マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

お知らせ&思い整理:「普通の人々」の内にある「良心」こそが「希望」&感じる心を麻痺させない

2017年11月15日 | 雑感

現在、新しい勤務先の学校で「プログレッシブ教育」「アクティブラーニング」の具体的な実践法を学びつつ、オンラインにて、「ポジティブなしつけ」についても学び中です。

教師が前に立ち講義し生徒が黒板を写すといった伝統的な授業のあり方とは異なる、より相互にやり取りのある授業のあり方を確立していきたいです。私は、こうした授業のあり方こそが、これからの世界に必要とされる力を育てていくのだろうと思っています。また、伝統的な授業のあり方では、じっとできなかったりすぐに白昼夢に旅立ってしまうようなまさに私自身の子供時代のような生徒にとって、より「エンゲージ」できる授業が可能だと信じています。

子どもの「エンゲージ」レベルを観る大切さ、「アクティブな学習」であるほどその子自身のものとなる

アクティブラーニングについても他所にかきましたので、更新されしだい、お知らせしますね。

 

同時に、「ポジティブなしつけ」についての講座を年内に終えインストラクターの資格を取得し、以前お知らせしましたように、

その人なりを築く土台「しつけのあり方」、17年間の探究&実践を「しつけ=関わり方」に盛り込んでの活動

これまでのリサーチと体験を盛り込み、「思慮あるしつけ」の要点について、よりまとまった形でお伝えしていきたいなと思っています。

 

ということで、ブログへの更新がなかなかままなりませんが、できる範囲で続けていきます。読んで下さりありがとうございます!

 

 

ひとまず、ここ1週間ほどの間に、

起こったこと、思ったことなど整理させてください!

 

 

結局、その家庭に最もしっくりくる形を築けるのはその家庭の親子のみ

ここ一週間ほど、「超エリート」と言われる家庭の生活を身近に垣間見る機会がありました。そうした家庭の子育てとは、何事もその道の一流に直接教わり、小さな頃から世界中を旅して世界へと開かれた体験を積み重ね、普段の家族の会話も、代々受け継がれる様々な分野の蓄積や第一線の情報が吟味された内容だったりします。

それで、子育てのアドバイスをお聞きすることもあったわけですが、とにかく「手持ちのカード(象徴資本を含む資本)」が、全く異なります。

そして、これほど極端な例でなくても、市場に出回る子育てについての言説も、その人がどんな家庭を基に話しているのかを、考慮する必要があるなあとしみじみ思いましたよ。

「経済状況、人脈、持って生まれた資質」を考慮することなく、「こうするとうまくいくわよ」を表面的に真似しても、それらを支える生活が全く違うこともあるわけです。そうして、「できない」自分を責めたり、親としての自信を失ってしまうこともあるなあと。

例えば、「このワークをするといいですよ」と言われても、お手伝いさんが掃除など家事をしてくれる状況にある場合と、全て自らこなし、外での仕事も持っていたりして、祖父母や親戚の助けが全くない場合とでは、子どもに向き合う気持ち的・時間的余裕も全く違います。また、そもそも経済的にも、「そのワーク」に手が届かない場合もありますし、親子の性質上、そのワークにアドバイスの基となる家庭の何倍もの時間がかかる場合もあります。

どんな子育て情報も、自分の家庭という「唯一ユニークな場」に合った方法やスタイルへと溶け込ませていきたいですね。「経済状況、人脈、持って生まれた資質」といった自ら「持てるカード」の中で、それらを最大限活用し、力を発揮できるよう工夫していきたいです。

そして結局それをできるのは、その場に暮らすその親子のみなんですよね。アドバイスや情報に振り回され過ぎず、いいなと思う部分、できそうな部分のみを取り入れ、自分たちなりの子育てを築いていきたいですね。

手持ちのカードが互いに異なる中、「横並びの到達点」のみで眺めることは、あまりにも理不尽で短絡的過ぎます。自分たちなりにその時点での精一杯をしてきた、そう顔を上げ胸をはっていきたいですね。

 


こんな緩い運動会ならこちら米国でも楽しめそうです

週末は、勤務する学校で、運動会がありました。ラジオ体操何年ぶりでしょう。年長さんから高校3年生までが赤と白に分かれ、玉ころがし、障害物競走、借り物競争、玉入れ、綱引き、リレーなどに盛り上がりました。こちら米国の小中高にはない、日本独特の行事。

行進や組み立て体操など前もって練習することもなく(手押し車ができるかの確認程度)、それでもそれなりにまとまって楽しめましたし、こういう形なら、こちら米国の学校でも大いに楽しめるんじゃないかなと思いましたよ。

 

 

相手がとらえる自分は自分ではないと思う時

「この人は私のことをこうとらえているんだな。そうじゃないんだけどな」と感じることは、あまりにも昔からよくあることで慣れっこなんですが、「相手がどうとらえているか」に振り回されず、より自分であることにフォーカスしているうちに、自ずと、そんな「相手が決めつけた枠」にははまりやしないことが明らかになっていきます。

でも、「あなたはこう」と決めつけた相手には、どんなに自分がその枠からはみ出たとしても、往々にして「観えない」こともあるもの。私自身も含め、結局、人は観たいものを観がち、ということに気づいていきたいです。

大前提は、どんな人でも、「ひとつの枠組み」になんてはまらないということ。思い出していきたいです。

 


指導者が日々気づきたいこと

子どもたちに接しながら、指導者が自らその子をどうとらえているかに気づく大切さを改めて痛感しています。「この子はこういう子」と把握することは、指導する際、時に必要ですが、一旦把握したことに留まり続けることは、その子にとって害でしかありません。

 

子供は変化し続けています。「可能性は無限」という気持ちを常に持ち、自らその子に貼るラベルに気づき、常にアップデートしていく姿勢が必要ですね。それは、自分の子であっても。

 

 


自分は相手から届くものを選択する力を持っていると思い出す

ヒトは複雑なもの。どんなに「ひどい」と感じる部分を持っていても、温もり溢れた愛おしい部分も持ち合わせていたりします。その温もりに触れ、再び期待し、傷つき。

それが母親だったら、やっぱり「期待」してしまうもの。傍で、傷つく夫の姿を観てきたからこそ、今回も傷つく夫と、「わきあがる期待にその都度気づいていこう」と話していました。

 

人間関係できつくなるとき、私の中に浮かぶのは、相手が、それぞれの閉じた袋の中で、あちらこちら出たりへっこんだりを繰り返すイメージです。

袋に包まれた存在を観察し、形成を考察し、「ああ、だからここが引っ込みここが突き出ているのだな」と分析します。

そしてその袋を突き抜け自分に届くことを許せるのは、自分自身のみ。自分が、自分に届く相手の部分を選択できると思い出していきます。

『It Mama』寄稿:「バ~カ!」と言われたわが子へ、小学校教師から学んだ神対応2つ&大切なことへ取り組むためにも

 

*夫は、6歳で義母が去り、18歳からその義母と数年共に暮らしました。こじれた親子関係では、何気ない言葉でさえ、互いを深く傷つける力を持ちえると痛感しています。

 



「一般人」の「良心」に触れる体験が多くの人々の心を揺り動かす

義母を送り、昨日は、半日ほど、気が抜けて動けない状態になってました。

それで、何をしていたかというと、『What would you do?(あなたならどうしますか?)』という一つ8分ほどのTVショーのクリップを、ユーチューブで立て続けに見て、ボロボロ泣いていました。

俳優が繰り広げる難しい場面、例えば、子供や老人や宗教的・人種的マイノリティーへの「ひどい扱い」などに、周りの人々が、どのように反応するかを隠しカメラで撮るという米国の長寿番組。←私は昨日初めて観ましたよ。

・メキシコ人ウエイターに「アメリカ人のウエイターに変わって。あなたたちは米国の富を奪ってる」という白人カップル。

・イスラム教徒のカップルに、「他の客が不快に感じる」からと、レストランの隅の席があくまで待つようにいうレストランの従業員。

・罰として、子どもの口に激辛ソースを入れる親。水入りの霧吹きを吹きかける親。氷点下の屋外に長時間タイムアウトさせる親。

・トゥーレット症候群の少女を馬鹿にする子どもたち。ホームレスを馬鹿にしてこづくティーン。「イスラム教徒だからおまえとはもう友達ではいたくない」といじめをするティーン。

・人種の違う子どもを養子にしたと責める友人。フォスターチャイルドをあからさまに差別する親。

・黒人、アジア人、イスラム教徒のフィアンセをつれてきた白人の娘に、「失望した」と責める両親。

などなど、それぞれ、役者さんたちが周りの人々が聞かずにはいられないほど大きな声で、やりとりをします。

 

そうして、様々な人々の反応をみながら、日常生活でこうした場面に出合った場合、「あなたならどうする?」と問いかけていきます。

私なら、ここまでできないなあ、ああ、通り過ぎてたかも、他にやめさせる方法ないかな、と様々考えさせられながら、「見ないふり」をすることの「残酷さ」をまざまざと見せつけられました。

見ないふりをする人々同様、私自身も、「自らの幸せ」を築き守ることに忙しかったり、「それぞれの事情があるだろうし」と自らに言い聞かせ通り過ぎたりするわけですが、ここぞという場面では、できる範囲で少しでも踏み出していこう、この番組は、そう決意するきっかけを与えてくれました。

 

それで、ちょっと普段の精神状態ではなかったとはいえ、なぜこれほど泣けるんだろうと自分でも不思議だったんですが、心の底から湧き出る衝動に、いてもたってもいられず立ち上がり、行動を起こす人々の「良心」に触れた感動なんですね。

「あなたには関係ないでしょ!」と言い返されても、「コミュニティーの一員として、市民として、関係ないわけがない!」と分け入っていく人々。

例えば、目の前でメキシコ人が不当に扱われる様子にたまらず分け入った白人男性が、カメラの前で「自分は典型的な保守」と腰の銃を見せながら「でも、誰であってもこんな扱いを受けるべきじゃない」と話し、中東での戦いに従事する軍人が米国のスーパーでイスラム教徒の男性が不当に扱われることを許せず立ち向かいます。

人々の内にあるこうした「良心」こそが、これからの世界への「希望」ではないでしょうか。

 

「隠しカメラ」で芸能人ではない「一般人」を撮るということに、議論はあるでしょうが、だからこそ、人々の自発的な反応が、とても強烈なインパクトを持って迫ります。

日本でも、こんなプログラムがあったら、様々な問題に対して、議論を醸し、考えていく機会になるのじゃないかな、そんなことを思っていました。

例えば、やんちゃな子に疲れ果てた母が手をあげるという設定。通り過ぎる人、頭ごなしに批判する人、それでも中には、必ず、疲れた母親を思いやり、手伝おうとする人もいます。たとえ、2日間撮り続けて1人であっても。←一つのクリップでは、疲れた母の話を聴き、「私が少し子どもと過ごしてあげるからゆっくり食事をしなさい」という初老の女性が現れました。

こうして「一般人の良心」に触れることが、どれほどの希望を生み出すか。そうして多くの人々の心が揺さぶられるからこその、長寿人気番組なんでしょうね。

 

 

 

たくさん泣いて笑った一週間でした。

「ネガティブな感情に蓋をし麻痺させてしまうことは、

喜びや幸せを感じる柔らかな気持ちをも麻痺させてしまう」

この言葉を、確かに、とかみしめていました。

 

辛いことが続くと、麻痺させたくなるものです。

それでも、顔を上げ、目を開き、目の前に常にある「喜び」に気づき、

「多様な感情」のひとつひとつを味わっていきたいですね。

 

 

さて、すっかり心身ともに元気になりました。残りの週も走り回りますよー。

次に、『It Mama』への最新記事について更新しますね。

 

ランチを食べ空港へ義母を送る前に30分ほど時間があったので、

近くにあった「野生鳥専門店」をのぞきましたよ。

 

野生鳥についての知識や、バードウォッチングに必要なグッズや、野生の鳥を集わせる場づくりグッズが並ぶ癒し空間。

 

みなさん、よい日を!


友人の夫さんの回復を祈りつつ子供7人との生活、生死の境に立つとき本当に大切なものが迫ってくる

2017年11月04日 | 雑感

一昨日の夜は、

長女の高校チアリーディング部の郡大会、

三女と次女はランニングクラブの練習&コスチュームパーティー(次男も参加)、

長男は、オンライン授業の説明会(高校を2回転校しているので、

卒業に必要な科目が異なる分を通常の高校授業に加えオンラインでとっています。

説明会は親の参加必須)

あちらこちら回って、夜9時半過ぎ、大会を終えた長女を迎えに行く途中、

電話がなりました。

 

友人からです。

 

夫さんを救急病院へ連れていくので、

娘ちゃんと息子君を泊めてくれないかと。

 

友人の夫さんは、

ここ3週間ほど過労とストレスで身体と心を壊し、

家で静養していました。

 

MRIを撮りにいったと、

その日の夕方に聞いたところだったのですが。

急遽、脳の手術をすることになったと・・・。

 

 

夜10時過ぎ、友人と、

パジャマと翌日の学校の準備を抱えた娘ちゃんと息子君が玄関に現れます。

 

「マイコのところは大変だから、

他のところに泊まるようにと言ったんだけど、

この子(息子君)がどうしてもここがいいっていってね。

(←子どもが多くて毎日合宿のような雰囲気ですからね)

ごめんね」と友人が申し訳なさそうに言います。

 

ちょっと恥ずかしそうに、

うつむいて微笑む息子君。

 

「もうとにかく子供たちのことは心配しないでいいから、

気をつけて行ってきて」と送り出します。

 

わいわいと眠る準備をして、

ベッドの横に次男と三女が寝る用に布団をしいたんですが、

結局、2つのベッドに4人で寝てましたよ。

 

 

普段「いい子」のお姉ちゃんは、

ここ最近は輪をかけて「いい子」になり、

やんちゃな弟君も、最近は、

以前よりずっと聞き分けがよくなっていて。

 

敏感な子たちですから、

いろんなことを感じているんですよね。

 

 

 

翌朝は皆張り切って起きて、

朝からボードゲームしたりキャッチボールしたり。

8人分のお弁当を作り←全く大したもの作ってませんが、

高校、中学、小学校へと車で行ったり来たりと送り出しました。

 

友人のお母さんが母国インドから到着するまで、

娘ちゃんと息子君、

我が家で過ごす予定です。

 

今夜は皆でファミリーディナーをして、

友人の息子君が大好きというサーモンを食べました。

好き嫌いの激しいユニークな特性を持った子なので、

「オイシイオイシイ」と食べる様子に万歳。

 

優しい友人の夫さんの回復を祈りつつ、

少しでも、子どもたちが、

ホッとできる場を整えてあげられたらなと思ってます。

 

 

 

心が「痛い」ですが、

守りたい存在がいることが、

母を、人を、立たせ、前へと進ませますね。

気丈にふるまう友人が、到着するお母さんの支えに、

少しでも力を抜けるひと時を持てますように。

 

 

生死を目の前にするとき、

本当に大切なものが、

くっきりと目の前に形になります。

 

思い悩む大抵のことは、

「まあ、死にはしないから」という問題なんですよね。

そして「本当に大切なもの」に対して死ぬ気になるのならば、

大抵のことはできるのでしょう。

 

みなさん、

この一瞬一瞬を大切に抱いて、

生を謳歌していきたいですね。

 

 

 

 

 

怒涛の週末です。

仕事(生徒さん&スタッフの方々に会えるのが楽しみ。先ほど授業準備完了)、

長女のチアリーディング部地区大会、

次女と三女のクロスカントリーランニング競技会、

次男の他州でのサッカー試合、

長男は高校チームとレゴリーグチームとロボティックス三昧。

友人息子君は野球、娘ちゃんは誕生日会に今夜は友人宅泊。

夫と手分けして、走り回ります。

 

体力的に限界で、

なかなかブログを書けませんが、

できる範囲で、こつこつ重ねていきますね。

 

 

夕食後、「ちょっとのどが痛い」という次女に、

友人の娘ちゃんが、

インドに伝わる「風邪を吹き飛ばす飲み物」を教えてくれましたよ。

 

ターメリック(ウコン)を小さじいっぱい程、

カップいっぱいのお湯に溶かして飲むのだそう。

 

はちみつをいれてもいいのよ、とのこと。

 

ターメリック(ウコン)の効果は、

こちらでも、昨今かなり広まっていて、

ちょうど夫も実感していたところなので、

娘ちゃんと「ターメリック(ウコン)話」で盛り上がってました。

 

公園にてランニングクラブのコスチュームパーティー。次女と双子ちゃん。

  

みなさん、温もり溢れる週末を!


「その言葉を分かる」と「その言葉を生きる」とは全くの別物、「大切なこと」に立ち返る時を

2017年10月16日 | 雑感

「そんなこと分かってる!」

我が家でも子供たち、

たびたび言います。

 

週末は、

「でもね、大切なことって、

一度分かっておしまいじゃないよね」

といった話をしていました。

 

「本当に大切なこと」って、

字面を追うだけでもすっと「分かる」、

シンプルなことが多いと思いませんか?

 

 

例えば、

長男へ向けて、

「取り組む物事の優先順位を整理する」

 

ティーンの娘たちにも、

「周りの目に振り回され過ぎない。

インサイドアウト(内から外へ)」

 

走ることに夢中の次女と三女に、

「周りより自分の昨日のタイムと比べる」

 

サッカーに夢中の次男に

「今は勝ち負けより、スキルを磨く」

 

などなど。

 

どれも「分かってるよ!」ですが、

常に思い出し実践するのでなければ、

ついつい、

そうでない方向へと流されていくものです。

 

 

 

 

子育てでも、人生でも、

大切なことって、

すっと「分かる」シンプルなこと、

そう思いませんか?

 

でも、「シンプルである」ことと、

「簡単であること」とは同じではないですよね。

「頭で分かる」と「実践する」とは

全くの別物なんですよね。

 

「分かったから。次!」と通り過ぎ、

「新しいもの」を追い続けるよりも、

シンプルな原点に立ち返り立ち返りと繰り返すことで、

大切なことを、より「自分のもの」としていきたいです。

 

 

 

こうした姿勢の大きなヒントとなったのが、

私にとっては、ユダヤ人の友人たちでした。

 

例えば、彼ら彼女の家の中には、

各部屋のドア口に、「彼らにとって最も大切な言葉」が貼り付けられ、

部屋に入るたびに、そっと触り、思い出すんです。

「大切なこと」を思い出すという習慣、「メスーサ」に触れて

 

また「円形の小さな帽子(キッパ)」を身に着け、

ゆらゆらと揺れる紐を腰からさげ、

常に「最も大切な繋がり」を思い出します。

 

それほど、

人は「忘れてしまうこと」を、

そして「分かった」と思いながら流されていくことを、

知っているからなんですよね。

 

 

 

みなさんの、大切なことってなんですか?

 

私にとっては、

やっぱり、「心の奥に常に晴れ渡ってある温もり」なんですが、

これだって、ほんと、すぐに忘れてしまいます。

特に、苦しい時ほど、すっかり見失ったりします。

苦しい時ほど、必要であるのに。

 

また子育てでいうのならば、

こちらにも書いたように、

米国士官学校教育長によるパワフルなスピーチに思う。私達は子供の「尊厳」を忘れてやしないか?

子供の「尊厳」を思い出していくこと

そう思います。

 

この何ものにも高低をつけられない「尊厳」、

子どもと接する日常に、

思い出していきたいことなんですけど、

これだって、日常に次から次へと起こる物事、

色とりどり形とりどりに立ち込める雲に翻弄され、

すっかり忘れてしまいがちです。

 

「分かっているつもり」

なんですけどね。

 


言葉を「分かる」だけではなく、

言葉を「生きて」いきたいですね。


シンプルな原点に、

日々、立ち返る時を、

持っていきたいです。


 


日の入りを待つ子ども

(次女撮影)

 

次に、2記事続けますね。

それではみなさん、よい日を! 

 

 


『虹色教室』とEさんのコラボ・長男の進路・「敏感さを持つ子」に「大丈夫回路」を刻んでいく

2017年09月27日 | 雑感

たくさんの方に、こちらの記事を読んでいただいき感謝です。

「自信」と「誠実さ」について、内奥の中心部分を表す試み

 

雲が立ち込めていても、

雷が鳴り響き荒れ狂っていても、

その上には、常に、真っ青に晴れ渡った空があります。

 

我が家も毎日、天気の変化、ものすごいですよ。

 

雨に降られ、強風に吹き飛ばされそうになる瞬間にも、

心の奥には、常に、澄み渡った温もりがある、

そう思い出していきたいですね。

 

 

 

『虹色教室』とEさんとのコラボクラスがシアトルで始まるそうです!

『虹色教室通信』の奈緒美さんと、

シアトルで長らく幼児教育の講師をしてらっしゃるEさんのコラボレーションクラスが始まるそうです!

アメリカで、虹色教室とコラボしたディスカバリープレイ・クラスが開講されることになりました♪

 

お二人とも、大阪でお会いし、

週1回のチャットでもお話しさせていただいています。

このチャット、毎週、子供との関わりについての気づきに溢れ、

今では私自身の日々の生活や活動の大切な支えとなっています。

 

お二人のコラボ、子供たちにとって、そして親御さんにとって、

かけがえのない場となると確信しています。

 

そしてお二人の試みに、私自身、大いに励まされています。

 

こうしてブログなどを通し、

みなさんと、「どんな教育環境が子供にとってよりよい?」と考え、

話し合い、それぞれの教育現場や生活の場で少しずつ実践することを繰り返しながら、

実際に、少しずつでも、実現していけるといいですよね。

 

「私たちがより良いと思う教育環境」を築いていく。

 

そしてそんな場が、いくつもできていき、

コラボなどを通して繋がっていく。

 

敏感っ子やグレーゾーンの子が

安心して学び、慣れ、いずれ社会に出ていくステップとなる場。

 

凸凹のある子が、

認められ、励まされ、凹に向き合いながら、自分を磨き続けようと思える場。

 

夢は広がります。

 

一歩一歩、少しずつ少しずつですが、踏みしめていきますね。

 

 

 

 

来年初夏には高校を卒業し、より広い世界へと羽ばたいていく長男

最近は、長男の進学準備も本格的に始まり、

これから数か月、手続きや締め切りやらが詰まっています。

 

まあ、本人が決めて本人が遂行していくわけですが、

いかんせん、「うっかり」親子です。

なるべく私も首をつっこむようにして、

「弱系筋肉」を鍛えていこうと思います。

 

本人の大学の選択については、

とにかく、学校という領域の外で試したいことが溢れているので、

その「試したいこと」に役立つことが学べるなら、

どこでもいい、といったスタンスのようです。

 

・充実した教育を受けられる場は全米でも200大学近くあるという意見もありますし、

「どの大学に入るかは問題でない」という記事に思うこと、ライフスキルにフォーカスしていく

 

・仲良しの先輩の中には「完璧な経歴」を持ちながらも、ことごとく大学審査を通らなかった子も何人かいますし、

(その中の一人の女の子は軍隊に入りました。士官学校でもなく「入隊」。成績もテストスコアも完璧、楽器やディベートで全米レベルの競技会入賞、コミュ二ティー活動やクラブでもリーダーやクラブ長をつとめてきました)

 

・周りがうらやむ大学に受かりながらも地元の大学へ進学した友人もいますし、

ハーバード大学に受かっても州立大学を選んだAちゃん、世界一といった「ステータス」が無意味になる日

 

・その上、父親の姿も見て育ってきてますから

重度ディスレクシア&恵まれない環境に育った夫に学ぶ3つのこと、「落ちこぼれ代表」からの挽回

 

もう大学入試に振り回されず、

とにかく、自分のしたいと思うことを、今、そしてこれからも磨いていこう、

そんな気持ちが固まっているようです。

 

長男が今春創設したNPO団体の活動も活発になってきていて、

子供達が「自分にも変化を起こせる」と信じることが未来を変える?中米プロジェクト&長男の築くNPO

今週もメンバーと資金集めに駆け回るようですし、

そうしてしばらく本格的に社会に出てあれこれ体験してから、

大学に入るというオプションもありかもしれません。

 

様々、経済的なことも含めての現実的な選択肢を、

本人なりに模索しているようです。

 

とにもかくにも、どんな道であれ、

高校を卒業し、より広い世界に飛び出していくことが、

楽しみで楽しみでしょうがないようです。

 

この子は、きっと、どんな状況におかれても、

何とか工夫して、自分なりの道を築いていくんだろうな、

そう思っています。

 

泣き虫で弱弱だった子供時代。

『It Mama』寄稿:「敏感っ子」へのNG対応&恐がりで泣き虫だった長男17歳が自らを振り返り思うこと

夢や希望を与える「物語」が子供の内に培うもの、「スーパーヒーロー」だって子供が夢中になる時を大切に

振り返り、子供の可能性は、本当に未知数だなあと思います。

 

 

みなさん、その子が、よりその子になるサポートをしていきたいですね。

親の思い通りの道へと進まずとも、

結局、それが一番、その子が生き生きと力を発揮できる道、そう実感しています。

私自身、試行錯誤を繰り返してここまできたなかでの、反省も込めて。

 

 

 

 

敏感な子犬情報:敏感さを持つ子に「大丈夫回路」を刻んでいく

元々は、人にも犬にも尻尾をふって嬉しそうに寄っていく子犬だったんですが、

我が家に来てまだ慣れない3日後にトリミングに連れていかれ、

まったく知らない場でドライヤーをゴーゴーとあてられて以来、

初めての人には警戒して近寄らなくなっていました。

 

そして、嬉しそうに無邪気に近寄った犬にも牙をむいて吠えられたということを

2回ほど体験して以来、犬を見れば、一目散で逃げ出すようにもなっていました。

 

そこで、人や犬に慣れさせ、「大丈夫回路」を刻んでいこうと、

試みること数週間。

とにかく、子供のアクティビティーに逐一連れ出し、

人に囲まれ過ごすようにしました。

 

そして、今では、尻尾ふりふりと初めての人にも近寄っていくようになりました。

 

とはいえ、犬に会う機会は圧倒的に少なく、

しかも、一目散に逃げだしてしまいます。

 

そこで、週末、毎週サッカーの試合のある公園の隅に、

「犬公園」があるとネットで発見し、行ってみました。

いましたよ。

フレンドリーな犬達が。

 

ちなみに、フェンスで囲われ広々とした敷地が3つほど。

小さな犬はどこを使ってもいいけれど、

大型犬は、限られた敷地にしか入っていけないのだそうです。

 

このコッカスパニエル君、「あご大丈夫かな?」と思うぐらい、

ずーーーとテニスボールこうしてました。

 

そして、効果てきめんでした。

 

「あ、大丈夫なんだ」「結構、楽しいかも」と感じたらしく、

初めから吠えて威嚇する犬以外は、←くるりと向きを変えて一目散に逃げます。

少しずつ、自分からも近づいていくようになりました。

 

HSCについて知らなかったら、

「この犬は恐がりだからしょうがない」と、

「慣らす」という発想はなかっただろうなあと

しみじみ思っています。

 

敏感な子も、

知らない場でのドライヤーや、他の犬に吠えられたといった、

傍から「少しに見えること」が、

ぐさーとトラウマ的に突き刺さり、その後、「一切だめ」となることがありますよね。

 

それでも、「大丈夫回路」を何度も何度も何度も何度もなぞることで、

少しずつ緩み、いつしか「苦手過ぎる」が「苦手」になったり、

「結構大丈夫かも」へと変わっていく場合もあるのですね。

 

「ゆっくり慣れる」とされる敏感な子を、

「ゆったりとした時間の幅」で見ていく大切さを思い出してます。

 

敏感な子が、

「あ、大丈夫なんだ」「結構楽しいかも」と感じられる機会を、

重ねていきたいですね。

そうして繰り返すことで、必ず、自ら踏み出していく日が来ます。

 

 

 

さて、これから寝ます。

今朝原稿を一本仕上げ、明日も一本取り組みます。

寝不足ですが、少しでも、こうしてブログを書けたことが嬉しいです。

読んで下さり感謝です。

 

みなさん、よい日を!


「自信」と「誠実さ」について、内奥の中心部分を表す試み

2017年09月21日 | 雑感

コンピュータ環境が整いました!

 

ひとまず、今日提出の仕事原稿に向き合いつつも、

どうしても前回の記事とセットでお伝えしたくて、書かずにはいられなかったものを、

ちょっと載せようか迷ったのですが、えいやっと、載せます。

 

私個人の「世界観」です。

「感情の強烈さ(emotional intensity)」を抱え、

生きづらくてしょうがなかった私自身が、

楽になっていったように、

少しでも、生きやすく感じる方がいればなあと願いを込めて。

(『ユア子育てスタジオ』どんな人が「感情の強烈さ」を持つ?その特徴と対処法)

 

元々、こういうことをつらつらと考え続けていたことに、

私自身の書くことの原点があるのですが、

書けば書くほど、「語りえぬもの」の領域へと入ってしまいます。

 

思えば、「本音」というのが「どこまで」をいうのか、

これまでも、しばしば、よく分からなくなっていた人生でした。 

本音をつきつめるのならば、「語りえないもの」になっていきますから。 

表現方法を磨いていきたいです。

 

 

自信について

「自信」と思っていたものがガラガラ崩れる状態にはもう慣れていて、

自分はだめだとか、全然力もないとか、何やっても結局だめだとか、

そんな言葉を自分にかけて落としていく状態にも慣れています。

 

そう繰り返して、どん底を体験してきたからこそ、

そうなっていく状態を、「あ、またきたよ」と観ることができるようになりました。←「風邪」のようなものという心理学者もいますね。

そして、どう持ち直していくかを、以前より会得することもできました。

(『ユア子育てスタジオ』記事:落ち込む自分とうまく付き合う方法

 

今では、天高く持ち上がる最中にも、地の底に突き落ちる最中にも、

ひーと叫びながらも、以前よりは、

どう気持ちを整えたらいいのかが分かります。

 

それは、自身の最も奥にある、常に安定した場に、「繋がる」こと。

 

いくら雲が立ち込め、ザーザーと雨が降っていても、

その上には常に晴れ渡る空があり、太陽がさんさんと照っているように、

自らの奥にも、そんな場があります。

 

雲が「果て」ではないと思い出してみます。

 

自信とは、雲に依るのではなく、

変化し続ける雲を射抜き、「その場」に繋がること。

 

――――――

 

 

「自身の最も奥にある、常に安定した場」

それは、巷の育児情報などでも、「安全基地」と呼ばれ、

育成時の「アタッチメント」などで、より自然に育まれるものなのでしょう。

 

でも、どんな生い立ちだろうと、

見出すことができるのだと思います。

 

太陽がすべての人に降り注いでいるように。

 

そしてより自然に「繋がる感覚」が身につかなかった人ほど、

よりはっきりとこの「内奥の安定した場」を意識することも、

できるようになるのではないでしょうか。

 

母国語ではなく、

第二外国語として言語を身に着ける人々が、

その言語の仕組みを、よりはっきりと意識できるように。

 

*この「繋がる感覚」が、

日常生活もままなくなるほどの不安感から私を救ってくれた根幹です。  

「つながる感覚」を実感するための、

私自身にとってとても効果的な具体的方法もあるのですが、

また表現方法を練りつつ、紹介していけたらなと思います。



誠実さについて

成功していく人が、うらやましくてしょうがない、嫉妬。

それは、とても自然な気持ち。

 

そして「気持ち」というのは、来ては去るのも自然なこと。

 

そうした気持ちに気づき、ではそこに自らの「意志」を持って、

どんな一歩を踏み出していくのか。

 

成功していく人の頑張りを讃える?ますますの発展を祈る?

 

私心や下心。

それらだって、行ったり来たりを繰り返すのが自然。

「ない」なんてことがあるのでしょうか? 

少なくとも私には考えられません。

 

もし、私心があったでしょう、下心があったんでしょうと聞かれるならば、

「もちろんです。その中で、もがきつつ、

その時点での自分なりの最善を踏み出そうとしてきました」と答えるでしょう。

 

相手から誠実さを感じる時とは、

清濁入り交ざる中で、もがきながら、選び取ってきた姿勢を見出す時。

天然に清らかとか、「濁」に蓋をして「なかったこと」にしている姿じゃないです。

 

内面に清濁混沌とする中、

では何を選んできたのか、何にフォーカスしようとしてきたかの意志、

そこに誠実さが表れる、そう思います。

―――――

 

気持ち・感情というのは、変化し続ける雲のようなもの。

 

灰色もあれば、黒もあり、ピンクや黄金色、真っ白もあります。

 

その上に常に晴れ渡る真っ青な空を思い出し、

目の前の一歩一歩に、できる範囲で、映していきたいですね。

 

 

変わり続ける雲ともみくちゃになりながら、

その上に常に照る陽光を思い出していく。

この「めまぐるしく移り変わる雲とその上の晴れ渡った空」のイメージは、

私にとって、子どもと向き合う日々でも、

常に、大きな安定感を与えてくれます。

 

 

 

それでは、原稿を先ほど送りましたから、

明日からまた、「予告したブログの記事」に取り組みますね。

怒涛の週末に突入しますから、少し時間がかかるかもしれません。

明日、生徒さんに会えるのが、待ち遠しいです。 

 

 

先ほど、三女と次男が子守歌を歌っていたと思ったら、

こんなことになってましたよ・・・。

 

このまま眠り続ける子犬も子犬ですが。

みなさん、よい週末を!


近況整理:日食とハイリーセンシティブな犬と「アーミッシュ」に学ぶ子供自らが選択する生き方

2017年08月22日 | 雑感

ブログの更新がないと心配して連絡を下さった方々、

ありがとうございます。

おかげさまで、皆元気に暮しています。

 

・5人との夏休み終盤に「事情ありの子犬」が加わり

・そこへ、私が普段使っているラップトップが壊れ

・「ポジティブなしつけ」についての受講も進行中で日々課題に向かう

と重なり、ブログへの更新をお休みしていました。

 

ようやくコンピュータの修理が終わり、

スクリーンへ向かっています!

近況をまとめさせてください!

 


米国全土で100年近くぶりにみられた日食!

昨日は、米国西海岸から東海岸にかけて日食がみられました。

米国を横断して日食がみえるのは、100年近くぶりとのこと。

 

子ども達の高校でも、

「日食網膜症(太陽を凝視することで網膜を傷めてしまうこと)」を防ぐため、

屋外での部活練習が休みになりました。

 

我が家もお隣さんが誘ってくださり、

「手作り機」で観測。

箱に穴を開けて、アルミフォイルをはり、小さな穴を開けたもの。

月が太陽を「蝕み」、差し込む陽光が三日月型!

そして、

あたり一面、

三日月形の光!

何とも幻想的でした。

 

近所の図書館では、「日蝕を観よう!」という集まりがあり、

手作り観測機や日蝕サングラスを持った親子連れで賑わってました。

この日のために、仕事を休んでいる親御さんも多かったです。

日食を見る準備をして、いまかいまかとドキドキして待った体験は、

映像や文字の説明とは違った迫力を持って、その子の内にありつづけるでしょうね。

 

今回の日食、北米全土が盛り上がり、

歴史上、最も多くの人々に観られた日食だったそうです。

 

次回米国では、

2024年に米国南部から東海岸にかけて、

観られるそうです。

 

 

「疾患もち?」で「ハイリーセンシティブ」な子犬が家族に加わる

・疾患と共に生きる?

子犬が家族に加わり、トイレットトレーニングに1時間ごとに外に連れ出し、歯がかゆくて何でも噛むので小さなものを口に入れないよう気をつけ、夜も何度か起こされ、検診にも出かけたりと、新生児並みのお世話ですが、その愛くるしさに子ども達も溺愛状態で面倒をみています。


そこへ、「鼠径ヘルニア(脱腸)」の手術が必要と診断され、その上、ひょっとしたらアトピー?もしくは「難病(脊髄空洞症&キアリ奇形)」?にかかっている疑いがあると分かり、対応の過程にあります。


とにかく、身体中をよくかき、自らあちこちかむんですね。犬にはよくある行為で、どこからが「過度」かの境界が難しいのですが。ちなみに、ノミはいないとのこと。また、「アレルギーを持つ犬」という現象も増加の一途らしく、原因として、ドッグフードや過剰な予防接種などがあげられることもあります。

可愛くてしょうがない分、子ども達も心配でしょうがないようですが、「できることをしていくしかないね」と皆で腹を据えつつあります。

 

・ハイリーセンシティブな犬?!
子犬の性質的には、心理学者エレイン・アーロン氏がその著書で、犬にも「ハイリーセンシティブ」があるというようなことを言っていたのを思い出してます。確か、「ボーダーコリー」はハイリーセンシティブとか?

我が家にやってきた子犬は、「キャバリア・キング・チャールズ・スパニエル」と「シーズー」の混合種なんですが、これまで私が飼った4匹(捨て犬だった雑種、ダックスフントやビーグルなどの猟犬)、夫の数匹(狼と混ざったハスキー等)とは、まったく違い、夫と驚いてます。

音や動きにそれは敏感で、周りの人々の一挙一動に反応し、「NO」と言うとすぐに自分を引っ込めます。テレビをつければ音や画面の動きに驚き部屋の隅っこに隠れ、知らない場では座り込んで動かなくなり、家に着いて2日程は大変化に圧倒されてか、ほとんど何も食べませんでした。とはいえ、基本、とてもフレンドリーでハッピー、会う人(犬)会う人(犬)に尻尾を振って近寄っていきます。聞き分けがよく「いい子」でトイレの失敗も子犬にしてほとんどなく。獣医での予防接種では、この世の終わりのようにきゅ~んきゅ~んと悲嘆にくれ、それでもこれまで1週間以上たちましたが吼え声や、そもそも声自体を聞いたのは数回ほど。


ブリーダーさんや獣医から、「慣れるのに時間がかかる繊細タイプ」と言われてます。「ちょっと時間がかかるけれど、少しずつ慣らしてやってね」と。少しずつ新しい環境に慣れつつあり、家族の間では活発な面も見せるようになってきました。

子犬特有、新聞紙びりびり遊び…。

ということで、「敏感さ」を持つ我が家族に「ハイリーセンシティブな犬」が加わりました!


子ども達も気持ち近く感じるようで、日に日に絆が深まってます。

初めはできないことでも、「この子には無理、どうせできない」ではなく、「慣れる過程」ととらえ忍耐を持って対応するという「HSCにとっての大切な姿勢」が、まさか犬に役立つ日がくるとは思いませんでしたよ! 日に日に、より伸び伸びと子犬らしくなってきてます。

 

・「犬のしつけ」も進化

それにしても、「犬の扱いやしつけ」も、今では、「罰を与えたり怒ったりする必要なし」「たくさん褒めて育てる」というのが主流なんですね。檻も「タイムアウト」や「罰」のために用いるのではなく、「静かに落ち着きを取り戻す場所」として用いましょうと教えられてます。

「動物なんだから、叩いて痛い目にあわせて分からせる」というのは遠い昔なんですね。

とはいえ、甘やかすならば我がままな「お犬様」になってしまうので、「だめなものはだめ」ときちんと境界をひきつつ、「できたときにたくさん褒めていきましょう」とのこと。

ヒトも2歳頃までは、言葉のニュアンスや背景の気持ちなどが理解できませんから、「とにかく褒めて伸ばす」でいいわけですが、それでもヒトは、幼児にもなれば、より複雑な感情を持ち微妙なニュアンスなども理解できるようにもなりますから、「褒める」については、少し気を配る必要がありますね。

「子どもが伸びる褒め方&伸びるのを邪魔する褒め方」をざっと整理、敏感な子にこそ少し気を配りたいですね

などなど、ついつい犬と子供の育ちサポートを比べている今日この頃です。



・「豊かな国」の贅沢

子犬を検診に連れて行った獣医は「犬の豪華リゾート施設」の隣りにありました。「犬スパ」や「他の犬と遊ぶタイム」などがあるようです。飼い主が、次から次へと様々な種類の犬を連れてきては、預けていきます。

病院から帰宅した際、ちょうど二件隣のベトナム出身のママと出会い話していた時のこと。

 

ご近所ママ:この国は、犬にも保険をかけて、家族の一員として扱うのよね。

私:そうそう、犬の豪華リゾートには驚いたよー。

ご近所ママ:私もベトナムにいた時ね、シェパードを飼っていたんだけど、ある日、戻ってこなくなってね。

私:迷子になったのかな?

ご近所ママ:どうもね、食べられちゃったの。

私:えっ!?

ご近所ママ:ベトナムではね、夜、道に出ている動物は何でも捕まえられて食べられちゃうから。

私:ど、どうやって料理するんだろ、お、美味しいのかな・・・(動揺して咄嗟の言葉がコレ)。

ご近所ママ:市場にいくと、色んな大きさの動物がローストになってぶら下がってるのよ。

私:特定の犬種だけ食べるとかじゃなくて?ほら、韓国だとアカ犬を食べるとかあるじゃない?

ご近所ママ:ううん、もうね、猫でも犬でもねずみだって何でも食べちゃうのよ。何だってよ。

私:食べ物がない人々が安く手に入れられるからかな?

ご近所ママ:貧しいというより、お酒ばかり飲んでる人たちが食べるのよ。酒のつまみとしてね。普通の人は食べないのよ、私もビーフとチキンとポークとラム以外食べたことないもの。

私:そっか、シェパード君も酒のつまみに・・・。←すごい文章。

ご近所ママ:そうなのよねえ。

 

みなさん、世界は広いですね。

世界スタンダードで、本当に「必要なもの」をみていきたいな、改めてそう思います。

 

 

全く異なる価値観と共存する「アーミッシュ」の人々

・子犬を受け取りにアーミッシュの暮す地域へ

ここ1ヶ月強、子ども達に連れられ20件近く回ったアニマルシェルターでは、希望していた「小型・中型犬」はそもそも捕獲される率も低く、その上、受け入れ申請も殺到し、飼い犬として迎えるのはとても無理と分かりました。

どこのシェルターも「大型犬」、特に「ピットブル」が大半。それでもこの家は庭が小さいので、大型犬は可愛そうなんですよね。小型・中型犬には嬉しい状況ですが、大型犬たちの家が見つかりますように。

ということで、ネットで知ったブリーダーさんとコンタクトを取り、ペンシルベニアの山奥へ車を往復5時間ほど走らせ、子犬を迎えに行ってきました。夕方5時過ぎに出発して、夜中近くに戻ったという強行軍。途中、アラスカを思い出すような山に囲まれた大自然の風景を通り、たどりついたのは、「アーミッシュ」の人々も住むコミュニティー。

「アーミッシュ」とは、移民当時の生活を維持するドイツ系の人々です。電子機器を用いず、今も馬車に乗り、「主に」自給自足の暮しをしています。

運転しながら馬車とすれ違い、日の傾く野原に「大草原の小さな家」のような服装の少年少女が遊んでいて、タイムトリップしたような気持ちでした。

 

・「させられる」から「自ら選ぶ」への通過儀礼

コンピュータもインターネットも電化製品もほとんどなく、日の出と共に起き、野良仕事や家事にひとつひとつ丁寧に取り組み一日が終わっていく生活。

興味深いのは、車道に馬車が走り、スーパーの列に昔ながらの服装で並ぶ姿が見えるなど、現代の生活を送る人々と混ざり合いながらも、全く異なる生活様式や価値観を大切にしながら暮しているということ。そうしたことが可能になるのも、「アーミッシュ」のRumspringaという通過儀礼としてある、「青年になったら一度外に出て、その後、自らアーミッシュになるかを選択する」という過程を経ることが大きいのでしょうね。

「させられる」ではなく、「自らが選ぶ」という過程を通るわけです。

親は環境を整え伝えたい価値観の中で子育てし、青年期になれば、後は本人の選択にまかせる。

その子によって、枠から飛び出し「育ち」を新しい場に生かしていく子もいれば、枠を守り枠の価値観を充実させていく子もいます。

それでも、「アーミッシュ」は信仰上の理由で子沢山なこともあり、また多くの青年が「留まる」ことを選ぶため(一説には85パーセント?)、人口は増加の一途だそうです。そして留まることを選ぶ青年も一昔前より、増えているといいます。

電子機器が行き渡り、価値観も多様化する中で、「外」の世界との違いが大きくなるほど、「留まる」ことを選ぶ青年も多くなっているというのは、感慨深いです。

私自身も、彼ら彼女の暮らしに少し触れ、余分な物事をそぎ落とし、生きることに必要な目の前の物事に丁寧に向き合う日々というのに、少し「いいな」という気持ちが湧いてくるのを感じていました。「外」を体験した若者達が、アーミッシュの暮らしに戻っていくという気持ちが、私なりに少し分かる気がします。

などと思っていたら、まさかのコンピュータの故障。すぐさま、「コンピューターのない暮らしなんて考えられない!」とひーひー言いながら修復を待っていたわけですが。 

 

どんな文化にだって「プロとコン」がありますから、「プロ」の部分にならい、目の前に生かしていきたいですね。

「自らどんな生き方を選んでいる」のか、気づいていきたいです。

 

 

さて、今から下二人と歯医者です。

今夜から次女と三女の長距離走の練習も始まります。 

 

昨夜の次男のサッカー練習を待ち。

 

後ほど、『It Mama』さんへの新しい記事について更新しますね。

それではみなさん、よい夏の日を!


全体像を眺める時、「抱えるもの」ゆえにゆっくりであっても自分なりの一歩を踏み出していきたいですね

2017年06月03日 | 雑感

手足をがむしゃらに動かすことだけにフォーカスするなら、

心がかさかさと乾いた音を立て始めます。

 

そんなときは、しばし立ち止まり、

「全体像」を眺めるようにしています。

 

なぜ、私は、今ここにこうして立っているのだろう?と。

 

すると、飛び散った自分が繋がりを取り戻し、

落ち着きの中に、ふつふつと力が湧き出るのを感じます。

 

それは、自らの「人生の意味」を見出すということなのかもしれません。

 

今日は、そんな「全体像」を綴らせてください。

 


これまで

普段は活発だが知らない人の前では全く話せなくなる子ども時代を送る。小学校5年生時から不安感の強さに悩まされる。中高生時代は不登校気味。大学学部、大学院時代と人類学を専攻しつつ、世界中をバックパックで旅する。1999年アラスカ州移住。

2003年次女を妊娠中に、毎晩のようにパニック発作に襲われる。それ以来、体質改善、内観、不安感との共生法を独自に試みる。2014年に「マインドフルネス・ストレス低減プログラム」修了。2015年マインドフルネス・ティーチャーのトレーニングを受ける。それまでの独自の試みとマインドフルネスを合わせ、不安感をポジティブに生かせるようになっていく。

2男3女を育てつつ、アラスカ大学講師、アラスカ大学日本文化センター子育て支援活動担当、幼児教室主宰。2015年アラスカ州から米国東海岸へ引越し。メリーランド州最大の小中学校生向け放課後プログラム講師を経、2017年秋から「日本語継承センター」にて「プログレッシブ教育」(*)に基づき小中高生に日本語&日本文化を教える予定(ただいまトレーニング中)。

国内外豊富な資料と多様な文化背景を持つ幼児から大学生までを教えてきた体験に基づき、大手ウェブサイトなどへ子育てコラム執筆。

夫は小学校低学年時に重度のディスレクシアと診断され、小学校高学年で初めて文章を、高校生で初めて本を読む。何度も落第寸前の学校生活を送り、成人してからの努力により誰でも入ることのできるコミュニティーカレッジに8年間通ったあと、現在、書類に囲まれた専門職につく。

 

これから 

今後は、「マインドフル子育て(実践トレーニング、思慮あるしつけ等)」や「21世紀型子育て」についてを親御さんや子ども達と学んだり、子供向け「多文化プロジェクト」などを提供する機会や場を、少しずつ築いていきたいなと思っています。

 

子どもに関わる大人が子育てに喜びを見出せるように、

そして、不安感の強い子やひといちばい敏感な子など「多様な特性」を持つ子が、

心を安定させ持てる力を発揮するための支援をライフワークとしていきます。

 

 

今私は43歳なのですが、

40代、50代、60代からも足を踏み出し、

何かを始められている方々というのは、

身近な周りにもたくさんいます。

 

そうした方々の歩みに励まされつつ、

それでもまだまだ5人の子育ても真っ只中ですから、

亀の歩みながらも、こつこつとできることを続けていきます。

 

目の回る育児と家事雑用に日々揉みくちゃになりながら、

思うようにいかない「焦り」で身が焦げそうになることもあります。

 

これは、子育てをしながら、

社会的なことに取り組もうとされる方皆さんが抱える思いでしょうね。

 

とはいえ、自身の身体や心が壊れては結局何もできなくなりますから、

心身のケアを大切に。

「では、今何が最も大切なのか?」と問い続け、

その時その時の最善を選択していきたいです。

 

いくつになっても、

たとえ「抱えるものゆえ」にゆっくりであっても、

肩の力を抜いて、自分なりの一歩を踏み出していきたいですね。

みなさんの歩みを応援しています!

 

 

 

 

 

来週末からは3ヶ月間の夏休み。

休み前の行事が続きます。

今日は、小学校でお祭りでしたよ。

フェースペイントな

三女と

次女。

 

お友達と三女着飾り、

 

ハッピーサマー。

 

 

明日は「プログレッシブ教育トレーニング」、

長男統一テスト、

長女ジムナスティック、次男サッカー、

長女ピアノリサイタル、三女バイオリン、次男ピアノ、

明後日は陸上競技会と相変わらず盛りだくさんな週末です。

 

それでは、みなさん喜び見出す週末を!

 

 

(*)「プログレッシブ教育」については、こちらの記事に紹介してあります:

 ・『日本語継承センター』にて「文化を伝えるプログレッシブ教育」トレーニングを受けることになりました

 

19世紀後半に、「伝統的な教育とは異なる教育を!」

と生まれた教育学のムーブメントです。

 

「プログレッシブ教育」は以下のような「共通した質」を持っています。

以下、Wikipediaから抜粋です

 

“・「する」ことによって学ぶ。「ハンズ・オン(実践実地)プロジェクト」、「探検学習(expeditionary learning」」、「体験学習(experiential learning)」

・テーマに沿ったカリキュラム

・企業家精神を統合した教育

・問題解決力と批判的思考を重視

・グループワークと社会的スキルの発達促進

・知識のまる暗記に反し、学習のゴールを理解と行動とする

・コラボレーティブで協力的な学習プロジェクトを行う

・社会的責任と民主主義のための教育

・個々の個人的なゴールからなる高度に個別化された学習

・コミュニティーサービスプロジェクトを日々のカリキュラムに統合する

・将来の社会でどんなスキルが必要とされるかを問うことにより教科の内容を選択する

・教科書よりも、多様な学習材料を用いる。

・生涯学習や社会的スキルの重視

 

皆が一斉に同じことをする「伝統的教育」とは異なり、

生徒の多様な特性を包括できる柔軟なカリキュラムだと、

改めて現在トレーニングを通し実感しています。

 

「21世紀型能力」を培うのにも適してますし、

「敏感な子」が伸びる場としても適していると思いませんか?

 

「プログレッシブ教育」を実践する中での学びを、

「これから」へと統合していきますね。


夫の母親と過ごした数日間、手放した分だけ必ず何かを得ている・特性のなせる業・新生

2017年05月02日 | 雑感

夫の母親との数日間。

今回継父さんが一緒ではなく、十年以上ぶりに1人で我が家に滞在。

ということで、とにかく、話して話して話した日々でした。

母として、妻として、1人の女性として。

涙もぬぐいながら。

 

65年近くの人生。

19歳で夫を産み、離婚再婚を経、

30代から大学へ通い、売り子や教師や翻訳者やと様々な職業を経、

60代を前に教育学で博士号修得した姑。

強烈な感情を持ち、興味あることへの好奇心とどまることなくエネルギッシュです。

長らく教育の世界に身をおき、今も、教え続けています。

 

 

起こってしまったことは変えられません。

それでも、これからに向け、

今目の前に踏み出す一歩にフォーカスすることはできます。

 

前を向いて歩き続ける。

それが、姑にとっても、私達にとっても最善、

そう改めて決意しました。

 

 

何かを失った分、必ず何かを得ている

滞在中、互いに何度も同意したのが、

全体を眺めるのならば、

必ず、何かを得た分、何かを差し出し、

手放した分だけ、何かを得ている、

ということ。

 

それは、全体的な関係をみても同じです。

その人との関係で、割りに合わない思いをしても、

他の人との関係では、多くを与えられていたり、

割りに合わない思いをさせた本人も、

他の人との関係では多くを与えていたりします。

 

割りに合わない思いをしたと、

相手を恨み憎んでも、全体を眺めるならばバランスがとれ、

ただ、自ら抱える憎しみに、ますます苦しくなるだけのこともあります。

 

自分をこれだけ苦しめたのだから、その相手が笑い、幸せそうなのが許せない。

体験からも、こうした思いほど、自らを苦しめることはないです。

「幸せを祈る」までは、まだできないかもしれません。

それでも不幸を願うことをしない、心を健やかに保つために覚えておきたいです。


私達は、何を手に入れ、何を手放しているのでしょうか?

問い続けていきたいです。

 

 


「特性」の成せる業と理解する

「特性」についても、様々考えさせられました。

強烈な感情を持ち、なかなか器用に妥協することができず、

突き上げるパッションに溢れ、時に衝動的にも見える行動をする。

周りが見えなくなるほど、関心を持つことに夢中になる。

 

そうした「困った面」に見えることは、

その人の「強さ」や「魅力」にもなり得ます。

ただ、ここでも、その特性ゆえに、

「割に合わない人」が出ることもあるわけです。

それが、子どもである場合は、その不幸も大きくなります。

 

割に合わない思いをしてしまったら、

セラピーや宗教思想や、必要なものを活用し、

自らが幸せになるためにできることをする、

これに尽きるのかもしれません。

その中で、多くを得ます。

そうした過程を通るからこそ、より幅のある今の自分がいます。

そうでなければ見えなかったものが、見えるようにもなります。

 

そして互いの特性を理解し、

これ以上自ら傷つかないよう、できることをすること。

どんな展開になり得るかをシミュレーションし、

どんな言葉を返すかと考え、心構えをしておく。

どうしたら互いが納得する「着地点」にたどり着くのかを理解する。

「同じ物事」も「特性」の成せる業と思うと、

「しょうがない」という気持ちになりやすいです。

 

 


「ここからは同意しない」と境界をはっきりさせる

生い立ちで大きな影響を受けた人と話す場合、

これは「相手の意見」であり、

自ら同意しないのならば取り入れる必要はないと、

その都度、境界をはっきりさせることも大切です。

状況によって、口に出す場合もあれば、

心の中のみではっきりさせることもあるでしょう。

  

 

波乱万丈な人生を生きてきた姑と

心の深いところで触れ合えた数日に感謝です。

 

車で20分ほどいったところにある、

米国建国以前の1745年に建てられた街。

 

英国やドイツの伝統的な建物が並びます。

歴史的な建築物と、

植物が大好きな姑。

花に出合うたび、立ち止まります。

 

米国で最も古く大きな銀杏の木だそう!

 

「はっ、窓から翼のあるおじちゃん!」と思いきや、絵でしたよ。

 

 

「美しいもの」が大好きな姑。

台所を冷蔵庫の中から隅々までぴかぴかにしてくれました。

 

はつか大根で花作り。

フェンネル

 

をマリネにしたり(ブラックリコラッシュの香り!)、

ローズマリーをオーブンでいぶして、

調味料に使ってねと、作り置き。

祖先を持つイタリア料理に欠かせないとのこと。

 

 

また帰り際、親族に忘れ物が多いから重宝していると、

「タイル・メイト」を教えてくれました。

カバンや財布などにつけ、失っても、アプリでトラックできる機器です。

鍵につけたいです!

テクノロジーで「特性の凹面」をますます補強できるのって、

ありがたいですね。

 

 

珍しい生物が、バルコニーに遊びにきてもくれました。

「うわあ、すごーい!みてみてママ!ものすごいきれいな蝶!」

と言い合う子ども達に、手を引かれていくと、

バルコニーの端に、ちょっと存在感のある「蝶」。

 

屋内のインターネットで調べる長女。

 

「『ルナ(月)・モス』だって。『モス(蛾)』なんだね!

えー、うそー、1週間しか生きられないんだって!

名前は「月の女神」にちなんでいて、出合うのは珍しいって。

色んな象徴的な意味があるみたい。

・生まれ変わる

・嫌なことばかりに時間や力を消耗せず光に向かって力強く羽ばたく

・魂そのもの

 

はっとするような見かけと、

1週間しか生きられないというところから、

こういう意味が生まれたそうよ」

 

 

 

今日も再び、新しい日が始まりました。

後ほど、書きかけの「不登校」についての記事を紹介しますね。

日本はGWですね、みなさん、喜び見出す日を!


思い整理&子育て風景:夫との同意、この子がビリなわけじゃない、子宮の暗闇

2017年04月10日 | 雑感

春の日差しに、身も心もぽかぽかしながら、毎日走り回ってます。

今週末には春休みも始まります。

思いをポンポンとつづりますね。

 


1.夫との同意

前回の夫についての記事ですが、

重度ディスレクシア&恵まれない環境に育った夫に学ぶ3つのこと、「落ちこぼれ代表」からの挽回

ひとつ付け加えたいのが、彼は厳しい生い立ちですが、基本的に明るい、ということです。

出会った頃も、私自身も色々抱えていたんですが、とにかく周りが「???」となるぐらい2人で笑い転げてばかりでした。

 

結婚生活20年近く、それは色々あって、笑ってなんかいられない時期も「多々」ありました。

それでも年とともに、この底に流れる「楽観性」のようなものを、互いに以前よりはっきりととらえられるようになったと感じています。

それは、「これも、多分、何か善きことのため」といった信念、といえるかもしれません。

 

何かが思うようにいかない、そんなことって我が家もしょっちゅうです。

それでもそうした「問題」にぶつかるたび、何とか改善しようと行動しつつも、

今では夫との繋がりの底のところに、「これも、多分、何か善きことのため…」といった同意があるように感じています。

 

振り返ると、きつくてひーひー言っていた時も、必ず「今の善きこと」に繋がっている、

目を覆いたくなるような過去を持つ夫の信念であり、私自身もそう思います。

 

年をとることの貴さのひとつに、この「流れ」をより実感できることがあるのでしょうね。

 

 

 

 

2.人と向き合う瞬間

最近は、知り合いとの関係がより深くなったり、新しい方に出会うことも増えてきて、

少しずつ、この地に根づきつつあるなと感じています。


人の温もりに触れる喜び。

 

身近に日本人の方は今のところいないのですが、どんなに文化背景が違っても、心と心が通じ合えるのだと、

当たり前のことですが、改めてしみじみと感じる日々です。


他者にいかにマインドフルに向き合うか。

人と接する瞬間瞬間に、成長への機会が溢れています。

 

 

 

 


3.この子がビリなわけじゃない

陸上の練習のたび、次女13歳が「ビリ」になることが続いていました。

何人かの仲良しのお友達は、はるか先へ。本人、練習を重ねるにつれ「ため息」も多くなります。

 

「速く走る方法」など、ネットで眺めたりしつつ、

「周りじゃなくて、昨日の自分と比べるのよ。自分のタイムを縮めることにフォーカスすればいいのよ」と励まし。

 

とはいえ、周りのお友達はどんどん上達し、差も開いていくばかりです。

 

「私なんてサッカーもどうせ芽が出ないだろうし、運動はだめだめなんだ」と「認知のゆがみ」も顔を出し始めます。

フィルタン、パンカー、マグミニ、ジャンパー、ラベラーといったところでしょうか:

「認知のゆがみ」に気づくことが心を軽くする、子供にも分かり易い言葉&図の紹介

(これはこれで、「ほらほら、ユガミン出てきてるよ」と客観化できる機会となり、貴い学びの時ですね。)

 

そこで、陸上クラブに誘ってくれたお友達が一緒という理由で、

本人最初から迷わず「中距離走」を選んでいたのですが、

「短距離走を試してみたら?」と提案してみます。

 

次女はこちらの子に比べると細く(←本人気にしていて体重を増やしたくてしょうがないんですが)、

中距離を全速力で走り続けるには、筋力的にもスタミナ的にも向いてないんじゃないかな、という素人考えです。

 

まあ短距離でも「ビリ」続きで、本人の「やる気」も底をつくようならば、

走りの速さというのは「生まれ持った素質が大きい」というし、

6月までの今シーズンは貫徹して、次シーズンはまた違ったものを選べばいいよね、という気持ちでした。

 

 

この一連のことでしみじみ思ったんですが、何度も何度も他の子より遥か離れて「ビリ」の姿をみていると、

あたかも「その子自身がビリ」のような気持ちになることがあるんですよね。

 

「走る速さ」という単なる「ひとつのものさし」で最下位なのであって、

「ものさし」を変えるなら順位などいくらだって変わると思い出すことの大切さ。

 

「ものさし」が多様であることで、どれほど救われる子がいるか。

 

Tamakiさんのブログ記事にもありましたが、

トラブルからいじめにどうしてなってしまうの?

「偏差値」など「限られたものさし」ではかられてばかりで、挽回できる「多様な選択肢」がなかったら、

そりゃあもう親子で息が詰まりますよ。

 

 

と、練習が始まって約1か月、今日は初めて正式にタイムをはかることになっていたんですが、

「短距離走」を試してみると決めた次女。

 

これでもだめだめだったときは、ああしてこうして励ましてやろうと考えつつ、練習場をのぞくと、

なんと、80m、150m、300m全てで上位3位以内に・・・。

 

誰よりも、本人が一番驚いてました。

 

私も嬉しくなって、「ママ分かってたもんねー」と、

さっきまでどう励ますかで頭がいっぱいだった自分を横に放り投げ、大げさに胸を張って2人でふざけ合い。

 

今日はお友達の何人かがレースにも出ていたんですが、

結果を聞いても、種目によって、驚くほど順位が変わっていました。

 

その子が力を発揮できるものは、本当にそれぞれ違うんですよね。

自ら力を発揮できるものを見出すよう、サポートしてやりたいですね。 


 


 

4.『コスモス』おすすめです!

週末の「サイエンスオリンピアッド」の州大会で、長男のペアが5位に入賞。

1位のみが全米大会へ進むので、ここでおしまいですが、

来年のクラブの3人キャプテンの内の1人にも選ばれたようです。

 

入賞したテストスコアを競った分野は「天文学」だったんですが、

彼が小学生時代からほれ込んだドキュメンタリー『Cosmos: A Spacetime Odyssey(邦訳:コスモス:時空と宇宙』から随分と学んできたようです。

ニール・ドグラース・タイソン氏が司会ですが、その前バージョンのカール・セーガン氏が進行役の『コスモス』も大好きです。

 

娘たちとも観るたびに、「自分の小ささと、宇宙の大きさに、頭が不思議なことになる」と。

もし観ていない方は是非!

 

 

 

 

5.子どもによって「理想の生活」は違う

「サイエンスオリンピアッド」から帰宅し、

数日まともに寝てないので(学校の課題も半端ない上に競技会の準備やら他にもアクティビティー盛りだくさんゆえ)、

そのまま夕方5時から翌朝7時まで眠り、「これまでの人生で最長の睡眠時間だったよ」といいながら、救急隊員訓練へ。

夕方戻ってすぐに、我が家でロボティックスのミーティング。

新たな競技会に提出するロボットの構想案提出が迫っているとやらで、夜9時ころまで5人チームで話し合ってました。

 

長男曰く、こうした次から次へとチャレンジ溢れる毎日こそ「僕の理想的な生活」とのこと。

確かに、これまでの人生で一番生き生きとしているかもしれません。

 

 

 

 

 

6.大学は通過地点のひとつにすぎない

高校卒業間近の生徒たちの進路も続々と決まったようです。

 

アカデミック完璧、各種アカデミック競技会優勝、各種クラブのキャプテン等、

これ以上すごい高校生がどこにいるのというような経歴を持つ生徒も、

アイビーリーグなどのトップ大学はことごとく審査をパスしなかったようです。

 

「あの先輩までだめだったなんて・・・」と驚く長男。

 

「大学は、人種や地理など『全体的な多様性』を考慮するものね。

でももういろんな事例みても確かにいえるのは、審査を通らなかったからといって、

それは単なる大学側の都合であって、その子の能力や頑張りが何ら損なわれるものではないということ。

 

それだけ頑張ってきたことは、これからどんな場へいこうが、必ず生きてくる。

だいたい、質の高い教育を受けられる大学というのは、有名どころ以外にも、たくさんある。

 

とにかく、自らを磨き続けること。これに尽きるよね。

大学は単なる通過地点。」

 

そんな話をしていました。

 

どこの大学へ進もうが、自らの夢に向かって突き進んでほしい、そう願っています。

 

 

 

 

7.子宮の暗闇

さて、話は尽きませんが、最後に、

今日、「ユニタリアン・ユニバーサリズム教会」の牧師さんが引用していて心に刺さった言葉をシェアさせてください。

 

「墓場の暗闇ではない。子宮の暗闇なのだ。」


苦しい渦中にあると、お先真っ暗にも思えるわけですが、

これは、新しく生まれる前の暗闇なのだと思い出してみます。

まぶしい光の中に産み落ちる前の暗闇。

 

呼吸を整え、最後はいきんで。

 

みなさんの新しい週が素晴らしいものでありますように!


思い整理、自分に素直になるということ、チーム全員がやる気になることの力

2017年04月02日 | 雑感

自分に素直になることが自分を生かすことに繋がる

昨夜、「周りとのつながりを一切断ち切るなら絶対的な幸福感に抱かれていられる」と書いたことを反芻していて、「ああ、これが内向型」ということなのだろうなと、自分でもちょっと驚きながら納得していました。私は人が大好きで、外に出ていくのも好き。でも、昨日も一日子供たちがいない間何をしていたかというと、まさしく寝食忘れて1人ずーーーとリサーチしたり書いたりしてとても幸せな気持ちになり。またたとえばアラスカの暗く氷に閉ざされた日々も、周りが落ち込んだりする中、家にこもりがちになることが全く苦にならずむしろ元気でした。

「エネルギーの充電先が内か外か」ということが、「内向外向を決める要因」だとするのなら、私のようなタイプは「内向色が強い」ということなのでしょうね。それでも、友人たちとワイワイ騒ぐのも大好きなので、「私はたぶん内向と外向の間かな」と思っていたんですが、昨夜は、「ああかなりの内向よりなんだな」と今更ながら発見した気持ちでした。自分を知るというのは、いくつになっても、驚きとともにあります。

そして、「もっと自分に素直に生きていこう」と思った時、とても軽くなった自分がいました。一生懸命担いできた重い荷をひとつ下ろしたような。ここで逆に面白いのが、外に出ていくことをより楽しめるような気持ちでいることです。自分が誰なのかを知るからこそ、他者ともより自然に接することができる。そして自分に素直であること、それが、自分を生かすことにもなるのでしょうね。

 

 

チーム全員がやる気になることの大きさ

今週末の周辺5州からの代表10チームが参加した東海岸中央地区大会、長男たち6人チームは2位となり、なんと7月に全米大会に出場することに。この州のチームが全米大会へ出場するのは初めてのことらしく、15年間このチームのメンターをされてきた方も、数度今回のように地区大会まで食い込めたものの、その先は初めてのこと。出発前も長男、「いまだかつてないことだから、地区大会止まりだろうね」と、「よし今週末終わったら少し時間ができるからあれをしてこれをして」と先の予定を詰めていたのですが。夏も今のところ、中米の国を訪れる研究チームにインターンとして2か月近く参加する予定で、全米大会はその出発のぎりぎり直前。チームメートのご家族も、多分今頃「嬉しいスケジュール調整」をされているのだと思います。

息子さんが小学生時代に書かれたという奈緒美さんの「ドッチボールの記述」が印象的でしたよ。「一部の強い子だけが活躍するのでなく、チーム全員が一人残らずやる気になったから勝ったんだよ」と。期待していた結果にならなかった「ロボティックスチーム」に対し、今、まさに長男が感じていることだろうなあと。チームメートが一丸となって毎日のようにスカイプで練習してましたから。

 

 

ぷよぷよな幸せ

往復8時間近くかけ長男の応援に行っていた下3人と夫も戻り、再び賑やか。昨夜は、普段別部屋で寝ている下2人が「隣に寝たい」と言い、くっついて眠りました。柔らかくてぷよぷよな二人に囲まれ、幸せ。

 

みなさん、新しい週、良い日々を!