まこちゃん日記

まこちゃんのピンポン日記です。

9つき30日 二ヶ月ぶりに復帰。自分で自分の誕生日を祝って決心す。

2008-09-30 14:43:51 | Weblog


 どうも体調が、胸の感じが、いまいちなのだが主治医は軽くならいいですよと言ってくれたし、あまり休むと、嫌になったり、面倒、億劫の虫が取り付きそうで、雨だったが車で送って貰うことにして、急遽、思い切って出席した。

切りがいい所で10月からと思っていたのだが、たまたま今日は私の誕生日なので、記念にもなるかと決行した。というわけで久し振りに今日は12人の仲間に入れて貰った。やはり嬉しかった。何だか初めて一人前になった様な気分だった。

もちろん医師の指示通りに、軽く軽く休み休み、恐る恐るで、元気な皆さんには出来るだけ迷惑を掛けぬ様にと頑張ったつもりだったが、どうしても一寸怖い気持ちがあるので、やはりやりにくかったのではと申し訳なかった。
まだ一寸の胸苦しさと息切れがあるが、前のような強烈な胸痛はなく、疲れるがまずまずで何よりもほっとした。良かった!

 ところで、いよいよ満で数えてもいつの間にか、とうとう大台だ。
疎開した田舎の小学校の仲間でもう二年も前になるが、数えで古稀のパーティーをやってしまったから、何だか72歳のような気がしてならない。

東京の中学校の同級会でも、来月には正真正銘の古稀祝いパーティーがある。
こうしたパーティーなら何度やっても良い。只、お酒と油っぽいご馳走には
今度の病気以来手を出さぬと決心しているので、何としても残念だし苦行でもある。それなら君子危うきに‥ではないが、いっそお酒とご馳走と美女のある所には今後一切近づかないのが一番、ストレスも溜まらず、精神衛生上は良いのだろうが‥。

それにしても70歳とはとても自分の年とは思えない。
まるで他人の年のようだ。昔、東京で隣の屋敷に住んでおられた、やさしくて白い長いお髭で仙人の様に見えたお爺さんのあの頃の年齢ではないか。

子供の頃から体が弱かったので、自分が本当にこの年まで生きて来られるとは、正直なところとても思えなかったのが実感だ。
両親、家族、周りの人々に、そして戦中、戦後の昭和、そして平成と云う今まで生きてきた時代に、運が良かった、恵まれていたという感謝の気持ちで一杯である。

色白で、可愛いい?? か弱くて,神経質で、病気ばかりしていたあの「まこちゃん」が70歳とは、昔を知る人には笑われ、驚かれそうだし、自分でも複雑な思いである。

こうなると一寸欲が出てきて、もうしばらくの間、家族を、周りの人々を見ていたい。そして21世紀の社会や、未だに分からぬあの摩訶不思議で複雑で単純で、嫌らしくて、そのくせ滑稽で面白くて、時には可愛いくもある人間というものをもっともっとじっくり観察したり、見物していたりしたくなってくる。

そうしてたまには冷えたビールか熱い酒を少しだけやりながら、そう、つまみは炙ったイカでいいから、冗談言って、笑いながら明るく、楽しんで日々を過ごしたいものだ。

さて来月からは、徐々に体調を診ながら、早く通常のペースに戻りたいものだ。


9月28日 今日も見学! バックハンドをマスターすれば!!

2008-09-28 18:55:49 | Weblog
9月!

暑さが思い出した様に時々ぶり返すことがあるが、さすがにもうこの間までの勢いはなく、すっかり秋の気配が濃い今日この頃である。今朝などは寒い位だった。今夜からはもう厚い布団にしたほうが良さそうだ。

例年にない様な猛暑が続いたこの夏を、何とかやっと乗り切ったというけだるい心身の疲労感の中に、お盆も過ぎ、夏休みも終わり、遠くから涼風に乗って聞こえて来る運動会のざわめきにも何だか秋の寂しさを覚える。これでさらに秋も深まったらもっと侘びしくなるのだろうか。
しかし、本を読み、芸術を味わい、人生を考え、美味いものを食べ、そうしてスポーツにも良しというシーズンの到来だから楽しみでもあるのだろう。もっともこれも健康ならではのことだろうけれど‥‥。

今日もいつもの自由練習のメンバーが集まる。
私は車に乗せて貰って、このメンバーさんへの挨拶もしたいし、気分転換にもなるかと会場へ行ってみる。もちろん見学するだけではあったが。
6人のプレーヤーに、しょぼくれ見学生が1人というところだった。台が3台だから6人というのは困った人数で、球拾いが居ないわけだ。見学だけのつもりが、何と2時間は専らの球拾い、あとの1時間は審判でのカウント取りといった案配で、お陰で良いリハビリをしてしまった。しかしプレーをしたように疲れた。

この自由練習ではさすがに皆さんバックショートに時間を費やしている。これはレベルアップをして、より楽しいピンポンにするのにとても大切な事らしい。
すぐには巧くなれるものではないが、バックハンドを自在に、せめてフォアー打ちと同じレベル位に出来るようになったら、ピンポンというものが3倍以上面白くなるという。ピンポンの幅が広がり、別なレベルの世界が開けるらしい。

本当の初心者(この定義が一寸微妙だが‥。市の卓球教室では10回以上ラリーが続けられる人は中級と分類していた。となると我々の年代には、幸か不幸か他にあまり遊びがなかった勢だろうか、真の初心者という人はほとんど居ないのでは‥)に教える場合は、初めからバックハンドを教えると良いという。
少なくともバックとフォアーとを同じ時間を費やして練習させると効果的だそうだ。現に小中学の卓球部では実践しているらしい。

我流のない、真っ白な素材にはこの方法が驚くほど効果が上がるという。
我々の年代は、ほとんどの人が子供の頃には遊びでやったことがある。
(これは当然ながらメチャメチャフォームのフォアーで強く打つだけ、点数で相手に勝つことだけのお遊びだった。その典型的な例で今でも多くの人に残っているのが、自分では強く打つので台をオーバーするのを恐れて無意識なのだろうが、フォロースルーでラケットを極端にかぶせる仕草をする人をよく見かける。これなど最も典型的な例の1つである。この勘違いによるフォームこそが、きっとその頃は結構強くて昔の名誉ある自己流の勲章だろう。)
長じては温泉で浴衣にスリッパでのピーンポーン位だ。三つ子の魂ではないが、この経験が我々中高年のピンポンの進歩上達を著しく阻害しているわけだ。
この自己流、思い込み,勘違いが大きいほど上達は遅れるし難しくなる。
これは他のスポーツでも同じ事らしい。

自己流で6~7年以上のキャリアがあって、普通の体格で並の運動神経の持ち主が相手ならば、全く経験のない(このやったことがないという所がポイントなのだが‥)同じ身体条件の人に、私が一から手を取って教え始め、コーチングをすれば確実に1年以内で,その人を相手の自己流の経験者より上手にさせてみせると言っていたゴルフの有名コーチが居たのを思い出した。
私が、それを耳にしたのは、20年以上も自己流ゴルフをやっていた頃だったから、もうあまりにも時は既に遅しだった。

ピンポンはその点で、典型的に少年の頃のほんの少しの遊びだけの経験しかないし、この数年は月に1回位ではあるがまがりなりにも先生に習っているから、案外ゴルフよりは正しいプレーが身に着く可能性があるかも知れない。

しかし今度は、体力がない、足はもつれる、息は上がる、すぐに疲れる、目が霞む、腕が伸びない、力は無い、根気がない、頑張りが利かない、反射神経が働かない等々と云った年齢との問題があるようだ。なかなか、世の中の事と同じで旨くいかないものだ。





9月23日 久し振りの練習場。レッスンを見学す。

2008-09-23 15:43:57 | Weblog

 久し振りの会場だった。一ヶ月振り以上にもなってしまった。何だかとても懐かしい様な気分がする。軽快なあの独特な打球音が耳に快く響いてくる。
やはり運動の空気は良いものだ。皆さんが元気に躍動しているのが、眩しくて羨ましい。

今朝も、まだ軽いけれど時折の胸の痛みや不快感があるようだったが、心を強く持って思い切って行ってみる。何時までもマイナス指向や、怖がっていても、消極的ではならぬと思ったからだ。

「何と言っても健康が一番だ、健康ならば命も要らない」という笑い話があるが、つくづく健康はそこそこ程度でも良いから、痛いや苦しいところが少なくて何とか皆と一緒にやることが出来れば、もうそれだけでいいと感じた。
バックハンドもカットも突っつきも出来なくともいい、ただ参加できればいいとさえ思った。
そしてそれ以上に、何より気持ちが萎えずに、何事でもやってみよう、続けようという意欲が衰えない様にしなければとつくづく思った。

 体調が悪いと、苦痛でもそうだが気持ちが萎えて来るのが恐ろしい。
何もかもどうでもいい、もう何もしたくなくなる、続けるのも億劫になる、ましてや何かに挑戦、新しいことをやってみよう等の気持ちが薄れてしまう。
こうなると無気力や老化という奴が加速度をつけて襲ってくるらしい。

 肉体の老化もそうだろうが、せめて心の老化だけでも気の持ち方で、考え方や精神力で防ぎたいものだ。酒もビフテキもやらず、精神だけで元気を出せというのは何だか難しそうだが、明日から再挑戦しなければなるまい。

 先生はいつもの様にお元気だし、生徒は10人(見学者1人)が集まりレッスンをうける。私は見学だけなので、球拾いも今日はまだ失礼させて貰ったので、初めて皆のレッスンをじっくりと見学する事が出来た。

 何時の間に! と驚くほどの上達振りにびっくり。自分がやらないだけに特にそう思えたのかも知れないけれど。
しかし自分が1ヶ月振りに見た勢だけでは決してないだろう。

 これだと、先日、体慣らしの序でに一寸のぞいてみた市立体育館での、市民卓球大会のCクラスの人達よりは青鳩の方が上手だと思って見ていた。
一般Bクラスと比較しても、上位の人達やチームは別にすると、Bの下位チーム辺りだと、皆がサービスさえ練習すれば結構面白い試合も出来そうだ。

 将来、我々にも飽きが来たり、マンネリに陥ったり、全く進歩がなくなり新鮮さもやる気も面白さも変化もなくなる時が来てしまったら、その起死回生、特効薬、カンフル剤として、継続と面白さと変化のためには、一考に値するかも知れない。
そこには、今はまだ想像もできない世界があるとよく先生もおっしゃるし、一般的にも別なもっと楽しい、広い世界が開けるとはよく言われることである。

 
 久し振りに皆さんに会え、ピンポンの打球音を聞き、笑い声を聞いていただけなのに、楽しかったがやはり疲れた。
 

9月15日 残念!今日もお休み 野に放たれたおじさん達は。

2008-09-15 10:01:05 | Weblog

 一昨日のような秋晴れの日はやはり気持ちがいい。夕べの中秋の名月も期待していたが姿を見せて呉れなかった。今夜の十五夜はどうだろうか。

病み上がりの身でも、ビールを飲めるのでも美味い物を食べるのでもなければ、何も格別に楽しい事があるわけでもないのに、そんなカラリと晴れた秋の日には、生きているのは唯それだけでいいものだ、楽しいことだと感じられる。
医学の進歩に感嘆し有難いと思う。周りの人に励まされるのも嬉しいことだ。
家族や気心知れた温かい友人知人、仲間と同じ世界に居ることに感謝する。

もし、自分に家族以外には誰も声を掛け心配もしてくれる人とてなく、じっと孤独に、人知れずに強がっている姿を想像するとぞっとしてくる。

人間は、所詮は自分のことだけ、結局は自分1人であるとは、よく言われることだが、やはり精神的には助け助けられ、支え支えられそんな温かい雰囲気が,そんな目には見えない様な事が大事だと言うことを実感している。

今日は三連休の最終日の定例練習日だったが残念ながら私はまだ駄目だ。次回は先生のレッスンのある日だ。体慣らしを兼ねて、皆の顔も見たいし、体調が良ければ見学に行ってみたいなぁと思っている。

 聞くところによると、この所もかなりの新規サークルの立ち上げ、申込みがあるという。反面、解散や自然消滅等の所も多く、プラスマイナスで実際の利用者数、サークル数としては微増で済んでいるようだ。3ヶ月前にするここの会場取りにも、幸いな事にまだ我々にはあまり影響は出ていないようだ。

我々の年代は長い間、社会的な制約やルールに縛られ、責任と常識や形にはまった行動を強制され、個人的には信義や礼儀そして道義的、人格的なものを求められるという、ある意味ではあの堅苦しい不自由な世界に居たわけである。

それがある時から、完全に解き放たれて、もはや公序良俗違反以外は何の拘束も制限も(肉体的と金銭的とは別にして)ない夢のような世界に放り出されたわけである。
急に解き放たれた解放感や戸惑い等のそんな事を思いやると、とてもそんな人だとは見えない様な人の中にも、とんでもない人、自分だけの人、非常識な人等と周りや館の役員会泣かせの人が居ても当然なのかも知れない。

 そういえば、所属している絵のグループの中にも、呆れるほどその典型的なおじさんが1人居る。その人の積極性には目を見張るものがあるが、何でも自分が中心でなければ、自分が一番でないと駄目、粗野で我が儘、1人合点、思い込みが激しく、他人の意見を聞く耳を持たないといった具合である。
人間の性格や心理の研究に供試体として使いたい位なのである。
全くお付き合いはしたくないタイプだが、心理学のサンプルとしては極めて単純で分かり安いが故に、自分や周囲への被害がない限りは一寸興味があるほどなのである。
性格異常とか人間としての未成熟、無教養とかに分類できるのだろうが、そんな言動をとるのも、彼にはきっととても厳しい辛い昔が(誰にだって同じ様に厳しい社会を過ごしてきたわけで、その人の思い込みや被害妄想によるケースが多いのだそうだが‥)あったのかで、それに対する無意識の反動とすっかり身に付いてしまった悲しい自己防衛の習慣や性の勢なのかも知れないと云うのが教科書上の分析である。そう思うと気の毒でさえある。

 一般的にも、強い自己中心と過剰な自信と排他主義の人が多いのも、その人自身の個体的特性もさる事ながら、厳しかった今までの現実社会の故と思えば、何となく、「いやぁ! ご同輩!」と声を掛けてやりたく、悲しくも同情出来るのであり、心して理解してやるべきなのだろう。

最近のオジサン達(当然我々年代も含めて、特にそれ以降の)には、大なり小なりこんな傾向が強いという。我々より上の年代の人は、厳しい学校教育や家庭のしつけを受けた勢なのか、強く自分の行動、精神、感情を律する事が出来る人が多い。公民館の役員の先輩方等をみていると、そんな感じがする。もちろん何処にも例外は居るけれど。

幾ら自由奔放、好き勝手が許されるとはいえ、人間としての尊厳とでも云うべきか、矜持とでも云うのか、そんなものをちょっぴりでも良いから持ち続けたいものである。

9月9日 久し振りにこの日記を書く

2008-09-09 15:07:58 | Weblog

 前回が8月19日だったから、何回分かを書けないでしまった。練習も今日で5回も休んでしまったことになる。昔から何をやっても三日坊主が多かったから、いい年をして一念発起、義務でなく気楽に、難しく考えずに、自由に遊び心で、ただ続けることだけを目的に、練習した日は必ずこの日記を付けようと己に誓って始めたこの日記なのだが、3年と9ヶ月間、一回も休まずで私にとっては全く奇跡の様に続いていたのに、とんだアクシデントとはいえ頓挫してしまったのが残念だ。

糖尿と高血圧、高脂血症とはまるで古くからの友人の様に馴染んでいたが、数年前からは黄班変性網膜症という新しい友人が出来、ほぼ片目になってしまったけれど、めげずにだましだましでも絵を描き本を読みピンポンもやってきた。

 所が先月中旬のこと、招きも歓迎もしないのに新顔の強烈な友人が私の所にやってきた。かきむしられる様な胸全体の痛みが訪いの挨拶だった。
幾ら友人好き、博愛主義だとしても、この狭心症という変人、悪人だけは付きあったり受け入れたりはさすがにしたくはないものだ。
直ちに入院、手術をして2週間振りに家に3日前に戻ってきた。

カテーテル検査をすると、左冠動脈主幹部の狭窄で正常は4mm径ある動脈が0.6mmまで狭窄していて、このままだと何時突然死があってもすこしも不思議はないと言われた。冠動脈バイパス手術を勧められたが、ここで「弱虫まこちゃん」の本性が出て、胸を切り開く決心がどうしても出来ず、今回はカテーテルによるバルーンでの拡張や血栓の吸引そうしてステント2本を挿入という治療をして貰った。まだ不安も、不快感も残っては居るが、あの転げ回る様な胸痛がなくなっただけでも嬉しい。医術は有難いとつくづく思う。

これで戦後まもなく子供の時に、肺炎を日本に当時入って来たばかりのペニシリンで助けられたのと、今度の胸の激痛がニトログリセリンで劇的に発作が治まるのとで、二度も薬で助けられた事になった。もう少し昔に生まれていたら、この年まではもう生きては居なかったなぁと思うと不思議な感慨である。

もう少しすれば、散歩も軽い運動も出来るようになるだろうし、よく静養、養生節制に努め、一日も早くピンポン界に華麗なるカムバックをしたいものだ。
今日は皆さん、何人でどんな練習をしたのだろうか。きっとさぞ楽しかっただろうと想像している。