緑には、東京しかない

千葉県の東京寄りに住んでいる私「緑」が大好きな東京の散策写真のブログを作ります!!!

初秋の大阪:関西一の金融街の街並み「北浜~淀屋橋」を散策する(3)

2012年09月19日 17時38分21秒 | 近畿地方の散策


葭屋橋を超えて土佐堀通りを西へ散策していくと「北浜」界隈の中に入ります。周辺は銀行や証券会社を中心としたオフィスビル外となっていて、スーツを着たビジネスマンの人たちが非常に多いです。この先北浜1交差点前には「大阪証券取引所(通称「大証)」の巨大な建物が立っています。この辺は東京で言うと「日本橋・兜町」のような街なのです。




大阪証券取引所・北浜1交差点には京阪本線・大阪市営地下鉄堺筋線の「北浜駅(地下駅)」があり、交通の要衝としての性格もあります。土佐堀川の南側一一帯が北浜と通称として呼ばれることが多いそうですが、町名としての「大阪市中央区北浜」は土佐堀通(外北浜通)と内北浜通の両側町で東西に細長いエリアとなっていて、1丁目~4丁目まであります。




大証は金融商品取引所の一つです。「金融商品取引所」とは内閣総理大臣の免許を受けて金融商品市場を開設する金融商品会員制法人又は株式会社であり、金融商品取引所に上場される上場商品は有価証券又は市場デリバティブ取引のための金融商品等です。日本国内には東京、大阪、名古屋、札幌、福岡の各証券取引所と、大小が運営しているジャスダックがあります。




1743年(寛保3年)に金・銀・銭の取引相場を決める金相場会所が高麗橋より北浜へ移転します。江戸時代の貨幣制度は大別すると計数制と秤量制の二つがありました。金は両(りょう)、銭は貫(かん)、銀は秤ではかる匁(もんめ)などの単位で測られ、関西は銭、関東は金と流通範囲が自然に分かれています。独自に相場が立てられて取引に使われました。




その役割を担っていた金相場会所は明治維新後の貨幣制度改革によって廃止されます。その跡地には、米穀取引所を起源に、五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が開設されます。これが前身となって、後の大阪証券取引所となります。




大阪証券取引所の正面玄関にやってきました。午後1時過ぎの時間帯ですと周辺はあまり人通りは少なかったです。




大証は日経225先物等、大証の株価指数先物の日本における取引シェアは約60%を占め、同オプション取引においてはほぼ100%を占めています。株券オプションにおいても、約85%のシェアを誇っています。また、デリバティブ取引の売買高ランキング(2008年)では大証は世界15位であり、26位の東京金融取引所や33位の東京証券取引所などを抜いて日本では最も上位にありました。




堂島米会所で行われた帳簿上の差金の授受によって決済を行う「帳合米取引」が、世界で最初の公設の商品先物取引と言われる等、大阪は昔から経済のレベルが成熟した町であると言われてきました。北浜は大阪市内においては「経済の中心」的な場所だったのです。ちなみに北浜という名前の由来は「船場の北の浜」であることから名付けられたそうです。




2011年11月22日、東京証券取引所と大阪証券取引所は対等の精神で経営統合することを正式に発表しました。大証が東証を吸収合併することによって2013年1月に「株式会社日本取引所グループ(仮称)」が誕生します。ここで重要なことは新しい組織の中心は東京ではなく大阪になるということであり、まさに日本の国のかたちが変わり始める一歩なのかもしれないですね。




正面玄関前には大証の前身である大阪株式取引所を設立した五代友厚氏の銅像が建っています。この人は薩摩(鹿児島)出身の武士でしたが、幕末に実業家に転身します(完全に民間人としてではなく、明治新政府の半役人のような立場だったそうです)。明治元年(1868年)に明治新政府の参与職外国事務掛となります。外国官権判事、大阪府権判事兼任として大阪に赴任し、堺事件、イギリス公使パークス襲撃事件などの外交処理にあたりました。また、大阪に造幣寮(現・造幣局)を誘致し、初代大阪税関長となり大阪税関史の幕を開けます。




土佐堀通りと堺筋が交差している「北浜1交差点」です。堺筋も非常に交通量が多いです。




後に「政商」と言われるようになる五代氏は1878年6月に大阪株式取引所設立免許を取得し、同年8月より売買取引を開始します。翌年1月より株式の取引として最初の,大阪株式取引所株式の売買取引が開始されました。これ以外にも大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)や、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)なども五代氏が設立するなど、関西経済界の重鎮となっていきます。




現在の大阪証券取引所の建物は2004年12月に竣工した新しい建物です。1935年(昭和10年)に建設された旧取引所(市場館)の建物を全面建て替えの形で作り直すとともに(外観は保存されています)、地上24階建ての高層ビルが併設されています。北浜周辺には高層ビルが少ないので、周りから見ると目立つビルです。




横断歩道を渡って、堺筋の大通り越しに見ると確かに旧市場館の建物の雰囲気が忠実に再現されているようでした。




大証前で南北に縦断している堺筋は、大阪市内を南北に走っている片側4~5車線の大通りです。天神橋1交差点-日本橋3南交差点間は、起点方向への北行き一方通行で全5車線となっています。ちなみに約600メートル離れた西側に並行して走っている御堂筋は全線南行一方通行となっています。




堺筋は北浜1交差点の北側で旧淀川(土佐堀川と堂島川)と、その中洲である中之島公園を縦断していきます。中之島公園を挟む形で二つの橋が架橋されており、橋の名前は「難波橋」です。




地図の中心点は土佐堀通りと堺筋のクロスである北浜1交差点です。交差点脇に大阪証券取引所が有り、周辺は東京の兜町(東証がある場所)と同じように銀行や証券会社が密集しています。次回の記事では一気に淀屋橋まで進みます。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 初秋の大阪:延伸東海道五十... | トップ | 初秋の大阪:関西一の金融街... »
最新の画像もっと見る

近畿地方の散策」カテゴリの最新記事