母とお墓参りに行って来ました。
先日の綾瀬はるか「戦争」を聞くを読み終えたせいか
今回はいつもとは違った気持ちでのお参りとなりました。
母の実家は古いので遺影がいくつかかけられています。
子供の頃は直接知らない人の写真が怖く感じて
あまり見られなかったのですが
今日は久しぶりに祖父達の遺影を見てしまいました。
若い兵隊さんの写真
この人が母の実のお父さんなんだなぁ~と・・・
帰り道、休憩に立ち寄った喫茶店で何気なく
でもドキドキしながら
「お父さんのこと覚えてるの?」と訊いてしまいました。
「あまり覚えが無いけど・・・」
と言いながらも意外にもサラサラと母の言葉は続きました。
祖父は出生の時まだ幼かった母を駅まで抱いて行ったそうです。
そのせいか母は「兵隊さん=お父さん」と思い込んだらしく
兵隊さんの姿を見る度「お父さん」と言っていたらしいです。
そして終戦後、祖父の弟が帰って来た時も
「お父さん!」と駆け寄って行ってしまったらしいのです。
当然「お父さん」と呼ばれて困惑したその人は
「違う!」と言って母を追い払ったそうです。
このことが物心付いた母には大きな傷となり
その後の色々に影響を与えてしまったそうです。
実の祖父はどうやら特攻隊として沖縄で亡くなったらしいです。
そして祖父の弟は満州へ出兵し
厳しい寒さの中を耐え何とか帰還したのだそうです。
戦後、未亡人になった女性は相当いたでしょう。
祖父が出兵した時、母が3歳ぐらい。
そして祖母のお腹の中には母の妹がいて
その叔母は当然のことながら祖父を知りません。
祖母は二人の幼い子供を抱えて戦争未亡人となってしまったのです。
そして・・・
無事に帰還した祖父の弟と再婚しました。
戦後ではそのような結婚は珍しくなかったそうです。
実の父親を知らない叔母は
新しいお父さんを実の父親としてすんなり打ち解けたそうですが
母は最初の対面が先ほどの出来事だったため
中学に入るまで「お父さん」と呼べなかったそうです。
「お父さん」と言わないといけないと思い
言おうとするけれどどうしてもその言葉が出てこない。
ある時、母のおばあさんからコンコンと諭され
それでようやく母は「お父さん」と呼べるようになったようです。
私の知る祖父はとても無口で穏やかな人でした。
きっと母にも優しく接してくれていたはず。
幼き母の葛藤にどんな想いでいたんだろうか・・・
そして母自身の葛藤も・・・
複雑な想いで母の話を聴いていた私ですが
母本人は至って普通に話すので救われた気がしました
戦争と言うのは広島や長崎だけのことではなく
日本中が痛みを伴ったと言う事。
身近な人達もそれを知る人達が大勢いる。
そして、その人たちから話が聴ける時間はもう長く残されてはいないと言う事。
今日初めて知ったことも多くて私自身複雑な気持ちなりましたが
話を聴いて良かったと思います。
今日は終戦記念日。
祖父を始め、戦争で亡くなって行った人達の冥福を改めて祈ります
綾瀬さんの本もとても良かったので
また改めてアップしようと思います!
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