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約50年前には存在していなかったが急速に発展した世界10の都市

2013年04月12日 | 世界びっくりニュース

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 逝く都市もあれば、来る都市もある。月日の移り変わりのように、世界地図も流動的である。ベルリンの壁崩壊後はあらゆる種類の合併や分裂がほぼ年単位のペースで地図をごちゃごちゃにしている。日本でも市町村合併などにより、地図会社の人が気の毒なくらいに再編成が行われている。

 ここでは、約50年前、1960年には存在しなかった都市の中で、ほんの2、3世代の間に、ゼロから人々の活動や経済の中心となった10の都市を見ていくことにしよう。

10.仁川/韓国


 韓国の仁川広域市は北朝鮮の国境から数マイルに位置する。人口はおよそ3百万人で、今では韓国で三番目に大きな都市となった。1994年、韓国政府は仁川の海岸沖を埋め立てて、世界でも最大級の情報産業都市を建設するという大胆な計画に取り掛かることを決めた。その費用はおよそ400-500億ドル(およそ4-5兆円)が見込まれていて、2020年頃に完成が予定されている。


9.アブドラ国王経済都市 / サウジアラビア


 この都市は1960年は存在してなかっただけでなく、2005年より都市計画が始まったかなり新しい都市である。アブドラ国王は将来サウジアラビアの都市であるジッダから一時間ほどの紅海に、都市を建てるという壮大な構想を持っている。最先端都市の建設には概算でおよそ1,000億ドル(9兆円超)という莫大な費用がかかるようだ。その都市の居住者の数を特定のするのは難しいが、漠然と見積もったとして2020年完成時で2百万人を収容できるらしい。


8.イカルイト/ カナダ、ヌナブト準州


 1971年、フロビッシャー湾は公式にカナダのノースウエスト準州となった。北極圏の南、バフィン島の南岸でおよそ2,000人の人々がその厳しい環境に耐えつつ暮らしていた。先住民族のイヌイット族は自分達の領土を主張し、1999年に正式にノースウエスト準州を分割し、ヌナブト準州を得た。二年後、イカルイトは都市として認められて洲都となる。さらに10年後、7,000人近くが在住するようになった。少ない人口にもかかわらず、イカルイトは1,936,000平方km以上の領土を統治する都市であり、その面積はアラスカ州よりも広い。


7. 三斗坪 (サントヘイ) / 中国


 三斗坪周辺部は1984年までは黄浦江として知られていた。中国政府は、世界最大級の発電所である三峡ダムの建造にかかる作業者40,000人の居住地のため、この都市を建てた。その川をちょうど数マイルほど遡ると、人口約3,000万人の重慶市がある。中国はダムを建造し、隣接する大都市に電気を供給するために新しい都市を造ったのだ。この作業に費やした資材や物の運搬の手間は途方もないものだったに違いない。35,000人の住民は未だに三斗坪を故郷と呼ぶそうだ。


6.プトラジャヤ / マレーシア


 クアラルンプールは人口150万人超のマレーシア連邦領だ。そこで増え過ぎた人口を憂慮した政府は、連邦行政機能を果たす新都市が必要だと考え、クアラルンプールから15分ほど南に新都市プトラジャヤの建設を計画した。1995年に完成したこの都市は最新型の交通機関でクアラルンプールと結ばれていて、人口はすでに65,000人を超えるほど急増している。


5.アスタナ / カザフスタン


 カザフスタンはソビエト連邦崩壊後の1991年に正式に独立した。有り余るほどのオイルマネーで政府は4年間だけ首都を大都市アルマトイから由緒ある都市ツェリノグラードへ移すことを決定し、その都市名を"アスタナ"に改名した。1961年に正式に合併したツェリノグラードには1世紀ほどの年月にわたり多くの人々が住んでいたが、それは必ずしも彼らの自発的な意思によるものだった訳ではない。なぜならそこはかつて旧ソビエト連邦時代において最も悪名高いグラグ(収容所)がいくつも建てられた地域だったからだ。

  アスタナがカザフスタンの首都となってから人口は250,000から700,000人まで増加して、暗い冷戦で荒れていたその景色は現代的な大都市へと変貌を遂げている。


4.アブジャ / ナイジェリア


 ナイジェリアがイギリスから正式に独立したのは1960年のことで、その後10年間は内乱に悩まされた。70年代には文化の隔たりがある様々な党派が集まり、ナイジェリアの中心部で、かつ流血の歴史が無い場所に全く新しい首都が必要だと決断した。その後石油の発見で国家は経済的に豊かになり始め、ナイジェリアの"夢"の建設には10年以上が費やされた。1991年、新首都は完成し、アブジャと名付けられた。20年以上を経てアブジャの人口は100万人に届く(首都圏だとおよそ300万人)ほど急増し、ナイジェリアは世界で7番目に人口密度が高い国になった。さらにこの順位は2050年までに3番目になると予想する専門家もいるという。


3.ドーハ / カタール


 カタールがイギリスから正式に独立したのは1971年。大規模な石油とガスの埋蔵量が、その新しい経済に何十億もの巨額の資金をもたらし、そのあまりに莫大な額に対しフォーブス誌はカタールを、世界一リッチな国家と称した。このドーハという名はその地域の自治体が1963年に名付けたもので、以降この都市は規模を拡大し、今や100万人が住むほどになっている。

 今やこの都市はとてもパワフルで、5月から9月まで平均最高気温が38度を超えるような砂漠にいるにもかかわらず、FIFAの腐った奴らに賄賂を贈って2022年のワールドカップ開催を企てるほどだ。とにかくドーハはハイレベルなサッカー競技に適してるとは言い難い環境だ。
 

2.ナビムンバイ / インド


 かつて公式名称ボンベイだったムンバイ市は、人口およそ1,200万人超。この都市はインドの海岸に少し突き出た島にあり、どんどん成長して1972年に限界を迎え、ちょうどその向こうの大陸部分にナビムンバイが開発された。また世界最大規模の計画都市でもある。ムンバイ市の"過疎化"のために生まれたナビムンバイ市の人口は急増し、40年間経った現在の住民は120万人に達している。そして見事にその役目を果たしているこの新都市は、さらに内陸へと拡大し続ける。


1.ドバイ / アラブ首長国連邦
動画:ドバイの急成長
Dubai's Rapid Growth


 ドバイは1971年にイギリスから正式に独立して、アラブ首長国連邦を構成するグループの一員になった。この周辺で石油が発見されたことで生まれた莫大な富は、今後のこの地域に対する地理的な見方を変えてしまった。この40年間でドバイの人口は数千人から150万人超まで膨れ上がった。更なる発展の為、政府はペルシア湾の一部を埋め立て人工的に島を造り始めた。つまりドバイ市はここ15年間で、2000年以降に造られた陸地の上で成長し続けているのだ。複数の人工島から成るパーム・アイランドは現代の驚異だ。その計画だけでも野心的ともいえるものだが、ドバイの金融不安のおかげで建設作業は頓挫しているようだ。

via:toptenz

 ここにはでてこなかったけど、新宿副都心も50年前とかなり様子が変わっているはずだよね。高層ビルが1本もなかったはずだから。もちろん都庁とかもあんなビルじゃなかったし。

☆10都市やなくて、100都市にせになあかんねぇ!

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