今日は3ヶ月に1度の東京の大学病院での眼の検査日に当たってしまいやむを得ず欠席する。その中間に地元の眼科医院にも行ってるが、この大学病院では三次元の高度精密機器を使って、散瞳のうえ断層写真で出血、新生血管の有無、浮腫、浸潤等の具合等の検査を受けている。
もしそこで新しく変化、進行があっても、現在では薬もこれと言った治療法もないというのだから、まことに心許ない。残念だし情けないし哀しいことである!
ビタミンEとC、出血防止薬、サプリメントとしてルティンと亜鉛を服用し、紫外線は極力避けて必ず濃くなく薄くなくと言うサングラスを常用すること、血圧管理を良くして、野菜食にする。人工光線では白熱球は避け但し蛍光灯とTVの波長はOK.規則正しい生活をし、重い物を持たない、力む動作をしないといった生活上の注意を言われている位なのである。
最近でこそ、病院によっては新生血管の発生成長を抑える薬がアメリカから入ってきて、それを網膜の局所に注射するという方法がテスト的に始まったが、私も一度やって貰ったが、まだまだ保険でやれる段階でもなく効果の程も分からず,所詮はテスト中でこれからの事のようだ。
それにしても治療薬や方法もなく、現状維持すら出来ないのだから辛いところだ。こうした厄介な加齢黄班変性網膜症は、失明と余命との競争みたいなものだ。
私も残っている片目を如何に長持ちさせるかで大事にしなくてはならないが、
かといって毎日使わなきゃならないし、じゃぁどうすれば良いのか具体的には何の指示もアドバイスもなく、見当も付かず途方に暮れるばかりである。
ピンポンも片目でやっているわけだが、酷使しているのではと一寸心配でもある。
絵も好きでやっているがこれも厳しい。長くやって来たハガキ大に描く淡彩画は見えないのでさすがに諦めて、10号くらいの大きめの濃い水彩画だけは何とか続けている。昔からの大の本好きで、本を読みながらのトイレと寝る習慣は未だに続いている。読書抜きの生活は今でも一寸私には考えられない。
大昔は映画も大好きだったし、TVも結構よく見ている。日記も毎日つけて60年近い。長年、眼を酷使しすぎたのだろうか!
今はそれに加えてパソコンもメールとブログ位だが結構やっている。残った可愛い貴重な右眼君への酷使のし過ぎなのではと時々思うのだが、これらのことを止めるのはあまりにも淋しく、あまりにも味気ない人生になってしまう様な気がしてしまう。
絵では「片目になってからの方が良いんじゃない!」と口の悪い先生には妙な慰められ方をしているし、本もパソコンもTVも直ぐ疲れて涙が出てきて、頭痛や目眩感を覚えるようだ。自転車もだんだん怖くなって(車はもう3年前から怖くて出来なくなったが)きてしまった。
こんな状態ながらピンポンは不思議にそこそこやれているのである。お仲間は「言われなければ片目とは分からない」と嬉しいことを言ってくれる。
時々、見えにくいポイント(特に体の左側前方)にきた珠には、とんでもない空振りをしたり、身動きも出来ないケースが多いけれど、それ以外ではほとんど変わらずやることが今のところ出来ている。最もそもそもが上手なピンポンではないから同じように出来るのだということなのだろう。
これは眼帯を掛けてやっても同じなのではっきりしている。(眼帯は何とも鬱陶しいし邪魔である。しかも相手の方も変な感じがするのではないかと、極力掛けないようにしている)
バックサイド(元々下手だったけれど)へ来た球と、ゆるい球、変化球、短い球(ネット際に落とされた球)には対応できないが、しかし速く強い球や真っ直ぐな球筋などには大丈夫だ。
これは私のすごい運動神経と感覚のなせる事なのだろうか? 多分!
シニア片目卓球大会なんてのがあったら、良い線行くのではと思う位である。
愛ちゃんに厚手の眼帯を掛けさせて試合をしてみたいものだ。
それでも勝負にならなかったら、愛ちゃんには両目に眼帯を掛けて貰えば、きっと何とか良い勝負になるだろ!!
もしそこで新しく変化、進行があっても、現在では薬もこれと言った治療法もないというのだから、まことに心許ない。残念だし情けないし哀しいことである!
ビタミンEとC、出血防止薬、サプリメントとしてルティンと亜鉛を服用し、紫外線は極力避けて必ず濃くなく薄くなくと言うサングラスを常用すること、血圧管理を良くして、野菜食にする。人工光線では白熱球は避け但し蛍光灯とTVの波長はOK.規則正しい生活をし、重い物を持たない、力む動作をしないといった生活上の注意を言われている位なのである。
最近でこそ、病院によっては新生血管の発生成長を抑える薬がアメリカから入ってきて、それを網膜の局所に注射するという方法がテスト的に始まったが、私も一度やって貰ったが、まだまだ保険でやれる段階でもなく効果の程も分からず,所詮はテスト中でこれからの事のようだ。
それにしても治療薬や方法もなく、現状維持すら出来ないのだから辛いところだ。こうした厄介な加齢黄班変性網膜症は、失明と余命との競争みたいなものだ。
私も残っている片目を如何に長持ちさせるかで大事にしなくてはならないが、
かといって毎日使わなきゃならないし、じゃぁどうすれば良いのか具体的には何の指示もアドバイスもなく、見当も付かず途方に暮れるばかりである。
ピンポンも片目でやっているわけだが、酷使しているのではと一寸心配でもある。
絵も好きでやっているがこれも厳しい。長くやって来たハガキ大に描く淡彩画は見えないのでさすがに諦めて、10号くらいの大きめの濃い水彩画だけは何とか続けている。昔からの大の本好きで、本を読みながらのトイレと寝る習慣は未だに続いている。読書抜きの生活は今でも一寸私には考えられない。
大昔は映画も大好きだったし、TVも結構よく見ている。日記も毎日つけて60年近い。長年、眼を酷使しすぎたのだろうか!
今はそれに加えてパソコンもメールとブログ位だが結構やっている。残った可愛い貴重な右眼君への酷使のし過ぎなのではと時々思うのだが、これらのことを止めるのはあまりにも淋しく、あまりにも味気ない人生になってしまう様な気がしてしまう。
絵では「片目になってからの方が良いんじゃない!」と口の悪い先生には妙な慰められ方をしているし、本もパソコンもTVも直ぐ疲れて涙が出てきて、頭痛や目眩感を覚えるようだ。自転車もだんだん怖くなって(車はもう3年前から怖くて出来なくなったが)きてしまった。
こんな状態ながらピンポンは不思議にそこそこやれているのである。お仲間は「言われなければ片目とは分からない」と嬉しいことを言ってくれる。
時々、見えにくいポイント(特に体の左側前方)にきた珠には、とんでもない空振りをしたり、身動きも出来ないケースが多いけれど、それ以外ではほとんど変わらずやることが今のところ出来ている。最もそもそもが上手なピンポンではないから同じように出来るのだということなのだろう。
これは眼帯を掛けてやっても同じなのではっきりしている。(眼帯は何とも鬱陶しいし邪魔である。しかも相手の方も変な感じがするのではないかと、極力掛けないようにしている)
バックサイド(元々下手だったけれど)へ来た球と、ゆるい球、変化球、短い球(ネット際に落とされた球)には対応できないが、しかし速く強い球や真っ直ぐな球筋などには大丈夫だ。
これは私のすごい運動神経と感覚のなせる事なのだろうか? 多分!
シニア片目卓球大会なんてのがあったら、良い線行くのではと思う位である。
愛ちゃんに厚手の眼帯を掛けさせて試合をしてみたいものだ。
それでも勝負にならなかったら、愛ちゃんには両目に眼帯を掛けて貰えば、きっと何とか良い勝負になるだろ!!