まこちゃん日記

まこちゃんのピンポン日記です。

11月27日 片目でするピンポン

2007-11-27 14:42:00 | Weblog

 朝からどんより曇った冬の空。しかし寒さはまだまだ冬の子供くらいだ。
動けばうっすら汗ばむ程度で、寒からず暑からずの良い塩梅の陽気だった。
他のサークルがある人と風邪で発熱の方とがあったが、今日はほとんどの顔触れが揃った。
前回、見学された入会希望のTI氏もみえたので、皆さんに紹介し、形だけだが諮って
快く承諾を得た。今日からメンバーとなって早速に練習を始める。
入退会も自由で寛大で、大らかな我々サークルの良い点の一つだ。

私は今日は極力片目をつぶってやってみることにした。左右があまりに視力、視界,視野と明るさが違うので、両目を開いていると却って、変な感じで目眩いや不快感を感じる様になってきたので、それならいっそ片目の世界に早く慣れた方がと思ったわけだ。

しかし最近ではつい本気になった時は、既に無意識に片目をつぶっていた様な気がするので、不安や心配した程の違和感はなかったというのが第一印象であり自分の感覚だった。
鬱陶しさと視野の狭さと遠近の分かり難さは、これはもう如何ともしがたい。やはりピンポンがやりにくい。

それでも考えていたよりは、ラケットに球が当たるのが不思議だが、これは我々レベルの球だからか、はたまた相手の人の思いやり球のお陰なのか。それにしてもピンポンは意外に球をじっくり見るよりも、相手との距離が近くて(世界のスポーツの中で相手と一番近くでやる球技だそうだ)、それだけ球が早く来るから勘に頼る要素が案外強いのかもと驚く。球は通常、相手の打点とラケットの角度の延長線上へ来るわけだからある程度打てるのかも知れない。しかし凄く早い球や鋭い変化球には厳しくてとても対応出来そうもない。

それに対処するには台から離れたらどうかと試してみたが、ロングになると見てなくてはならぬ時間が長くなって却って難しくなる。球が途中で消えてしまうゾーンが多くなる。
子供の頃にやったピンポンは、台から離れてやったし、カットや突っつきなんてのもなかった。今でも台から離れたゆっくりした長い長いロングラリーが一番楽しい。しかしこれからは嫌でも、後ろに下がらず台にくっついた現代ピンポンになるしかなさそうだ。

つなぎは突っつきで、攻撃はフリック打ちで(台上でバウンド直後の球を払うように打つ)が、これからの私に最も適したピンポンだと思った。

眼は二つあるから、物が立体に見え遠近が分かるという。しかも両眼で見ることによって視野は(緑内障は別だが)両サイドでほぼ300度のワイドな視界がある。これが片目だと開いた目の方に片寄った180度位に狭まってしまう。来る球が見えなくなるのはともかく、それによって世界が、世間が狭くなって、世の中や人間の心が見えなくなるのではと心配だ。

そうして自分の心まで暗く狭くならぬように、今まで以上に平静に広い気持ちで、良く物事を見るように努め、明るく振る舞い楽しく過ごそうと思うのだが…。
これからは心眼でもって、球を見、世間を見、人を見る練習をしよう。これが独眼流の極意なのかも知れない。
却って今までより、世の中や人間が見えるようになってしまったらどうしましょう!!

11月25日 片目でもピンポンやらなくちゃ!

2007-11-25 20:30:53 | Weblog
 三連休の最終日。すこぶる天気も良く温かい。葉山からのYZ夫妻、YUKI坊、RYU少年など久し振りの顔もみえて、8人で楽しく今日も練習する。
そこへ初めての方が見学にみえる。矢畑にお住まいの方で、夏の市の卓球講座でご一緒した方の様だ。今日は天気が良いので海へ散歩に来て、ひょっとすると日曜にこの辺の公民館でピンポンやってる人がいたなぁとふと思い出し、公民館を探し探して訪ねてこられたようだ。

 かなりピンポン好きでお上手な方の様だ。まだ現役の61才と、私などからみると眩しいような若さだが、おつむの加減は私の丁度10年前と丁度同じ位なのが、この人はいい人なのだなと思わせた。多分穏やかな常識的な紳士なのだろう。
頭の薄い人に悪人なしという金言は永遠の真実である。

 見学から少しやってみて、ぜひこの会に、ご迷惑でなかったら入れて下さいということで、早速、今日出席の皆さんに諮ったら異存無しと云うことだったので、次回から自由練習のメンバーとして、どうぞということになった。
又、新しいメンバーが入って一層の楽しいサークルになってくれればと思うばかりだ。

 ピンポンを運動の為にと始めていつの間にか早や5年。少しは慣れてきただけであまり上手にはならない様な気がする。しかしそれはそれでいい。良い運動には為っているし、賑やかに楽しくやって、これじゃあ今や中高年が気をつけろと盛んに言われている「孤独」にも「うつ」にも成りようがない。

縁あってサークル仲間になった人達が、気持ちの良い気のいい人が多くて、何とも和気藹々の雰囲気なのがいい。生まれ育ちも違い、過ごして来た世界もその環境や事情も全く違ったろうに、そんな事にはあまり関係なく、皆さん大人の常識人として、協調性に富み、和を重んじ、ユーモアがあってそして何より思い遣りがあってやさしいのが素晴らしいと何時も思っている。
他と比較しても、他ではよくとんでもない人や文句居士、何にでも不平居士などが居てというのを聞くが、うちは良いサークルだと思う。

そのお陰で、飽きっぽくて、ルーズで、気が弱くてシャイで、リーダーシップなど全くなく、細かいキチンとしたことの苦手なこの私でも、世話役をしながらピンポンを続けられているのだろう。
5年の間には病などでリタイアーした人も何人かあったし又いろいろあったが、続けられて来たことに感謝している。これからの我々の人生では同年輩の仲間がないと孤独に陥る人が多いというが、お陰でそんな心配も不用の様だ。

こんなサークル活動をいつまでも続けられる為に、少しづつの片目でのピンポンの練習をやり始めなきゃと思っている。伊達政宗公も強かったそうだし、柳生十兵衛は有名な剣豪だ。私はピンポンの独眼流を実現させようというわけだ。

片目のピンポンの名人というのは聞いたこともないが、絵のサークルの先生には「片目でもいい絵描きさんがいるよ」と言われたし、「目が悪くなってからの絵の方が良いじゃない!」と妙な慰めやからかわれ方をしている。

そういえば、「今年の絵は(最近はさすがに鬱陶しくて描いてないが)どうも立体感、遠近感や質感や色彩感覚に欠けるなぁ」と独り言を言ってたら、
「前から、そんなレベルの絵だった」と家人に言われてしまった。

悪いなら悪くなったなりに、それ以上は進まず現状を維持できるならば良しとして、全て台上で処理するショート打ち、クリック打ちの現代風ピンポンに変更して、皆の相手が出来る様に頑張りたいものだ。

11月23日(金) 久し振りにピンポンへ

2007-11-23 20:04:44 | Weblog
 結構寒くなったものだ。汗をかくのが少なくなったし、休憩時はすぐ冷えて寒くなってくる。暖房を入れて汗をたっぷりかいた方が却ってからだに良いのかも知れないと思ったりする。 

 先週の定例練習が館の行事で出来なかったので、今日に振り替えて変則的な曜日と時間だった勢なのか、今週の定例練習の20日から直ぐだった勢か、それに祭日でもあったからか、見学者を入れて僅かに5人だった。

 見学の方は、うちのメンバーのIS氏の紹介で、彼のテニス仲間だそうだ。年の頃も彼と同じ位か。ちょうどIS氏とYS氏との火の出るようなラリーをじっくり見た上で,やおら「ぜひ入会させて下さい」とおっしゃったから、ひょっとしたらかなりお上手かも知れない。

 メンバーの紹介のことだし、何より普通の常識的な方のようだし異存はないが、まずは次回の定例練習日に皆さんに諮ってみることにしよう。 

 私は6日の先生のレッスン日以来だから17日振りとなってしまった。
光に当たらない洞窟生活か、冬眠中の熊サン(但し私は飲み食いをしていたが)の様な一週間があった勢もあるが、やはり外気を吸って、明るい光のもとで体を動かせるのは、そして汗までかけるのは何とも快く,生きているのが嬉しい様な気分だ。爽やかになる。
ふと、体が悪くても、弱くてもけっして人生の敗者じゃないぞなんて気さえしてくる。
悪い弱いからこそ,他人の弱さ、痛み、苦しみが分かり、思いやることが出来るのかも知れない。こういう気持ちを大事にしたいと何故か強く思った。

 次回から、又毎週参加して楽しくやれるように体調維持や健康管理に気を付けようと思う。いつもそう思ったり決心しては、いつも口ばっかりで実行できたことはほとんどなかった今までの人生だった。しかし今度こそは古稀を区切りに何とか
私も変わりたいものだ。変えたいものだ。

 そんな殊勝な決心をしている私なのに、口の悪い身近かな外野勢は、「もう無理だよ、その年になると変わらないよ!」とか、「何事も続かない人はやはり途中で挫折するのが落ちでしょ!」「 所詮、人間は死ぬまで、悪い奴はワルだし、我が儘は我が儘、頑固は頑固、阿呆は阿呆だよ。」 「急に良い人になったり、気配り出来る様にはなれるもんじゃないよ! 気の弱いのもそのままさ!」 と言う人の声で賑やかだ。よく考えてみるとそれが本当かも知れないなぁ。

 人間性を変えるとか、変わるという事は至難のことなのだろう。ましてや得度するとか、悟りをひらくとか達観するとかは、凡人には所詮難しいことだろう。
だから幾つになっても或いは一生、いつも悩み、嘆き又ある時は怒り、煩悩に苦しむのかも知れない。それが人間の普通の姿なのかも知れない。

 それでもある朝、目を覚ましてみたら、「眼はすっきりと見え、血糖値は正常で、体中には元気がみなぎり、心は穏やかに澄んでいて、寛容と博愛の精神に温かく満ち溢れている」という奇跡が起きていた、という夢を時々見ているこの頃なのである。

11月20日 今日のピンポンは残念ながら欠席

2007-11-20 18:17:36 | Weblog
 今日は6人だったそうな。所用あり来客ありや温泉旅行の方、風邪の人やお腹をこわした方まであって一寸少なかった様だ。先週は会場を取れなかったので、まるまる2週間も練習が空いてしまった訳だ。久し振りだなぁと思った方は、週一のピンポンの習慣が大分身に付いたのだろうか。きっと皆さん張り切って楽しくやられたことだろう。天気もまあまあで何よりだった。

 私も何ともやむを得ず休むしかなかった。外は明るく楽しそうなのに、今日で4日目になるのだが名実共に暗い陰鬱な生活をしている。先週の16日に東京の大学病院で、黄斑変性網膜症の再発の為、PDT(光線力学療法)を受けてきた。昨年暮れの初めての時は、一週間の入院だったが二度目の今回は日帰りでやれたのが、せめてもの救いだった。

 しかし特殊な蛍光剤(光に極めて強く反応する)を体内に注入しているので、一週間は光に当たらない生活をしなければならないので、それが大変だ。
病院から帰るときは幸い夜だったが、コートの襟を立て、つばの広い帽子(麦わら帽のような形の帽子という指示なので、フェルトの凄いのを娘から借りた)を目深にかぶり、大きいサングラスにマスクをし、手袋をして、人目を避けるようにうつむき加減でという格好だった。そのまま銀行強盗でもやれそうなスタイルだ。
あまり知った方には会いたくない格好だった。これが夏だったらもっと大変だろう。

 家に戻っても、太陽光はもちろん、白熱灯、ハロゲン系のランプの光は厳禁という生活で、かなり厄介なものだ。それでも病院で何もすることもなく、あの薄暗い病室で、あの食事でベッドの上での一週間に比べればまだ良いかと諦める。
僅かにTVは許されたので、ついでにPCも同じだろうとこの日記を書き、たまったメールの処理した。返事メールを数件こなした。
次の23日の定例練習は、丁度一週間になるので大丈夫だろう。

 そういえば正月に倒れたDY氏から、前にメールや留守録に入れて置いたら、先日ご自分で電話を入れてよこした。やはりまだ、週に3度のリハビリをしているが動かないよと訴えていた。聞いているこちらの胸が詰まる。慰めの言葉が直ぐには出ない。その日は初めて近所の神社の境内まで、奥さんに押されて車椅子で散歩に行って来たとか、外の空気を吸って多分気分が良くてTELする気持ちが出たのだろうか。

 体が丈夫で何処も悪くもないという人が、何と言っても、例えどんな人間であっても、もう理屈を越えて一番だ、人生の勝利者だなぁとつくづく思ってしまう。
一に健康、二も健康、三、四が無くて、五にピンポンか。
 




11月6日 全員で楽しくピンポンレッスンを受ける

2007-11-06 20:08:12 | Weblog
今日は9月に続いて、先生にレッスンして貰う日。
さすがに11人が参加する。ほぼ全員だ。皆さん結構、真面目に真剣にしかも楽しそうに喜々としてやっている。
今回も、突っつき、バックショートなどが主なテーマの人が多かった様だ。

本来ならば例え短期間でも、毎週のように詰めて継続してレッスンをやって貰うのが、一番効果的なのだそうだが、残念ながら先生が火曜は他でのレッスンがあって実現はしない。
時には、一時的に集中してやるのが、体の反復練習が必要なスポーツの様なものにはポイントだから、いつか1ヶ月(4回)位でそんな機会が持てればいいのだが…。

レッスンなんて窮屈で嫌だ!面白くない!直されたり命令されたりは今さらどうも! それよりはカウント取ってワーワーやってた方がいい等々の意見がまだあるかも知れぬが、もうここまでのレベルに来ている皆の様子をみると、一寸我慢してやってみたら、皆が各々自分のレベルなりに、即ワンランク上がってしまうのは必至だろう。

「自由参加で出入りも自由で、自分の体調体力に合わせてマイペースにやりながら、皆との和とコミュ二ケーションによって、心身共に健全で楽しいひと時を過ごす。そして出来るだけそれを長く続ける」というのが我々のサークルの主旨だと思う。
従って皆で一斉に同じ練習をするのは難しいわけだが(体力、レベル、考えの違いで)、しかし皆で楽しくやれる最小限の工夫や方法はある筈だ。

例え、先生コーチが居なくとも、我々同士で球出し等のコーチ役になったり、なって貰ったりという楽しくやりながらの有効で合理的な方法が幾らでもあると、この間の市民卓球講座でも盛んに話題に出ていた。

しかし問題もあるとかで、
「練習台(例えば球出し役)になってやるのを面白くないと思わずに、自分もコントロールの練習をしていると考えること」
「練習させて貰う方は、自分より下手か、せいぜい同じ位のレベルの人に教えて貰うようで面白くない、有難味がない、馬鹿馬鹿しい、面子やプライドが……」
と思うのか、文句不平ばかりでやらない人が居るという。市の卓球教室でも(卓球に限らず何の教室やサークルでもそうだそうだが)必ずそんなおじさんが10人のうち2,3人は居るそうで、グループ別に分けてやるときに職員や専門コーチ泣かせだそうだ。思わず成る程なぁといろんな人がいるものだとその話が妙に印象に残った。

そういえば絵のサークルで、思った通りの批評して呉れと何度も頼まれたので
その時はたまたま私としては珍しく辛口の感想を言ったのだったが、儂より下手な奴に言われた、面白くないと陰で文句を言ってる人が居たのを思い出した。
人の世は全く難しい、面倒なものだ。皆、自分が一番で、正義で、そして可愛い。本当のことを、真実を言ってはいけないことも多いようだ。
しかしピンポンで(何事でもそうだろうが)、「より上達するのと、より楽しくなるのは同義語である」というのはこれは本当に真実である。

私ももう遅いかも知れないが、どんな人にも気を配り、その境遇、事情を思いやり手を差し伸べ、笑いかけ、何があっても許せて、何かをしてあげられる様な大きな人間になりたいものだと、古稀にもなって、いや、なったからこそかも知れぬがしみじみとそう思う。
人間は何と悪くて、愚かで、自分勝手で小賢しいものか、しかし何と弱いもので憎めないものなのだろうか!とも思う。 人間万歳!
 

いよいよ、独眼流ピンポンになるしかないのか。

2007-11-03 21:34:53 | Weblog

 今日は8人。天気もまあまあ爽快な日なり。先月は第5火曜まであり練習休みにしたので、久し振りのいい汗だった。
張り切りオールドボーイのYS氏も肩の痛みも大分軽くなったと姿をみせた。孫のRYu少年は部活とかで来れなかったが、MAH夫婦もテニスを終えてから駆けつけ賑やかに活気に溢れた。皆いつものようにショートラリーから入って、バックやカット、突っつきを自然にやっている。ダブルス戦も熱が入った。

それでも1ヶ月前に先生のレッスンを皆で受けたのだが、やはりどうしてももうかなりいつもの我流に戻ってしまっている様だ。
しかし今回は、明後日には又レッスンがあるから矯正して貰うのが楽しみだ。
我々の年代になっても、これを何度も何度も繰り返して練習しているうちには、
いつの間にか少しは正しい基本が身に付いて、それを契機にぐうっと上達して一皮むけて、ますます楽しくなれるのだろうと期待しているのだが…。

 さて、この所どうも眼の調子が一段と良くない。残念ながら確実に進行している様だ。左眼は真ん中が暗く欠落しその周りは歪んでぼんやりしか見えない。
不便で鬱陶しい事この上ない。

この黄斑変性網膜症は、まだ現在では治療法が無いそうだから、少しでも長く現状を維持するしかないのだが……。
いつも日頃は家でも外でも、眼は二つあるから大丈夫と言って、努めて明るく振る舞って来たつもりだが、さすがにもしもう片方が同じになってしまったらと愕然とする思いである。笑顔が内心では引きつる感じである。

糖尿で私は一日一万歩のノルマがある。唯、黙々と歩くウオーキングがどうにも嫌いで、他に何も運動らしきことはしていないので、ピンポンを今のところは止めるわけには行かない。折角の、楽しくユニークで協力的な常識人で良い人の多い仲良しサークルも捨てがたい。

続けるためには、両眼では却って見難く、頭痛や目眩や疲労感に悩まされるから、そろそろ思い切って片目だけでやることに割り切るしかないのだろうか。
本当にやれるかどうか分からぬが、やるならば仲間の皆さんに迷惑を掛けぬように頑張らねばと思う。三時間のうち、最初は何分、何十分、一時間と徐々に増やしながら、眼帯を掛けてやって少しづつ片目のピンポンに慣れて行こうかと思う。
眼帯掛けてするなんて、相手の方に失礼な気がして今まで躊躇していたが、よく説明して何とかご理解頂いて許して貰おう。
果たしてどこまで出来るだろうか。何とも悲しい哀れな決断だが努めて明るく楽しく頑張るしかあるまい。