まこちゃん日記

まこちゃんのピンポン日記です。

9月30日(火) ピンポンやって元気に過ごそう!

2014-09-30 19:49:02 | Weblog

    
         「クラゲの舞い」 夏休みに行った水族館でー(3)
                    高橋 果鈴(小4)撮影 26年、8月


早い早いもう9月も終わりだ。今日は11人も参加だ。
天気は爽やかで明るくまるで私を祝ってくれているようだ。
というのはピンポンには全く関係ないが、今日は私の誕生日だ。ついこの間は敬老の日
だったし、この数週間は珍しく私が主役の行事が多い。
と言っても何があるわけではないが、バーズディケーキを皆で食べる時に私が一番大きい
のを取れる権利位のものである。
今や公私共に全てに脇役やその他大勢を享受しているが、それはそれで気楽で楽しいものだ。

10月中旬には、疎開した会津若松の小学校時代の同期会で「喜寿の祝い」として上野の森の
精養軒で大パーティをするという案内状が届いている。
正式な同期会の集まりとしては、いよいよこれを本当にもう最後にするからぜひ出席されたし
との電話が、いつもお世話してくれる親切な常任幹事からあった。
喜寿なんてまるで人のことの様だったのに。とうとう昔からの集まりの一つが消えるのか。
本当に面倒見の良い情熱家の常任幹事さんのお陰なのだが、実に様々な企画で長年に亘って
開催してくれたものだ。我々あの10才の子が今や喜寿になったわけだ。
これも時の流れ、ささやかながら歴史の一つの変遷だと受け留めるしかないのだろう。
労をいとわず皆のために働いて呉れた世話役さんには心から感謝するばかりである。
皆のためにお世話をするというのもなかなか出来ないことであるから、偉い人、大した人だと
頭が下がる思いである。

それにしても、よくも今日のこの年齢まで何とかピンポンをやって居られたものとしみじみと
した一種の感慨に浸っている。有難いことだと思っている。青鳩にはもっと先輩が居られる
わけだから、これからも彼等に見習いながらそれに続きたいものだ。

世の中には、一方ではもっと可哀相な方もいるし、そうかと思うともう片方にはやたら丈夫で
元気で颯爽とした凄い方もいる。
病気持ちの軟弱で心配症のまことに冴えない男ながら、自分はこの程度でも、しょうがないか
と思い込むことにするつもりだ。

この年までピンポンやれていて……と書いたが、何もピンポンでなくとも良かったわけだ。
たまたま声を掛けて頂き、あまりやったことはなかったが、ピンポン位なら簡単に出来るだろう
と生意気にも高をくくって始めたものだ。
子供の頃には、三角ベースの野球かメンコか相撲か卓球か位しか遊びがなかった。
私は草野球と卓球でよく遊んでいた。

しかし大人になって何十年ぶりにやってみると、これが思っていた以上にとても難しいもの
なのに驚いたし、今では想像以上に奥深いものだとおぼろげながらも感じている。

少しずつ上達するのも楽しいし、遊び感覚もあるし、面白くもあって皆で和気藹々やっている。
今ではこのピンポンを選んで良かったと思っている。
上級のは別にしても、我々レベルだとハードにもソフトにも自由に出来るし、男女にも年齢にも
関係なく出来るからだ。

今日の誕生日の年まで、少なくともこうして、何かスポーツを定期的にやっているとは思いも
しなかった。ピンポンのお陰で、そこそこ体が動いて、気力(やる気、好奇心、向上心)を萎え
させずにいるし、幸い人との付き合いも億劫でなくやれているし、感謝をしながらこれからも
ぜひ元気に続けようと思っている!

それはそうと今日は練習中に扉が薄目に開いて、年輩のご婦人がのぞき込んでいた。
見学させて下さいと言うので、知らぬ方だが余程のピンポン好きか、運動をしたいのだろうと、
どうぞ見学だけでもと言って入って貰った。
ここの公民館はウオーキングのコースで今日もその途中で覗いてみたという。
聞くと10年以上も卓球を正式にやっていたが、介護やら何やらで中断してここ暫くはやって
いないそうだ。やりたければ館の主催行事で月に1回(土曜)、一般開放というのがあって
初心者も経験者も何方も気軽に出来るから、それに来られたらどうでしょうと言っておいた。
それでもずうっと見学していた。
年齢は見当も付かないが、余程の達者か、老人特有のマイペースの自信過剰タイプなのかなと
思っていた。途中の休憩時間になって皆が台から離れたら、「やりませんか!」と申し込まれ
てしまった。そこで最若手で勢いのある青鳩のホープの遠藤さんに相手をして貰った。
お上手な様な、そうでもないような感じではあった。
しかし初対面の多くのプレーヤーが休んで見ている前でやれるのはかなりの自信家なのだろう。
私はみっちり基礎をやったからと言って居られたそうだ。恐れ入った。
あまり私の理解の範疇内のタイプの方ではなかった。

周りの女性メンバーと見学しながら雑談していたが、絵を描く方だそうで地元の有名な絵の先生
とはお友達、青鳩に2人もいる水彩画の鶴彩会の展覧会はよく見ていること、同会にはごく親し
い友人も居るという。
そしてさらに驚いたのは、10年も前だが藤沢の体育館で、何とあの我々の安西先生に長年
みっちり習ったということだった。
何という偶然が、三つも四つも重なっていた。確かに嫌になるほど世間は、異なもの奇なもの
そして狭いモノだ。反面、だからこそ世間は面白いともいえるのかも知れないが。

9月23日(火) ピンポンのレッスンを本気で受けて上手になろう!

2014-09-23 16:03:40 | Weblog

            レッスン風景 9月23日    
       
今日は久し振りのレッスン日。天気も良く秋の爽やかな1日の秋分の日。
体調不良のお二人と所用の方もお二人だったが、皆さん元気に出席で9人が集まる。
鳥居さんが先生の顔を見にみえた。依然として左半身のシビレが治らない様だ。腰椎の狭窄症
らしいが長引いている。日常生活がまあまあ出来るなら、医者からはその位ならそれで良いで
しょうと言われたらしいが、毎週テニスとピンポンをやり、さらに模型作りと自家農園をやる
というのがご本人の日常生活であって、その生活の内容と質において医師との大きな食い違い
があるようだ。1日も早い復活を待っていよう。

さて今日のようなレッスンで、教えて貰う基本,セオリーなどが大事なことは百も承知して
いるがなかなかそれが身に付かない。
何となくカットらしき事もしているし、結構強打のラリーや突っつきまがいのプレーもして
いるので、或いはなまじそれらしき事がやれているから始末が悪いのかも知れない。
自分で自分の姿は見えないから、個性的で芸術的とも言って良いような奇妙な愛すべき
フオームや格好であることや、球の回転が少ない球であること等に気が付かないのだろう。

例えば私など先生から「カットをしているつもりでしょうが、全然切れてませんよ、今の
3倍位は切れなきゃカットと言えない」と言われている。
その上先生は「それでも切った様な格好で切れてないのは案外試合などでは相手を惑わし
良い武器になるかも、それにここのグループにはカットマンが1人も居ないので練習台に
なるから良いでしょう、あまり切れ出すと相手が返せなくて練習にならないが、
今なら丁度よいから皆さんのカット対策の良い練習台の為にもどんどんおやりなさい!」
とのたまわれた。
多くの人のボールがネットに掛かるようになったら私のカットが切れ始めて進歩した証拠
なのだが、幸か不幸か未だに皆が気持ち良さそう楽に打ち返してくるのである。

フォアーのラリーにしても結構打っているつもりでも、唯当てているだけ、腕力で押して
いるだけなのだということに気が付いていない。
ピンポンは如何に回転をつけるかがポイントで、フォアーハンドの打球にしても如何に
スピンをつけるか或いはドライブを掛けているかが、これが初球と中上級との差だそうだ。
どうしてもただ強打しているだけで、振り切ること、こすり上げる感じの打ち方が
出来ていない訳だ。

その上子供の頃の名残で、強打した時には無意識に打ち終わって手首でラケットを
かぶせている。昔やった人ほどそれが目立って居る。子供の頃に当時流行った特厚の
スポンジラバーなどで猛打を誇った少年などには顕著な現象である。
顔の前まで振り切ると教えられても、なかなかその当時の癖が抜けないようだ。

昔ゴルフをかなりの熱を入れてやっていた頃、球をミートしてからフォロースルーを
ゆっくり長く大きく取れと盛んにシングルの教え魔さんに言われたものだ。
クラブフェースと球が当たってボールが飛び出す。するともはやクラブとボールは
互いに無縁の存在の筈だから、フォローを大きくと言われても本当のところは納得
できなかった。

ピンポンでも同じ様な事がいえるだろうし、ラケットに弾かれて飛び出した球は、
その後にラケットをかぶせても果たして影響あるのかしら、と言うのに似ている。
ただ強く打つだけなので勢い台をオーバーするのではという心配が脳裏をかすめ、
その為無意識にそうした動作を取るのだろう。

昔のピンポンはスピンなどとはあまり関係ないものだったし、道具も回転などが
つけ難い粗末なものだった。それで力一杯打つだけなのだから、その回転によって
巧く台上に落ちるなんて事は期待できずに、そうなるのもやむを得なかった様な
気もする。

打ち終わってから、手首を捻ってラケットをかぶせるこの動作は、実は球にラケットが
接する前から始まっていて、当たった瞬間に球にデリケートなその動きを伝えているの
かも知れない。
こんな事を無理に推測して、このカブセ動作を正当化しようとしているがどうも
いまいち自分自身でも説得力に乏しい。

どんなスポーツでも、長年の経験、研究の積み重ねで導き出されたセオリーとか
ノウハウ、そしてそれの合理的且つ効果的な又は簡便な習得法が確立されている。
この便利な時代にそれを利用しない手はない。特に我々の年代ではそうだろう。

昔のように血の滲む様な猛練習とか長い長い時間を掛けて会得するとか、上手な
人の技術を見ていてそれを我がものにするなんていう昔からの主流で確実な練習法
と言うのには、もはや時間があまりにも足りない。
それなら先生のレッスンを大いに利用して比較的に楽に上達する近道を見つけるのが
合理的だ。

もちろん我々は、これで選手になるのでも試合に出ようとしているのでもないの
だから、当然、適当にやれば、自分の好きにやれば良いのだという考えもあるだろう。
しかしどんな事に対しても例え何をするにしても、向上心や上達志向を持てなく
なったらもうその人は、肉体的には別だが、精神的にはもはや自分の世界に埋没し
関心事は己のことそれだけで、自分を取り巻く周りの小宇宙のこと、人間のこと、
人生のこと、他人のこと、社会のこと等には関心もなくなり、もうそろそろ精神的な
人間稼業も卒業間近と言われてしまうかも知れない。

年齢には関係なく、昨日よりは一歩でも上手にそして格好良く出来るようにという
気持ちを忘れずにやりたいものだ。これも後期高年者おじさん方の一つの美学では
なかろうか。

日々少しづつでも上手になれば、今の何倍も面白くなるということを忘れてはなら
ない事だ。上手になればなる程、今は分からない楽しさ面白さがあるそうだから。

習ってやり方を覚えて反復練習をして、又習って修正して反復練習をして、
よく理解して又反復練習してというパターンの繰り返しで、知らぬうちに或いは
手応えを感じながら徐々に上達して行く。

楽しみながら根気よく気合を入れてやっていれば、きっとそのうち、生きてさえ
いればだが、バックを軽々、フォアーはドライブが掛かって、カットは切れて、
サービスは超変化球となり、そしてラリーは永遠に続く位になること請け合いで、
ピンポンの本当の面白さ醍醐味を笑いながら享受しているに違いない。



9月20日(土)ピンポンも笑いながらやれば心の薬!!

2014-09-20 19:26:07 | Weblog


            「壺に閉じこもるタコさん」 夏休みに行った水族館でー(2)
                   高橋 果鈴(小4) 写す 26年8月。

この数日ですっかり秋めいてきた。今日辺り天気がいまいちの勢もあったが肌寒い位だ。
しかしプレーが始まればもうすぐに大汗だ。丁度今は、会場も冷房を使用出来るか否かの
難しい時期であり完全に冷房が利かずで、逆に今がピンポンにとっては一番暑い時かも知れない。
今日の自由練習には5人が参加だった。私はどうも最近調子が出ないカットとバック打ちに
徹した。反復練習するのが、それを覚えるには最良の方法だと信じているから。

正しい打ち方、基本を知って(又は習って)からの、或いは直して貰いながらの反復練習が
最も良いと言われる。しかし我々は肝心のレッスンがあまりにも少ないのだが、まあやらない
よりはましなのだろう。

基本や正しい知識のない反復練習というやつは、これの大きな欠点は慣れによってそこそこ
出来るようになってしまい、その自己流が強調され変テコなフオームが固まり、そうなると
もうなかなか矯正は難しいと言うことだ。

そうすると、ご本人も上手になったと錯覚してしまうことも多いだろう。
すると進歩上達はそこまでで幾らやっても伸びしろはないとよく言われることである。
幸い我々は未だそこまでの自己流達人の境地にも達してないから、これから基本をやりレッスン
に気を入れて受ければ、80才前には今よりずっとましになることが出来るだろう。

今日もラリーをしていてつくづく思ったのだが、面白いものでこちらが強く打つと相手から
必ずより早くて厳しい球が返ってくるものだ。人間社会や人生と同じ様なものかも知れない。

人に笑顔をすれば笑顔が返るという。
不思議なことに、こちらがどうも合わない或いは嫌な奴だと思っていると、男女を問わず相手も
こっちに同じ感情を抱いていることが多いものだ。これは今までに公私共で経験してきたことだ。

私は比較的感情の起伏が小さい方だと思うし、人の好き嫌いもあまり激しくはないと自分では
思っている。
それでも凡人の悲しさで、この世でこの人とだけは会いたくなかったなぁと思う程の人が、
いままでの76年間で公私共に2~3人は居ただろうか。

私の信念である人間の性善説が脅かされそうな目に合ったり、驚くほどの唯我独尊、自我肥大、
非情、偽善、拝金権威主義そして強い強い自己中心や排他志向の権化のような人間で、私の最も
嫌いなそうした粗野な性情には恐怖感すら覚えたものである。


しかしそれも今ではもはや霧にかすむ思い出の世界である。
時間というものには忘却と浄化の作用があるというが、まさにそんな感じである。
怒りも義憤も嫌悪感も消失するかそれに近い程度に薄らぎ、あの時の心の動揺、興奮、激流も、
まるで快い刺激であった様な感覚で、一種の懐かしさを含んだあたかも良い思い出であるかの
ように変化している。まさに時間とは心をとかす特効薬かも知れない。

そしてあの頃、相手の怒り顔にどうして笑顔で対応出来なかったのか。多分こちらも怒り顔に
なっていたのだろう。それではその相手と同じレベルの同じ様な人間だったのではなかろうか
という慚愧の念にも駆られることがある。


何もないのに笑顔でいると、阿呆と思われる心配もあるけれど怒り顔よりは良いだろう。
定年後始めたこのピンポンも、笑ってやるから続くのだろうし、楽しいのだろう。
そうすれば、日常の悩みも苦労も一寸した感情の行き違いなども何もかも、全く些事な事に
思えてくる。これが老いて硬直した心の為には良い薬になるのだろう。

年はとっても、たこ壺のタコの様に閉じ籠もってしまっては心身共に良くないとはよく言われる
ことである。しかし何も開放的になったり、出掛けたり、スポーツしたり、人に会ったり、
やたら旅行をしたりということだけではない。

特に最も大事なのは心の持ち方であって、自分の殻に籠もることなく心をオープンにして
何かをやることである。そしてその際、その何事にも好奇心と向上心を何時までも失わない
ことが、呆け防止と健康寿命を延ばすコツだという。

又明日からも、少々熱があっても、だるくても、動悸がしたら深呼吸して頑張って続けよう。
片目が見えるうちは何とかやれそうな気がするのが嬉しい

9月15日(月)ピンポンの公民館に一言二言モノ申す!

2014-09-15 21:06:29 | Weblog

       『お魚のサッカーゴール』 夏休みに行った水族館でー(1) 
                   高橋 果鈴(小4年) 撮影

敬老の日の祭日に我々はお陰様で元気にピンポンをしている。いろんな身体上や精神的な
何らかの不具合や不都合はそれぞれ皆が持っているのかも知れないが、こうしてどうやら
笑いながら体を動かせるのは有難いことだ。これだけでもまあまあ幸せと言うのだろう。
ほんとの老人も中位の老人もそして新米の老人も合わせて幸せな10人が参加した。
いつも以上に皆さん張り切って、敬老の日の運動を楽しんだ。

嬉しいことに鳥居さんが久し振りに顔を見せた。痛みは無いが未だシビレが取れないそうだ。
軽くやって居られたが無理せずマイペースに徐々にやって、足腰の筋肉が萎えないようにして
欲しい。拾いまくりの鳥居さんのピンポンも暫く返上して軽くやってでも続けて貰いたいものだ。

先日の卓球一般開放「館の主催行事の一つで卓球を住民に開放し、健康増進と人の和を育むと
いう趣旨で数年前から毎月1回開催しているが、そのお手伝いを青鳩が依頼されているもの」
には、7,8月が休館だった勢か、大勢の参加で大いに盛り上がった。
この行事のスタート時からの顔触れが、最近の方も含めて総揃いという感じだった。
これが始まった頃におばあさんに連れられて来て初めて我々と卓球をした女の子が、
数年経って、つい先月には県大会に出場したそうだ。何だか妙に我々まで嬉しくなる。
経験者も未経験者だった方も、老いも老いも?いつの間にか見違えるほど上手になっている
のに驚く。ピンポン好きでこんなに熱心に参加してくる方が多いのは、お手伝いも毎回結構
大変だけれども楽しくなるものだ。

さて、ところで全く話は変わるがこの所、館の場所取りが大変になった。
数年前に、公民館まつりに出演の稽古がしたいのでと、とあるジャズダンスのリーダーに
泣きつかれ、館のまつりの為ならとそして普通は火曜日には使いませんからとも言うので
快く火曜日の午前中を何度か譲ったことがあった。
それが最近ではその当時のリーダーが止めてしまったらしく、今や堂々と月に3回の火曜の
午前を狙ってくる様になった。
これで毎回我々との抽選になってしまっている。前は申込みが競合した場合は話し合い調整
だったが、今は全てコンピューター抽選になったので現在では何処が如何様に申し込んでも、
これは当然で仕方がないことだと承知している。

そんな状況に加えて、全ての申込みに最優先する館の主催行事が最近急激に増えているので
ある。これが入ると各サークルは抽選の申込みすら出来ない。

公民館とは社会教育法20条によって、その目的は「一定地域の住民のために、実際生活に
即する教育、学術及び文化に関する各種の事業を行い、もって住民の教養と健康の増進、
情操の純化を図り、生活・文化の振興、社会福祉の増進に寄与することである」だという。
そこで(1)主催行事を実施したり、(2)部屋を貸したり、(3)個人・グループへの
学習相談をするという3事業を行っている。

我々はそのうちの(2)の部屋を貸し出すという業務でお世話になっているわけである。
それも無料で使用させて貰い卓球台まで借りられるのである。まことに有難いことにお陰で
10数人が10年以上に亘って、毎週火曜の午前中のサークルとして楽しく活動が続けられ
ている訳である。

その3つの公民館の業務がどれも平等、並列のものと考えると、最近一寸様相が違うので
ある。(1)の主催行事の比率がかなり多いのが目に付くし、事実それによって火曜日が
取れないケースが激増しているのである。

館長が替わって赴任したての数ヶ月とか、担当者が変わったりすると館の行事が多くなる
ということを時々耳にする事がある。
何やらサラリーマンのようで転勤とか昇進したとか状況が変わると、得てして張り切るもの、
支店なら本社に対してのアピールが多くなるものだが、それに何となく似ているなぁと
話して、無理もないかと昔を思い出したり、同情したりほろ苦く笑ったものだ。

館は場所貸し業ではないし、その設立趣旨からも、主催行事が最優先するのは理解出来る。
しかしそれが或る限度を超えると(どのくらいが適切、妥当かは難しいが)、多くのサークル
の、特に定例的、恒常的な活動をしている所の活動に著しく影響を与えている。

部屋貸し業務も、各種サークルの自主的活動を助成し生活、文化の向上に役立ち、これは
主催行事と同様に大事ではなかろうか。
その意味では三つの業務は対等平等の配分での館の運営が望ましいのではとさえ思っている。

例えば、今年の10月を例にとってみると、31日間のうち休館日が4日あって、実稼働日は
27日である。このうち午前、午後又は終日に館の行事のある日が15日にもなる。
半分以上(56%)にもなるのである。
三大業務だから三分の一に押さえろとは言わぬが、せめて半分以下でなければ、多くのサークル
活動をかなり阻害してしまうだろう。
しかもそれが、館の担当者の都合とか招聘する講師の(文学講座の講師の如し)都合があると
言うのだが、とかく特定曜日、特定時間に偏る、集中する傾向が強いのである。

何とこの10月は、火曜日の午前中を全て館の主催行事に押さえられてしまった。
前にもそんな事例があった。月に1~2度というのは毎月のことだが、これなら協力すべき
範囲、理解の範疇だろう。
しかし4週全部というのにはいささか驚き且つ館のやり方に首を傾げざるを得なかった。
まあ考えてみると無料で借りている立場なのだから、何も言える立場ではないかも
知れないけれど…。
それでも市民税を払っていると気を強く持って言えば(最も、恥ずかしながらほんの僅かな
税しか払っていないけれど)、もう少し何か配慮というか調整などが出来ないものかと
思うのである。

もっともっと、曜日も時間も公平に分散するとかで特定サークルへの負担を分ける事への
考慮が出来ないものか。何曜の何時ならどのサークルに負担を掛けるか事前に分かるの
だから、何故そことの相談、根回しをするという親切でごく常識的な方策が、思い付きも
しないのだろうか。
役所だから出来ないのだろうか。そんな手間の掛かる分別は持ちたくもないのだろうか。

そうすればどのサークルにも公平で、不満も疑心も少なくなるのではないだろうか。
昔流に言えば、お役所にそんな人間味めいた事を期待する方がナンセンスなのかも知れ
ない。もし役所にも常識と思いやりと配慮の心があるとすれば、10年以上も毎週の
同じ日の同じ時間帯にやっているサークルに対して、特権によってその月の全部の活動を
封じる事はとても出来る事ではないだろう。
こんな事を言うのは愚にもつかぬ我が儘で戯言であり、甘えだろうかという心配も
あるのだが……。

数ヶ月前には、主催行事の計画を立て、日時を決めるわけだから、せめて何故一言
その対象となるサークルに声を掛けられないものか。
そうすれば気持ちよく納得するだろうし、そのサークルは事前に何らかの対応や代替策
を少しでも早く立てることが出来るだろうに。
最もこれは、館というよりそこの担当者の人間性、資質、性格によるものかも知れないし、
或いは館員への教育や学習がないのかも知れない。

役所にもこうした一寸した配慮や一般社会並の常識を持ち、人情も血も通った人間の集団
であることを期待したい。
この事を除けば、皆さん明るくにこやかで感じの良い公民館なのであるのだけに残念だ。
それこそが老人にも子供達にとっても、館が住民の教養と健康増進、情操の純化を図り
、生活、文化の振興、社会福祉に寄与するという事になり、皆がそれを楽しく享受出来る
のではないだろうか。

9月10日(水) ピンポン日本もこれから、強くなりそうだ!! 

2014-09-10 13:31:24 | Weblog

       『 烏帽子と波とサーファーと 』
      
              高橋 可蓮(中学1年)撮影  2014、8

 昨日一昨日は、にわかテニスフアンになって大変だった。結果は残念だったけれど
 まずはこれで良しで準優勝でも大したものだ。
 今更ながら彼我の体格の差を痛感した。錦織選手が178センチというから日本人
 としては決して小さくはないが、TVに写るコート上の彼は、子供のように小さく,
 うすっぺたくて頼りない位である。
 技術とかワザでは、はるかに相手よりも上であるのは素人の目から見てもはっきり
 している。どんなスポーツでも大きさや力というものと、ワザや俊敏さやスピード
 というのがせめぎ合いで、その拮抗やバランスが崩れた場合に決着がついている。
 
 昨日のテニスに限って言えば、あのお陰でテニス少年少女が増えてやがて育って
 くるだろう。その時頃になれば初めて日本選手が世界と対等に勝負できるのだろう。
 そうして対等になるのは、テニスと卓球ではもう一世代後、サッカーや野球は
 1,5世代位後だろうと言われている。
 球技の様に道具や器械を使うものはかなりその距離は近づいているが、陸上等の
 ような体が中心のものは3~4世代後になるのではないだろうか。
 頑張れ日本!だが、当分はワザや作戦を徹底的に磨いて力に対抗しなければなら
 ないのだろう。

 今日は8人。総当たりで7回のシングルス、ダブルス戦を休みなしで4回と充実
 した練習だった。
 25度の会場だが大汗をかいた。終わると私の万歩計も7114歩を指していた。
 今月来月とは、会場が取れず火曜が取れずバラバラで覚えられない位で参加者も
 少ないかも知れないが、続けることに意義ありで、数人ででも楽しく続けよう。

 それにしてもこの所、スポーツ界では日本選手の、しかもジュニア選手の活躍が
 めざましいのが嬉しい。
 アジア大会(南京)の陸上、パンパシフィック(豪州)での水泳、世界選手権
 (ロシア)の柔道、女子バレー、レスリング等と大活躍だ。
 特にジュニア選手が有望なのが、これからに期待がふくらむ。

 卓球界もその潮流に乗っている。中学生の数人の女の子など昔の愛チャン以上の
 実力に育っているという。
 そろそろ国立のエリートアカデミーの効果が表れてきたようだ。
 もう少し何故早く始めなかったのかと悔やまれるが、体格もかなり体力、厚み、
 大きさも欧米に近づきつつあるのは確かだそうだ。
 そこから或いは地方の底辺から、優秀な選手がどんどん輩出してくるのが待ち遠しい。
 

9月7日(日)ピンポン仲間をちょっぴり増やすか、どうか!

2014-09-07 18:53:56 | Weblog

           『烏帽子岩とサーファー』
                 26年 8月 高橋可蓮(中1) 撮影

今日も休日の自由練習だから人数が少ない。しかも肌寒く雨模様だ。
龍司クンを初め、航クン開クン(彼は大学受験で大変)、春香チャン等は学校が始まって、
それぞれの勉強や部活に忙しくなって、当然ながら来られないのが残念だ。
しかもその上、卓球三兄妹のおじいちゃんは腰のシビレがまだ治らない。

それでも今日はやっと5人の常連メンバーが参加した。
いつものように自由な練習をした。私などは、ほとんどをショート打ちとバックカット
打ちに終始した。定例練習とは一味違って、自由に思う様な練習をしたり、特に今日は
これをやるとテーマを決めて反復練習をさせて貰うなどと効果的な事が出来るといった、
かけがいのない大きな効果があるのがこの自由練習である。

それにしても、もう少し練習のメンバーを、つまりは青鳩の人数を増やしたいものだ。
時々今日は何人が集まるだろうと心配になることがある。物理的には2人以上が集まれば
球のやり取りは可能だが、2人だけ或いは3人で3時間をやるには一寸辛いだろう。
ドタキャンするのは公民館に申し訳ないので、所用や病気や旅行などの人が重なった時でも、
7~8人は集まる位の余裕を持ちたいと思う。
幸い今までは心配だけでそんな例はなしで来ているが、記憶によると何かの都合が重なって
4人というのが最低記録だった様な気がする。最多は16人だったろうか。
もちろんドタキャンなんて不名誉なことは一回もない。

とにかく急いで、自由練習のメンバーを増やしたいものだ、必要なことだ思っている。
定例の方は、多少はサークル的な要素が入ってくるのでピンポンの腕前よりも人間性
などが重要になるので難しい。
協調性があって常識あって、思いやりがあって、短気や怒りタイプや我が儘や自己中心の
狭小人間ではないこと、(まるで結婚相手の条件みたいだが)などが望ましいから大変だ。
(この条件だと我々がすぐに止めなきゃならないのでは、という気もするが、我々の
寛容性と妥協と我慢の精神は互いに既に相当なものだから会が存続している訳で、
多少の変わり者や軽い人間欠陥者位なら、経験上我々には何とかやっていく自信は
あるのだが…)。
その点、自由練習はあまりそんなことを求めなくとも、あくまでピンポン中心でいいから、
人間性はそこそこであまりの非常識でなければ良しで、ピンポンの腕が我々と同等か、
少し上ぐらいの方ならば特にウエルカムである。

そこで今月は遠藤さんが、市の卓球教室に自費留学(毎週土曜で全6回)するというから、
ぜひそんな人を何人か見つけて声を掛けてみて欲しい。少々の癖がある方でも構いませんから。
上手な方でも(向こうが嫌にならない限りは)大歓迎ですので。

もし遠藤さんが連れて来てくれたら彼の人間を見る目を疑う訳ではないけれど、その人に
ついての責任は一切彼には無いという条件で、本気で御願いしたいのである
それとサービスの仕方と基本の練習の方法とを覚えてきて貰って、青鳩への帰国みやげに
して貰いたいものだ。

今日は一日中小雨が降り続いて、短パンでは一寸心細い位うすら寒かった。
それなのに一寸動くと汗がでる。外に出ると涼しい。急に秋が来てしまった様だ。
あんなに暑くて嫌だったのに、いざ寒くなりかかると今度は心細くなるものだ。
やはり蒸し暑かったのだろうか、異常な位の汗をかいた。そしてとても疲れた。

9月5日(金)ピンポンの青鳩は本当はアオバト(緑鳩)と言うらしい!

2014-09-05 18:34:03 | Weblog

          『アオバト(緑鳩)』
             須田 孝雄氏 撮影 8/21 照ヶ崎海岸にて

早いものでもう9月だ。全く後期高齢者の毎日の時間はやけに速い。
一見のんびりまったりしている様に見えるし、大した何の刺激もドラマも喜怒哀楽も
ないのだが、その替わり、時間の流れ日々の経ち方月の移り変わりそして年々の積み
重ねがとても速い。
それはそれは猛烈なスピードで、アッという間に過ぎて行く様な気がしてならない。
その勢だろうか、時々何とも言えぬ焦燥感に襲われることがある。
まだまだ悟り切れぬ、未だ諦観できずにいる凡人、情けない人間である私だけの
悲しさ辛さであろうか。

しかし、ピンポンで相手の球を打っている時はそんな個人的な悩みは忘れられる所が
良い。相手の球が、ラケットに弾かれてネットを越えてグルグル回りながら飛んでくる。
その球を打とうとこちらも全神経を集中して備える。この瞬間は体の何処にも痛みも
違和感も心配事も何もないものである。負の事は考えない、忘れているのが良いの
だろう。

9月の最初の練習だったが、6人だけの参加で一寸淋しかった。
お一人は「風の盆」の踊りに参戦中、もうお一人は観光旅行中とお楽しみだ。
腰痛の方、膝痛の方は可哀想に未だ治り切らない様だ。来月辺りの、スポーツの秋
たけなわの頃までには全治して華麗なるカムバックを期待している。
皆が健康で永く、笑って楽しく続けられるのが何より一番だ!

ところで、青鳩がこのところ盛んに海岸にやって来ているという。
バードウオッチング愛好の我がメンバーでもある須田さんが、先日大磯に行って
見てきたという(冒頭の写真)。

先日、新聞に群馬県上野村の山奥の渓谷に湧き出ている鉱泉水を飲みにやって来る
アオバトの群れが写真付きで紹介されていた。
アオバトは留鳥(1年中ほぼ同じ所に住む)又は漂鳥(季節によって小規模な移動
をする)で、深い森に生息するハト科の鳥、全長33センチで黄緑の羽が美しいと
記事にあった。

アオバトといえば大磯町の照ヶ崎海岸が大集団で海水を飲みに来るので有名だが、
その記事では、山奥の渓谷の鉱泉水が湧出している所にミネラルを求めて集まる
のだが、茶褐色の石に黄緑色のハトの色が映えて、それはとても美しいそうだ。

動物学的にはこの現象は、繁殖期になると塩分、ミネラルを補給するという必要性が
有って命懸けでやって来るという習性や本能という事になる。
丹沢の奥地から何千羽でやって来て、そのうちの何%かは波に呑まれて命を落とす
というのだから、動物の行動も厳しく切ないものだ。

繁殖期でもないのに、時折お酒などを余分に補給したりして、病気になったり命を
落としたりする人間の習性も悲しく、げに切ないものだ!!