ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

愛媛県美術館での教員対象ナビゲーター・トレーニングのレポートです!(2017、1、29開催)

2017-02-26 22:33:45 | 対話型鑑賞
愛媛県美術館・博物館・小中学校協働による人材育成事業②
教員対象ナビゲーター・トレーニング(第5回)レポート
Art Communication in Shimane みるみるの会 房野伸枝
日時:2017.1.29 
場所:愛媛県美術館 

 みるみる代表の春日さんが指導・助言者として、会員の金谷さんが実践発表者として関わってこられたこの事業に、私、房野は初めて参加することができました。ずっと気になっていたこのプロジェクト…京都造形芸術大学でVTSJに一緒に参加した愛媛県美術館の鈴木さんが立ち上げたこともあり、同志が頑張っておられるのを応援したい気持ちも相まって、期待いっぱいで瀬戸内海を渡ったのでした。

レクチャー「対話型鑑賞の実践を みる・考える・話す・聴く」

 午前中は、京都造形芸術大学・教授 福のり子先生の講演でした。プロジェクターに映し出された演題には「生き延びるために」とあり、この対話型鑑賞の教育手段が、まさに私たちの「生きる力」に直結するものだという気概を感じました。最近話題になった例を紹介しながら、なぜ、「対話力」が生きのびるためのキーワードなのか、をお話しされました。(以下、太ゴシック体は福先生の講演より抜粋・要約です。)

〇「東ロボくん(AI=人工頭脳)は東大に合格できるか?」というプロジェクトについて
 これはAIが難関大学に合格できるほどの能力を発揮できるか、という国立情報学研究所教授・新井紀子氏の研究です。結論として東ロボくんは「私立大学には合格できるが、東大には合格できない」のだそうです。なぜならAIは多くの情報を検索したり、決まった答えを導き出したりすることが得意で、それらに関しては人よりも遥かに優れているものの、「意味を考える問題」は苦手だから。また、問題文の中に、人ならすぐに理解できるような「曖昧だけれど、その意味を想像し、即座に理解しなければならない言葉」に、AIはお手上げ。素早く計算し、情報を検索できても、想像力を必要とする問題はクリアできないそうです。


また、福先生曰く、
・AIはおもしろい答えはできない。「おもしろさ」の基準は人それぞれだから。
 「雪が解けたら、なんになる?」当然、「水になる」が科学的には正解ですが、「春になる」と答えたら、それはそれで素敵じゃないですか!
・モネの「睡蓮」の絵を見て、「カエルがいっぱい!人が近づいて、カエルが一斉に池に飛び込んだ波紋がいっぱいある!」と答えた子供の想像力の豊かなこと。
どうやら、私たちがAIを凌ぐポイントは「意味を考えつつ、想像力を働かせる」ことのようです。

〇「動物園で飼われている象と、野生の象の平均寿命は?」
 このクイズを会場に問われ、様々な年齢とその理由が答えられました。野生の象は生きのびるのに大変そうだから、当然、動物園の象が長生きかと思いきや、動物園の象は17年、野生の象は56年なんだそうです!その理由として
・動物園の象…安全だが、ストレスフル。自分で考えて生きる必要がない。
・野生の象 …混沌として大変な環境でも、自分でフルに考えて努力している。 


 長生きの秘訣は、自分で考え、工夫して生きることだということなのでしょう。

〇「会話」「対話」「ディベート」…どれも言葉のやり取りですが、「会話」はできても「対話」ができないと、新しいものは生まれない。「対話」とは「異なる意見や価値観を持った人たちと出会うことで、その場でしか生まれない新たな価値を作る協働作業」なのだそうです。

なるほど、なるほど!!「対話」の定義を聞いて、「対話型鑑賞」の意味も、その教育的な効果も同じだということが納得できました。対話型鑑賞では、同じ作品でも違うメンバーと鑑賞すると違う展開があり、新しい発見があるので、何度でも楽しむことができ、自分の価値観を広げることができます。それは会話でもなく、ディベートでもなく「対話」だからこその醍醐味なのですね。

〇作品を鑑賞することでどんな力がつくのか?
① 正解のない問いに取り組む力=考える力
② 知的探求心が刺激される
③ 目的意識を持った観察力
④ 創造的解釈➡奥深い意味を読み解く
⑤ 体系的に論理的にみる
⑥ 言語能力
⑦ コミュニケーションの基礎となる
作品の不可解な箇所は自分と異なる他者の感情や価値観が描きこまれている。それを知ろうとするとき、そこには他者を理解したい気持ちの芽生えがあり、これこそが
コミュニケーションである。


以上のことは、文科省の言う「思考力・判断力・表現力」に合致するものであり、私たち教員が子どもたちにつけたい力です。それを鑑賞で育むことができるのなら、実践しない手はないでしょう!

 福先生の講演は、何度聞いても目からウロコが何枚も落ちてワクワクさせられます。アート(Art)の語源はアルス(Ars)で、それは「生きる術」を意味するとか。福先生のお話は「この先の見えない混沌とした時代を、力強く生き抜いていく子どもを育てていってほしい」と、教育現場で対話型鑑賞に取り組む私たちの背中を押してくれるように感じました。次の学習指導要領ではアクティブ・ラーニングがキーワードになっていますが、これに「対話力」は欠かせないスキルです。「主体的・対話的な深い学び」を教育現場に展開していくことで、「生きぬく力」を育みたい、そう思いました。

ワークショップ「評価」について考えよう
 
午後からの<鑑賞の評価>については、小学校、中学校、美術館・博物館に分かれ、私は中学校の協議に参加しました。メンバーの皆さんの鑑賞の評価に対しての基準や、具体的に、何によってどのように評価するのかが多様であるがゆえに、まずはその情報の共有をするということから始めました。その中から、“B”評価をどのようにするか、に焦点を当てていきました。「鑑賞の評価は難しい」という声をよく聴きますが、各自が考えるB評価の基準を付箋に書いて模造紙に貼ってみると、「自分なりに考えたことを、発表したり、書いたりしている」という共通項がはっきり見えてきました。午前中の講演でも取り上げられていた「自分で考えて」という基準はどの先生も外せないキーワードだととらえています。時間が限られていたので、全てを協議することはかないませんでしたが、まずはここから。こうして、多くのメンバーで「対話」することで、より新たな価値を見出す一歩となっていると感じました。


愛媛県の小中学校の先生方の実践発表
(実践の内容についてはみるみる代表の春日さんのレポートに詳しいので、ぜひそちらをご覧ください!)
愛媛県で対話を取り入れた授業実践を次々に展開されていることがわかりました。中学校では美術の鑑賞で、小学校では図工美術以外にも社会科での実践報告があり、大変興味深く聞かせていただきました。図工・美術という教科を超えたこれからの授業展開の可能性を感じました。


 各自が手探り状態で模索しつつ、仲間との対話で、大事なものを見出し、積み上げ、広げていく。私たちみるみるのメンバーが島根県で6年前から現在までずっと続けていることでもあります。「対話」はもちろん一人ではできません。この研修そのものが、仲間と対話を通して切磋琢磨する場となっています。愛媛県でも愛媛県美術館を起点として対話型鑑賞の教育実践の輪が広がっていくのを感じます。志を同じくする者としてエールを送りながら、私たちも共に学ぼう!そう決意を強くすることができた研修でした。この出会いに感謝しています。皆さま、本当にありがとうございました。
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愛媛の先生の授業を参観してきました!!その3(中学校 美術科②2016,11,21)

2017-02-19 09:34:55 | 対話型鑑賞
愛媛県で取り組んでいる事業に、みるみるの会も協力しています。
愛媛の先生方の授業を参観したレポート(その3)をお届けします!



平成28年度地域の核となる美術館・博物館支援事業
児童・生徒の「思考力」を育むファシリテーター育成事業

「庶民の絵画~浮世絵を味わおう~(神奈川沖浪裏 葛飾北斎)」
1年1組 三好研太教諭 美術科(鑑賞)レポート
2016年11月21日(月)14:55~15:45 宇和島市立吉田中学校 美術室

島根県出雲市立浜山中学校 教頭 春日美由紀
(愛媛県美術館・博物館・小中学校共働による人材育成事業②参与観察調査者)


 高原が広がり、放牧も行っている山間部の西予市から午後は一転、海辺の学校へ。私が生まれ育った瀬戸内海とは違い、見渡せども長い砂浜を目にすることはなく、海に落ち込むような断崖が続くリアス式海岸の内海は穏やかで湖のようでした。またその断崖に段々状に開墾されたミカン畑にはオレンジ色のミカンがたわわに実っていました。
 山の子には山の子の「感じ方」が海の子には海の子の「感じ方」があるのだろうなと思いながらそしてその違いにも期待しつつ吉田中学校の門をくぐりました。事実、野村中学校では高原で牧畜を営む家庭の生徒が「牛」を発見し、「どこからそう思ったのか?」と問われて「角があるし、耳の形から牛だと思った。」という生活体験に基づいた発言をしていたからです。

 5時間目の授業の最中に吉田中学校の玄関を入った私の目にまず飛び込んできたのが優勝旗やトロフィーの数の多さです。賞状もたくさん掲げられています。どうやら文武両道の学校のようです。校舎は歴史を感じさせる建物(ちょっと古い?)ですが、掃除が行き届き廊下はツルツルでした。図書室でしばし待機し、授業のある美術室に向かいました。入り口側にスクリーンが準備されプロジェクターで画像が投影できるようになっていました。5校時の終了のチャイムが鳴ってからしばらくすると三々五々生徒たちがやって来ました。1年生なのでちょっとにぎやかで元気です。私たちが教室の後ろにいてもあまり気にすることなくワイワイガヤガヤ楽しそうにしていました。
 
 さて、始業のチャイムが鳴りました。号令がかかるまでに少し時間がかかりましたが、三好先生は温和な方なのでしょう声を荒げることもなく、生徒の行動を見守っていました。そうして代表生徒の声に合わせてあいさつをして授業が始まりました。三好先生が、今日は鑑賞の授業をすることを伝え、作品をスクリーンに映しました。作品は葛飾北斎の《神奈川沖浪裏》。この絵に関することで知っていることがあれば、と問いかけ、「浮世絵」「江戸時代にかかれた」「昔の日本人がかいた」など、生徒が知っている作品に関する情報を共有しました。この活動については賛否両論あるのかなと思いますが、今回は効果的だったと思います。しかし、その後、ワークシートが配布され「この作品をみて、みてわかることをプリントの1に書いてください。」という指示が出されたのには疑問を抱きました。ここで書かせる必要があったのか?「みる・考える・話す・聴く」の活動を主体としているので、「みた」ことを「話す」に単純に移せばよいのではないかと思うのです。書く時間が惜しいと感じます。実際、生徒たちは「話す」場面になると挙手してちゃんと「話す」ことができていたからです。作品は葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」です。今や日本人なら知らない人はいないのではないかというくらいにメジャーな作品です。でも、どんなに目にしたことがある作品だとしても、仲間と「話す」ことをとおして「みる」ことは初めての体験なのでどんな意見が出てくるのか楽しみでした。「波が立っている」「船が浮いている」「船の中の人が倒れている」などの意見が次々に出されました。ここで、残念だったのが「どこからそう思う?」の問いかけがなかったことです。ここで「どこから?」と問い、生徒が「どこからだろう?」と考えることで作品をもっとよくみることができていたならこの後の展開は少し違ったのではないかと思うからです。「船の中の人が倒れている」という発言の後、その部分を拡大して投影し、「どうして人は倒れているようにみえるのだろうか?何をしているのかな?自分で想像して2のところに書いてください。」と指示が出て、また書かせる時間に・・・。せっかく調子よく話し始めていたのに何で書かせるのかなあ?と残念な思いがよぎります。しかも、このことについて考えさせる意図が汲めません。「どうして?」と訊くのも、実際、人は疑問を感じた時に「どうして?」と尋ねるのが常と思いますが、ここでは「みる・考える・話す・聴く」活動をとおしてAL(アクティブラーニング)につながる「学び」を促進させることに狙いがあるのですから「どこから?」と問わねばなりません。しかも、「どこから」の方が、作品の中に根拠を求めるので、作品をよりよく「みる」ことにつながり、場所を示すので理解を得られやすいという利点があります。また、「どこ」と限定することで客観性も得られます。この「どこから」をどれだけ大切にして対話を積み上げていくかが肝要です。そこがスタートの時から弱かったので、この後の授業の展開をみていても作品を鑑賞している生徒たちをどこに連れて行こうとしているのかがみえにくかったように思います。
 
 「みる・考える・話す・聴く」ことを繰り返しながら作品をみていくのに、正しいゴールはありません。どんな解釈も保証されます。しかし、必然的にたどり着くところはあるように思います。三好先生はこの作品を生徒に鑑賞させることで、生徒に何を感じ、考えてほしいと思っているのかが理解できたのは授業後の研究協議の時でした。「この作品を鑑賞しようと思ったのはなぜですか?」と問うと三好先生は「今、デザインの勉強をしているので、この作品の構図の大胆さや写実性よりデザイン性を感じ取ってほしいと思って選びました。」と答えられました。それならば、それらが感じ取れるような「言葉かけ」を教師はナビとして行わなければならないのではないでしょうか。「波が立っている。」と話した時に「どこをみてそう思ったのか?」「その立っている様から何を思うか?」と「どこからそう思う?」と「そこからどう思う?」をつなげれば「波を表す白い線が垂直に描かれているので立っているようにみえる。」というこたえが返ってきたかもしれません。また、そこから「勢いを感じる。襲いかかっているみたいだ。」という解釈がうまれたかもしれません。波をよく「みる」ことを促せば、波頭の形状はどの波もよく似ていることに気づくでしょう。そこから「波頭」の形状は「類似している」つまり写実的というよりは「記号化」されたような「様式(デザイン性)」があることにも気づけたと思います。また、中盤に「波の奥にあるものは何か?」という問いかけを先生がされ、「波」「富士山」などと生徒はこたえました。この時に作品中にある文字情報に着目するように働きかけられましたが、ここではあまり時間を取らず「そうです。富士山です。」「ここに“富岳三十六景”と書かれていますね。富岳というのは富士山のことで、これは、葛飾北斎が富士山を題材に36枚の絵を描いたうちの1枚です。」と情報を提供したほうがあっさりします。そしてそこで「この富士山の大きさと、周囲の波をみて、何か考えられることはありませんか?」と促せば先生の狙いとするものに近づいていくことができたのではないかと思うのです。それは決して誘導ではありません。視点を焦点化(フォーカシング)してみることで作品のよさや価値に気づいていかせていくことは教育の現場で行われていることなので大切にしたいところです。でも、それはよく「みる」ことを繰り返し、発言をつなげていけば自ずと導かれていくことなのだということを信じて実践することだと思います。是澤先生の振り返りでも出ていましたが、生徒は信じてやれば「話す」存在です。そして教師も驚くような発言をします。だから、教師は生徒の力を信じてこの鑑賞を勇気をもって行ってほしいと思います。

 三好先生の振り返りの中で「生徒のよく見知った作品だったので難しかった」という話がありましたが、前述したように「みた」ことはあっても、みんなで「話し」て「みた」ことはないと思うので、気にせずやればよいと思います。今回の作品の場合は表現(デザイン)の学習にもつなげる意図があるわけですからよいと思います。また、1年生なので2年生になった時に受け取る教科書(日文)に原寸大のこの作品の複製が綴じ込まれていることも、後になって生徒に感動を与えることができるでしょう。また、ワークシートに書かせたことについては「評価につなげることができる」と話されました。「評価」を行うための資料を残すことは大切です。しかし、「いつ」「どんな場面で」「どんなふうに」行うかを考えることが大切ではないでしょうか。この鑑賞は「話す」ことを主体にしているのですから「話せる」場を設定しなければならないし、50分の限られた授業時間の中でどれだけ「対話」できるかが重要です。「話し合う」時間の確保に力点を置いてほしいと思います。書いている時間がもったいないです。私見ですが「書いたこと」を「話す(発表する)」のは生徒が自信をもって話せる効果はありますが、友だちの話した内容について「考える」ことより自分の書いたことを「発表する」ことが重視される危険性をはらみます。そうすると「聴く」ことがおろそかになり「対話」につながりません。それでは「みる・考える・話す・聴く」活動でALをねらうことにはならないので、繰り返すようですが、生徒の潜在能力を信じて「話す」ことをさせてほしいと思います。


 最後になりましたが、授業の終りに振り返りを書く生徒の姿に今日の授業が充実したものであり、書くことがたくさんある授業だったということを見取ることができました。最後に女子生徒が一名感想を発表しましたが、その姿にも、語ろうとする姿勢がみられたので、三好先生は、勇気をもって生徒の力を信じて「みる・考える・話す・聴く」活動を推進してほしいと思います。そして愛媛の中学校美術の中核として活躍してほしいと思います。

 是澤、三好両先生は、意図した訳ではないと思いますが、山の子には山の生活が感じられる、海の子には海の様子が感じられる作品を選んで鑑賞させておられたところに、ご本人たちの気づかないところで生徒に愛情深く接しておられることが汲み取れるようでうれしく思いました。そんな満ち足りた気分で愛媛県初の南予地域を後にすることができました。ありがとうございました。




 みるみるメンバーとともに「みる・考える・話す・聴く」活動をしてみませんか?
島根県立石見美術館でのイベント「みるみると見てみる?」も、次回2月26日(日)が最終回となります。
益田市のグラントワでみなさまのご来場をお待ちしております。

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みるみると見てみる?レポート第5弾です!(2017,1,29開催)

2017-02-12 09:55:15 | 対話型鑑賞

1月29日の「みるみると見てみる?」のレポートをお届けします!
ファッションに関する作品を多く収蔵されている石見美術館ならではの出会いがあったようです。


「みるみるとじっくり見てみる?」鑑賞会レポート 
2017.1.29 参加者10名 
ナビゲーター 澄川由紀

 この企画展でナビゲーターを務めることは、私にとってはハードルが高い。普段の定例会と異なり、そこには、展示室の構成、作品選定など学芸員の意図が存在するからである。展示室の空間、作品の数、隣に在る作品、そう考えれば全てに意味が有る。

■鑑賞作品
 ラウル・デュフィ ビアンキーニ・フェリエ社のためのテキスタイルデザイン
 ~「真珠とロゼット」「モザイク・デザイン」「花とアラベスク模様」「きんれんか」       

■はじめに
 「可愛いいね」「お花がいっぱいだね」と、美術館に訪れた園児が、デュフィの作品を指差して語る姿が目に止まった。色彩がはっきりとしているからか、描かれているモチーフが単純でわかりやすいからか・・・。園児同様、私もこれらの作品に見入ってしまう。これが私と今回の作品の出会いだった。 
 今回はラウル・デュフィの4作品を鑑賞作品とした。展示室壁面の一角に6枚のテキスタイル・デザインが行儀よく並んでいる。そのうちの4つがデュフィの作品だ。この4点は絹織物会社ビアンキーニ・フェリエ社がディフィに依頼したデザインで、題名からもわかるように真珠の粒や花などのモチーフで構成されている。「一定の装飾のまとまり」を布に繰り返しプリントすることでプリント生地が生まれ、装飾的な模様を織り出して行くことでジャガードなどの織り地となり、それをくりかえしていけば生地織物となり、その後別の手を経てドレスにも変わっていくのであろう。また、生地にしていくために、モチーフとモチーフの重なりや版を重ねることでモチーフや色がどのように重なってゆくかを考え、装飾のまとまりをどう組み合わせればよいのか計算されている感じを受けた。
 1点1点丁寧に詳細に見ていくのではなく、今回は作品を「まとまり」で鑑賞することでデザインの面白さや版表現の奥深さなどを、対話を通して見つめていきたいと考えた。また、前述したように、展示室の空間や配列の意図なども鑑賞する中で意味生成できればという思いもあった。 

■ナビーゲーションをとおして
 普段であれば「何が見えるか」「そこからどう思うか」と1点1点について対話を通して紐解いていくのだが、今回は「4つの作品のうち、どれが好き?」という投げかけからスタートした。漠然と好き。なんとなく好き。色が、模様が・・・そこには「好き」の根拠が様々だった。後に鑑賞者からは、「自分が好きな意味を言うことで、自己確認でき、よく見ることにつながったように思う。また、他の3つは他人の意見を鑑賞の視点とすることができた。」と意見をいただいた。「好きなものを教えてください」は心理的なハードルが下がったのではとの意見もあった。
 4つをまとめて見ることで共通のものを見つけて欲しいという意図がナビーゲーション側にはあったのだが、果たして深く見ることになったのだろうか。私自身はその「共通性」がモチーフの「くりかえし」だった。確かに鑑賞時にそのキーワードは出たが、そこまで話題に上ったかというとそうではない。色の重なりに関することは発言としてあったので、その点を膨らませてパラフレイズすることで鑑賞者全体の意識が「くりかえし」に焦点化されたはずである。また、生地となることを強調しても良かったのかもしれない。1点1点じっくり見せたり、対で見せたりなど「見せ方」を工夫することでより作品の詳細に迫れたのではないか。また、ナビーゲーションで、共通点や相違点などが整理しきれていなかったのは否めない。鑑賞者の思考を丁寧に拾っていくことは、次々に意見が出される中だからこそ大切なことだった。
 私は、なぜ4点をまとめて見せたかったのだろうか。事前に鑑賞し感じたことは「くりかされる」ことの意味やモチーフの形や色の組み合わせの面白さである。自分が「くりかえし」に固執しすぎ、鑑賞者の発言を十分に受け止めないままに「くりかえし」を考えさせようと誘導しようとしたことで、より深く見詰めるという本来の自由に見る鑑賞の楽しさが欠落していたのだ。

■おわりに
 終了後、本企画の学芸員の方から次のようなコメントをいただくことができた。「対話を用いる作品鑑賞は作品に描かれた“登場人物同士の関係を想像し、ドラマを想像して意味を連想する”ことを得意とするけれど、作品鑑賞とはそれだけではない。本企画には、色や形のおもしろさ、見えているものを素直に語りたいという意図もあった。だから幾何学的な形の繰り返されている作品を沢山展示した。美術作品の良さや面白さ、見方や考え方は多様で、戸惑ったりもやもやしたりする時間になっても良いと思う。」「“4作品を塊で見て欲しい”というのは嬉しかった。4作品一緒に見ると、遠いけどつながっている、にているけど違う、細かいことの発見があるはずだと思う。」本企画には学芸員の仕掛けがあった。美術館で対話を用いて鑑賞を行う意味はここにもある。




 コレクション展「あなたはどう見る?-よく見て話そう美術について-」の関連イベント「みるみると見てみる?」も、今年度は次回2月26日(日)が最終回となります。
ぜひ、みるみるメンバーとともに、美術館で対話を用いて鑑賞をしてみませんか?



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「みるみると見てみる?」レポート第4弾です!(2017,1,29開催)

2017-02-05 21:54:01 | 対話型鑑賞
1月29日(日)島根県立石見美術館 展示室A あなたはどう見る?関連イベント「みるみると見てみる?」
作品名:「ディヴァン・ジャポネ」1892-93年 アンリ・ド・トゥルーズ=ロートレック
鑑賞者:9名(内みるみるメンバー4名)
ナビゲーター:松田淳


<はじめに>
〇この作品を選んだ理由
・この作品は、自分が勤務校の授業で毎年使っている作品であり、本物でのナビにチャレンジしたいと強く思った。
・ポスター作品でありながら、物語性がある人物や背景が描かれている作品であり、トークをしながら作品の意味を考えていけると考えた。
〇ナビをするにあたって
・授業と同じ流れでナビを行い、参加者からのアドバイスをいただくよう考えた。
・描いてあるものから場面を想像したあと、このポスターが伝えたいことを考えることにより、ポスターの役割とおもしろさを感じてほしいと思った。
・はじめから予定していたわけではないが、最終的にポスターの意味について複数の意見が出たためかすっきりしない雰囲気だったため、何を伝えたいポスターであったのかは確認しておきたいと思い、トークが終わったあとに学芸員による解説を付け加えてもらった。


<鑑賞会より>
※はじめにポスターの作品であり、伝えたいことが必ずあることをナビが確認した後に鑑賞会を始めた。
・左上の白いドレスの女性が舞台で歌っている。弦楽器が見えるから音楽に合わせたミュージカルのようなステージ。指揮者や幕も見える。
・手前の2人はその公演を見に来ている客だと思う。
・中央の女性とその隣の男性は、裕福な人だと思う。華やかな洋服だから。
・右の男性は執事で、中央の女性は主人だと思う。裕福な感じだから。
・中央の女性は扇子のようなものを右手に持っていて、その下に黄色のお金を入れる袋のようなものが見える。祝儀を投げるのかも。
・左上の女性は顔が見えないが、向こうを向いているようにも見えるので、舞台を去ろうとしているのでは。ということは舞台が終わったところなのかも。
・指揮者ではなく、喝采を送っているのかもしれない。
・ディレクターというような文字が見えるので、誰かが監督のような役なのかも。

※小まとめをしたあとに、「では、このポスターは何を伝えたいのでしょうか?」
・ミュージカルや舞台の宣伝だとはじめは思ったが、歌を歌う人の顔が見えず、客が大きく描かれているので店のポスターだと思った。文字は読めないが、数字もあるのでその店の名前と住所が書いてあるのでは。
・お客さんが大きく描かれているので、こんな人も来るイベントを知らせるポスターなのかも。あるいはこの舞台がある箱物の宣伝かも。

※トークを終えた後、学芸員からポスターの意味を伝えてもらうようお願いした。
・ディヴァンジャポネ(日本の長椅子)という店を宣伝するポスター。
・左上の女性は、黒い腕カバーといえばこの人というのが分かるような有名な歌い手。
・手前の2人の人物も誰もが知っている有名人。


<鑑賞会のナビをふりかえって>
・いつも画像で鑑賞をしている作品の本物での鑑賞会であったため、自分自身が楽しくナビをすることができた。
・授業と同じ流れで行ったが、時間が短めであったこともあり、誘導的になってしまったかもしれない。
・もっと時間をとってみなさんの意見を聞きたかった。


<みるみるの会メンバーから>
・今の時代のポスターと違いがあるため、ポスターの典型として見せるのはどうなのかと疑問に感じた。
・ポスターということをはじめに伝えたが、伝えずに見ても話していくうちにわかるので必要ないと思った。
・ポスターを成立させている条件を提示するなどして、ポスターとは何かを伝えたうえでこれはポスターという投げかけならよかった。
・この作品の造形的なおもしろさを感じた話が出なかった。
・色遣いのおもしろさがこの作品にはある。色数が少なくても色が想像できるのがロートレックのうまさ。
・ポスターの代表的な作品ではあるが、ポスターとしての機能(店の宣伝にどれだけの効果があったかなど)が評価されているわけではない。絵画的な評価が大きい。
・デザインとは「使う」ものをつくることと、生徒に伝えており、この作品を鑑賞して、ポスターは伝えるために使うものであることを教えたいと思っている。
・デザインは情報を整理することである。平面構成だけなど狭い意味ではない。石見美術館はファッションを基本にさまざまなジャンルの作品を集めているためか、デザインの解釈の幅が広いのかもしれない。


<おわりに>
 ディヴァン・ジャポネは、ポスターの作品として「伝え方」のおもしろさがあるように思う。人物やものの関係からどのような場所なのかを想像し、文字の意味が分からないからこそ描かれているものから想像する中で意外性もあり、何が伝えたいポスターであるかを考える楽しさがある。そのためこれまでデザインの作品鑑賞の入り口としての位置づけでこの作品を中学校1年生と鑑賞してきた。
 今回の鑑賞会と振り返りを通して、この作品を「ポスターの作品」として“見させる”ことの課題を考えることができた。自分にとってはポスターの典型の作品でも、現代の子どもたちのポスターに対する感覚とズレがあり、この作品のみでポスターとはこういうものだとすることは危険である。また「デザインってよくわからない…」とならないためにと思い、「デザインとはこういうもの」と伝えるように意識してきたが、ポスターの定義と同様にデザインの定義や解釈の幅が広いため、偏った考え方をうえつけないようにしたい。加えて、ポスターだから伝えたいことを考えようと誘導したことで、ロートレックの色彩などの上手さなど造形的なよさに目が向けられなかった。美術のおもしろさはドラマチックな物語性だけではないという意見もあったように、作品の“つくり”も見て話せる鑑賞を今後考えていきたい。



次回の「みるみると見てみる?」は2月11日に開催です。
皆さまとトークできることを、楽しみにしております!
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