
「一九三四冬-乱歩」久世光彦
新潮文庫
このところと云うか、殆ど江戸川乱歩をテーマにブログに投稿し続けています。書き続けて、今回で79回目、自分でもびっくりです。そんなことで、最近は時間を見つけて開いている本は乱歩のものばかり。その合間に(乱歩がテーマの)久世光彦の「一九三四冬-乱歩」を読みました。テイストの違う小説を味う、実に新鮮に感じました。この小説は凝縮されている、詰まっている、その様な印象を受けたのです。
乱歩が執筆に行き詰まり、「悪霊」の連載を放棄し、仕事を放り投げ匿名性を装い張ホテルに数日間宿泊、そこで新たな作品「梔子姫」という作品を夢うつつとともに書き上げるという設定。
当然ながら、原稿を投げ出したこともあり乱歩の心根はマイナス状態に傾いている、たぶん。そのような精神状態の中で克明に小説は意識の流れを描いています。その心理描写は、たとえば一瞬のうちに忘れてしまいがちな些細な、湧いては消えていく想念を細かく細かく描いていきます。それは思想や観念といったものではありません。色々な体験を経ながらも変わることがない自分という存在の意識の流れ、常に付き合っている赤裸々な自分しか決して知りえない自分そのものです。
その自分が小説と言う、自分の中から生み出していく、その生みの苦しみ。滑稽ともいえるもがきを丹念に丁寧にそしてわかりやすく書き連ねていく。乱歩という素材を通して久世本人が見え隠れするようです。
また、小説の中のもう一つの小説「梔子姫」は乱歩以上に耽美的・淫靡的で、それがこの小説の幻想性に環をかけて読むものの頭の中をさらに溶解させ透明にさせていきます。とにかく力作で久世の才能に脱帽し酔いしれた数日間でした。
乱歩について書き続けて次回は80回目。励みになりますので、クリックをお願いいたします。
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このところと云うか、殆ど江戸川乱歩をテーマにブログに投稿し続けています。書き続けて、今回で79回目、自分でもびっくりです。そんなことで、最近は時間を見つけて開いている本は乱歩のものばかり。その合間に(乱歩がテーマの)久世光彦の「一九三四冬-乱歩」を読みました。テイストの違う小説を味う、実に新鮮に感じました。この小説は凝縮されている、詰まっている、その様な印象を受けたのです。
乱歩が執筆に行き詰まり、「悪霊」の連載を放棄し、仕事を放り投げ匿名性を装い張ホテルに数日間宿泊、そこで新たな作品「梔子姫」という作品を夢うつつとともに書き上げるという設定。
当然ながら、原稿を投げ出したこともあり乱歩の心根はマイナス状態に傾いている、たぶん。そのような精神状態の中で克明に小説は意識の流れを描いています。その心理描写は、たとえば一瞬のうちに忘れてしまいがちな些細な、湧いては消えていく想念を細かく細かく描いていきます。それは思想や観念といったものではありません。色々な体験を経ながらも変わることがない自分という存在の意識の流れ、常に付き合っている赤裸々な自分しか決して知りえない自分そのものです。
その自分が小説と言う、自分の中から生み出していく、その生みの苦しみ。滑稽ともいえるもがきを丹念に丁寧にそしてわかりやすく書き連ねていく。乱歩という素材を通して久世本人が見え隠れするようです。
また、小説の中のもう一つの小説「梔子姫」は乱歩以上に耽美的・淫靡的で、それがこの小説の幻想性に環をかけて読むものの頭の中をさらに溶解させ透明にさせていきます。とにかく力作で久世の才能に脱帽し酔いしれた数日間でした。
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私も江戸川乱歩好きです。
高校時代に全集買いました。
屋根裏の散歩者
芋虫
幻影城
D坂の殺人事件などが好きです。
わたしも乱歩、大好きです。明智先生シリーズではないやつのほうがすきみたいです。
このあいだ読んだ久世さんの「百先生月を踏む」は、久世光彦を初めて読んだせいか、なんだか頭がくらくらしました。
でもとても繊細で素敵だなと思うところや頑固なところ、くゆるような感じや幻想的なところがたくさんあって、今とても気になっています。そのうち、この本も手にとってみようと思います。