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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

狂咲き万歳!鶴屋南北の世界12 コクーン歌舞伎「桜姫」(シアターコクーン)

2009-07-14 | 鶴屋南北

■日時:2009年7月12日(日)、16:00~
■劇場:東急文化村・シアターコクーン
■作:四世鶴屋南北
■演出:串田和美
■出演:中村勘三郎、中村橋之助、中村七之助、笹野高史、他

本日はコクーン歌舞伎「桜姫」のことを書きたいと思います。原作は鶴屋南北の「桜姫東文章」。ボク的には今年になって発見した(気づいたと言ったほうがいいかも)江戸時代の天才劇作家の作品となります。同じ江戸の劇作家・近松門左衛門もかなりいい感じなのですが、南北の破天荒さは、とにかくスコーンと突き抜けていて爽快感さえ感じます。以前CS放送見たコクーン歌舞伎、同じ南北の代表作「東海道四谷怪談」がメチャ面白かったので今回のお芝居も期待して出かけました。ただ残念なのは、その前の前の月に上演されたやはり南北原作の現代劇版の「桜姫」を見ることができなかったことです。おそらく演出においても歌舞伎、現代劇の両方を意識したことがなされていたであろうから…。

そのコクーン歌舞伎ですが、歌舞伎座で見るそれとは少々趣きが違うものでした。パンフレットに演出の串田和美が、“歌舞伎の戯曲に様々現代的要素を見つけ出し、現代人のための歌舞伎=演劇をつくりだすこと”と書いているようにコクーン歌舞伎のコンセプトが現代的解釈というところにあるんでしょうから(歌舞伎を見始めて一年ちょっとなので、先輩諸氏からは今更何を?と言われてしまいそうですが)、それこそ空間や装置を抽象化したり、漫画的にしたり、発想の逆転を試みたりとボク的には歌舞伎より馴染みのある小劇場的な演出の数々が盛り込まれていたとの印象が。

主人公でタイトルにもなっている『桜姫』を演じるのは中村七之助です。乗っているというか、旬というか、気品のある細面な美人でした。やっぱり桜姫はストーリーから美人じゃないと面白くない。美人だからこそ、この破天荒な話が活きてくるというもの。一方、桜姫が惚れる相手、権助も(小)ワルの魅力がないとダメだでしょう。演じた中村橋之助はピッタリでした。桜姫が出家を決意したとき権助に出会う場面があります。男の色気を発しながら桜姫を抱き寄せて濡れ場に移行するところ、劇場はまさにシーンと静まりかえり緊張感が漂っていました。この感覚!忘れていたこの感覚です。映画を見ていてハードなベッドシーンが出てきたとき、映画館はシーンと静まりかえります。その緊張した静寂が無意識に生唾を飲ませて。それが終わると一斉に足を組みかえるなどザワザワと。その同じような感覚がこの場面にはありました。このお芝居において非常に卓越した場面とボクは思いました。

その一方で抽象的な装置を使用したことにより、背景としての煌びやかさやみすぼらしさといった具体的な部分は失せており、それが桜姫がお姫様から娼婦まで転落していくそのジェットコースターのような人生の展開を見せるには少し物足りない気がしたのも事実でした。良くも悪くも具体的な装置によるビジュアル的な効果はあると思うし、桜姫のような境遇をよりわかりやすく観客を誘導するにはそちらが適していると生意気にも思いました。というかボクが桜姫の人生の落差をもっと感じたかったというのが正解なんでしょうが。

なんせ、お姫様から女郎までの、真逆の天国と地獄の人生を生きる桜姫なんだから。南北はやってくれるというか突き抜けているというか、その凄さがインパクトありすぎます。ちなみに犯された男に惚れてしまい刺青までその細腕に入れてしまう桜姫の気風のよさ。環境に甘んじない生き方が魅力的です。姫の運命、貴賤の逆転はそれが女性の身に降りかかると妙にエロティックな上、姫ことばと女郎ことばがないまぜになる場面も見ていて気持ちがいいし。大体からして、男色あり、殺しあり、盗みありの何でもアリの価値観を転倒させ、笑ってしまう鶴屋南北の世界が痛快すぎます。特にびっくりするのは、殺された清玄が落雷で蘇るえるところ。これじゃあ、まるでフランケンシュタイン状態じゃないか。西洋東洋問わず雷で命が吹き込まれるところは同じで、それまた興味深い部分でもありました。 そんな前衛的、尖鋭的とのいえる展開に呼応するかのように、中村扇雀が演じた局長浦がときおりみせる女性らしからぬ仕草と、禁断のヌード?を見せた部分が、これまたスパイスをきかせたように面白かったです。

先週の休日は
江戸川乱歩にはじまり寺山修司、そして鶴屋南北とアバンギャルド三昧の底抜けな2日間でした。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
TB&コメント有難うございますm(_ _)m (ぴかちゅう)
2009-07-15 00:41:04
七之助の桜姫は玉三郎に役の気持ちを教わってつとめているらしいですが、姿も声もまさに時分の花の美しさでした。私の観た初日は台詞に少々力みが入ってしまっていたようでしたが、だんだんこなれていくのではないかと思えました。
>現代人のための歌舞伎=演劇をつくりだすこと......という串田和美の意図はわかるのですが、どうにも「桜姫」についての解釈は私の好みからずれています。
歌舞伎では夫の権助だけでなく仇の血を引いたわが子まで殺してお家を再興するのです。2005年版は子どもを抱いて狂って踊る桜姫で幕切れ。今回は狂わずにお家は再興ですが子どもは抱きかかえたままという、串田和美の桜姫というか女性への願望が透けて見える演出は好みではありませんでした。
またちゃんと書きたいと思っていますが、とりあえずTB返しさせていただきました。念のため名前欄のURLにも該当記事のものを入れておきますm(_ _)m
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ご訪問いただきありがとうございます (ミニトマ)
2009-07-15 10:16:29
つたない感想を読んでいただきありがとうございます
何分、ブログ初心者なのでトラックバックの意味が良く分からず、どうしていいのかも分かりません
現代版桜姫も見に行きました。
特に現代版を見たからどうというのは無い気がします。(主催者側が思っているほど)
全体的に桜姫のテンションが低くて、途中眠くなってしまいました
せっかく若い桜姫なんだから、もっと元気良くても良かったように思います。
返信する
コメントいただきありがとうございます (飾釦)
2009-07-15 22:05:49
ぴかちゅう様

私は歌舞伎を見ていないのでなんとも言えないのですが、ぴかちゅう様のコメントに賛成の気分です。途中まですごくいいんですけどラストがよくなかったと思います。南北らしくないような・・・。桜姫は最後までぶっとんでいてほしかったと思いました。

ミニトマ様

現代版もご覧になったんですね。ミニトマ様が書いているように、私も中村扇雀さんがよかったですね。主役を食っていましたネ。またよろしければ、このブログをみてやってください。
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