Cafe Eucharistia

実存論的神学の実践の場・ユーカリスティア教会によるWeb上カフェ、open

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「聖書のみ」再考

2017-02-19 17:55:56 | 豆大福/トロウ日記
休日。脳が疲れ切って昨日から今日にかけて12時間以上何度寝かを繰り返した。ゆっくり休んだらかえって風邪の初期のような症状を覚え、早速葛根湯を服用した。あまり食欲もないので、午後にまったりと時間をかけ、土鍋で米から玄米がゆを炊く。お味噌汁と、しゃけフレークと卵を入れたおかゆで身体も温まり、楽になってきたので、まだ若干ぼーっとする頭のリハビリを兼ねて、最近出会った共感の箇所を翻訳してみる。多分ここの部分は論文や発表で引用したりする機会はないと思うので、こういう時にちょうどよい。(Thorsen, Don. Calvin Vs Wesley -- Bringing Belief in Line with Practice. より)

"Even today, Christians may naively argue that the Bible only --and nothing else-- should inform their beliefs, values, and practices. However, even a cursory look at the decision-making of such people reveals that they commonly rely upon the doctrinal developments from church history, logical argumentation, and obvious experimental confirmation for their most cherished beliefs, values and practices, without acknowledgement." (21)
今日でさえも、クリスチャンたちはナイーブにも他のものには代え難く聖書のみが、自分たちの信仰、価値観、実践を伝えるはずだと主張するのかもしれない。しかしながらそのような人々の意思決定を、大まかではあるがみてみると、教会史から派生した教理の発展、論理的な議論、そして最も大切に保存されてきた信仰、価値観、実践に対する明らかな実験的な堅信に、たいていは承認することなしに依拠していることが分かる。

"Wesley highly valued rationality, for example, when considering the Bible, theology, and ministry." ...
"It is naive to think that Luther and Calvin developed their beliefs, values, and practices based upon the Bible alone." (23)
「ウェスレーは理性をとても重んじていた。たとえば、聖書、神学、伝道を考慮する時には。」
「ルターやカルヴァンが、自分たちの信仰、価値観、そして実践を、聖書のみに基盤を置いていたと考えるのは単純だ。」

流れとしては、この後「ウェスレーの四角形」(The Wesleyan Quadrilateral)の話に繋がってゆく。

とくにはじめに挙げた箇所は、常々自分の頭にもあったことがこうして文字化されていたのに出会ったところなので、ちょっと感動だったのだ。

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「戸隠・善光寺への誘い」(いざない)

2016-12-23 15:51:41 | 豆大福/トロウ日記
2015年5月の長野への旅をつづったエッセイで、「奥の細道文学賞」優秀賞をいただいた。
目を啓かれたり、頭の中で長年謎だったことが融解したり、時を越えた人々の信仰心の力に圧倒されたり、ちょっと不思議な体験をしたり。とても有意義な旅だったので、これは記録に残しておきたいと思って書いた。

何より、民衆宗教関連の書きもので賞をいただけたというのが嬉しい。
著者は私ひとりによるのはもちろんだが、同時にひとりで書いたのでもない。「同行二人」の作と思っている。


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「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」鑑賞メモ

2016-10-11 00:03:53 | 豆大福/トロウ日記
10月7日、「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち--アカデミア美術館所蔵」を観に、乃木坂にある国立新美術館に行ってきた。無料のレジュメにメモしておいたことを、以下、いくつかまとめておく。
書き出して振り返ってみると、ショウモナイ感想ばかりだなあ…少しはまじめに鑑賞しなさい、と自分に言いたい。
(イメージはパブリックドメインのものからダウンロードしました。)

《おもわず笑ってしまったで賞》
アンドレア・プレヴィターリ「キリストの降誕」
Andrea Previtali, The Nativity 1515-25


一番最初に目についたのが、そこにいる動物だ。牛とロバ?!
思わずタイトルを二度見した。確かにナティヴィティとある。
私が親しんでいるナティヴィティは、絵にしろ3Dにしろ、動物が入っている場合それは羊であり、他にいるとすればせいぜい馬だ。
この絵は、キリストが生まれた所が馬小屋に見えないばかりか、私が普通に予想できる登場人物、父ヨセフとか三人の占星術学者とか、あるいは天使とかがいない…と思ったら天使は左上にいた。一応、ほっ。
しかし牛?ロバ?しかもソイツら、生まれたばかりの救い主に対してくっさーい息を吹きかけているぞ。とくにここ、どのようなメタファーがあるのだろう。。。
笑いのツボにはまってしまい、1分くらい笑いをこらえるのに必死だった傑作。

《幼子とはいえ》
Tiziano Vecellio, The Virgin and Child (The Madonna Albertini) -- (フリー画像がみつからないので文章のみ。)
この絵に限らないけれども、聖母に対して幼子のサイズが妙に大きい。あとキリストが、ソリの入ったパンチパーマのおじさん。

《受胎告知でいつもチェックするところ》
それは、マリアが読んでいる聖書の箇所。
アントニオ・デ・サリバ(Antonio de Saliba)


マレスカルコに帰属(Attributed to Il Marescalco) --(絵はなし。)

この人たちの場合、聖書の真ん中あたりを開いている。マリアはどの部分を読んでいるのだろうか。
今回、私が確認できた中ではジョバンニ・ジローラモ・サヴォルド(Giovannni Girolamo Savoldo, the Annunciation)-- (絵はなし)の受胎告知では、マリアは聖書の後半3分の2あたりを開いている。それはイザヤ書49章、主の僕についてあたりを開いていることが想定されているはずで、レオナルドの受胎告知もここらあたりを開いているようにみえたと記憶する。

《神〜!》
ヤコポ・ティントレット「動物の創造」(Jacopo Tintoretto, The Creation of the Animals)


おお、神さまのモデルは仲代達矢だったのか?

ボニファーチョ・ヴェロネーゼ「父なる神のサン・マルコ広場への顕現」(Bonifacio Veronese, God the Father above the Piazza San Marco)--(フリー画像はあったがなぜかアップできない。リンク先はこちら。)

サンマルコの上空を舞う神。ここに地獄が加わればまさに三層の世界観が表現されているという、現代神学がガッツリ批判対象にしてしまうような構図。両手を広げて空を飛ぶって気持ちよさそうではあるのだけれどもね。

《こんな天国、イヤだ》
混みすぎだ。今の東京の朝、痛勤電車を思い起こされる。むしろ地獄。
アンドレア・ヴィチェンティーノ「天国」(Andrea Vicentino, The Paradise)


《ああ、オルフェウス》
パドヴァニーノ「オルフェウスとエウリュディケ」(Padovanino, Orpheus and Eurydice)→リンク
今回、一番心に響いたこの絵。ただ、オルフェウスのもつ楽器がチェロのようなオルフェウスは、初めて遭遇したかもしれない。
やはりルネサンスでは「キリスト教」をモティーフにしたものより、それ以前の古典、たとえばギリシャ神話がモテイーフになっているものの方が魅力的な絵が圧倒的に多い。もちろん例外もたくさんあるけれども。

ああ、ヴェネツィア、行きたい。行かねば。

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教会の外側で福音を望む

2016-09-10 18:55:39 | 豆大福/トロウ日記
カトリック信者「平和祈願有志の会」による「平和を祈る」第65号、「われらの仲間」欄の掲載文をアップします。

信仰についてという難しいテーマをいただき、それをできるだけ簡潔に書こうと思うと、予想通り、かなり中途半端な文章になってしまいました。

しかしこのことをちゃんと書こうと思えば本1冊分くらいの分量になりそうですし、せっかく書いたものではあるので「棚の奥」にしまっておいても意味がないので、少々手直しした上でこちらにアップします。
***

教会の外側で福音を望む

 「あなたの信仰するキリスト教について紹介して」というお題をいただきました。私は信仰上の自己紹介をするときに「メソジストの伝統に与する者です」と言います。このことが指し示す内容について、手短にご紹介します。
 まずメソジストという呼び名に込めている意味ですが、それは18世紀英国のジョン・ウェスレーによって展開された福音運動に賛成している、ということです。ただし、ウェスレーの死後直後からアメリカで展開されていったメソジズムには、残念ながら私には福音を汲み取ることが困難です。
 ウェスレーの死後、メソジズムは英米をはじめアジア・アフリカにも広がって行きますが、その200年以上の間にメソジスト教会の様相はあまりにも多様となりました。ですから「アメリカのメソジズム」とひとくくりにした言い方もかなり乱暴ですが、私がここで言うそれは、とくにアメリカのピューリタンの間で広まっていったカルヴァン主義、とりわけ二重予定論と合わさったメソジズムのことです。
 救いと堕落があらかじめ神によって定められているという二重予定論の立場は、ウェスレーの、先行の恵みと人間の自由意志を尊重する立場とはとりわけ折り合いがつきません。実際、ウェスレーは予定論を採用した同胞のジョージ・ホイットフィールドと激しく論争し、結局両者は袂を分かつことになりました。
 その後ホイットフィールドは、アメリカでの伝道で成功を収めて行きました。そしてイギリス同様アメリカでもメソジスト系の教会は分裂して行きます。20世紀になると再び統一への動きに向かいますが、一旦進んでしまった歴史の針を元に戻すことは難しいのです。メソジスト系各教団や教会が、実に多様なのはこういった複雑な背景のせいでもあります。そのような激動の中、メソジズムは明治時代、日本にも輸入されました。
 私の拠って立つメソジズムは、明治以降主に北米の宣教師経由で輸入された、いわゆる日本的なメソジズムとは趣を異にするかもしれません。むしろ自分はウェスレー主義者という自覚の方が強いです。
 しかしそのことと、ウェスレーその人を崇拝しているということとは違います。ウェスレーもまた、私たちと同じように欠点のある人でした。若い頃はややスノッブな楽観主義者でしたし、人を信じやすい反面、女性を見る目があまりなかったといわざるを得ません。それに今の時代の日本だったら、彼はマザコンと言われてしまうかもしれない。しかしこれはジョン・ウェスレーの欠点と言うよりは、御母堂のスザンナが、教養に溢れ自立した、素敵すぎる女性だったせいもあるからなのですが。
 では、ウェスレー主義の特徴とは何でしょうか。
 ウェスレー神学の特徴として「ウェスレーの四辺形」といわれることがあります。その場合の四辺とは聖書、伝統、理性、経験であり、それら四要素に彼の神学の基準があるという見方です。それはその通りだと思いますが、一方で、これらによって神学の特徴を表すというにはあまりにも漠然としていて、それゆえに、これらの四つの各要素に対して信仰者や研究者の立場が反映されたご都合主義的解釈の余地を残してしまい、神学の具体的な意味や内容が結局定まらないという空虚さがつきまといます。
 確かにウェスレーは「一書の人」と呼ばれる程に聖書を大切にします。しかしこの場合に注意しなければならないのは、このことが、一語一句を間違えのない神の言葉として聖書をとらえていたかという問題です。彼は18世紀イギリス当時において、できる限りの知の粋を駆使した先鋭的な聖書研究を採用しています。ここは四要素のうちの「理性」の該当する一例です。
 さあ、ここからが重要です。もしウェスレーが今の時代の人であったならば、彼はどのように聖書と向き合ったでしょうか。そのような彼ならば、今の時代の最先鋭の聖書研究や神学を研究し、また採用しているはずです。そのようなウェスレーに倣いたい私は、聖書研究や歴史研究をないがしろにしたり、向き合おうとしない神学や教会には、どうしても追随することができません。
 近年、とくにここ百年程の聖書研究、原始から初代キリスト教時代の研究は、その直前の二、三百年間と比べるとめくるめく変化しています。中でもキリスト教会の歴史は、かつてのキリスト教が思い描いていたほどには直線的なものではないことが分かってきています。イエス死後、エルサレムを中心にペトロやパウロという弟子たちがキリストの宣教をし、それが遂に帝都ローマにまで達し、ローマ帝国の広がりとともに世界へと広がっていった、という従来の理解に加えて、原始キリスト教団の様相はもっと複雑であったことが明らかにされつつあります。
 たとえば、古代ユダヤ教の一派であるエッセネ派の共同体クムラン教団の存在を示唆する死海文書、キリスト教グノーシス派の原資料であるナグハマディ文書といったこれらの写本が発見されから、すでに70年近くが経とうとしています。これら等の資料と相対するとき、私たちは「イエスがキリスト教の開祖」だとか「パウロやペトロを中心としたイエスの使徒たちがキリスト教を成立に導いた」ので、そこから外れる教団や信仰は異端、とする見方をもはや採用できないことに気づくはずです。
 しかし教会では今なお「異端」という言葉が平然と使われている現実があります。この言葉はもう、キリスト史上の公会議で用いられ、政治力学によって生み出されたという負を背負う卑しい言葉としか私には響かないのですが。
 聖書編纂の歴史にも同様のことがいえます。紀元2〜3世紀には、現在正典として採用されている福音書の他にも福音書が存在しました。その他にもキリスト教文書といわれる文書が数多く存在していました。それらの中で何が「キリスト教の正典か」を選び、聖書として載せる順番を考えたわけですが、その百年以上かかった過程においては、実に生々しい人間的恣意が反映されているとみる方がむしろ自然です。
 もちろん私にとっても聖書は神の言葉が宿った信仰の拠り所ですが、だからといって今ある聖書が改変不可能で絶対的な書とは思えません。聖書はアンタッチャブルな書ではなく、福音を宣教するためならば変えることが必要な場合だって起こり得るのです。もしそうであるならば、ウェスレーが、否、そればかりでなくプロテスタンティズムが至上原理として掲げてきた聖書主義を軌道修正する時を、私たちはそろそろ迎えつつあるのかもしれません。
 「原始キリスト教の福音にできる限り近づきたい」という思いを信仰上の優先順位として最優先におくのは、ウェスレーと自分が共通するところです。そうなりますと、教団や教会の存続を優先させる立場と齟齬が生ずる場合もあります。教団の存続よりもコイノニア、あるいは福音の伝道の方が大切、という価値観の持ち主として、原始教会であればパウロの異邦人教会、そしてヨハネ教団に与するキリスト教信仰の方に私は親しみを覚えます。
 次に伝統の大切さ、ですが、伝統が大切なのは、長い時間をかけて作られてきた「型」を実行することによって、神と私との一対一の対話関係を築く場合に役に立つからです。たとえば聖餐式で、パンとぶどう酒を用い、それらを戴くときにはひざまずくという「型」は、長い時間をかけてそれがよいとされてきたやり方の一つです。
 しかし一言で聖餐式といっても、「伝統的に正しいのはこれ」というやり方、つまり絶対的に正しい型をもつ聖餐式はないのです。ある時代にはぶどう酒に水を混ぜるというやり方もありましたし、ぶどう酒を用いずパンだけでやるべきだ、いや、水とパンとでやるのが正しい、など、時代や教団の考え方によって聖餐式も様々です。変えることで神との関係をより親密にすることができるならば、聖餐式で用いる型もまた、聖書や伝統と相談しながら、時代や場所に応じて変化するということも受け入れるべきです。

 目下の私の信仰上の悩みは、「福音が教会で見つからない」ことです。
 とはいえ心の底では、あまりこのことに悩んでいるというほどでもありません。なぜならば、今後の信仰形態が教会やセクト(教派)から、いわば「宗教的個人主義」というような神秘主義へと移行して行くだろうということが、すでに20世紀初めにはエルンスト・トレルチという神学者によって”予言”されているからです。私の目下の悩みは、現代の申し子、宿命のようなものといえます。
 他宗教に対する寛容や、また、カリスマ牧師や、キリスト教の宣教からあまりにも逸脱しているとしか思えないような、教団の恣意的なあり方を受け入れる余地を残さない構造的な仕組みを確立させてきたローマ・カトリック教会には、私も魅力を覚えます。またキリスト教最大の教団として、集団であるからこその様々な取り組み、たとえば貧者に対するアプローチなどの実行力には敬意を表します。
 しかし残された余生で、自分がカトリック教徒に改宗する可能性はあまりなさそうです。その理由を端的にいえば、カトリック教会において霊的物質主義が色濃くカテキズムに反映されている点は、16世紀の宗教改革以来変わりがないようにみえるからです。聖体拝領はじめ各秘蹟や、教団のヒエラルキー構造を霊的物質主義が支えているわけですが、私は自分と神との関係を、できる限り物質や制度に還元したくないのです。また、教団の聖職者は男尊女卑の世界であり、女性が男性を凌いで宗教上のリーダーとなる余地は、今のところなさそうです。やはり、一旦進んでしまった歴史の針を元に戻すことは、私には難しいのです。
 私自身はあまり敬虔でも清くもなく、完璧主義など望めないいろいろと混雑した人間ですが、信仰上の価値観を曲げてまで既存の教会と妥協する必要を今のところ感じておらず、とにかくウェスレーのいう「キリスト者の完全」 を求める信仰を保ち、このような私のあり方とともに祈ってくださる方があるならば、その恵みに感謝したいと思います。それが、教会の内側で行われるか外側で行われるかは、私にはあまり大きなことには思えないのです。

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第3回『ウェスレー』読書会

2016-06-25 16:45:44 | 豆大福/トロウ日記
直前になってしまいましたが、アップロードしておきます。
ずいぶん前からチラシを作ってあったのですが、アップするのを忘れておりました💦
こちらの詳細版は3週間ほど前から上がっています。
今回は、ウェスレーの独特な伝道生活と、その神学の中身についてのお話です。
『ウェスレー』(野呂芳男、清水書院)を読む会は一旦、これで最終回となります。

今回初参加、という方も大歓迎です。

幸か不幸か、今のところ少人数での「カレッジ」ですので
参加者のニーズに合わせた話し合いが可能です!
事前にご参加を知らせていただければ、資料の準備等の都合でありがたいですが
当日の飛び込みでもご遠慮なくお越しください。

当然、この場だけでしか話題に上らない話がたくさん出てきます。
ある意味、少人数の今がご参加のチャンス!



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死者と共に生きる

2016-04-14 21:58:39 | 豆大福/トロウ日記
時間が過去から現在を経て未来へと直線的に進むという常識が、最近の物理学では覆されつつあるらしい。

経験的には、やはりそうなのではないかと思う。つまり、時間は過去が未来に直線的につながっているのではなく、(時間的な表現を用いるならば)現在しかない、という。

医学的には間違った用語の使い方だろう、しかし悲嘆反応を説明する場合に、PTSD的、と説明するのが分かりやすい。あの時の生温かい春の風、風に乗せられた季節の匂い、日差し、サイレンの音、街の風景。これらが引き金となってフラッシュバックが起こり、あの時の体験が一気に今に蘇る。

キリスト教の復活祭は、クリスマスのように日付が固定されておらず、春分の日の後の最初の満月の次の日曜日に祝われるため、日付は毎年変動する。実はこのように曜日主体で記念日を定めるというやり方は、フラッシュバックのリアリティを再現するには、より理に適っているように思う。

もちろん、連れ合いの命日である4月26日という日は私にとって特別だし、月命日の数字もまた、大きな悲しみを思い起こさせる。だが、より過去が現在のリアリティをもって映像的に迫ってくるのは、曜日なのだ。たとえば亡くなる10日前、最後の外来診察時のリアリティの力は今なお強く、その衝撃的な出来事がフラッシュバックを起こすと今でも心臓がフワフワ浮いているような動揺を覚え、涙が止まらない。それは金曜日だった。その後の土曜日、日曜日、月、火、水、木、金、土、日、月。全て何があった日だったか、体験と曜日とがリンクしている。

悲しみが癒されることは一生ないと、周囲の恩人たちからお言葉をいただいている。そして、それはそのとおりになっている。ただ、最近では、悲しくて淋しくて、滅茶苦茶になってしまうように辛いという感覚が、少し落ち着いてきたかもしれない。片割れが向こうの世界にいて私がこちらの世界にいて、その断絶は決定的に越えられないにもかかわらず、常に共にこの世で生きているという実感が湧きつつあるからかもしれない。そのような、断絶がありつつの共存、という状態に、私も連れも慣れてきたという感じ、と言ったらよいであろうか。現在を共に生きているとの実感が、より明確になってきているという感じが強まってきているように思う。

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シャーロック--忌まわしき花嫁

2016-03-11 21:42:33 | 遥かなる銀幕の世界
BBC製作のドラマで、NHK-BSのドラマでもおなじみの作品が、英米では2016年元旦にテレビ放送されたらしいが、日本では映画館上映だ。うーん、極上。ただしかなりマニア向け。

私の注目ナンバーワンは、ベネディクト・カンバーバッチやマーティン・フリーマンを越えて、実は兄マイクロフトを演じるマーク・ゲイティスだ。

ホームズ兄弟は兄と弟どちらも頭が良い子ちゃんたち、なわけだが、シャーロック役のベネ様が極上の演技力を見せてくれるのに対し、ゲイティスの場合、”頭良い子ちゃん”のマイクロフトをほとんど地で演っているでしょうという印象を受ける。(一応断っておくが、ベネ様が本当は頭良くないのに、演技でそれをカバーしているという意味ではない)。

BSでみた吹き替え版では声優さんがうますぎて、マイクロフトが嫌味な印象を受けるきらいがあるが、英語では必ずしもそのような感じを私は受けない。映画の最後のメーキングでは、脚本家・製作者でもある彼がインタビュアーとしても登場し、常ににこやかで人柄が良さそう。

女優陣もすばらしい。メアリ役の人も素敵だし、ハドソン夫人は将来こういう高齢の女性になれたらよいなと思わせる。

繰り返していうが、この映画はマニア向けだ。どこがマニアック向けだというのか、思いつくままに上げておく。
・Sherlockをすでに観ている人。とくに最終回。
・221bというだけでワクワクする人。
・コナン・ドイルが心酔した20世紀初頭の英国スピリチュアリズム(心霊主義)に興味がある人。
・19世紀末英国の社会問題、とくに女性の社会的地位について興味がある人。
・無意識と時空の問題に興味がある人。
・小気味好い会話の応酬を原語で楽しみたい人。

今ざっと挙げられるのは、このくらいかなあ。

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Longing for peace, on the memorial day of Tokyo Air-raids

2016-03-10 14:34:20 | 豆大福/トロウ日記
-- To Those Who Long for Peace,
Especially Have Interests in the Tokyo Air-raids on March 10, 1945 --

71 years have passed since the day the most outrageous tragedy never made before for the Tokyoites, sadness for losing beloved ones has never been cured, and there are still rages in our hearts against the foolish governments which decided to participate in the foolish war called the WW2. It is the memorial day today, the indiscriminate bombings on 100 thousand citizens of Tokyo were raided by approximate 300 US bomber planes (B-29), and killed them on March 10, 1945.

Some would say that the bombings (on Tokyo and many other places in Japan, including atomic bombing on Hiroshima and Nagasaki) and attacking the citizens of Japan were right. Because Japanese people themselves supported their emperor-military combined government at that time, it was apparent justice that the Allied Forces (or the US) attacked them in order to right the insanity of the Japanese people and liberate the invaded Asian countries from Japan. I have no intension at all of justifying our mistakes done in the past, especially for the Asian people, and any other people who had suffered from inhumane ways of the Japan's militarism then, so that I myself recognize what my responsibility is on establishing our world, domestic as well, peace now and in the future.

However, on this exceptional day of March 10th, I dare say that the great air-raids on Tokyo were nothing but the criminal and historical massacre by the Unite States. No matter how "insane" the Japanese were at that time, or no matter what their belief or political views were, the people who were killed by bombing were citizens, not soldiers. Besides, we did not have democracy at that time. I strongly want you to put in your mind that 100 thousand citizens of Tokyo were burnt and killed in one night, and more than a million people became victims – their houses were burnt, and they lost their families, which were inexcusable crimes of the US, for the US violated the Convention respecting the Laws and Customs of War on Land set in Hague, providing protection of the general public.

You say, justice has to be made? Yes, I agree. But, not by means of wars. There are no good wars. War cannot be justified by any reason, and justice cannot be made by any war.

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【再掲】東京大空襲の日に、思う

2016-03-10 14:28:08 | 豆大福/トロウ日記
9年前に書いた記事を再掲します。
英語版も同時に載せたのですが、今回は記事を分けて投稿します。
英語版、こちらの日本語版と内容が異なっていますので、そちらの方も読んでくださると嬉しいです。

***
62年前の今日は、米軍機B-29約300機が東京の下町を大規模に爆撃し、一夜にして10万人の命を奪った日である。両国の国技館から北へ5分ほどの横網町公園内に、東京大空襲、そして関東大震災で命を落とした人々への追悼の場として、東京都慰霊堂があり、特に東京大空襲の犠牲者に対しては「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」がある。この公園の中に入ると、私は必ずといってよいほど狭心症のような胸の痛さと息苦しさを覚える。比喩で言っているのではない、ほんとうに息苦しくなって、その場にはいられない程になってしまうのだ。

私がそうなってしまうのは、実は慰霊堂の内部でというよりは、公園の北側にある震災復興記念館のちかく、小高く盛り上がったところ、池のあるあたりだ。

ひと晩で10万人が死んだのである。町中に、川面一面に、積み重なった死体。1945年3月はとても寒い異常気象の年で、10日には2,3日前に降った雪がまだかなり残っていたらしい。しかしいくら寒かったとはいえ、もはや誰なのかも分からない焼け焦げた死体は異臭を放ち、そのまま放っとくわけにはいかないのである。そこでさしあたり、その何万もの死体は、付近の公園や広場などのちょっとした広い空間があれば、そこここに仮埋葬された。後にそれらの骨は掘り起こされ、1948より51年にかけて、ようやく現在の慰霊堂のある場所に合同に埋葬されるに至った。私が息苦しさを感じる小高い場所は、それら身元不明の遺骨が実際に埋葬されているところなのである。

おそらく、私の身内の骨もそこに納まっているに違いない。あと1週間ほどすると、彼岸入りである。実際には遺骨が納められていない墓の前で手を合わせるときの方がまだ、冷静な気持ちでお参りができる。大勢の人々と共に実際に埋葬されているであろう場所の横網町公園は、多くの人々のうめきが今なお聞こえてくるようで、私はいてもたってもいられなくなってしまうのである。

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ライスカレーにソースをかけて食べるのを止めた中学生男子とその後

2016-02-03 00:33:26 | Dr.大福よもやま話
カレーライスの隠し味についての話をしていた時のこと。
皿に盛られたカレーにウスターソースをかけて食べるという、B級感漂う食べ方を大福先生が知っていたことに、私は少々驚いた。

大福先生がその食べ方を知ったのは、中学生の時らしい。「ライスカレーにソースをかけて食べるとうまいんだぜ」という話が同級生の間で広まり、大福先生もそれを試してみようと思ったのだ。大福先生とて、中二病にかかるのだ。

ただ、自宅では、とてもではないがそれを試すことはできない。大福先生の場合、自宅で出されるカレーは、シェフが出してくれるものだ。父とはいえ職業シェフが作ったカレーに、その面前でソースをかけるなんてとてもできない。でもやってみたくてしょうがない…。だから、「ライスカレーにソース」は外食の折に、こっそりやるのだ。

「うまー」
だけどやはりここでも、作ってくれた人に気の毒なのは変わりがない。
それに、そんなことを何回かやっているうちに、その味にも飽きてしまった。

四十代の頃に胃潰瘍を患ってからというもの、大福先生はカレーライスを避けてきた。何かをきっかけにある料理から遠ざかってしまうと、それを敢えて食べたいとも思わなくなってしまうものだ。大福先生にとって、カレーライスがまさにそれだった。

でも私は、たまにはカレーも食べたい。1人分ならではの、レトルト食はどうも好きになれない。しかし手作りのカレーを無理に一緒に食べてもらって、潰瘍は完治したとはいえその病痕を刺激するのは怖い。だから、胃に刺激となり過ぎず、かつ自分の好みに合うカレーを模索した。そのうち、ターメリックが肝臓によい、という話も聞いた。

あめ色になるまで炒めた玉ねぎ、スパイスで味をつけた骨つきの手羽中をカレー粉で炒め、スープに量多めの白ワインで煮込む。その間にトマトとすりおりしリンゴを加える。煮込み終わったら塩コショウで味を整えて、仕上げに生クリームを入れる。確か上沼恵美子の料理番組で紹介されていたレシピで、それをアレンジしたものだ。

大福先生は再び、しょっちゅうではないけれどもカレーが食べられるようになった。そしてもちろん、それにウスターソースをかけることもない。誠意を込めて作ってもらった食事に対して誠意をもっていただく。かつての「プチ中二病」を克服して学んだ、作り手へ敬意を払うということ。

おかげ様で、いつも私は気持ちよく食事を作ることができたし、それを一緒に食べることができた幸せ者だった。

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イベント情報・『ウェスレー』読書会 第1回

2016-01-23 19:07:20 | 豆大福/トロウ日記
2月14日(日)13時30分開始です。
詳しくはこちらからもご覧いただけます。

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高尾山登山 写真日記

2015-12-03 00:06:56 | 豆大福/トロウ日記
拙ブログは大概随筆なのですが、今回はほぼ、写真とそのコメントです。

ケーブルカーの清滝駅の近くより、88箇所巡礼登山開始です。
近くのベンチから漂うタバコの煙。臭いに耐えながら1枚。


青面金剛さまでしょうか。台座に三猿が見えますが、磨耗してよく分かりません。
三猿がいるからといっても、庚申さまではないと思います。


岩屋大師。初めて知った存在。


琵琶滝より十一丁目茶屋までの山道は、侮れない。
結構勾配の角度がきついところも多い。でも、まだ行きで体力がある。何なら「トレイルラン、カモン」という気持ちの余裕さえあったり。
実際、ご高齢とおぼしき方々ともたくさんお会いしたルート。


ポケットに入れておいたデジカメのレンズが汗で曇った!それが写真によい効果に。
しかしながら「よいお顔」と思ってシャッターを切ったのに、肝心のお顔がよく分からない。


高尾山といえばこの方たち、天狗。薬王院入り口近くにあります。
しかしこの像は、最近置かれたと思います。連れ合いと高尾山に通っていた頃にはなかったと思います。


印は大日如来っぽいのですが、よく分かりません。しかも「牛」って何?
あ、もしかすると「午(ご=うま)」の意味でしょうか。


今回の新発見、その2。なんと聖天様まで祀ってあった!

ここで、今回1回での結願をほぼ断念したこともあり、ついでに山頂に寄ることにした。
断念したのは、途中の琵琶滝での朱印をいただき損ねてしまったから。
それにしても「一体どうした?」と言いたくなるくらいすごい(ひどい)、最近の高尾山の仏教アトラクションワールド。
とくに薬王院付近がひどいことになっていると個人的には残念に思うのだが、よいのだろうか、こんなので…。
庶民のための信仰の霊場でもありたいのは、とてもよく分かる。それがここの魅力でもあるのだから。
だが親しみやすさを追求するあまりの、過ぎた大衆迎合は下品にもなり得るわけで…残念だ、元に戻してほしい。

とにかく本日中に蛇滝までは行っておこうということで、そちらに向かい十一丁目茶屋付近から下って行ったところ…急に疲れが足にきた。これだから中年は困る。急にくるのだ。膝とふくらはぎに力が入らない。

「落ちても責任負えません」と言わんばかりの (あくまでも私の精神状態がそう思わせています^^;)急勾配、段差の高い階段。しかも道幅が狭い!ひざがガクガク、一歩一歩をプルプル震わせながら、「転落して怪我をしたら、何時間くらいで発見してもらえるかな」と思ったりしながら歩く。
心身困憊していたので、も~~~うこれを再び登る気にはとてもなれない。たぶん高所恐怖症の人にも下りはきついと思う。
このルートは、「行き」として登りで選択すべきだ!

まあ、風景はそこそこなんですが。
ここを歩いているときなど、この日はずっと自然神学(論争)のことについてなどを考えていました。


蛇滝付近。今は水量がとても少なそうです。


蛇滝からバス停のあるところまで下る途中に「千代田稲荷神社」がある。現在は無残な姿の社なのだけれど、その脇に2体の石仏が。向かって左は弁才天さま。右は何だろう。

結局、ふもとについてもバスには乗らずに高尾山口駅まで歩くことにした。とぼとぼ歩いて40分くらい。
駅について、やっと温泉だ。露天を中心に、1時間半ほど出たり入ったり。混んでいて脱衣所も結構狭いけど、お湯はなかなか良かったです。

《番外編》
1 琵琶滝より登り。汗はかいていますがまだ余裕があります。自撮り。
2 山頂で、近くにいた紳士にシャッターを押してもらいました。まだそこそこ余裕がある。
3 蛇滝に向かう下りの山道で。自撮り。この疲れ切った表情ったら!
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ラジオ出演した

2015-11-17 20:11:21 | 豆大福/トロウ日記
ラジオに出るのは初めての体験でありまして。
神奈川県央向けのFMカオンの番組にゲスト出演した。(リンクから音源に行けます。)

ひと月程前に収録を終え、その後何を話したかほとんど思い出せないでいたけれど、案外いろいろとお話をしていたのだなあと、今聞き返して我ながら感心する。あと定番の感想、「私の声ってこんななのかぁ?」

収録前夜にはNPO法人の看板の版下制作、当日の午前中はその発注のため、3時間くらいしか寝る時間がなかったところの収録だった。パーソナリティの富澤さんとアシスタントの澤海さんのリードのままお話したということで、お2人様にはお世話になりました。

こういう風に、スクリプトのない話をすること、やっぱり私は好きなのだな。ラジオに出るの、楽しい。授業や礼拝の説教とは違い、不特定多数に対してお話するというのがよい。よかったら聞いてね、というスタンスが気楽でよい。気楽というのはもちろん、手を抜くということではなく、こちらのお話の受け止められ方が、聴き手の方々によってそれぞれ違うのだろうという、こちらの予測を超えている感がよい。また出たーい。

*リクエストした曲がアイルランドのバンドのものなので、以下記しておきます。
アルバム名: Tears of Stone
アーティスト名:The Chieftains with the Corrs
曲名:I know my love
トラッドで、本当に楽しくてかわいい曲なのでこちらにリンクを貼っておきます。

あと、「知らない」って言われてしまったので、むん!ということで、ピーター・オトゥールの写真などもこちらにリンクしておきますよ!

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あと6日でプロジェクト終了です。

2015-08-12 18:44:33 | 豆大福/トロウ日記
こちらのホームページでは初の言及ですが、
野呂芳男『実存論的神学』増補改訂版の出版のため、その資金の一部を皆様にご支援をいただきたい!とのプロジェクトを進めております。

それがすでに、プロジェクト終了まであと6日となりました。

すでにご支援いただいた皆様には本当に、心より感謝申し上げます。

しかしながら…プロジェクト達成まで
あと 42万円 足りていないとは!

こちらレディーフォーでのクラウドファンディングでの呼びかけを開始して以来も、出版に向けてこつこつと作業を進めて参りました。

その間にも、やはりこの書は後代に残してゆかなければならない、大切な知の遺産であるという確信を深めています。

今年の秋、10月頃、本書は店頭に並ぶことになる予定です。

その時に、このプロジェクトをご支援下さった皆様と、
「この夏、出版に向けて一緒にがんばった」
という思いを共有できたら、それはとても素敵なことだと思います。

さらにその時には、
「この本がここに並んでいるのは『私の支援のおかげ』」
と、たくさん自慢なさってください!

ぜひ、周りの方々にもこのプロジェクトについてお知らせ下さい。
最後まで、皆様のご支援をよろしくお願い致します。

※本来、「ユーカリスティア記念協会」のホームページでご紹介すべき記事かもしれませんが、こちらの方が毎日100人以上閲覧があるようですのでこちらに掲載しました。

昨日、クラウドファンデディングサイトで新着情報としてアップした記事のほぼ再掲です。

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松の木が身を守ってくれた

2015-08-06 17:41:03 | Dr.大福よもやま話
戦後70年目の今年の夏、テレビのない生活の私にもネットやワンセグから映像が入ってくる。今日は中央線高尾山あたりの空襲の映像を観た。米軍機からの機銃掃射の勢いが凄まじい。それを観ながら大福先生と松の木のご縁、を思い起こした。

敗戦間近の今頃、大福先生は東海道、二宮あたりの海岸沿いで、米軍の本土上陸に備えてトーチカ作り等の労務に従事させられていた。6月に沖縄に送られるはずだったところが、大福先生が乗せられるはずの軍艦が撃沈されてしまったため沖縄には行かないことになり、本土決戦準備要員に回されたのであった。

当時、学徒は入営すれば(させられた、という方が正しいが)幹部候補生にされてしまっていた。当時、大福先生は上等兵だった。弱冠二十歳で実戦経験もない内向的な都会のもやしっ子が、日露戦争を生き抜いてきたような古参二等兵の上司に据えられる。

海岸で、いつものように労務に従事していた時のこと。突然、米軍機が近い空に現れた。それに気づいた大福先生が「散れー」と号令をかけた時には、古参兵たちはとっくに避難すべき穴なんかに隠れ込んだ後だった。

気がつけば、だだっ広い海岸にひとり立ち尽くす大福先生。米軍機からすれば格好の標的だ。ダダダダダーッと機銃掃射の的にされる。

大福先生、逃げる。ちょろちょろ逃げる。そんな時、先生の命を守ってくれたのが松の木だった。太平洋岸の海岸沿いに昔から佇む、あの松の木たちが弾丸の盾になってくれた。先生は松の木から松の木へと駆け巡った。相手は飛行機からの攻撃だから、再び戻って攻撃されるまで多少時間が稼げる。

その時自分がどのように逃げたのか、全く覚えていないという。気が付いた時には、なかなか弾に当たらない1人の兵隊を諦めたのか、米軍機は去っていた。

「松の木は僕の命の恩人なんだ」と、樹木の中でもとりわけ先生は松に親近感を抱いていた。確かに松と大福先生は、縁が深いなあと思う。このエピソードの他にも、松鶴亭、ピノッキオ…。

機銃掃射からうまく逃げられたのは、松の精のご守護、もあるのかもしれないけれども、私からみると、子供の頃からの先生の幾何学好きもまた、自らの身を守るのに役立ってくれたのではないかな、なんて思ったりもする。瞬時に立体的な思考や計算ができるようになっていて、それに身体が適切に反応したのではないかな、と。

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