01/11 大自然の中の音楽施設
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1965年の夏も終わろうとする、ある日、齋藤秀雄氏の元を
訪れる一人の婦人がいました。 場所は、北軽井沢にある、
氏の別荘です。
50歳を過ぎたばかりの婦人の名は、田中テル。 息子は
ヴァイオリン奏者で、齋藤先生はその恩師に当たります。
「先生、米国で勉強している息子のところへ、先日行って
まいりました。 あちらには、安価で、いい宿泊施設が夏用に
あるんですね。 音楽学生が誰にも気兼ねなく、存分に練習が
できるんですから。」
テルが言うのは、欧米各地にある "summer schools of
music" と呼ばれる、大自然の中の音楽施設のことです。
といっても、施設を所有する一部の学校が、それも自校の
学生に限って使わせているに過ぎないのですが。
「せめて夏だけでも、都会の塵埃を避け、空気が清らかな
高原で音楽の勉強が出来ないものか。 出来れば広く開放
されて、誰でも使えるようないい施設が、日本にもあれば
いいのに…。」
この思いがテルの頭から離れず、相談に訪れたのでした。
確かにそのような施設は、当時の日本には皆無だったの
です。 いや、今でも、それ専用のものは果たしてあるので
しょうか。
彼女は、同じ北軽井沢の地に与えられたばかりの、
別荘用の土地を提供する覚悟でした。
そこは、バス・ターミナルから徒歩数分の距離で、もし
施設が出来れば、利用者にも便利なはずです。
[現在の "北軽井沢" 交差点]
ちょうど、施設の辺りに設置されたカメラからの映像です。
現在は、画面の向こうから手前を国道が貫通し、施設の脇を
通り抜けています。 しかし当時は "突き当り" で、一帯は林の
中でした。 付近には建物がほとんど無く、僅かに他家の別荘が
一棟だけ、隣りにあるのみでした。
齋藤先生はニコニコしながら答えました。
「僕もね、夏には子供たちを連れて、この地で合宿をして
いるんだが、宿泊は小学校の床板の上だから、可哀そう
なんだよ。 ゴザを敷き、持ってきた毛布にくるまって
寝かせてるんだから。」
「僕も、何とかしなければと、かねがね思ってたんですよ。
でもね、貴女ね、本当にその気なの?」
その年の暮のこと、テルは齋藤先生に呼ばれ、都内の
ご自宅を訪れました。 見ると、何枚かの図面や、建物の
外観の絵柄が用意されています。
「僕の親友に、芸術的センスのある建築士がいるから、
相談してみよう」
と言われた、その言葉どおり、先生はご自分の素案に
基づいて、すでに設計を依頼していたのです。
しかし、驚き喜ぶテルを前にして、先生は釘を刺しました。
「これを完成させるためには、発起人が何人も必要ですよ。
その当てはありますか。」
「それに、土地だけあったって、建設資金はどうするの?」
(続く)