「 苔の上の青もみじ一葉」
森川由美ちゃん 撮影
今日は9人。この10月は火曜日を全て確保出来たおかげで、練習を皆揃って楽しくやれたのが
何より嬉しかった。やはりいつもの場所、時間、曜日で、規則的に毎週出来るというのが、我々に
とっては何より有難いことだ。
皆さんそれぞれ、ああでもない、こうでもないと考えながら、自分のやりたいことの練習をして
いるのは、素晴らしい光景だ。
ダブルス戦などを審判したり見ていたりすると、ラリーが続いて見ていても、やっても面白い。
思えば皆結構上手になったものだ。時々驚くようなリターンショットやスマッシュが何気なく
出ている。日頃の練習と工夫の成果だろう。こうなると困ったことに、ピンポンがますます
面白くなってしまいそうだ。
「幾つになっても前向き姿勢で、何事に対しても不断の努力と上達の為に工夫し考えることが
大切だ。」という金言があるが、この光景をみる度にその通りだと思えてくる。
「好奇心と向上心とデリカシーとがなくなれば、もうそろそろ人間卒業だ」とは辛口の学者が
言っていたことだが、それはこの金言と同じ事を言っているのだろう……。
そんな10月も今日で終わってしまった。
さて、今日はこの日記にもたまには若い人の話題も良いだろうと思い立った。
何故なら、私の場合どうしても「老人日記」になってしまうので、いささか自分でも、
うんざり気味なのである。
しかし日記とは、只今現在で一番の関心事、体験したこと、感じていること、考えたことを、
体裁を気にせず見栄も張らずに、心の中の悩みや思いや知識や感情などをそのまま正直に
吐露するものだろう。
すると勢い体調、病、健康法、生き甲斐、精神衛生、人生訓、養生訓、人生観、老人精神学等々
といった陳腐であまり面白くもない話題や、そして多くは愚痴や後悔や反省ばかりが
どうしても多くなってしまう。
そこで今日こそ一寸無理して、話題を変えて珍しく若い人のこと(といってもピンポンのことだが)
を書いてみようと思ったわけだ。
この間、NHKのTVで、「奇跡のレッスン・考える卓球、前編、後編」という番組を興味深く見た。
水谷選手などを教えたクロアチアの高名なコーチが横須賀のクラブチームの小学生を
指導するというドキュメントだった。
とにかく足を使え、打つ準備をしろ、無理のない姿勢でスウィングをと盛んに繰り返していた。
3つのコースに球出しをしてそれを全てフォアーで打つこと、バックドライブを徹底して繰り返す
光景が目立った。卓球はメンタルなもので常に何処に打つか、どう組み立てるかを
考えるスポーツで、チェスのようなものであると盛んに言っていた。
子供達の、そのもの凄さ上手さには驚いてしまう。そして考えられぬようなハードで長時間の練習に
耐えている姿にはとても感動する。あそこまでやらぬと小学生でも市大会、県大会ましてや全日本など
には出る事は出来ないという厳しさを改めて知る思いだった。周りの子供達が塾に行く時間を卓球に
費やすという勇気と決断と挑戦する姿には胸打たれるものがある。
まだ世間の何も知らぬ子供達が、何か物に憑かれた様にあれ程打ち込めるのは、1つのことに目的を
持って(親に言われるから、やらないと叱られるからという感じを越えて)突き進んでいる様に
見えるのは素晴らしいと思う。
しかし、凄いと思うと同じ位に、一方では奇異の念を抱いてしまうのも確かだ。まるで熱病に取り
憑かれているようである。よくよく見ていると彼等の親が、一様に異常なほどに熱心で何としても
全日本クラスの選手に、オリンピック選手に、有名人にしようという情熱に取り憑かれている姿は、
頼もしい反面、何やら嫌らしくもあり、とても恐ろしい気もしてくる。
ほとんどの子の親達が、自分が実業団クラスの選手だったという。アスリートだったが故に,
こうやらねば大成しないと身をもって知っているのだろう。
何も分からぬ2~3才から仕込んで今の姿まで育てたようだ。今のシニアの一流選手達のほとんども、
子供の頃からそうした環境、過程を経て選手になったという。
あの人間として育つのに一番大事な時期(第一育成期)に、そのほとんどを犠牲にしてまでもやらないと、
中央では世界では通用する選手にならないのは分かる。しかしもし自分の子供がやるとしたら、そうした
やり方は可哀想で不憫で、そしてどんな人間に育つのかと恐ろしくて、とてもやらせられない
様な気がする。最も自分が実業団選手でも何でもなかったから、あそこまで鬼にはなれないのだろう。
しかし同じ様な幼少期を経てきた現在の一流選手達が、皆可愛らしく、案外素直そうな良い子ばかりの様だし、
アスリートとして毅然としたところもあるのだから、そんな心配はあまりいらないのかもしれなけれど。
それともう一つ気になるのが、次代を担うジュニア界の有望選手の親のほとんどが、元卓球選手である事だ。
選手の厳しさ苦しさ、そしてそのうちの一部の勝者に与えられる栄光の快感や恩恵なども、選手でなければ
分からないということかも知れない。親が自分の夢の果たせなかった分を子に賭けるという傾向も強いようだ。
これは野球だとか他のスポーツでも結構みられる関係だが、卓球親子には何か特にそうした因縁、因果、
執着性といったものが他のスポーツに比べて多いような気がする。
この点に何だか不安を覚えたり、妙な違和感を覚えるのである。
元全日本の名監督だったM氏は(卓球ジュニアサポートジャパン主催)子供達への普及拡大に力を入れている
方だが、「中国や世界で勝つには、子供の頃からやらねばならないが、競技人口が増えれば必ず中国に勝つ
時代が来る。それには両親が卓球選手だったとかではなく、広く一般の子供達に門戸を開かなければならない」
と言って、全国を廻ってジュニアの普及運動をされているそうだ。
親がやっていたという世界だけでなく、もっと全国的に卓球を広め、底辺の拡大、
分母を大きくして置いて、そこから素質のある子を育てて、卓球日本の再現をして貰いたいものだ。
100人から選ばれた選手より、1000人からの選手が強いのは、例外を除けば確かだろう。
中国の選手達は国策的に、1万人いや10万人から選ばれたエリート中のエリートなのだろう。
日本のスポーツ科学、医学、コーチ術を駆使すれば、5000人位からのエリートを育てれば、あの中国にも
対抗出来る時代が来るのではと思っている。それに加えて国の援助が中国に近いものになれば、必ずそうなる
だろうとあまり科学的な根拠はないが、私の直感と希望的な観測では確信しているのだが…。