MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

義母の旅立ち (5) ~ ミルク・ホール?

2009-01-13 06:25:05 | その他の音楽記事

01/13       ミルク・ホール?





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 群馬県庁からは財団法人の認可がなかなか下りませんでした。

 主な理由は二点です。




 ひとつは、

 「夏の二カ月しか稼働しない施設が、果たして
 年間を通して維持できるのか」

という、経営面です。

 この点は、夫妻が代わる代わる東京から赴き、
何とか県側の理解が得られました。




 しかし土壇場になって突如、寝耳に水とも言える
注文を突き付けられます。

 それは、

 「"北軽井沢ミュージック・サマー・スクール" という名称では、
 担当教師が年間を通して在住していなければならない」

というものでした。




 でも、完成祝賀の日まで、もう、あと僅かしか日数が残されて
いないのです。


 「今すぐに他の名称を決めないと、間に合わないから駄目だ」

と迫られ、テルは咄嗟に返事をせざるを得ませんでした。



 その場で口をついて出たのが、

"北軽井沢ミュージックホール"

という名称だったのです。





 県側は一笑に付しました。

 「ミュージック・ホールじゃ、話にならないでしょう。
 教育の場としては不適当ですよ。」

 いわゆる、通俗的な享楽の場を思い浮かべての反応です。




 しかし、テルは必死に食い下がります。

 「"ホール" は、東京では演奏会場の名称として通用します。
東京まで来て、調べてみてください!」




 この発言に対しては、県庁の中にも、音楽文化に明るく、
理解を示す方もおられたのが幸いしました。 正式な回答
ではないものの、前進の兆しが見られたのです。


 しかし、行政や金融機関って、つくづく難しい組織ですね。





 この "北軽井沢ミュージックホール" という名称には、実は
上記のような裏話がありました。



 名称の由来には、今日でも説明を要する場合が珍しくない
のですが、笑い話も付き物です。

 私は当時タクシーを利用して、旧軽井沢から現地へ
向かったことがありますが、運転手さんの誤解を解くのに
大変苦労しました。

 「へえー、ミュージック・ホールねぇ! 北軽井沢にまで、
ついにそんなものが…。 お客さんも、東京くんだりから、
わざわざ、まあ…。」




 そこへ行くと、私の息子などは幼児時代に、

 「ミルク・ホール、ぼくも行きたいよ!」

と口にしていたのですから、何と無邪気なことでしょう。





 田中夫妻が財団法人の認可にこだわったのには、
大きな理由があります。

 「課税の対象とならないで済むかどうか」、

また、

 「公けの寄付を募ることが出来るかどうか」

の二点です。




 また、さらに特別なボーナスが得られるかどうかも、
大きな関心事でした。

 「財団の認可が得られたら、300万を寄付しますよ、
 田中さん!」

と言っておられたのは、他ならぬ齋藤秀雄先生でした。

 氏が約束を即、実行されたことは、言うまでもありません。

 齋藤先生はまた、財団法人の理事長就任も、快く引き受けて
くださいました。





 正式な認可は、完成祝賀の三日前に電話でもたらされました。


 「己の力を頼りに、何度も県庁に電話してばかりいる自分を
 悔い改め、待つこと、祈ることの大切さを思い知らされた。」

 テルはここでも、そう書き残しています。




 祝賀祭は1967年7月31日に執り行われました。





 また、翌年には大ホールが完成し、記念演奏会が催されたこと
は、(2) Bruckner の交響曲第4番 でお読みいただきました。

     
            祝辞を述べる齋藤先生








        田中泰雄               田中テル

       (三枚とも大ホール竣工記念演奏会の日  筆者写す)





 しかし、夫妻はまだまだ楽な思いは出来ませんでした。

 これ以後、利用団体も年々増え、運営は軌道に乗って
いきますが、それとともに、新たな苦労が次々に生まれて
くるのです。



 (続く)