ART COMMUNICATION IN SHIMANE みるみるの会の活動報告

島根の美術教育関係者が集まって立ち上げた対話型鑑賞の普及に努める「みるみるの会」の活動情報をお知らせするブログです。

愛媛県の先生の授業を参観してきました!!

2016-12-07 19:50:51 | 対話型鑑賞



愛媛県で取り組んでいる事業にみるみるの会も協力しています。
愛媛県の先生方の授業を参観したレポートをお届けします。

平成28年度地域の核となる美術館・博物館支援事業
児童・生徒の「思考力」を育むファシリテーター育成事業

「ごちそうパーティーをはじめよう!」  1年1組 西川章子教諭 図画工作科(鑑賞)レポート
2018年11月2日(水)13:50~14:35 松山市立堀江小学校 ふれあい教室

島根県出雲市立浜山中学校 教頭 春日美由紀
(愛媛県美術館・博物館・小中学校共働による人材育成事業②参与観察調査者)

 堀江小学校を訪れたのは明るい日差しに包まれたポカポカ陽気の昼休み後の掃除の時間だった。校舎のあちこちで静かに掃除に取り組む児童の姿が見られた。「こんにちは。」「こんにちは。」どの児童も明るい声であいさつをしてくれる。廊下の掲示板には児童の絵画作品や、さすが俳人正岡子規のふるさと、児童の作った俳句も数多く展示されている。児童が様々な場面で自分を表現し、それが認められる風土が醸成されていると感じた。
 通された校長室では校長先生と児童の暮らす地域の話や学校での教育活動について聞かせていただいた。来年松山市の教育研究会の会場校となっており、研究を進めていることが話題になった。
 さて、1年生の5校時の授業である。給食後のポカポカ陽気。大人でも眠気に襲われる時間帯である。果たして、1年生の授業やいかに???と思いながら会場に歩を進めた。
 が、杞憂であった。廊下側の窓を大きく開け放ったふれあい教室からは、児童の元気な声が響いており、教室には一面に児童の作品が並べられていた。
 「ごちそうパーティーをはじめよう!」とは、『紙粘土で児童が思い思いに作成した「ごちそう」をビュッフェ方式で選ぶ』学習である。(紙粘土の扱いについては1学期の既習事項であり今回の学習はその発展的なものとなっていた。)児童たちは紙粘土をベースに、自分が食べたいと思う「ごちそう」をまず本物そっくりに作る。「形」や「色」にこだわり、友達から「おいしそう」と思ってもらえる工夫を凝らす。絵具で色を作り彩色した後に、ビーズやラメをトッピングしているもの。飲み物は透明カップの中にシュレッダーした色紙や綿を詰めて液体に見立てるなど、1年生とは思えないような工夫がみられた。「ごちそう」も焼き肉や串焼き、お寿司、などの食事のできそうなものから、クッキー、ケーキ、パフェなどのスイーツまでバリエーションも豊富だった。自分たちが「食べたい」と思う「ごちそう」づくりに励んだ作品が勢揃いしていた。
 授業者の西川先生は教室内に静かにBGMを流されており、音楽が止まると、気づいた児童から静かに着座するという習慣がついていた。この姿ひとつをみても西川先生が児童と日頃からどのように接しておられるかがうかがえた。黒板には図工科が大事にしている「色」「形」「イメージ」が示されており、今日の学習内容や学習のめあても「見える化」されていた。文科省が学力向上に向けて大切にするべきと示している授業のあり方や図工科の重点項目などが十分に配慮され、展開されていた。さて、児童は西川先生の話に耳を傾け、今日の学習内容を伝えられた後、グループに分かれてごちそうを並べる活動に入った。この活動で目を引いたのは「寿司コーナー」である。回転寿司屋さんをイメージしたものか、段ボールでベルトコンベアーが作られ、その上においしそうなお寿司が並べられていった。本物の回転寿司屋さんさながらに品名が掲示されていたり、子どもの好きなスイーツも並んでいたりで、児童たちが家庭で回転寿司屋さんに訪れて回転寿司を食べているという生活体験もうかがい知れた。また、「焼き焼きコーナー」では串に刺された焼き鳥がおいしそうに焼かれていた。特に注目したのはコンロである。赤い毛糸や綿を使って炭が燃えているように見せ、その上に焼き網を載せて焼いているところは、回転寿司にも負けないリアルさである。焼き網にも本当は焦げ目を付けたかったそうだが、時間切れでかなわなかったとのこと・・・。小学1年生と侮ることなかれ!!と言いたくなるような本物に迫るこだわりがそこにはあり、児童が創る喜びを十分に味わっていることもうかがえた。この「おいしそうにみえるように並べるという活動」は作品をよりよくみせるという取組であり、鑑賞活動につながっていると捉えられる。そうして、おいしそうに並べ終えた後は、いよいよごちそうを選ぶ活動になる。この時、選べる数が「3つ」となっていることが、この学習活動の「肝」である。気に入ったものはいくつでもよいのではなく、「3つ」に限定されるからこそ子どもは真剣なまなざしで選ぼうとする。児童は並べられたごちそうをよく「みて」どれにしようか「考え」て選んでいく。そこに「3つ」という制限がかかることは有効だ。そして、その選択眼のものさしは「色」「形」「イメージ」であることを西川先生は繰り返し伝えている。児童は真剣に品定めしていた。そして、並べるときには1番人気だった回転寿司に殺到するのかと思いきや、そうでもなく、また、自分の作った作品を誰もひとつは選ぶのだろうと思っていたが、実際には、ほとんどの児童が自分の作品以外の、つまり、友達の作った作品を選んでいた。これも、よく「みた」結果なのだろう。子どもたちは私語することも無く静かに選んでいた。1年生なのに!である!!この活動中にも静かに流れていたBGMが消えると、また、子どもたちは先生に指示されることも無く自分の場所に戻っていった。
選び終わった後の活動は、小グループで「なぜ、それをえらんだのか?」という意見交換だった。そして、「どこからそう思ったのか?」を語り合っていた。発表の場面で、ある児童は「マカロンが好きだから、これを選んだ。」と話し、西川先生が「どうして、それにしたのか?」と尋ねると「ブドウとソーダの味だと思ったから。」と答え、さらに先生が「それは、どこからそう思ったの?」と訊くと「紫色がブドウで、水色がソーダだと思ったから。」と色から得たイメージを味覚に照らして(根拠として)話すことができていた。私たちの大切にする「みる」「考える」「話す」「きく」の活動の中で繰り返し問われる「どこからそう思ったのか?」が、わずか小学1年生でも具現化できているという事実がこの授業にはあった。
 この学習に際しては、学校近くの海岸にビーチコーミングに出かけてビーチグラスや流木を拾う活動を行い、家庭からごちそう作りに使えそうな包装紙やビーズ、毛糸、布などを持ち寄っていた。また、このごちそうパーティーで使う「マイ皿」も作成していた。これらの活動を通して児童の学習に対する興味・関心は喚起され、制作意欲につながっていったと考えられる。また、どんなごちそうが食べたいかを話し合い、食べたいもの(作りたいもの)に応じて小グループに分かれて活動する中で、協力やアドバイスが繰り返されたのだろうということが拝察できる。同時に本物に近づくようによく「みる」ことも繰り返され、「みる」力も養われていった。また、この活動を通して友達の作品も自分の作品同様に大切に思う気持ちが醸成されていったとみることもできる。これらの多くの仕掛けが仕組まれたこの学習の最終場面で作品をよりよく「みて」選ぶ活動は「鑑賞」と呼ぶにふさわしいものであった。
週末(金曜日)に行われたこの授業後の翌週月曜日の給食時に児童が「授業の成功を祝して乾杯しよう!」と口々に西川先生に提案し、牛乳で乾杯したことを最後に付記し、児童が学習に手ごたえを感じ、心に残る活動であったことを伝えて授業報告の終わりとしたい。
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11月の鑑賞会レポート その2が届きました!

2016-12-02 20:52:57 | 対話型鑑賞


11月19日(土)浜田市世界こども美術館 図書室
作品名:「カントリースクール」(1871年 ウィンスロー・ホーマー)
鑑賞者:7名(内みるみるメンバー5名)
ナビゲーター:金谷直美

<はじめに>
この作品を選んだ理由として
・小学校低学年での鑑賞の授業をしたい作品。
・様々な年齢の子どもたちが、一つの部屋で一緒に勉強をしている。先生らしき女性の方を向いている子どももいれば、窓の方を向いて書き物か何かをしている子どももいる。様々な年齢、服装、たたずまいの子どもたちが、何かを学ぼうと一つの部屋で過ごしている姿があたたかく印象的だった。
現在私が、小規模の小学校で勤務していることもあり、このホーマーの作品は、自然豊かな地で異学年の子どもたちがお互いに関わりながら学んでいる、勤務校の子どもたちに通じるものがあります。
作品をゆっくりとよくみて、描かれているものや起こっていることを聴きあいながら、考える楽しさのある作品だと思い選びました。

<鑑賞会をふりかえって>
・ナビゲーターとしての基本の役割、特に話をよく聴いてかえすことを意識した。
・鑑賞者の発言の中の一番大切な所をとらえて、かえしたりまとめたりできるように心がけた。
・「靴を履いていない子どもがいる」という意見が出たときに、「子どもたちの足元や服装に注目してみていきましょう」と、みるところを焦点化したが、そのあとはほとんど焦点化をすることなくみていったが、鑑賞者にとってみやすさ、考えやすさ等はどうだっただろうか。

<みるみるの会メンバーから>
・ナビが準備した画像が幾分暗かった。もう少し全体的に明るい作品ではなかったか?もう少し明るい画像であれば、鑑賞者が子どもたちの様子ももっとよくみることができたのではないか。
・描かれている要素が多い作品なので、「向かって右側にいる子どもたち」「左側の子どもたち」と焦点を絞ってみることで、それぞれの子どもたちの違いやそこから想像できる背景などについても、より深く考えることができたのではないだろうか。
・アメリカの幼稚園や学校の様子など、実際に住んでおられた方の話も聴けて面白かった。
・人物の服装、建物、室内の様子など全体をみていく中で、子どもたちの間に貧富の差がありそうなことに気が付いた。話を総合的に考えて気づいたので、納得した。
・学校が舞台となっているので、もしかすると教員と一般の方とでは、みる視点など違いがあるのかもしれない。また、(学校に通っている)子どもたちがみると、どんな発見をするのか楽しみな作品。
・話には出てこなかったが、黒板の上にある白っぽい物が何なのか気になった。たくさんの発見ができる作品。

<おわりに>
 ナビをするたびに、「聴くこと」の難しさを痛感します。でも、鑑賞者の方が(大人でも、子どもでも)自分が思ってもみなかったことを発言されると、それがとても面白く、凝り固まっている自分がふっとゆるむ感じがします。ことばの「キモ」をつかみ、かえし、つなぐ…作品を通して鑑賞者のみなさんと楽しい「ラリー」を続けることができるよう精進していきます。
 鑑賞会に参加してくださったみなさま、ありがとうございました。


 12月の鑑賞会は、17日(土)14:00~浜田市世界こども美術館にて
 みるみるメンバーといっしょに、作品を通して「みる・考える・話す・きく」時間を楽しみましょう!
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11月例会のレポートが届きました!

2016-11-20 17:43:22 | 対話型鑑賞


こんにちは。11月19日に浜田市世界こども美術館(1階図書室)で行われた鑑賞会のレポートをお届けします。


定例鑑賞会レポート(2016.11.19) 参加者7名(内5名みるみるの会会員)
鑑賞作品:「クォ・ヴァディス」(北脇昇 1949年)
ナビゲーター:澄川由紀

■はじめに
 今回の定例会の鑑賞作品は、北脇昇が1949年に描いた「クォ・ヴァディス」である。画面中央にはくたびれた上下茶色の背広と思しき洋服を着た(おそらく)男性、右手には荷物、左小脇には大事そうに厚い本を抱えている。遠景には赤い旗を掲げた集団、嵐の中の街並みが見える。人物の左にあるのは蝸牛か巻貝か。口が上を向いているので中は空っぽと想像できる。右には方向を指す道標のようなものがあり、その足元には花が咲いている。道標からも、この題名である「クォ・ヴァディス(ラテン語で“どこへ行き給うか”)」を示唆される。中央の人物が人生の帰路に立っている様子なのか、描かれたモチーフと関連させて観ることで様々な想像を掻き立て、いつしか鑑賞者は中央の人物に自分を重ねながら(自分の人生とも重ねながら)対象と対峙する、そんな作品ではないだろうか。何度見ても不思議な感覚にさせてくれる一枚である。また、描かれているモチーフが見えやすく、モチーフとモチーフをつなげて考えると想像することが多分にあると考え、本作品を選定した。

■ナビゲートする中で
 今回は意見と意見を「つなぐ」こと、途中で意見を適宜まとめ、鑑賞者に整理して提供することを意識した。また、本作品は戦後4年を経て描かれたという背景も重要だと考えている。描かれた年代から作品に迫ることを想定し制作年を明かすことを準備して臨んだ。
 本作品鑑賞には中央人物と遠景に見える二つの世界に話題の主眼を置き、それらをより深く見つめる媒体として貝や道標と関連させて考えていただくことを目指した。よって、はじめに描かれているものを整理する必要があると考え一つ一つ鑑賞する流れとした。しかし、丁寧に鑑賞するあまり、自身が事前に鑑賞の主として置きたかった部分が、鑑賞時間としては薄くなってしまった。落とし所をどこに設定れば良いのか、そのためにどのような展開を予想するのかは大切である。鑑賞時間のことも考慮し、どこで盛り上げ終わりにするか、見通しを持つことは今後の課題としたい。ただ、鑑賞集団によってどのような方向に話題が導かれるかは予測できない部分もある。ここがナビゲーターとしての技量を問われるところだと考える。

 定例会後の振り返りでは次のような意見をいただいた。
・要所要所で「整理しますね」の一言とともに「こまとめ」がなされて分かりやすかった。また、繰り広げられている話の筋が見えやすかった。 
・鑑賞者の戦後の実体験を踏まえた発言は、当時の時代背景を加味しながら作品をより見つめるきっかけとなった。
・背景と人物との関係を対話の中心にするためには、鑑賞者の話は端的に整理し、次の視点に移行する必要があったのではないか。
・途中で制作年と題名の情報提供を行った。このことでスッキリして観ることができた。ただし、情報提供は対象者によって必要でないこともある。 
・希望だけではない、人がいるから幸せだと限らない、そういった内容を、当時を知る人が鑑賞者にいたことで想像を膨らませ観ることができた。
・もっと話したい、聞きたいと思える作品だった。赤い旗と花の、色と色との関係など、ありすぎて黙っていたところもある。言ってしまうと話が終わらない感じがした。 

■終わりに
 今回も貴重な時間を参加者と共に共有できたことに、感謝!感謝!である。しかし、時間が短い!終了後の率直な感想だ。もっと見ていきたい、さらに意見を聞きたい、そういう思いの終了となった。後の振り返りで「そう思うのはいい作品だったのでは?」という感想もいただいたが、時間が長ければ良いというものでもない。また、今回「どこまで丁寧に意見を拾っていけば良いか」と、戸惑うところが多々もあった。いつも着地点・終了する場面に迷う。何かしらゴールを持ち、明確でリズムのあるナビゲーションとリレーションを心がけていきたい。


次の月例会は、12月17日(土)14:00~ 浜田市世界こども美術館です。みなさまのご参加をお待ちしています。
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11月例会のレポートが届きました!

2016-11-20 17:43:22 | 対話型鑑賞


こんにちは。11月19日に浜田市世界こども美術館(1階図書室)で行われた鑑賞会のレポートをお届けします。


定例鑑賞会レポート(2016.11.19) 参加者7名(内5名みるみるの会会員)
鑑賞作品:「クォ・ヴァディス」(北脇昇 1949年)
ナビゲーター:澄川由紀

■はじめに
 今回の定例会の鑑賞作品は、北脇昇が1949年に描いた「クォ・ヴァディス」である。画面中央にはくたびれた上下茶色の背広と思しき洋服を着た(おそらく)男性、右手には荷物、左小脇には大事そうに厚い本を抱えている。遠景には赤い旗を掲げた集団、嵐の中の街並みが見える。人物の左にあるのは蝸牛か巻貝か。口が上を向いているので中は空っぽと想像できる。右には方向を指す道標のようなものがあり、その足元には花が咲いている。道標からも、この題名である「クォ・ヴァディス(ラテン語で“どこへ行き給うか”)」を示唆される。中央の人物が人生の帰路に立っている様子なのか、描かれたモチーフと関連させて観ることで様々な想像を掻き立て、いつしか鑑賞者は中央の人物に自分を重ねながら(自分の人生とも重ねながら)対象と対峙する、そんな作品ではないだろうか。何度見ても不思議な感覚にさせてくれる一枚である。また、描かれているモチーフが見えやすく、モチーフとモチーフをつなげて考えると想像することが多分にあると考え、本作品を選定した。

■ナビゲートする中で
 今回は意見と意見を「つなぐ」こと、途中で意見を適宜まとめ、鑑賞者に整理して提供することを意識した。また、本作品は戦後4年を経て描かれたという背景も重要だと考えている。描かれた年代から作品に迫ることを想定し制作年を明かすことを準備して臨んだ。
 本作品鑑賞には中央人物と遠景に見える二つの世界に話題の主眼を置き、それらをより深く見つめる媒体として貝や道標と関連させて考えていただくことを目指した。よって、はじめに描かれているものを整理する必要があると考え一つ一つ鑑賞する流れとした。しかし、丁寧に鑑賞するあまり、自身が事前に鑑賞の主として置きたかった部分が、鑑賞時間としては薄くなってしまった。落とし所をどこに設定れば良いのか、そのためにどのような展開を予想するのかは大切である。鑑賞時間のことも考慮し、どこで盛り上げ終わりにするか、見通しを持つことは今後の課題としたい。ただ、鑑賞集団によってどのような方向に話題が導かれるかは予測できない部分もある。ここがナビゲーターとしての技量を問われるところだと考える。

 定例会後の振り返りでは次のような意見をいただいた。
・要所要所で「整理しますね」の一言とともに「こまとめ」がなされて分かりやすかった。また、繰り広げられている話の筋が見えやすかった。 
・鑑賞者の戦後の実体験を踏まえた発言は、当時の時代背景を加味しながら作品をより見つめるきっかけとなった。
・背景と人物との関係を対話の中心にするためには、鑑賞者の話は端的に整理し、次の視点に移行する必要があったのではないか。
・途中で制作年と題名の情報提供を行った。このことでスッキリして観ることができた。ただし、情報提供は対象者によって必要でないこともある。 
・希望だけではない、人がいるから幸せだと限らない、そういった内容を、当時を知る人が鑑賞者にいたことで想像を膨らませ観ることができた。
・もっと話したい、聞きたいと思える作品だった。赤い旗と花の、色と色との関係など、ありすぎて黙っていたところもある。言ってしまうと話が終わらない感じがした。 

■終わりに
 今回も貴重な時間を参加者と共に共有できたことに、感謝!感謝!である。しかし、時間が短い!終了後の率直な感想だ。もっと見ていきたい、さらに意見を聞きたい、そういう思いの終了となった。後の振り返りで「そう思うのはいい作品だったのでは?」という感想もいただいたが、時間が長ければ良いというものでもない。また、今回「どこまで丁寧に意見を拾っていけば良いか」と、戸惑うところが多々もあった。いつも着地点・終了する場面に迷う。何かしらゴールを持ち、明確でリズムのあるナビゲーションとリレーションを心がけていきたい。


次の月例会は、12月17日(土)14:00~ 浜田市世界こども美術館です。みなさまのご参加をお待ちしています。
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正田会員からのレポートをアップします!!

2016-11-06 19:55:05 | 対話型鑑賞



10月15日(土)鑑賞作品 浜田市世界こども美術館蔵 出雲市出身 神田羊二氏作「残夏」
ナビゲーター:正田 裕子

自評
・作品をゆっくり見て描かれている物を確かめる時間がもてたのはよかった。
・対話をテンポ良くつなぐことを目標に、鑑賞者に言って良かったと思ってもらえるように心がけた。
・パラフレイズを短く返すことに気をとられすぎて、根拠を作品から押さえることができていないところがあった。
・最後の鑑賞のまとめをすることが十分できなかったように思う。
会員より
・鑑賞者が二つのことを言っていることを「ドライフラワーのように」と端的にパラフレイズしていた。
・今日は、同じ作家でシークエンスを組んでいたので、まとめは今日は特になくても良かった。
・一つの作品から「生命力」と「枯れる」という相反するものが出ていておもしろかった。・一人一人丁寧に返していたが、現場の教室ではどうだろうか。
・テンポ良くできるところはある。鑑賞者の説明を聞きながら、ポインティングすればもっと良い。
◎会話の最初ほど、根拠を作品の中から、確認したほうが良い。
 鑑賞者が、皆同じ視点で会話がスタートできないと、思い違いが会話の途中で出てくる場合がある。今回は「トマト」と思っている人が多かったかもしれないが、「ほおずき」という印象を持っている人もいたわけだから、「この色でトマトですか?」「どこからそう思いましたか?」と聞くとトマトだけでも、もう少し話がふくらむのでは。
◎ナビが予期していない話が出た時ほどその話にのっかって、鑑賞者の視点や思いを聴くとおもしろいと思う。
 トマトと支柱を結わえるわらの結び目について発言に対して「人柄がしのばれる」と返しているところで、トマトを育てている人の「人柄」なのか、それとも描き手の「人柄」なのか、もしかしたら、描き手が、トマトを作っている人かもしれない。それぞれで異なった意味が生まれてくるので、もっと突っ込んで聞く(確認する)べきところだったと思う。

 今回の鑑賞で、まだまだ訊ねるポイントがあったと思った。また、常連で高齢の方から自分の人生を重ねるかのような発言があった。思い返すと、そこが鑑賞者全体に「それを聴かれてどう思われましたか?」と対話を広げるチャンスだったと思った。一期一会の出会いを活かすタイミングとはこういう時だったのかもと、少しつかみかけたように思う。また、久しぶりに文字起こしをしてみる中で、鑑賞者の意見を聴こうとはしているが、まだ突っ込み具合が弱いと感じた。会員からの「予期しない話にのってみる」という意見や、新たな視点もあり、対話型鑑賞の三つの質問を基本にしながらも今後の鑑賞に活かしていきたいと感じた。
楽しい鑑賞の機会をいただきありがとうございました。

次回のみるみる例会は11月19日 14:00~ 浜田市世界こども美術館です。ご参加をお待ちしています。
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