今日は皆さん何人でどんな練習をしたのかしらん。
私自身は残念ながら久し振りに欠席だった。3ヶ月に1度の東京の大学病院で、眼の検診日だったので、朝から東京に行っていた。
東京は今の所、計画停電はないらしい。さすがに日本のあらゆる中枢機関や経済施設が密集しているからなのだろうか。
オフィスも商店街もいつもの通りの活気に溢れて賑やかだった。やはり東京に行くと子供の時から会社時代までを思い出すようだ。
この年で、この体調、この体力で満員電車も辛いし、もし出先で大地震が来たり、電車が止まったり等と、ふと考えると不安だったが病院行きなのでやむを得なかった。朝の電車も混んでいて厄介だった。
私の左眼は良くはならないが現状では固まっているそうだ。検眼や眼底の精密でも左眼はもはやどうにもならないが、右眼はまだ視力もあるので様子見にしましょうと言うことで診察も終わってしまった。白内障の手術もやれば少しはすっきりするかも知れないが、次回辺りで良いでしょうと言うことだった。
東京の懐かしいところでもと思ったが。瞳孔を極端に開いているので、生憎の良い天気で眩しくて眩しくて白い世界になってしまってとても何処にも行けるコンデションではなかった。
片目に眼帯を貼って、(最近ではヒモがついてガーゼを留めておく昔からの眼帯だけでなく、使い捨てにはなるがヒモ不要の眼に貼るだけというのがある。これだと鬱陶しさが少なく、ヒモで耳が痛くなることもなく案外便利)
この所は完全に単眼でやることが多い。
眼帯なしでやると鬱陶しさはないが、左眼はいささかぼんやりとは明るいので本能的に見よう見ようとしてしまうのだろう。すると何かうごめいている物が見えたり、あまりのアンバランスの勢か目眩がしたりして誠にやりづらい。
眼帯をすると完全に暗くなって左眼では見ようとも出来ないから、全く右眼だけになってかえって視界はクリァーになる。
しかし、片方がぼんやり少しは明るいだけでも、一寸は何かの役に経っているのだろうか。
立体感、遠近感、それに伴う物体の位置の認識や動き(遅速)の捉え方がとても厳しくなってしまう。これは新しい発見である。
眼帯着用と非着用とを使い分けて、慣れていくしかないようだ。
それでも何時までこれが出来るだろうかと気になることである。
今年は運転免許証更新の年だが(もう数年も前に、53年続いた運転も危ないので止めたが、身分証明書には最適とか)どうするか。
もう一つ、趣味の絵の方は、大きいものでも《ハガキ大の小さな絵を長年やって来たのだが見え難くなって残念ながらこれはもう数年前に止めて、大きいものなら描けるだろうと転向したのだが‥》最初の内はまだ良かったのだが、
いよいよこれも最近は特にいけなくなってきてしまった。そうなると余程意識でもしないと気力も衰えてきてしまう。描くのも億劫に、気持ちが萎えてしまうのである。
止めるのはピンポンが先か、絵が先か、はたまた命が先かなんて事にはなりたくないものだ。対策はやる気と意欲と楽しいと思えることしかないのだろう。