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廃墟化した動物園に隠された悲しい末路。アメリカ「キャッツキル・ゲームファーム」

2016年08月27日 | 世界びっくりニュース
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 廃墟写真家、マシュー・クリストファーはアメリカニューヨーク州北部で廃墟化した動物園を発見し写真に収めた。彼はこの施設の歴史的背景を知り、衝撃を受けたという。

 1933年にオープンしたその動物園「キャッツキル・ゲームファーム」は、最初は小さな農場だったが、第二次世界大戦後のベビーブームに乗り、一時期は大盛況を博した。だがここにも栄枯盛衰の波は訪れる。

 ついに朽ち果てていったこの動物園の末路には悲惨な現実が隠されていた。

 「キャッツキル・ゲームファーム(Catskills Game Farm)」の”ゲームファーム”とは、狩猟用などの用途のために動物を繁殖させる農場を意味する。

 1933年、ローランド・リンデマンがこの動物園を開園した当時、ロバとヤギが各1匹ずつ、鹿が2匹の合計4匹しかいなかった。だが第二次世界大戦が終わると、様々な動物が世界各国から輸入され、1960年代の全盛期には2000匹以上もの動物たちが年間50万人を越える来園者たちを楽しませていた。

放棄された畜舎
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雑草に覆われた施設
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 来園者の中心は第2次世界大戦後のベビーブームで生まれた子供たちで、子ヤギや羊の餌やりや、珍しい希少動物を一目見ようと大勢で施設にやってきていた。それはとても無邪気な時代だった、とクリストファーは語る。

入口の木製のフェンスにはキリン型の飾りがついた跡がある。
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畜舎
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 しかし、1980年代の終わりになると来園者の数は減り始め、2006年に閉園を迎える。それは悲惨な終わりだった。

 多くの動物たちは狭い土地で行われるトロフィーハンティング用の獲物として売られていった。それ以外の動物たちは時には薬殺されたりした。

 かつて子供たちを楽しませ、共にふれあっていた動物たちの悲惨な末路を知ったクリストファーは衝撃を受けたという。のどかな光景という夢から醒めた瞬間であると同時に非常に恐ろしく辛い現実に対峙した瞬間でもあった。

ミニチュアゴルフの施設
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アフリカの動物収容区画入口
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老朽化した保育場
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 クリストファーはこの動物園の写真集を発売する予定だ。この施設の始まりから終わりまでを、当時の関係者たちのインタビューとともに詳細に記していくという。

 悲惨な閉園を迎えたキャッツキル・ゲームファームだが、現在は買い手がつき、新オーナーたちはその歴史を保存するアイデアを模索している。小規模な宿泊施設やオートキャンプ場、博物館にする計画もあるようだが、再び動物園にする気はないという。それでも当時の面影をしのばせる部分を残して欲しい、という人々の意見を汲むつもりのようだ。
 

保育場のプレイハウス
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かつて動物たちがいた檻
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施設の建物の一部
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農場の屋内
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朽ちかけた子ども用ゲーム
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カメラのフラッシュライトの箱
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クリストファーの新しい著作の表紙
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☆廃墟マニア必見か!

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歴史に大きな影響を与えた10の古文書

2016年08月26日 | 世界びっくりニュース
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 歴史の真実を紐解くのは容易なことではない。何千年も前にもさかのぼる人類の歴史を調べるときは、これまで見つかっているほんのちょっとしたヒントを総動員して類推するしかないのだ。だが発見された昔の文書が、過去の有名な出来事の詳細をつまびらかにしてくれることもときにはあるようだ。

10. サイラス・シリンダー

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 1879年、考古学者のホルムズ・ラッサムがメソポタミアでの発掘調査で、たくさんの粘土板を発見した。これらが、これまでの認識をくつがえすような古代世界の詳細を見せてくれた。そのひとつ、サイラス・シリンダーには楔形文字で、世界最古と言われる人権宣言が書かれていた。

 このシリンダーは、紀元前538年頃に作られた。ときはペルシャのキュロス王がバビロンを征服したすぐ後のこと。書かれている内容によると、キュロス王はバビロニアの神マルドゥクに選ばれた解放者として、信仰を弾圧して人民を奴隷化した非道なナボニドゥス王の統治から市民を解放し、武力を行使せずに町に入った。バビロニアの人々は、ナボニドゥスを引き渡して、キュロス王の統治を受け入れた。

 一人称で書かれているシリンダーは、その後、キュロス王は勅令を出したと説明している。前任者が人民に課した強制労働を廃止し、国外追放された者たちを呼び戻し、これまで禁止されていた信仰や神殿も従来どおりに戻すと約束したという。

 イランは、このサイラス・シリンダーが人権宣言であることを公式に認めているが、メソポタミアの王が王座についたときに出す普通の声明にすぎないという声もある。しかし、歴史家たちは、さまざまな信仰や国民性の人民でひしめく現実の社会を、いかに治めるかを初めて記した記録とみている。キュロス王のアケメネス王朝は、現在のパキスタンであるインダス谷からヨーロッパのバルカン半島まで占める、古代の歴史の中でもっとも巨大な帝国となった。


9. 血の手紙

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 14世紀、崩壊しつつあったブルガリア帝国がついに、オスマン帝国に征服、吸収された。その後、1870年代半ばに、ブルガリア人たちが再び主権を取り戻そうと立ち上がった。これが、ブルガリア国民全体がオスマン帝国の支配に反旗をひるがえした、1876年の四月蜂起につながった。

 蜂起の主要なリーダーのひとり、チューダー・カブレシュコフは、プロヴディフの町でも蜂起してオスマントルコを破り、町から彼らを追い出した経験から、パナギュリシテの反乱軍仲間たちに同様に行動を起こすよう鼓舞する手紙を書いた。このとき、殺したトルコ軍将校の血を使って署名したことが、のちに革命のシンボル、血の手紙として知られるようになった。

 実際の蜂起はうまくいかなかった。トルコ側がbashi-bazoukという非正規の傭兵を投入したため、カブレシュコフは裏切りにあい、トルコに捕えられ、牢獄の中で自害した。

 この傭兵たちは、ひどく残忍で、すぐに規律にもまったく従わなくなった。アメリカの戦場記者ヤヌアリウス・マクガハンは、住居を焼き払い、住民を皆殺しにしたトルコ兵の非道を報道している。

 このため、世界中からオスマン帝国に対する批判が高まった。ロシアはこれをトルコの影響力を弱体化するチャンスとみて、和平交渉が決裂した後、1877年に宣戦布告した。ロシアは東ヨーロッパの国々の助けをかりて、この戦いに勝利した。1878年のベルリン条約締結後、ブルガリアは500年近いオスマン帝国の支配から解放されて、再び自治権をもつ国となった。


8. 令義解と令集解

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 何世紀もの間、日本は、律令制度という法のもとに統治されてきた。これは、唐王朝時代の中国で採用されていた法システムで、儒教の影響を受けている。近江令は668年の天智天皇の治世に、日本で初めてまとめられた律令体系で、22巻から成ると言われているが、原本が存在せず、他からの類推にすぎないだけかもしれない。

 689年には、近江令は飛鳥浄御原令に改訂された。近代の内閣にとって替わられるまで、日本の最高位の行政体だった太政官制度のような古い法律令に改訂を加えている。いずれにしても、原本は存在しないので、推論の域を出ない。

 701年に制定された大宝律令は、行政から刑罰までの法律を含む最初の改訂版だが、これもまた原本が存在しない。続いて718年に養老律令がまとめられたが、757年まで公表されなかった。833年に、日本の学者によって編纂された令義解(令の注釈)が出され、これには養老令の行政法がほぼすべて網羅されている。数世紀後、日本と中国の法律の比較研究結果としてまとめられた令集解によって、養老令が補完された。歴史家たちはやっと、現存する唐朝の令を使って刑法も一緒に合わせて、養老令を完成させることができた。


7. デル・エル・メディーナ・パピルス

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 このパピルスは、わたしたちに古代エジプトの豊富な情報をもたらしてくれる。王家の谷に墓が建てられたとき、この小さな村には多くの商人や職人、古文書にたずさわる専門職がいた。働く人が初期の健康管理システムの恩恵を受けていた証拠がすでに見つかっている。しかし、このデル・エル・メディーナは、史上初のストライキの記録でもある。

 この出来事の詳細は、アメンナーテという人物が書いたパピルスに記されている。紀元前1155年頃のラムセス三世の統治時代に起こったことらしい。デル・エル・メディーナの職人たちが、18日間給料が支払われていないことに苦情を申し立てた。そこで彼らは働くのを拒否して、メンケペルラー神殿の裏で座り込みをしたという。これはおそらく史上初の座り込みストライキの記録だろう。

 このストライキは数日間続き、職人たちは自分たちの言い分が大臣に届けられるよう圧力をかけた。結局、大臣がデル・エル・メディーナに出向き、ストライキのリーダーと交渉した。パピルスには、こうしたストライキは珍しいことではないと記されているため、記録として残っているものとして最古ということで、これが労働者の初めてのストライキではないようだ。


6. ブレイントリー指示書

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 アメリカの独立戦争を引き起こすきっかけになった出来事はいくつかあるが、おもな原因は、英国が植民地に有無を言わさず課した税だ。「代表なくして課税なし」これは、1765年に英国議会が不平等な印紙税法を通過させたときの、植民地人の強烈な不満の現われだ。この法律は、植民地で発行されるほぼすべての印刷物に、ロンドンで発行された印紙を貼らなくてはならない、つまり課税されるという法律。

 この法律は、植民地からの収入を増やそうという英国の狙いが見え透いていたため、アメリカで大不評で、抗議運動が起こるきっかけとなった。北米での英議会権威に対する最初の公式の抗議書のひとつ、ブレイントリー指示書の発行にもつながった。

 1765年9月24日、マサチューセッツ州ブレイントリーの町は全体会議を開き、約50人がマサチューセッツ州議会に提出する予定の書類に賛同して署名した。書類は、英国議会の行為が大憲章(マグナカルタ)に違反しているとして激しく非難している。

 このブレイントリー指示書は、『マサチューセッツ・ガゼット』紙や『ボストン・ガゼット』紙に掲載され、この文書が広まるにつれて、その論拠や言葉が印紙税法に異議をとなえるあちこちの州で引用されるようになった。

 ブレイントリー指示書は、これを書いたのがジョン・アダムスだったことで有名になった。政治活動家としての彼のキャリアが、このときまさに始まろうとしているところだったが、彼は独立戦争のときに重要な役割を演じ、のちに合衆国第二代大統領になったのだ。

5. 基本的人権憲章

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 1681年、ウィリアム・ペンが、ペンシルヴァニア地区の憲法として、政治の枠組みを立ち上げた。オリジナルは1685年5月5日に採択され、新しい政府機構は一年後とさらに1696年に、基本的人権憲章として知られる最終版で採択され、1701年に批准された。このバージョンは、1776年まで有効だった。この憲章の50周年を祝って、ペンシルヴァニア議会は議事堂用の新しい鐘を注文した。これが、国じゅうでもっとも大切にされているリバティ・ベルだ。

 ペンの作った政府の枠組みの遺産は大きく広がり、今やさまざまな地域で自由と権利を求める真の民主主義に向かうための重要なステップとして認識されている。ウィリアム・ペンはクエーカー教徒だったが、宗教の自由を擁護し、アメリカ先住民の部族とも平和的に交渉した。イギリスに戻ると、彼はその信念のせいで何度も逮捕されたが、牢獄の中でひたすら小冊子を書いて過ごし、さらに自分の考えを主張した。

 ペンの新しい憲法の言葉がヨーロッパに伝わると、その考えに共感した人たちの間で支持が広がった。フランスの思想家ヴォルテールは、ウィリアム・ペンはこれまでとは違う黄金時代を地球にもたらしたと言った。


4. 「我が国民たちへ」

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 1914年7月29日、「我が国民たちへ」と題した声明文が、オーストリア=ハンガリー帝国じゅうに配信された。皇帝フランツ・ヨーゼフ一世の一日前の署名がされていたこの声明文は、セルビアとの戦争を正式に布告したもので、これが第一次世界大戦の始まりとなった。

 文書の中で皇帝は自らを平和の男とし、セルビア王国からの絶え間ない挑発のせいで、国の名誉と君主制を守るために、やむなく戦争に突入するとしている。「我が国民たちへ」というタイトルは、戦争宣言書としてはごく普通の表題だ。ヨーゼフは"国民たち"と複数形を使って、オーストリア=ハンガリー帝国は、ふたつの同等な君主制に、自治権のあるクロアチア=スラヴォニア王国を加えた多民族帝国であることを示している。数日のうちに、文書は帝国内で使われているあらゆる言語に翻訳され、小冊子とプロパガンダポスターも配布され、すべての新聞にも掲載された。

 声明は7月危機のピークと見られ、フランツ・フェルディナンド大公の暗殺に続いて、セルビアとオーストリア=ハンガリー間の戦争は避けられないと思われた。オーストリア=ハンガリー側は、セルビアに最後通牒を突きつけることで平和的な調停をしようとしたが、その内容は、セルビア側にはとうてい受け入れられるものではなかった。こうした始まった戦争は、オーストリア=ハンガリー側の思惑どおりにはいかなかったと言うにとどめておこう。この大戦の終結はオーストリア=ハンガリー帝国の死をもたらし、ハプスブルグ家の支配は終わりと告げた。


3. ローマ教皇ウルバヌス二世の指示書

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 1095年頃、ビザンティン帝国の皇帝アレクシウス・コムネヌスは、ローマ教皇ウルバヌス二世に、小アジアの自国領土を攻撃してくるセルジュークトルコを撃退するための軍隊を要請する手紙を送った。それに応えて教皇は、フランスのクレルモンで大勢の聖職者や貴族を含む教会会議を招集した。そこで、ウルバヌスは歴史上もっとも有名なスピーチのひとつと言われている名演説をした。これが何世紀にもわたってヨーロッパに大きな影響を与えた出来事、十字軍のきっかけになった。

 会議は11月18日から28日まで続き、ウルバヌスのスピーチは27日だった。現在、これが第一回十字軍の始まりと考えられている。教皇は今こそ、東西のキリスト教徒が一致団結して、イスラム教徒に対抗するときだと説いた。翌年、何万という兵士が東へ向かった。1099年にエルサレムを奪還すると、十字軍は最高に盛り上がったが、ウルバヌス自身はこの知らせがヨーロッパに届く数週間前に亡くなった。

 クレルモン教会会議でのウルバヌスの演説について、6つの情報源があるが、そのうちの5つは信憑性が議論されている。これらは、十字軍戦士がどのような許しを認められるのか、もともとの目的はビザンティン帝国を助けることなのか、聖地を再び奪還することなのか、といった問題について、それぞれ詳かいところが違っているのだ。

 6番目の情報源は、1095年12月にウルバヌス自身がフランダースに集結した十字軍兵士たちに宛てて書いた指示書だ。これは、クレルモン教会会議の内容をカバーしていて、中世ヨーロッパ史におけるもっとも重要な出来事を裏づける情報源として、一番信頼できるものだ。


2. メイフラワー誓約

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 プリマスは、北米でもっともよく知られた英国の最初の植民地のひとつ。現在では、ピルグリムファーザー(巡礼始祖)や感謝祭の祝いなどは特に、アメリカ文化に深く染みついている。ピルグリムは分離主義者と言われることが多く、英国を逃げ出して、新たな地で自分に合った信仰を信じようとする敬虔な人たちのことだ。そんな彼らを象徴する1620年のメイフラワー号での旅は、アメリカの民間伝承の基本中の基本の話だろう。

 メイフラワー号に乗船していたピルグリムは実際は少数だった。100人ほどの乗客の半分以上と25人の乗組員たちは、分離主義者ではなかった。船はもともとヴァージニアに向かっていたが、嵐の危険性と物資の不足のせいで、新たな土地に入植するほかなかった。厄介なことに、定住地が決まっても、分離主義者でない者はピルグリムのルールに従うつもりがないことがわかった。彼らに言わせると、自分の自由を自由に行使する権利があるという。

 これが、結果としてメイフラワー誓約が起草される結果となった。アメリカにおいて初めて記述され、制定された政府の枠組み草案だ。上陸前にすべての男たちは署名をしなければならず、文書は、市民主体の政治に公正で平等な法律を制定する権限を与えるとしているが、運営組織はほとんど分離主義者たちで構成されていたため、彼らが権力を持ち続けるのは確実だった。メイフラワー誓約は憲法ではないが、プリマス政府の基礎となり、植民地全体がマサチューセッツ湾植民地に取り込まれる1691年まで、力を維持し続けた。


1. デ・ロメの手紙

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 1898年4月25日、アメリカとスペインの間で戦争が勃発し、3ヶ月以上続いた後、アメリカの勝利で終結した。その後、かなりアメリカ優位なパリ条約が締結され、スペインはキューバ、グアム、プエルトリコ、フィリピンを手放さざるをえなくなって、北アフリカの数か国を除いて、海外の領地をすべて失うことになった。かつて決して日の沈むことのない国として知られていたスペイン帝国の終焉だと誰もが思った。

 戦争前、アメリカ国民の意見は割れていた。低俗で煽情的なイエロージャーナリズムのパイオニアであるウィリアム・ランドルフ・ハーストとジョゼフ・ピュリッツァーは戦争に賛成したが、メディアを使って大衆を煽ることを非難された。この関連で、1898年2月にデ・ロメの手紙を入手したハーストは大穴を当てた。

 エンリケ・デュピュイ・デ・ロメは、駐米スペイン大使で、スペインの外務大臣宛てにキューバにおけるアメリカの関わりについて、辛口の手紙を書いた。この中で、マッキンリー米大統領は、弱腰の最低な政治家だと書いていたのだ。しかし、キューバの革命騒ぎのどさくさでこの手紙はちゃんと届かずに流出した。ハーストがこの手紙を見つけ出して、ニューヨークジャーナルに「史上最悪の侮辱を受けたアメリカ」というタイトルをつけて発表した。これがアメリカ国中でスキャンダルになり、国民は国に確固たる行動を求めた。2ヶ月後、ハーストたちの望み通りの展開になった。

 スペイン側は、戦争で国際競争力や威信を失ったが、98年世代として知られる作家や詩人、思想家たちの新しいうねりのせいで、国が知的に生まれ変わることができた。

via:10 Documents With A Profound Influence On History

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呪いをもたらしたと言われている盗まれた10の遺物

2016年08月24日 | 世界びっくりニュース
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 科学が、迷信や魔術と相いれる余地はない。歴史を通してみても、科学的な疑問に対して魔術的な答えが出た試しはない。

 しかし、考古学の世界は実に奥が深い。偏見のない考古学者ですら、どう見ても科学では説明できない力をもっているとしか思えない古代の遺物の存在を信じているというのだ。

 ここではそんな呪いがつきまとう10の遺物について見ていくことにしよう。

10. ローマ帝国が使用した投石の石

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 1980年代後半、イスラエルとシリアの国境付近で、ローマ帝国が敵の防壁を破るために使った原始的な投石用の石が発見された。記録によると、古代都市ガムラがローマ帝国に防壁を壊されて攻撃され、9000人の市民が囚われの身になることを怖れて峡谷に身を投げて死んだという。

 2015年、博物館の中庭にこれら投石が2つ、忽然と現われるまで、これが盗難にあっていたことに誰も気づかなかった。石と共にメモがおいてあり、それによると、この石は1995年に盗んだものだが返却するとあった。「これらは、ガムラの頂のふもとにあった居住地から発掘されたものだが、1995年7月にこの石を盗んで以来、悪いことばかり起きる。古代遺物は盗まないほうがいい」と書かれていたという。


9. ポンペイ人の遺物

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 伝説によると、ローマ軍に聖地を破壊されてから、ポンペイは神に呪われたらしい。ポンペイの考古学者、マッシーモ・オサンナは、一年の間に100もの小包を受け取った。中身はモザイクタイル、フレスコ画のかけら、無傷の像など、皆、ポンペイ遺跡から盗まれたもので、盗んだ者たちが返却してきたのだ。

 添えられていた手紙によると、これらの品々を盗んでからというもの、不幸なことばかり起こるという。5つの小包を返却してきたあるスペインの泥棒は、家族全員に呪いがふりかかったという。オサンナは「わたしがポンペイから持ち返ったもの」と題して、受け取った手紙をすべて展示しようと考えている。さらにサブタイトルをこうつけるといいかもしれない。「思わぬ不幸のお土産つき」と。


8. セニキアヌスの指輪

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 この指輪は1700年代後半に発見され、現在はナショナル・トラストが所蔵している。12グラムの金でできたとても大きな指輪で、手袋の上から親指にするものと思われる。ラテン語で「セニキアヌス、神とともにあれ」と刻印されている。

 発見から数十年後、この指輪のことを書いた古代ローマの石板が発見された。そこにはシルウィアヌスという名の古代ローマ人によって、ノーデンス神に指輪が盗まれたことが知らされ、「指輪がノーデンスの神殿に戻ってくるまでは、セニキアヌスという名をもつ者は皆、健康を害する」と書かれている。

 この話にピンときたとしたら、それはオックスフォードの教授で作家であるJ・R・R・トールキンが呪いの指輪の話にヒントを得た作品を読んだことがあるからだろう。指輪の実物が『ホビットの冒険』の初版本ととも展示されることも多いという。


7. マオリ族のクジラの骨でできた鞭の持ち手

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 ジェームズ・レディ・クレンドンは、最初にニュージーランドに入植したヨーロッパ人のひとりで、原住民のマオリ族とヨーロッパ人の対話を橋渡しをした。ニュージーランド初の銀行頭取であり、初のアメリカ領事でもあった。

 ニュージーランド、ラウェネにあるクレンドンハウスは、生前の彼のさまざまな所蔵品、多くはマオリ族の工芸品を展示している博物館だが、ここからクジラの骨でできた鞭の持ち手が盗まれた。手癖の悪い不届き者は、これらマオリの品には、扱い方を間違えると自然と呪いが宿ることを知らなかったようだ。

 この鞭の持ち手はクレンドンの長男のものだったが、盗難から一ヶ月もたたないうちにクレンドンハウスに戻ってきた。当の泥棒の知人という人間が直接届けてきたのだが、どうやら盗難後、泥棒に災難という災難が次々とふりかかったため、返却することにしたらしい。罪には問われなかったようだが、警察によると、これを所有した者は、なにかに失敗をするたびに地獄の苦しみを味わったという。


6. エジプトの彫刻物

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 あるドイツ人男性が2004年にエジプトを訪ねたとき、象形文字が刻まれたある遺物を失敬してきた。この彫刻物は、のちにベルリンのエジプト大使館に返還されたが、返したのは当の本人ではなく、その義理の息子だった。本人は死んでしまったため返すことができなかったのだ。

 その男性は旅から戻ってすぐに、原因不明の麻痺や発熱に襲われ、急にガンを発症して死んでしまったという。男性の魂が安らかに眠れるよう、また義理の息子や親戚に盗難の咎が及ばないよう、その彫刻物は返還されたというわけだ。大使館は真偽のほどを調べるためと称してこの彫刻物をエジプトに送り返したが、できるだけ遠くへ手放したかったのかもしれない。


5. ゲティスバーグ古戦場の石

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 ポンペイ遺跡と同様、ゲティスバーグ公園もまた毎年、たくさんの小包を受け取っている。古戦場跡から記念品として持ち出されたただの小枝や石などなのだが、添えられている手紙は一様に、これらのものにはみんな呪いが宿っていると嘆いていたという。

 手紙を送ってきたある者は、仕事中に怪我をしたり、何度も手術を受けたり、人間関係がうまくいかなくなったりした。またある人は、妻や息子や家を失い、9年も刑務所に入るはめになったという。パークレンジャーたちは、訪れる人たちに優しく諭している。

 ここの歴史の一部を家に持って帰りたいと思ったとしても、どんなに小さなものであっても、そのままそってしておいてもらうほうがいいのだと。


4. ヴァージニアシティの墓石

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 町のあちこちに無造作に埋葬されている死者たちの問題をなんとかしようと、1867年にネバダ州の鉱山町ヴァージニアシティに一大墓地がつくられた。しかし、寂れていたこの町が、2000年に史跡として再開されて以来、たくさんあったはずの墓石がなくなってしまった。結局、それがごっそり戻ってくることになったのだが。

 墓地の責任者のキャンダス・ウィーラーは、泥棒たちがなぜ墓石を盗むのかを調べた。すると、彼らは墓石をドアストッパーや、庭の装飾など、ごくありふれたことに利用していた。だが、それも彼らに財政難や離婚や死などの不幸がふりかかるまでのことだった。泥棒たちは、自分たちの呪いがとけるよう、墓石がそれぞれの墓にきちんと戻されたかどうかをしきりと知りたがったという。


3. ネイティブアメリカンの遺物

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 1905年、モルモン教徒の移住者が住み始めてから、ユタ州の小さな町ブランディングは、アナサジ族の遺物の宝庫として知られるようになった。

 1950年代、地元の考古学者ウィンストン・ハーストはまだ少年だった頃、陶器のかけらや、矢じり、ありとあらゆる雑多な遺物が地面に雑然と転がっているのを発見した。1960年代までに、住人たちがときに重機を使って、このあたりをもっと深く掘ってしまった。

 ハーストはこれは略奪であり、冒涜にほかならないと思い始め、こうした遺物を貪欲に自分の懐におさめ、売りさばいていた友人たちと仲たがいした。

 1986年にFBIが乗り込んできて、公有地から不法に持ち去られた900点以上の遺物を押収した。こうした手入れのおかげで、違法な収集は少なくなったが、インターネットの出現で密かな売却は後を絶たなかった。

 2009年には、150人のFBI捜査官がこの小さな町に押し寄せた。盗んだ遺物を売りさばいていた罪で逮捕された者の中には、保安官のきょうだいや地元の医者までいた。医者のジム・レッドはハーストの幼馴染で、彼がこれらの遺物を初めて見つけたときにも同行していた。レッドは逮捕の翌日自殺をはかり、事件に関わったほかのふたりも数ヶ月以内にやはり自殺した。


2. ヴィガンゴの木製彫刻

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 ゴフとは、ケニヤの部族内に昔から続く男だけの社会のことで、熟練の彫刻師が硬木から、ヴィガンゴという込み入った彫り物を作る。これは、部族の死者に捧げられるだけでなく、死者の魂に実際に形を与えたものと信じられている。

 ヴィガンゴは、芸術品として西洋人に重宝され、盗まれたものが高値で取引された。しかし、ヴィガンゴの呪いは盗んだ泥棒ではなく、部族にふりかかった。

 ヴィガンゴは、生贄や神酒を捧げてきちんと保管しなくてはならないし、あった場所から動かしてはいけないことになっている。1999年にある考古学者が部族を訪ねると、いくつかの像が行方不明になっていて、その罰なのか、何年も日照りが続いたり、部族内の何人かが急死したりした。何年もの法廷闘争の末、ヴィガンゴはケニアの博物館に返還され、それがゴフに戻された。これらは金属のケージで守られ、二度と盗まれないよ
うになっているという。


1. 化石の森国立公園の珪化木

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 アリゾナ州にあるこの公園には、つい失敬したくなる誘惑にかられる土産物が、至る所にある。ここには、世界最大の色彩豊かな化石化した木、珪化木が集積しているのだ。

 特に巨大な集積は、レンジャーの間で"良心の山"として知られ、泥棒たちによって何年にも渡って返還されたものなのだ。これらの返却物には、少なくとも1200通の手紙がそえられていて、1934年にさかのぼるものもあった。ふたりの作家が、そのうち驚くような内容のもの50通あまりを抜粋して、本にまとめた。泥棒にも道義心があることに、作家たちが飛びつかないわけがなかったのだ。

 「家に帰ると、まず義母が腎臓疾患になったことがわかり、飼い犬が死んだ。自分自身、ひどい交通事故で九死に一生を得たし、トラックが大破して大修理をしなければならなくなり、飼い猫も死んだ。昨夜は・・・・家のガス漏れのせいで、しばらく避難しなくてはならなくなった。お願いだから、これ以上不幸が起こるまえに、この化石を元に戻して欲しい」

 ローマ人もマオリ人もエジプト人も、原住民の呪いも、とてつもなく古い木にはかなわないようだ。

via:10 Stolen Ancient Artifacts That Carried Curses

☆呪いなんか、信じる奴おったんやなぁ!

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知っておくと面白い。先人の知恵が凝縮された面白い10の法則・効果

2016年08月22日 | 世界びっくりニュース
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 マーフィーの法則やピーターの法則くらいなら聞いたことがあるかもしれない。だが、世界には人生や人間などを理解するための知恵が凝縮された法則はたくさん存在する。

 ここでは目からウロコの面白い10の法則や効果ひも解いていこう。

1. ピザ定理
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 ピザ定理は「ピザの任意の点をとり、そこから均等な枚数に切り分けられる」と説く。交互に並ぶスライスの面積の合計は等しくなる。ピザを分ける相手が自分ともう1人だけのときは便利だ。が、もっと簡単なピザ定理もある。厚さ(a)と半径(z)を用いてピザの体積を計算するのだ。公式は次の通り:pi z z a(ピザ)


2. アーカムの剃刀
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 オッカムの剃刀は、「問題を解く、あるいは結果を予測するために、1つ以上の説明があるのならば、一番シンプルなものがおそらくは正しい」と説く。その真逆の法則がアーカムの剃刀だ。これはフィクションの世界、特にコメディで当てはまる。すなわち、「ある出来事について複数の説明があるならば、一番ありえないものが真実だ」というものだ。コメディのエッセンスは奇想天外さなのだ。


3. ストライサンド効果
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 何かを隠そうとしたら、逆効果になってしまうのがストライサンド効果だ。これは歌手のバーブラ・ストライサンドに由来する。彼女は2003年に上空から自宅の写真を撮られ、これをプライバシーの侵害であるとして、政府公認のカリフォルニア海岸記録計画を訴えた。訴訟前にこの写真について知る者はほとんどいなかったが(6回しか閲覧されていなかった)、今では誰もが知るところとなった。ちなみに彼女は裁判で負けている。


4. ベターリッジの見出しの法則

 ベターリッジの見出しの法則は、「疑問符で終わっている見出しの答えは『ノー』」と説く。答えが「イエス」ならば、見出しは単純に断定的になるのだ。見出しの疑問は次のいずれかを示唆する。1) 筆者には答えに確信を持つだけの証拠がない、2) 得られる情報をセンセーショナルにする、3) 筆者は読者の意見を率直に求めている。アカデミーの世界にはヒンチクリフの法則という同じ法則がある。


5. バター猫のパラドックス
Flying Horse - Gatorrada (Cat-Toast)


 矛盾する2つの法則があるとき、それをパラドックスという。バター猫のパラドックスは次のようなものだ。バターを塗ったトーストを落とすと必ずバターを塗った面から落ちる。猫は必ず足で着地する。なら猫の背中にバター塗りのトーストをとりつけて落としたら、猫もトーストも地面には落ちないはずだ。この現象のポテンシャルエネルギーの利用も考えられる。だが、実証して見せた者はまだいない。
 

6. コーエンの法則

 ジェフ・コーエンの観察によれば、「承認待ちのグループがモデレーターを作るかどうかについていずれ大ゲンカをする確率は時間とともに1に近づく」。これをコーエンの法則という。


7. スキットの法則

 他人の文法やスペルの誤りを指摘するコメントを残したくなる人は、スキットの法則を覚えておこう。つまり、「他人の投稿の誤りを指摘する投稿には少なくとも1つの誤りが含まれている」のだ。どこかカルマらしきものも感じるが、これについて投稿者の意図についてより寛大な見方もある。つまり、「投稿に間違いが含まれる確率は、それによって投稿者が感じる恥ずかしさに比例する」というのだ。この法則を指摘したのはスキットが最初ではない。1990年に提唱されたベルのユーズネットの第一法則が一番古いものだろうが、一番簡単に覚えられるのは1992年のマフリーの法則(Muphry’s Law)だろう。これはマーフィーの法則(Murphy’s Law)の誤記だ。


8. カニンガムの法則

 これはスキットの法則とも関連がある。カニンガムの法則によれば、「ネットで正しい答えを得る最善の方法は質問するのではなく、間違った答えを投稿すること」だ。ネットの住人は助けを求める声はすぐ無視するが、最初の投稿主よりも自分の方が賢いことをひけらかす衝動には耐えられないのだ。


9. ゴドウィンの法則
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 海外で人を評するうえで最悪のものは、ヒトラーに似ているということだという。 ゆえに必要もないのに、ヒトラーとの比較が持ち出されたとしてもそれほど意外でもないだろう。

 マイク・ゴドウィンはネットにこうした傾向があることに気がつき、1990年にゴドウィンの法則と呼ばれるようになった。この法則は、「オンラインでの議論が長引くと、ナチスやヒトラーとの比較が行われる確率は1に近づく」と説く。実は、ヒトラーに言及した人物はその点について付け加える情報は何ら持っておらず、その議題が好きではないことを強調したいと願っている。


10. シャーキーの法則

 クレイ・シャーキーの著書は大半がネットや新しいメディアをメインテーマとしているが、シャーキーの法則は世界にすら当てはまる。それが説くところは、「制度はそれが解決すべき問題を維持しようとする」だ。例えば、ある組織が手順を簡単にしようとしているとする。そのために委員会を設置したり、新しい管理レベルを作ったりする。が、こうして官僚的な層を追加するほどに、手順はますます複雑になっていく。


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大人なぜなに科学相談室。回答するまでにとんでもなく時間がかかった10の科学的疑問

2016年08月19日 | 世界びっくりニュース
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 科学的手法とは、大きな疑問でも小さな疑問でも、その根本を突き止める作業にほかならない。問いに答えがある限りは非常に有用なツールである。いずれは宇宙を計算できる量子コンピューターも完成するときがくるだろうが、それもやはり科学的手法の結果なのだ。

 だが、ときにはその歩みが遅々としていることもある。俗世のことから地球外に関する疑問まで、ここで紹介するのは答えにたどり着くまでにとんでもなく時間がかかった10の疑問だ。

10. 火山雷の原因

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 激しく噴上げる火山の噴火は、噴煙に関連する電気現象を見せてくれる。安全な距離から見るだけなら思わず感嘆するような光景だが、大地と結びついた雷とは明らかに違うことから、はっきりとした原因はわからないままだった。

 ミュンヘン大学の研究者によれば、その答えは火山灰にある。吹き上がる灰の微細な粒子にはマグマによって電気が供給されている。ここでは乱気流が複雑な電荷分布を生み出し、やがて静電放電が起こる。それは通常の下向きの雷とは異なり、灰の上昇に応じてしばしば上向きに広まる。

 この答えはただ好奇心を満足させるだけではない。雷の頻度と灰の総量との相関関係が明らかにされ、図らずも火山雷から火山灰雲の大きさを正確に予測できるようになった。おかげで、それまで以上に優れた避難計画の立案や空気の質に関する警戒が可能になっている。


9. 亀に甲羅がある理由

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 亀が甲羅を進化させた理由など簡単に答えられそうだ。動きの鈍い彼らは捕食者の格好の獲物である。硬い甲羅には明らかに進化上の利点があるだろう。しかし、亀の進化プロセスはその説明が間違いであることを告げている。亀の動きが鈍いのは甲羅を支えるために必要となる幅が広く平な肋骨せいなのだ。ゆえに甲羅があるから動きが鈍いということになる。

 では甲羅は何のためにあるのか? もちろん身を守るためだ。だが捕食者からではない。亀が進化をした南アフリカの砂漠の厳しい環境からだ。甲羅は地下を掘り、熱と乾燥から逃れる穴を作るために進化した。

 この説はかねてから存在していたが、よくやく確認されたのは、南アフリカの8歳の少年が保存状態のいい”原始の亀”の化石を発見したときだ。幸いにもその子の家族が標本を地元の博物館に持ち込んでくれたおかげで、ノロノロと歩き続けた疑問に決着をつけることができた。


8. 時差ボケが方角に影響を受ける理由

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 よく飛行機に乗る人ならば、西から東へのフライトで感じる時差ボケは東から西の場合よりも強いことにお気づきだろう。これは長い間気のせいか、社会的な迷信のようなものだと考えらえてきた。だが、最近になって事実であると確認されている。それは概日リズムと脳のタイムゾーンの移動に対するシンクロのしやすさが関連している。
 
 体内時計は24時間よりわずかに長く設定されている。よって体は自然に24時間より長いリズムに合わせようとする。このリズムは脳内の特定の細胞によって制御されているが、この細胞もまた日光の変化に制御されている。

 1日の時間が伸びて、日光を長く浴びるとき、依然として”信号(日光)”が存在し、こうした細胞に情報を与えている。しかし、細胞は日光がない状況、すなわち日が短くなった状況では混乱してしまう。これが体内時計を直撃する。西から東への移動では1日が短くなるような効果があるため、長くなる1日に適応するよう設定された生来の傾向に反する。そのために体内リズムはより強い打撃を受けるのだ。


7. こぶしがポキっと鳴る理由

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 こぶしがポキっと鳴るのは関節液の泡がはじけた音だと聞いたことがあるかもしれない。そしてこれを信じていた人も多いことだろう。だが、これが単なる推測でしかなかったということが、アルバータ大学でこぶしを鳴らす名人の手を徹底的に調査した結果判明した。

 カイロプラクターでもあったこぶし鳴らしの名人ジェローム・フライヤーは、ある理論を携えて大学を訪れた。それはこぶしの音は関節液に空洞が突然形成されることが原因であるというものだ。泡がはじける音ではない。形成される音だ。関節の表面が突然離れると、そこを満たすだけの関節液がなくなる。このとき空洞が形成され、これに伴って音が発生するのだ。
 
 なお、こぶしを鳴らすと関節炎になるという話もあるが、それもほぼ間違いなく正しくない。今回の研究はそうした話が誤りであることを証明してしまうかもしれない。いずれにせよ関節の問題には早期の治療が一番だ。


6. 盲腸の機能

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 昔から盲腸は退化した内臓の名残だと考えられてきた。ゆえに、ときおり取り除かなければ命を奪うような時限爆弾を作動させる以外の役割はない、と。ところが、盲腸がなくとも人が生きていけることは確かに間違いない一方で、盲腸の隠された役割が明らかになっている。それは危険な感染と戦う善玉菌の援軍を待機させておくための兵舎であるという。

 これはコアラの盲腸を調査することで判明した。実は彼らの盲腸は長く大きい。ユーカリの葉しか食べないコアラは餌を消化するために補助を必要とするからだ。そのために、もしコアラの餌が数千年をかけて変化したのだとしたら、盲腸も人間のものと同じように短くなるのではないかと推測されている。

 こうした結果があるとはいえ、これは何が何でも盲腸を手放すべきではないということではない。虫垂炎になったときは素直に医師の診断に従おう。


5. 記憶を受け継ぐことは可能か


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 後成的遺伝学とは、遺伝子が環境によって変化し、それがDNAに書き込まれて後世に伝えられる仕組みを研究する学問だ。例えば、食習慣や環境毒への曝露のようなものは、子孫に特定の食物や化学物質への感受性を受け継がせる場合がある。最近までわからなかったことは、経験も同様に後世に遺伝されるかどうかだ。例えば、親がトラウマになるような子供時代を送っていたとして、それは子供のDNAを変えるのだろうか。

 テルアビブ大学の研究では、これが実際に起きることを確認したのみならず、詳しいメカニズムまで明らかにした。小RNA分子にDNA修飾の受け継ぎを容易にするうえで重要な役割があることは以前からわかっていた。蠕虫での後成遺伝的な反応を測定することで、小RNA分子が複製していることを示す酵素の単離に成功。これによって数世代にわたって後成遺伝的反応が伝わることが確認された。

 さらに、このスイッチを操作することで、後成遺伝的反応(例えば、前世代が学んだ恐怖の継承)を思い通りに続けさせたり、終わらせたりする方法も発見した。つまり人間においても、同様のスイッチを操作することで、肉体的な条件のみならず、感情的あるいは精神的な条件さえも植え付けることができるということだ。


4. 亜原子粒子が結合する理由

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  素粒子物理学において、あらゆる粒子の最小粒子はクォークとされている。クォークがさらに小さな要素で構成されているかどうかはまだ明らかにされていない。これはある力によって互いに結合し、陽子と中性子を形成する。その力が何か、最近まで謎であった。今でそれは別の種の粒子であることがわかっている。

 f0(1710)あるいはグルーオンと知られるそれは、粒子同士をくっつける文字通り糊のような働きをしている。これは自身には質量がないという点で光子に似ている。また光子が電磁力の原因であるのと同様、グルーオンは強い核力を担っている。重要な違いは、光子が自分の力に影響を受けないのに対して、グルーオンは受けるという点だ。つまりお互いにくっつくのだ。

 直接観測するにはあまりにも存在時間が短いグルーオンは、検出された崩壊率を調べることで発見できる。正確には、結合したグルーオンの集まりであるグルーボールこそが、宇宙全体をつなぎとめているものだ。


3. 重力の本質

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 アインシュタインの特殊相対性理論や一般相対性理論は、おそらく他のいかなる科学理論よりも真実に近い。半導体の開発はその成果の1つであり、相対性理論がなければ、あなたがこの記事を読むこともなかった。しかし、このようなもっとも堅固な理論でさえ穴はありえる。相対性理論における穴とは重力である。

 アインシュタインの理論では、光や音をはじめとする実質的にすべてのものと同じく、重力も波あるいは振動として発現していると仮定している。これは相対性の最後の主要な予言であった。数十年間、一般にこれは正しいとされてきたが、実際に確認されたのは最近になってのことだ。

 科学者は超高感度の器具を用いて2つのブラックホールが衝突したときの音を記録。そのかすかな音は、宇宙にある全恒星のエネルギーの50倍ものエネルギーを持つ衝突のエネルギーを表しており、重力波として観測された。アインシュタインの見解が完成された科学史上に残る偉業である。


2. オスが存在する理由

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 ヒトは非常に効率的な生命体に進化した。しかし、厳密に言うと、私たちが選んだ生殖の方法は効率性の点ではふさわしくなさそうに思える。そこから悦びを感じることはあるだろうが、有性生殖は多くの生物が行うような無性生殖に比べて効率の面では劣る。ヒトがもっとも有利な進化の道筋を辿ったのであれば、性は1種類(女性)で事足りるのだ。それなのになぜオスが存在するのだろう?

 その答えはコクヌストモドキの研究で見つかった。研究では、オス90匹とメス10匹を一緒にしたグループと、オスとメスがそれぞれきちんとペアになるようにしたグループを観察。50世代後、健康な子孫を残すうえで雌雄選択が大きな役割を果たしているらしきことが判明した。

 配偶者の選択が有害な遺伝的突然変異を排除している可能性がある、とイースト・アングリア大学のマット・ゲージは話す。つまり、私たちにとって無性生殖は非効率的であるばかりか、仮にこれを採用していれば絶滅していた可能性もあるということだ。


1. 宇宙人はいるのか

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 私たちは宇宙で孤独な存在なのかという問いは科学最大の問いの1つである。それと同じくらい重大な問いとしては、かつて地球外生命は存在したかというものだ。文明の存続可能期間についてきちんとした基準はない。それが存在した宇宙のタイムラインについても不明だ。物理的な証拠もない。それでも、この問いに対する非常に強力な状況証拠がある。

 なんと答えはイエスだ。1961年、天文学者のフランク・ドレイクが宇宙人文明と遭遇する確率を推測するための7要素を提示した。それは毎年恒星が誕生する数や生命が進化する惑星の割合などだが、最後の要素として文明の平均的な存続期間が挙げられていた。これまで、それぞれの変数の具体的な数値は不明であり、このドレイクの方程式を用いて何らかの回答を導きだすことはできなかった。

 しかし最近、いったいいくつの惑星が存在するのかに関する知識が爆発的に増えた。ここからドレイクの方程式に数値を代入して、この問題にいくばくかの光を当たられるようになった。アダム・フランクとウッドラフ・サリバンの論文はこう論じている。「ハビタブルゾーンにある惑星で文明が進化する確率が100億の1兆倍分の1以下でない限りは、人類が最初ではない」。ドレイクの方程式に関する議論では、かなり悲観的な説でも文明が形成する確率は惑星あたり100億分の1とされていた。しかし彼らの発見によれば、その悲観論に拠ったとしても1兆個の文明が宇宙の歴史に存在したことになる。

☆半導体は相対性理論のおかげかいや!

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