マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

「祈る」という救い&「安全基地」の築かれにくい不安感の強い敏感っ子と「信仰」

2017年11月07日 | ハイリーセンシティブチャイルド

今朝、友人から電話があり、

「帰宅した〇〇(息子君)の『お守り』が見当たらなくて、

忘れてないかな?

マイコの家に行く時、持っていかないようにと言ったのだけれど、

あの夜、あの子恐くて恐くて、どうしても持っていくといってね」と。

友人の夫さんの回復を祈りつつ子供7人との生活、生死の境に立つとき本当に大切なものが迫ってくる

 

娘ちゃんと息子君と同じ部屋で寝ていた次男と三女によると、

毎晩、友人の8歳の息子君、

「お守り」を握りしめお祈りし、

「お守り」と一緒に眠っていたのだそう。

 

イスラム教の神「アッラー」が刺繍されたお守り。

 

インドからグランマが到着し、

友人の娘ちゃんと息子君は、自宅へ戻りました。

夫さんの症状は、ただただ、

祈るばかりの状態が続いています。

 

 

祈りは、救い。

祈ることができる、ということの救い。

それは、子どもにとっても、大人にとっても。

 

私自身は、今のところ、

特定の宗教には入っていないわけですが、

様々な信仰を持つ人々と共に過ごす中で、

そう思います。

 

 

ちょうど、10日程前も、

ネイティブアラスカンの「姉」から、

村の「母」が、心臓の手術を受けることになったと連絡がありました。

 

それ以来連日、Facebookに、

親族、友人、コミュニティーに「祈り」を呼びかける

「姉」の投稿がありました。

 

祈りが集まり、

祈りを通して、人々の気持ちがひとつになります。

 

アラスカの「母」は、

幸い、日々回復し、今では親族に囲まれ

病室のベッドに満面の笑顔。

 

 

私も、日々、祈りつつ、

現実的に、できることをしていきます。

 

 

以下、私自身、

これまでも何度か思ってきたことを書きますね。

 

不安感の強すぎた子供時代を振り返り「信仰」について思うこと

不安感が強くて、

夜の闇やらもういろんなことが恐くてしょうがなかった子ども時代の私が、

特定の神への「信仰」という習慣を持っていたら、

随分と安定していたのかもしれないな、と思うことがあります。

 

小学生時代、

新興宗教に入っていたクラスメート家族の真似をして、

消しゴムを彫って「だるまさん」のような形にし、

「ダーマさん」と呼んで「私の神様」としていたのを思い出します。

 

それで、そのクラスメートが新興宗教の教祖の顔入りペンダントを

いつも首からぶら下げているのを真似して、

ポケットに、その「ダーマさん」を入れて持ち歩いていたんです。

 

でも、なんせ「小さな消しゴム」ですからね、

いつしか、失くしてしまいました。

 

でももし、親もその「ダーマさん」なりを日常的にあがめ、

毎週のように「ダーマさん」をあがめるコミュニティーの集まりに出て、

習慣的に他の方々と「ダーマさん」を讃え、

「ダーマさん」がいつもそばにいて、

どんなことからも守って下さると教えられていたなら、

「深い安心感」を得ていたのかもしれないなあと思うわけです。

 

 

結局、「不確かさへの恐れ」だったんです。

「分からないこと、先が見えないこと」への恐れ。

 

何も、絶対的なものがない。

何もかも、移り変わっていく。

目の前のお母さんだってお父さんだって、いつか死ぬ、

いや、数時間後に地震がやってきて、

皆ぺちゃんこになってしまうかもしれない。

 

「不確かさ」というのは、

ワクワクしたりウキウキしたりする生命の源でもあるんですよね。

次に何が飛び出るか分からない未知への躍動感。

でも、そうした「不確かさの冒険」を楽しむには、

心の奥に、深い安心感が必要なんです。

 

そうした、「心の奥の深い安心感」とは、

幼児期の「アタッチメント」によって培われる場合が多いのでしょう。

でも環境もあるでしょうが、子どもの性質によっても、

なかなかそうした安全基地が築かれにくい場合というのがあるように、

私自身を振り返っても思います。

 

例えば、周りの小さく見える刺激からも、

「もし~だったら」と考え続けるような子。

それは、常に「不確かさ」への扉が、

開けっ放しのような状態でもあります。

 

そこへ、頭ではなく、習慣として、

身体にしみついた信仰のようなものがあったのならば、

これ以上は、不可知であり、ゆだねるもの、

そうした境界がくっきりとした「安全基地」があったのならば、

違ったのかもしれないなあと。

 

 

 

そうして、ぐらぐらとした土台の上で、

私自身、大学、大学院時代も、宗教人類学や儀礼やと、

宗教的なものに惹かれ、その後も、日本を出、

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教など、

様々な既存の宗教を信仰する人々に囲まれ暮らしてきました。

 

それでも、これまで「これ」といった宗教に入ることがなかったのも、

そうした歩みの全てが、

私の「心の奥の深い安心感」を築く糧となってきたため

ともいえるかもしれません。

 

私は、

「どんな宗教のコアにもあるエッセンス」

とても感謝しています。

 

 

「心の奥の深い安心感」にたどりつく道は、

幾筋もある、そう思います。

 

子供たちが、

その子に与えられた縁の中で、

「心の奥の深い安心感」にたどりつくことができるよう、

サポートしていきたいですね。

 

移り行く雲の上には、

常に、晴れ渡る空があり、太陽がふり注いでいる、

接する側こそが、そう思い出しつつ。

 

 

 

裏の森を散歩。

長靴履いて、川の中をどこまでも。

いえーい!

 

 

 

さて、次に、『It Mama』さんへの最新記事についてと、

予告していた記事について、

ざっととなりますが、まとめますね。

 

みなさん、よい日を!


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