「クラゲの舞い」 夏休みに行った水族館でー(3)
高橋 果鈴(小4)撮影 26年、8月
早い早いもう9月も終わりだ。今日は11人も参加だ。
天気は爽やかで明るくまるで私を祝ってくれているようだ。
というのはピンポンには全く関係ないが、今日は私の誕生日だ。ついこの間は敬老の日
だったし、この数週間は珍しく私が主役の行事が多い。
と言っても何があるわけではないが、バーズディケーキを皆で食べる時に私が一番大きい
のを取れる権利位のものである。
今や公私共に全てに脇役やその他大勢を享受しているが、それはそれで気楽で楽しいものだ。
10月中旬には、疎開した会津若松の小学校時代の同期会で「喜寿の祝い」として上野の森の
精養軒で大パーティをするという案内状が届いている。
正式な同期会の集まりとしては、いよいよこれを本当にもう最後にするからぜひ出席されたし
との電話が、いつもお世話してくれる親切な常任幹事からあった。
喜寿なんてまるで人のことの様だったのに。とうとう昔からの集まりの一つが消えるのか。
本当に面倒見の良い情熱家の常任幹事さんのお陰なのだが、実に様々な企画で長年に亘って
開催してくれたものだ。我々あの10才の子が今や喜寿になったわけだ。
これも時の流れ、ささやかながら歴史の一つの変遷だと受け留めるしかないのだろう。
労をいとわず皆のために働いて呉れた世話役さんには心から感謝するばかりである。
皆のためにお世話をするというのもなかなか出来ないことであるから、偉い人、大した人だと
頭が下がる思いである。
それにしても、よくも今日のこの年齢まで何とかピンポンをやって居られたものとしみじみと
した一種の感慨に浸っている。有難いことだと思っている。青鳩にはもっと先輩が居られる
わけだから、これからも彼等に見習いながらそれに続きたいものだ。
世の中には、一方ではもっと可哀相な方もいるし、そうかと思うともう片方にはやたら丈夫で
元気で颯爽とした凄い方もいる。
病気持ちの軟弱で心配症のまことに冴えない男ながら、自分はこの程度でも、しょうがないか
と思い込むことにするつもりだ。
この年までピンポンやれていて……と書いたが、何もピンポンでなくとも良かったわけだ。
たまたま声を掛けて頂き、あまりやったことはなかったが、ピンポン位なら簡単に出来るだろう
と生意気にも高をくくって始めたものだ。
子供の頃には、三角ベースの野球かメンコか相撲か卓球か位しか遊びがなかった。
私は草野球と卓球でよく遊んでいた。
しかし大人になって何十年ぶりにやってみると、これが思っていた以上にとても難しいもの
なのに驚いたし、今では想像以上に奥深いものだとおぼろげながらも感じている。
少しずつ上達するのも楽しいし、遊び感覚もあるし、面白くもあって皆で和気藹々やっている。
今ではこのピンポンを選んで良かったと思っている。
上級のは別にしても、我々レベルだとハードにもソフトにも自由に出来るし、男女にも年齢にも
関係なく出来るからだ。
今日の誕生日の年まで、少なくともこうして、何かスポーツを定期的にやっているとは思いも
しなかった。ピンポンのお陰で、そこそこ体が動いて、気力(やる気、好奇心、向上心)を萎え
させずにいるし、幸い人との付き合いも億劫でなくやれているし、感謝をしながらこれからも
ぜひ元気に続けようと思っている!
それはそうと今日は練習中に扉が薄目に開いて、年輩のご婦人がのぞき込んでいた。
見学させて下さいと言うので、知らぬ方だが余程のピンポン好きか、運動をしたいのだろうと、
どうぞ見学だけでもと言って入って貰った。
ここの公民館はウオーキングのコースで今日もその途中で覗いてみたという。
聞くと10年以上も卓球を正式にやっていたが、介護やら何やらで中断してここ暫くはやって
いないそうだ。やりたければ館の主催行事で月に1回(土曜)、一般開放というのがあって
初心者も経験者も何方も気軽に出来るから、それに来られたらどうでしょうと言っておいた。
それでもずうっと見学していた。
年齢は見当も付かないが、余程の達者か、老人特有のマイペースの自信過剰タイプなのかなと
思っていた。途中の休憩時間になって皆が台から離れたら、「やりませんか!」と申し込まれ
てしまった。そこで最若手で勢いのある青鳩のホープの遠藤さんに相手をして貰った。
お上手な様な、そうでもないような感じではあった。
しかし初対面の多くのプレーヤーが休んで見ている前でやれるのはかなりの自信家なのだろう。
私はみっちり基礎をやったからと言って居られたそうだ。恐れ入った。
あまり私の理解の範疇内のタイプの方ではなかった。
周りの女性メンバーと見学しながら雑談していたが、絵を描く方だそうで地元の有名な絵の先生
とはお友達、青鳩に2人もいる水彩画の鶴彩会の展覧会はよく見ていること、同会にはごく親し
い友人も居るという。
そしてさらに驚いたのは、10年も前だが藤沢の体育館で、何とあの我々の安西先生に長年
みっちり習ったということだった。
何という偶然が、三つも四つも重なっていた。確かに嫌になるほど世間は、異なもの奇なもの
そして狭いモノだ。反面、だからこそ世間は面白いともいえるのかも知れないが。