まこちゃん日記

まこちゃんのピンポン日記です。

3月29日(火)今日は何人でやったのでしょう!

2011-03-29 15:56:23 | Weblog

 今日は皆さん何人でどんな練習をしたのかしらん。
私自身は残念ながら久し振りに欠席だった。3ヶ月に1度の東京の大学病院で、眼の検診日だったので、朝から東京に行っていた。
東京は今の所、計画停電はないらしい。さすがに日本のあらゆる中枢機関や経済施設が密集しているからなのだろうか。
オフィスも商店街もいつもの通りの活気に溢れて賑やかだった。やはり東京に行くと子供の時から会社時代までを思い出すようだ。
この年で、この体調、この体力で満員電車も辛いし、もし出先で大地震が来たり、電車が止まったり等と、ふと考えると不安だったが病院行きなのでやむを得なかった。朝の電車も混んでいて厄介だった。

私の左眼は良くはならないが現状では固まっているそうだ。検眼や眼底の精密でも左眼はもはやどうにもならないが、右眼はまだ視力もあるので様子見にしましょうと言うことで診察も終わってしまった。白内障の手術もやれば少しはすっきりするかも知れないが、次回辺りで良いでしょうと言うことだった。
東京の懐かしいところでもと思ったが。瞳孔を極端に開いているので、生憎の良い天気で眩しくて眩しくて白い世界になってしまってとても何処にも行けるコンデションではなかった。

片目に眼帯を貼って、(最近ではヒモがついてガーゼを留めておく昔からの眼帯だけでなく、使い捨てにはなるがヒモ不要の眼に貼るだけというのがある。これだと鬱陶しさが少なく、ヒモで耳が痛くなることもなく案外便利)
この所は完全に単眼でやることが多い。
眼帯なしでやると鬱陶しさはないが、左眼はいささかぼんやりとは明るいので本能的に見よう見ようとしてしまうのだろう。すると何かうごめいている物が見えたり、あまりのアンバランスの勢か目眩がしたりして誠にやりづらい。

眼帯をすると完全に暗くなって左眼では見ようとも出来ないから、全く右眼だけになってかえって視界はクリァーになる。
しかし、片方がぼんやり少しは明るいだけでも、一寸は何かの役に経っているのだろうか。
立体感、遠近感、それに伴う物体の位置の認識や動き(遅速)の捉え方がとても厳しくなってしまう。これは新しい発見である。
眼帯着用と非着用とを使い分けて、慣れていくしかないようだ。
それでも何時までこれが出来るだろうかと気になることである。

今年は運転免許証更新の年だが(もう数年も前に、53年続いた運転も危ないので止めたが、身分証明書には最適とか)どうするか。
もう一つ、趣味の絵の方は、大きいものでも《ハガキ大の小さな絵を長年やって来たのだが見え難くなって残念ながらこれはもう数年前に止めて、大きいものなら描けるだろうと転向したのだが‥》最初の内はまだ良かったのだが、
いよいよこれも最近は特にいけなくなってきてしまった。そうなると余程意識でもしないと気力も衰えてきてしまう。描くのも億劫に、気持ちが萎えてしまうのである。
止めるのはピンポンが先か、絵が先か、はたまた命が先かなんて事にはなりたくないものだ。対策はやる気と意欲と楽しいと思えることしかないのだろう。

3月27日(日) 計画停電も何のその!

2011-03-27 18:43:25 | Weblog

 朝は寒かったがカラリと晴れた穏やかな日曜日。休日はほとんど停電もない。
何時、地震があるかもという不安はつきまとうものの、この辺りでは水も米もガソリンも
あるし、納豆が町から消えてしまったのを除けばあまり不自由はない。
放射能は目に見えぬし、まだ野菜も食べられ水も飲める。
東電の対応のまずさ、隠蔽体質、官僚体質、ただ表面の現象の説明に終始するだけなのには腹が立ってくる。残念ながらこんなレベルの組織力や技術程度や人的貧困さでは、時代に逆行はするけれど緊急避難的に、東電は解体か国営化しかないようだ。
それらを極力考えないようにさえしていれば、東北の人にはこう書くのも申し訳ないのだが、いつものように平和な温かい日曜日だった。

昨日の「卓球一般開放」の世話役は、計画停電の予定に半分がかぶっていた。数日前から休日の停電は取り消すと言う発表があったのだが、さすがに館では可能性がある限りとそれ以前に早々と開放中止の決断をした。
これで3月の開放日は2回とも中止になったわけだ。
さすがに役所たる館では主催行事なので、あらゆる面で固く安全策を優先して、保守保全を優先するものだと感心する。

たまたま次の日曜日(今日)には我々の自由練習の予定が入っていた。予定では確実に2時間がかぶっていた。本来ならこの時間帯は休館が原則なのだが、
「停電が中止になったらどうぞ使って良いですよ!もし停電があっても練習が出来るなら、どうぞ使ってください!」という粋な計らいだった。

公立施設や機関では、全て事前の計画停電通りで、例え変更になったり状況が変わっても、四角四面にあくまでも最初の計画による予定通りに実行と言うところが多いのに、さすがは地域住民の和と福祉と文化と健康等の増進を目的とする、我らの公民館だと妙なところで感心する。

結局、今日も停電はなかったけれど、こんな状態で連絡も上手くいかなかったりもしたが出席者は8人もあった。
停電も地震も放射能もしばし忘れて、いつものように打ち合って楽しんだ。

3月21日(月) 定例のレッスン日

2011-03-21 15:12:37 | Weblog
かなり強い雨が朝から降り続いていた。それでも比較的、温かいので助かった。
日中は降り続いてどんどん気温は下がっていくという日だった。
私はたまたま車に乗せて貰ったので良ったが、自転車の方達はさぞ大変だったろう。
こんな天気にもかかわらず、さすがレッスン日とあって8人の生徒に、先生という
賑やかさだったが、教えて頂くのには誠に丁度良い位の人数だった。
家庭のことお店のこと、風邪やら膝痛などで大忙しでこの所2ヶ月位もお休みだった最長老の長谷川さんも今日は元気に顔を見せた。
皆がお元気で機嫌が良いのが、何と言っても一番だし、嬉しいことだ。

先生も変わらずお元気でお若く、ビシビシと2時間をレッスンしてくれた。先生に相手して貰うと、皆が1~2段階レベルアップしたように見えてくる。ワンポイントのレッスンが良いのだろうし、先生の球出しや返球の良さの効果なのだろう。
皆も確実にいつの間にか、かなり進歩したのが見て取れる。誠に結構なことだ。
これからが楽しみだ。年齢を超越した上達への挑戦と言えるかも知れない。比較的年齢に影響されず、力や体力もさる事ながら、かなりの高率でテクニックが有効であって、他のスポーツに比べてかなりプレー寿命が長いものと言うことを証明し、実践したいものだ。

あとの1時間はいつものように先生に入って貰って、ダブルス戦をする。
これが又新鮮で楽しく面白い。先生一人が入っただけでピリッとするし、成る程サービスはあそこへ打つのか、相手の球をあそこ返球するのがセオリーなのか‥‥、教えられ参考になることばかりである。勿論シングルスへも応用出来ることだし、私はこの先生に入って貰ったダブルス戦が、とても役にたつ事だと大事にしたいと思っている。
先生とのラリーでは結構打ち合えるのに、ダブルス戦となるとまるで打てない、当たらないのだから嫌になる。ピンポンの奥深さを思い知らされる思いである。
次回のレッスンは5月だが、それまでには少しは上達していたいものだ。

3月20日(日) 大地震から9日が経った!

2011-03-20 19:59:05 | Weblog

 何度見せられても、地震と津波の物凄い惨状は痛ましい。あの津波が市街地を畑を押し寄せてくる光景は、まさにこれが地獄というものかとさえ思えた。
地震の勢で津波も原子炉破壊もあったわけだが、今や津波と原子炉の事故と言う現象面が表面に出ている。利害者罹災者にはまことにどうもお気の毒で言葉もない。

何日もあの集団の避難場所に、私だったら2日位で駄目だろうと思う感覚で毎日見ていた。 家がなくなり家族が行方不明だったり、何もかも現在も明日もなくなったらとしたら、私のようなヤワな人間はきっと生きていけないだろうと絶望してしまう。

ピンポンやって楽しむなんて何となく気が引ける思いもするが、この九日間をTVの中継ばかりを茫然と唖然として、唯〃見続けているという不健康さと運動不足から、この体を動かすピンポンで少しでも立ち直れるとすれば、これは許されるだろうか。

我が家も公民館も計画停電のグループ2で今日は夕方からの予定なので我々の1~4時
と言うのは全く支障がなかった。
館では、計画停電の予定に入っている時間は休館で、その停電が例え中止なろうも予定通りその時間帯は休館とし、当分の間は夕方は毎日5時で閉館とするという対応策をとっている。

こんな状態だから何人が集まるだろうかと思っていたが、常連の人からが5人、鳥居さんが白馬にスキーの予定だったが、さすがにこの時期にガソリン使っての遠出行なんて事をして国賊にはなりたくないと反省したとみえて、一緒に行く予定だった高一と中一のお孫さんの男の子を連れてきた。彼等は二人ともそれぞれの学校の卓球部員だ。
伊藤さんも今日明日は、ゴルフや大学のOB会で休みの予定だったが、地震で全て中止になったと顔を見せてくれた。

少年二人、1年間の卓球部での成果はさすがのもので、二人ともカットマンになるそうでなかなか良い球筋でよく回転する球を打っていた。
若い人の1年間というのは見違えるようだ。若いと言うこともそうだろけれど、年齢に関係なく何でもそうだろうが、毎日のコツコツ、反復、理詰め等の練習が如何に大事なものかと言うことを改めて感じさせてくれる。
明日は、先生が見えて新年会の時以来のレッスンがある日だ。真面目に言われたとおり、
直される通りに実践し頑張ろう。
それにしても、1日も早くいつもの平穏な日々に戻って欲しいものだ。

3月15日(火)地震のことで練習に身が入らず1

2011-03-15 14:44:08 | Weblog

 

 いやはや今度の地震は物凄かった。TVの中継を観ているとこの世の事とは思えない。地獄図のようだ。100年に一度と言うけれどこうなると長生きも、嫌な事を見たり悲しい体験したりすることが多くなって良いことばかりではなさそうだ。
被災者については涙がこぼれるほど気の毒だし何とかしてあげたい、しなくてはという気持ちが湧いてくるのだが、かといって何も出来ないことに居たたまれない感情に襲われる。しかし現実には、せいぜい何千円かを町の商店等においてある義援金の箱に入れる位しかできないのが哀れなものだ。

人間というのは、かなり定めとか運とか偶然というものにもて遊ばれる事があるようだ。
昔から、あのリアス式海岸の景色や気仙沼とか陸前高田などは憧れの地で、一度は行ってみたいと思っていた。数年前にその辺から下北半島、恐山、大間崎、竜飛岬と巡るツアーを計画したことがあった。
その時は自分が体調を崩してしまい急遽キャンセルしたことがあった。こうなるともうあの雰囲気や景色をこの身で味わうことはなくなってしまった。
この地区へ全国から5千人の旅行者が入っていて、そのうち2500人の安否が分からないという。もしも私も体調が良かったらその中の一人だったという可能性は十分あったかも知れない。

私のイトコの娘夫婦が、気仙沼に転勤で二年前から住んでいて連絡が取れないと言う。
又、メンバー真弓さんの奥さんの妹さん夫婦が宮城県の港町に住んで居られて、いまだ
安否の確認が取れてないと言う。共に何とか無事であることを祈るばかりだ。

今日は6人が参加。簗瀬さんも見えたし、ゴルフで骨折して療養中だった須田さんが車に乗れるようになったからと、ヒョッコリ顔を見せてくれた。地震の前日には東京へ歌舞伎
を見に行ってもきたそうだから、もう大丈夫だろう。
歌舞伎座のお菓子を差し入れてくれた。
ティーブレークではしばし話が弾んだ。彼の正式で華麗なる難球癖球のカムバックは5月位だろうか。

こうして楽しくピンポンなどしているのが申し訳ないくらいだ。
明日は我が身で、何時こちらでもどうなるか分からないが、心の準備と物の準備だけは調えなければと痛感した。



3月8日(火) 3月も二回目の定例

2011-03-08 17:45:49 | Weblog

昨日の時ならぬ雪などあって心配したが、雨に変わった雪も明け方には止んで、冷たい空気だったがやがて薄日が射したりもしてまあまあの天気だった。
7人の方が参加した。この所こんな人数が続いている。一寸寂しい様な気もする。
反面、練習はみっちり出来ることになる。しかし、やはりもう少し多くて2回位やっては、1回休むか球拾いと言うくらいのペースがベストのようだ。
平均出席率を7~80%とすると、常時15人位のメンバーで10~12人で毎回やっるのが丁度良いということになるのだが。
現在定例練習のメンバーは12人だが、偶にしか来られない人を3人含めてだから、やはり一寸少ないわけだ。
メンバーの紹介や知人というケースが一番間違いないのだが、そうはそんな人が居るわけではない。
公民館の掲示板に募集のポスターを貼ればいいのだが、これだといざ来られた場合に、相手と会ってからでは断りにくいし、断るのも申し訳がない。痛し痒しである。

何しろ、誰が決めたのか青鳩では最低の条件が、まずは美男美女であること、何事も真面目にやる人で、協調性豊かな、極めて常識のある人と云うことなので、このとても厳しい条件が難点なのである。
あまりこの条件を厳しく突き詰めると、我々現会員も皆止めなくてはと言うことにもなりかねないので、そこはそこそこに、或いは目を瞑るとか、大いなる妥協で対応するしかないだろう。

3月1日(火) ピンポンと加齢のこと

2011-03-01 19:40:15 | Weblog
 今朝は寒くて自転車も冷たかった。雨もチラチラ。
それでも7人もが参加だ。スポーツ保険加入のこと、4月からの卓球一般開放のお手伝いのこと、ロッカーの23年の利用権の抽選申込みのこと、5月分の会場利用申込み等と
年度変わり等に伴う、総務的な雑務のこともあった。

いつもの通りの練習に、アイテム練習では私は専らバックハンドのカットをやった。
ダブルスも4~5戦。ラリーの遣り取りも最近では前には考えられない位に続いている。
変化や面白さや継続のため、目標のためにもそろそろ何処かで試合なんてのも志向してみる時期が来たのだろうかと思ったり、いやいやまだまだだ。出たら余計に嫌になってしまったりするかも等と、審判を師ながら内心で考えたりしていた。

所で、私はまだ少し気を入れて本気でやって動くとやはりまだ胸が苦しく、一寸気分が悪くなるようだ。
動悸もする。やはり心臓が弱っているのだろうし、全身的に体力がめっきり落ちているようで悲しく情けなくて残念だ。
こんな時には、つくづく元気なのが何にも替えがたいもので、一番大切なもので、これさえあれば他のこの世の何物も要らない。金も欲も美味い物も要らないと思う時がある。

調子が悪い状態が続いていると、どうしてもマイナス思考になってしまう。
美味しく食べられ、元気に散歩などが出来る、何でもやる気がある、意欲がある、旅にも行く気にもなれる、夜は眠れる、いつも明るく笑えたり話せたり、全て周りのことが楽しいと感じられたり、関心を持てたりして、絵も描きたくなる本も読みたくなる、人を好きになれたり、好感を抱いたり、笑いかけたり話しかけたり等という全く当たり前のことが、(丈夫で健康な人には感じられないのだろうが)、それ等の中のどれか一つか二つでもあれば、ただもうその事だけで幸せだろうなぁと、しみじみ実感したり憧れたりすることがある。

たまに調子が良くて、そんなことの一つでも出来たり感じたり出来た時には、とても温かな気持に浸れるものだ。ピンポンが曲がりなりにもやると言うことだけでも幸せを感じる時すらあるわけだ。丈夫な方にはそんなことは当たり前のことなのでしょうが‥。
これは病弱や病気持ちに与えられたささやかな特権であり、日頃の痛みや苦しみ不安等への大きな代償であり癒しであり、或いはせめてものご褒美なのかも知れない。

持病の他に、やはり年を重ねると心身共に、特に体力は極端に落ち込んでいるのを思い知らされるものだ。
加齢というのは誰人にも避けられない現実だが、かなりの個人差があるとはしても、確実に体力、気力、意欲、欲望そして繊細さ、感受性やデリカシーとか、女性ではあのかぐわしい美しさや魅せられるような優しさが、男性では魅力的なキラキラするような覇気が奪われてしまう様です。世間の人を見ていても残念ながらそう思わざるを得ません。
これは悲しい現実であり、避けようもない、どうしようもないことなのでしょう。

朝、顔を洗う時に長年見飽きた我が顔と嫌でも会ってしまうが、瞼はたれ、頬はゆるみ、シワとたるみは深く、目のクマは恐ろしい程だ。
艶のないガサついた皮膚、眼は輝きを失い、頭髪は無惨にも抜け落ち(最もこれは大分前からだったけれど)、思わず外に出るのが嫌になる位である。
しかし、朝食を食べると、もうすぐそれも忘れてしまうし、臆面もなく外出もしてしまうのですが‥‥。

江戸時代の高名な禅師の仙崖和尚という方の『老いの記述』という本に、「老い」というものをスケッチしたこんな文章がある。

『しわがよる、ホクロができる、腰が曲がる、頭ははげる、ひげは白くなる、手は振れる、
足はよろつく、歯は抜ける、耳は聞こえず、目はうとくなる。
身に添えるは、頭巾、えりまき、杖、めがね、湯たんぽ、温石、しびん、孫の手。
聞きたがる、死にとはながる、淋しがる、心は曲がる、欲ふかくなる、くどくなる、
短気になる、愚痴になる、出しゃばりたがる、世話やきたがる。
またしても同じ話に子をほめる。達者自慢に人は嫌がる』

何とよく観察し、的を得た文なのでしょう。我が身にも幾つも当てはまって、こそばゆい気持である。
加齢とは冷酷にして厳粛な事実で、案外ちょっぴり面白い事もあるのだが、そして仕方がないこととは思いながらも妙に結構悲しいものでもあります。
そんな加齢という難敵と付き合いながら、このピンポンというやつは他のスポーツに比べて老いても出来る、長く出来るものとは言いますが、果たして何時まで続けられるだろうか。加齢とピンポンとの存続を賭けた競争みたいなものになるのかも知れない。