飾釦

飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

僕は知らない寺山修司NO.131⇒青蛾館・演劇公演「上海異人娼館 チャイナドール」

2009-07-13 | 寺山修司
■日時:2009年7月11日(土)、19:00~
■劇場:こまばアゴラ劇場
■原作:寺山修司
■構成・脚本:岸田理生
■構成・演出:青蛾
■出演:野口和彦、雛涼子、高野美由紀、東野醒子、野水佐記子、川上史津子、村田弘美、他

寺山修司・作のお芝居「上海異人娼館」を見た。この作品は昨日アップした「盲獣」と同じ日に見たので、観劇のダブルヘッダーとなった。一つは江戸川乱歩で、もう一つは寺山修司と強烈な個性の2人の演目を連続して見たわけで、ボクの脳みそは相当覚醒しているか、あるいは、混乱しているかどちらかに陥ったのであった。いずれにせよ48歳の中年おじさんには精神的にハードな1日であったことは間違い。

この「上海異人娼館」は、寺山修司の創作上の片腕であったとされる故・岸田理生が「青蛾館」率いる野口和彦の為に書き下ろした戯曲であるそうで、それゆえなのかわからないが、寺山修司が監督した元の作品(映画「上海異人娼館」)と比べ少しだけ趣が違うように感じた。元々、寺山の作品はいつも説明不十分に展開するのが、今回のお芝居も登場人物や設定は自明の理と言わんばかりに、さらに説明不十分であったように感じる。それがはじめてこの作品を見た人がどう理解できたのか、見ていて心配になってしまう。(それよりも窮屈な座席がきつかった)

いや、もしかしたらそうした背景や人物などこのお芝居には関係ないのかも知れないと、この文章を書きながら思えてきた。娼館の主人・黒蜥蜴は革命運動の最中、流れ弾に当たって死んでしまう。そこで終わってしまうのかと思いきや、少女Oが女主人として新しい娼婦を迎え入れる場面へと展開した。この円環構造。すべてはエピソードの連なりであって、死による終わりでさえも、実は次に繋がるつなぎに過ぎない。永劫回帰の性を巡るドラマなのか。母に捨てられた兵士、父をしらない娼婦、心中相手を探す男、子供を捨てた女・・・。人は逆さまの人生を背負って娼館に集う。いつだってさみしいのだ。一肌が恋しいのだ。娼婦という存在はいつ世だって形を変えて存在するのだ。

100人の男に抱かれても、気持ち心に決めた人と繋がっている。それを感じたい女がいる。娼館は今日もまたそんな女を受け入れて、その掟を授けるのだ。

◆客の選り好みをした娼婦は、その尻に百一回の鞭の刑を受ける。

◆たとえ無理難題なことがあっても、客の要求を拒んだ娼婦は、百一日、食事抜きの刑をうける。

◆客の相手をしているときに、しのび笑いを洩らしたり、服従心を欠いたりした娼婦は、百一日、体を洗ってはいけないという罰をうける。

◆なぶり者の分際で、神にすがったり、宗教上の行為をしようとした者は、トラホームの苦力、阿片中毒の流氓などと交る罰をうける。

(以上◆部分は「寺山修司の戯曲8」(思潮社)より引用)

ところで、今回のお芝居で印象に残ったのは衣装というものの虚構性だ。というのも今回役者が纏った衣装は、上海の娼婦というイメージに合致した?原色も鮮やかで装飾性も豊かなものであった。しかし、どんなに着飾った衣装でも、その内実をひんむくとそこにはそれぞれ娼婦達の負い目やコンプレックスが見えてくる。過剰な衣装はそれを覆い隠す装置の役目をはたしているのかもないのだ。煌びやかであればあるほど悲しさも見えてくる、そんなこともこの「上海異人娼館」を見て思った。



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