていないことが判明し、「12.スクラップ 制作年不詳」に変更しました。それは、初対面・初実物・初ファシリテーションのお二人と共に28日の本番に向けてオンラインでファシリテーション練習を行うためでした。鑑賞会に参加してくださった皆様に有意義なひと時を過ごしていただくためには「事前練習」は欠かせません。また、3作品を1時間の時間内に収めるのはかなりな難度です。お客様はファシリテーターが初なのかそうでないのかはご存知ないですし、そのようなことは関知しないところですが、開催者としては、鑑賞者満足度を上げて帰っていただかないと「対話型鑑賞」ってこんなものだったのね・・・。という評価になりかねません。それを最大限避けるためにも2週間に渡って連夜練習を行いました。

 初対面・初実物・初ファシリテーションを行ったお二人の感想も次回にアップしますのでご覧ください。

 

 さて、前置きが長くなりましたが、今回の鑑賞会の3作品のシークエンスについてです。

 鑑賞順は制作年と逆行するものになりました。

 最初は「胎動」です。この作家のテーマともいえる人物とバイクが描かれた作品。今回の展覧会でも多数展示されています。作家のメインテーマと言えるものですので、この作品から始めるのが鑑賞者にとっても受け入れやすいと考えました。また、人物が描かれていることから、鑑賞者にとって親しみやすさもあると思われるからです。「胎動」を鑑賞することで、他の「人物とバイクを描いた作品」の鑑賞の手助けになればとも期待しました。

 次作は「扉」です。こちらも人物が描かれています。しかし、バイクのようなはっきりとした具体物ではなく「扉」のようには見えるけれども「どこの扉?」「何が入っている?」「鍵がかかっていない」「開くの?」などの問いが自然に起こる作品です。「扉」の前に立つ人物も結構意味深です。最初の「胎動」で「どこからそう思ったのか?」と考えることに少し慣れてきた鑑賞者は「みる・考える・話す・きく」ことを他の鑑賞者と行う中で、「この扉の前に立っている人物」の意味を考えることになりました。

 こうして、1作品➡2作品と作品を続けてみて行く中で「人とモノ(バイク➡扉)との関係」について考えるようになります。

 そうして最終作品は人物のいない「モノ」のみの描かれた「スクラップ」へと移行していきます。3つ目の作品ですので鑑賞者は作品をみることにずいぶん慣れてきていますから「モノ」だけでもみることや考えることができるようになっています。でも、この作品を最初にみていたらおそらく「何をどうみればよいのか」と、戸惑いが生じていたのではないかと思います。今回のように連続して作品を鑑賞していく場合は作品の難度を徐々に上げていくのが鑑賞者には受け入れやすいと考えます。

 「人物」の消えた(鑑賞者は消えたとは思っていないでしょうが)「モノ」だけの作品ですが、そこに「人」の存在を感じるとともに、廃材とも思える機械部品に思いを寄せ、「再利用」とか「再生」といった言葉が生まれました。

 これは最初の作品からずっと「人」と「機械(バイク)」や「扉(人の作ったもの)」との関係について考えるようにファシリテーターがファシリテーションしているからです。それは「誘導」とは違うと思います。だからこそ最後の廃材(スクラップ)にさえも、もう使えないかもしれない機械の塊であっても、「人」と「機械」の関係について考えていくことができたのだと思います。

 

 この3作品を鑑賞者はどのようにみるのでしょう。最後にみた「スクラップ」は彼の愛するバイクの最期かも知れませんし、この「スクラップ」の中の部品から新たな命が吹き込まれて「胎動」したかも知れません。あるいはかの「扉」の中にこの「スクラップ」があったのかも、「バイク」が置かれていたのかも知れません。このように3作品をつなげて物語を紡いでいく、今回はそのようなねらいのシークエンスを組みました。

 

 今回初めて対面での実物作品を前にしてのファシリテーションを行った2名の感想については後日アップします。

 

 最後に

 2週間にわたり夜の練習会に鑑賞者として参加くださった「アートな会」の皆様のご協力に感謝します。お陰様で、実に楽しく充実した鑑賞会となりました。



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