まこちゃん日記

まこちゃんのピンポン日記です。

8月28日(火)いつものピンポンに、練習の一工夫が…

2012-08-28 14:01:14 | Weblog

今日も真夏日で朝からじりじりと太陽が暑い。今日で連続9日間の真夏日だそうだ。世間では毎日熱中症で救急車の人が出ているが、幸い我々の所は大丈夫な様だ。それでも秋の気配がふとした何気ない時にすることもあるから、もうすぐこの暑さも峠を越すのだろう。

8月も最後の練習になって、11人が集まっていつもの練習をする。今日が絵の展覧会の搬入日初日で来られない人が2人あったがその他は全員だった。
大勢集まるとやはり活気があってとてもいい雰囲気で楽しい。

まず準備体操代わりのラジオ体操第1をやって、番号札をひいてその決まった順に台と相手が決まりウオーミングアップの3分間が始まる。
続いてコンピューターを駆使して作られた素晴らしい組み合わせ表?で順次、
相手と台が替わって6分づつの自由練習を繰り返す。これを2時間。
9~11人だと2回やっては、1回休みか球拾いで丁度良い具合だ。

残りの1時間は、今日の番号と組み合わせ表によってパートナーと相手チームがその都度替わってのダブルス戦を(2ゲームマッチ)4~5戦やると丁度
タイムイズオーバーと言うのがいつものメニューパターンである。

番号札で順番と回数が公平に決まり次々と相手が替わっていく。我々のレベルでも人によって球筋や球種が様々だから、これはとても面白い。
唯、シングルスではどうしても強く打ち合うだけの傾向が強い。相手と無言で打ち合って途中で、せいぜい一方的に自分のしたいことを相手に関係なしにやってみる位である。それでも今では、お互いにラリーを続けようと言う意識は十分感じられるようにはなってはいるが……。
この時間帯に一工夫も二工夫も必要な気がする。

相手と話し合い、互いに練習台になったりなって貰ったり、次は何をしようかと話し合い、アイテムを決めてやることが大事で、時には球出しをしてあげたりの練習が欲しい。
このシングルス練習の後半の1時間を如何に変化をつけ目的を持ちメリハリを付けて面白くするかが、上達はもちろんだがマンネリやただの惰性や倦怠感などを寄せ付けず、楽しくこれからも続けられるか否かのポイントになるだろうと思っている。

しかしそう思いながらもつい億劫やら面倒くさいやら説明するのも厄介そうで結局、いつも言ったり書いたりするだけで何もしていない。

皆さんもかなりの個性派で頑固な中高年集団だから、皆で揃ってとか、一二三でやるとか、同一練習メニューに沿ってやることは一寸難しいだろう。
人間、幾つになってもおかしな程のプライドや意地や面子があったり、妙な実績崇拝があったり(良くこの例え話にされるのが、プロ野球の選手が無名無実績の名コーチの話は聞かないが、馬鹿でも元首位打者とか元ホームラン王などの実績者の言うことは聞く、というのがある)するから、ここは先生に簡単なカリキュラムでも作って頂き、「先生からのご指示です、これでやろう」と言って声を掛けるのが、角も立たずプライドも傷つけず、気持ちよくやって貰えそうだ。やるならこの位のところが無難な所かも知れないと思っている。

しかし人のことはどうでも良いと考えれば、こんな事は余計な心配、要らぬお節介、心配性の一人よがりの茶番かも知れないという逡巡はあるが、何とか実行して改善や一工夫したいという気持ちも捨てきれない。

機会をみて先生に改めて相談してみようか。我々のピンポンが何時までも全員が元気で、揃って少しでも長く楽しく続けられる為に。


8月26日(日)スポーツの力は偉大だ!

2012-08-26 20:48:53 | Weblog

すっかり、五輪の興奮も余熱も冷めて夜更かしもなくなり、一喜一憂することもなく体調もそれなりいつもの状態に
ようやく戻った様だ。
TVも新聞も通常報道になって、何をやっているのか!と言いたくなるような相変わらずの政争への情けなさ怒りを
除けば、いつもの様にまぁまぁ穏やかで、平凡なまだまだ蒸し暑い残暑の日々が続いている。

英国の世論調査の結果でも、五輪をロンドンでやって良かったというのが65%もあったそうで、社会も経済も
民族的にも逼迫状態にある同国にとってはいろいろあったものの、賑やかな北京スタイルでの開会式の成功、
まずまずだった運営、金メダルの倍増等によって、彼等は自国と自国民への愛と絶対的な自信と誇りとを
取り戻せたという。
スポーツの力、影響力を証明した我がグレートブリテンはいまだ偉大であった。と総括している。

スポーツの力は本当に偉大なものだと思う。国民の大半をあれ程団結させ同じ国民だという意識や同じ目的にまとまり
愛国心に燃えさせるのは、このスポーツイベントと戦争しかあるまい。政治でも経済でも教育でもなく目の前の札束でもない。

この英国の今度の強化費ひとつをとっても、日本は見習う必要がありそうだ。もちろん金額だけではないけれど
スポーツに対するより前向きな意識や政策を進めたいものだ。
だからと言っても小沢とかいう反乱議員のマスコットみたいなあの柔道の「やわらチャン」議員辺りを
スポーツ振興委員に据えれば良い等という安易で低次元の事では決してそうではない。
しっかりした根幹的な政治の施策、国策としての科学的な画期的な長期的施策を期待したいものだ。

ついこの間まで新聞TVは、余韻放送のように特集番組や如何にも日本的な美談やお涙ストーリーや
根性物語をこれでもかこれでもかという様に放送していた。こちらも急になくなるのも淋しいので折角だからと、
律儀にも結構お付き合いしていたが、やっとこの頃ではさすがにロンドンも過去の事になったようだ。
アスリート達はもう既にリオに向けてスタートしたという。

 さて今日は、まさに残暑厳しくカンカン照りで日向では目眩がしそうだった。
にもかかわらず9人もが集まった。久し振りに、医大に進んだ簗瀬さんちのあの龍司くんが帰省中で参加。
嬉しいことだった。又一段とたくましく大きくなっていた。青鳩の良い主治医になれそうだ。
そして鳥居さんちの鎌学の卓球部の浅沼君も来てくれた。それにテニスの雅昭由美子の夫婦と言った顔触れだった。
今日は平均年齢が下がって元気で此方はタジタジだった。かなりハイレベルでもあった。
腰痛のこともうっかり忘れて汗をかいてしまった。しかし充実した楽しいピンポンだった。

何となく背伸びをすると気の勢か、遠い向こうに秋が見える様な気がした。夕方には風が涼しく感じられ
汗をかいた体に快かった。夕方には秋もそろそろもう近いぞと思わせるようになった。


8月21日(火)残暑日のレッスン!

2012-08-21 14:27:53 | Weblog

早朝から雲の一つもない快晴.みるみる温度が上がって各地で、青森山形で33度。熊谷などでは38度になったという。
会場は25℃設定という快適温度だったが、それにもかかわらず12人が汗をかきかき熱心にレッスンを受ける。
皆さんの先生へのレッスンのリクエストも積極的で、バックハンド打ち、突っつきそして回り込んでのスマッシュ、そしてサービス等が多かったようだ。
これも何だか先週までのTV観戦の影響か、無意識のうちにあれを覚えたいこれをやってみたいという気持ちの表れなのだろう。
こうした意識が大切で上達のポイントかも知れない。その意味で連夜に亘る夜ふかしもけっして無駄でなかったようだ。

休憩時には、五輪卓球の話に花が咲く。そのもの凄さ、気の遠くなる様な高等技術や作戦、相手の球種への対応、球の回転のいろいろについては、おぼろげながら想像はついてはいたが、先生の話や説明を聞いて改めて思い出して驚嘆するばかり。昨日は銀座のメダリストのパレードで50万人の群衆が大フィーバーだったようだ。これで国のスポーツ支援も、卓球も少しは盛り上がるだろうか。直ぐ熱の冷める日本人と言われるから、単に一過性の興奮で終わらなければいいのだが。

何事でも一芸、一技、そしてスポーツ等の、その奥深さというものは限りないものの様だ。
「一見、単純そう、やさしそうに見える物や事ほど、それは奥深く難しいもの」という言葉があるが、本当にその通りだ。

我々のようなお楽しみ仲良しピンポン、もう少し上の段階の一寸卓球に近い趣味グループ、市民大会に出たりグループ同士の他流試合をしたりの一見上手なグループ、試合向け専門のグループ、そしてさらに県大会クラス、実業団クラスと段階がいろいろあるわけだが、各段階の人々によって同じ卓球に対する見方も感じ方も思い入れもそして感じる面白さも各レベルによってかなり違うのだろう。

我らの先生も現役の頃は、県大会から実業団クラスだったわけだが、先生の五輪の卓球を見る感覚も思いも我々のものとは全く違う筈だ。スポーツはそれを見る人によってまるで違うところが面白いと言われる通りかも知れない。

日本が勝ったか負けたか、打ったり返したり、激しいラリーが続いた等それだけしか見てない、そしてそれだけで一喜一憂している普通の大半の観客よりも、先生などは一段と力が入っての観戦で何倍も疲れたのではあるまいか。

何も知らなきゃ楽で良い、覚える気もなきゃ悩みもないし疲れもない。
そうであるなら、「楽しいお遊びピンポン」、「運動不足解消ピンポン」、練習後の「食事が楽しみピンポン」、他にすることないからピンポンでもするかの「でもピンポン」、誘われたからやってみるかの「からピンポン」等というレベルのところが、観戦するにも自分達がやるにも丁度いい、一番良い位ではと言えるかも知れない。

しかしどんなのんびりピンポンをやっていても、年齢による生理現象でもある
という「今更どうでも良いという投げやりの心や、適当で良いという何事にも無関心、無気力派や、いい加減の心、我慢や忍耐心の衰退そしてそれに加えて体の老化や不調ということ等」は、年齢と共に誰の所へもやって来る。

これ等は、何かを始めて最初の壁で頓挫したり、マンネリ、飽きや倦怠、伸び悩み、人との問題等に出会った際に、自分自身への言い訳や慰めにするにはまことに都合の良いもので、これを中高年者に対する「悪魔の誘惑」と言うと精神心理学では教えている。

ほんの少しだけの強い意思と、一寸の前向きの心と明るい笑いとジョークそして人との和に努める心を持ってそんなものに負けずに立ち向かい、せめてこれからは何時も年齢には関係なく、向上心、好奇心、挑戦の心、探求心、そして新しい事への喜びと感受性を、人の話を聞ける様な協調性、広い視野の心、優しい心を持ち続けながら、ピンポンにだけでなくこれは何事に対してもそうありたいものだ。

そんな気持ちでピンポンを続けていたら、上手になり過ぎて青鳩というピンポンサークルとしては困ってしまうかも知れない。それより何より、年を取るのを忘れてしまい周りの人々に嫌がられる心配が出てくるかも知れない。

今日の先生によるレッスンも一段と気合いが入っていた。これもオリンピックの余熱なのかも知れない。
リオでのオリンピックの頃には、我々は果たしてどんなピンポン或いは卓ポン又はひょっとして卓球をしていることだろうか。
終わって今日は先生もご一緒に皆で、いつもと違うステーキ店の食べ放題に行く。話弾んで、食べて食べて腹一杯。しばし今日は意識的に血糖値のことを忘れる。
アフリカの飢餓の子供達には申し訳がないようだし、医者に見つかったらお出入り禁止にされそうだ。
せめて今夜のご飯は抜きにしようか。































8月14日(火)卓球って一寸我々のピンポンに似ているなぁ!

2012-08-14 13:57:45 | Weblog

先週までは新聞もTVもロンドンばかり。国中が五輪一色という感じだった。
昔からよくあったことだが、この間に悪い奴らがよく動くという。
不祥事や軽犯罪や詐欺などは、マスコミの扱いが通常とはまるで違う。
殺人事件があっても、サッカーや水泳、卓球や体操に埋め尽くされた紙面の片隅に
小さく載るか或いは載らぬかの具合なのである。
その間隙をぬって、政界でも悪い古狸がとかく動くことが多い。変な合併や工作を
したという数多い歴史がある。

今回も変な法案が何時の間にか出来ていたり、騒乱があったり、小悪大悪が見過ごされたり、
脱原発の折角のムードの盛り上がりも冷めてしまったり、東電のあの体質もそのまま曖昧に
されたり隠されてしまったりしなければいいのだが……。
マスコミが極端に偏るこの時期は悪い奴ほどよく動くといわれるから、国民は宴から早く冷めて、
よくよく注視すべきである。

さて、卓球の男女個人戦は見るも無惨な完敗だった。それでも団体女子が銀メタルと頑張り、
これは素晴らしかったと思う。
メディアに金だ銀だ!!と煽られて選手達も結構辛かったことだろう。
国民もいつの間にかそれに同調してしまい、何時しか過剰な期待をしてしまうという構図だ。
試合前から中国との差はあまりに歴然で、一寸でも卓球を知る人ならば誰も金とは思わなかっただろう。
(他の競技でも同例がさぞ多くあったのだろうが)、

勝負事だけに何が起きるか分からないし、可能性はゼロではないわけで、相手が突然の熱中症ででも
倒れて勝つことが決してないとは言えない。
そこの不確実なところが勝負事の面白いところでもあるのだろう。
アスリートは負ける気持を持ったり、勝つ自信がない等と公言するとそれこそ確実に勝つチャンスは
ないそうだ。自己催眠や暗示を掛けて大言壮語して、重圧や緊張と戦いながらも楽しみながら奇跡を
手繰り寄せようとする強い意志の選手達に、明るいアッケラカンとした現代っ子でもあるのを感じた。

昔とは選手像もかなり違うと思うし、その姿に同情と共に偉いものだと感心してしまう。
まずは選手達に喝采を送り、一時の興奮と喜びと悔しさとを与えてくれた事に感謝だ。
特に卓球の女子団体チームには大拍手だ!

今日は早朝から雨だった。蒸し暑い。簗瀬さんの車に3人も拾って貰って助かった。
こんな天気だったが11人もが集まった。25度に設定の会場は案外快適だ。
吹き出し口のファンのすぐ下にいると寒い位だ。でもやり始めると直ぐに大汗だ。
皆さんもいつもの様に楽しそうにやって居られるのが何よりのことだ。
私の悪い眼では皆が、まるでTVで連夜見ていた愛ちゃんや水谷選手に見えるようだった。

TVの五輪報道で卓球競技をよくよく見ていたのでその様子が目に焼き付いている。
すると我々のやっているここのピンポンというのは、よく見るとTVで見た卓球と何だか
よく似ている様でもあり、全く違うもののようでもある。
同じようでいて異種のスポーツなのかも知れない。
今日も卓球である様な、そうでない様な我等の<正統派ピンポン>を皆で3時間を楽しんだ。

やり始めた十年前は、誠に謙虚で館への登録にもスポーツ保険の申込書にも又は人に聞かれりゃ、
卓球にあらず「ピンポンです」と答えていたものだ。
もうそろそろピンポンではなく、一歩卓球に近づいて「ピン卓」とか「卓ポン」位にしようかと
思っていたのだが、この2週間のTVを見ていて、いやいや、まだまだピンポンの名称が一番相応しく
適当な表現だと思い知らされた。

それにしても何だかんだと言っても、ピンポンと卓球とは同根のものだから、あのTVの試合のもの凄さは、
やらぬ人よりは我々は強く感じられるのだろう。
これが青鳩の10年の成果かも知れない。自分があの同じようものをやるのが嫌になる、何だか馬鹿々々しく
さえなる位の刺激だった。
多分、他の種目でもそれぞれご自分のやっている趣味のものがあれば同じような気持を味わった方が
多かったのではなかろうか。

スポーツでは頭で考えるのではなく自分で体験しないとそれが分からない世界というか範疇や部分があるという。
しかしゴルフや野球やサッカーなどポピュラーなものでは、一度もやったことがない方が観戦するには又は
TVで楽しむにはその方が良いのかも知れない。
その種目の本当の難しさ奥深さそして醍醐味や選手達の天才的な才能とか努力の凄さを知ることは出来ないが、
楽しむだけなら知らなくても十分だ。
いっそ知らない方が却って良いのかも知れない。大半の日本の野球ファン、サッカーのファンがそうである様に。


特に見るタイプのスポーツでは、自分は一切やらず出来ずで、新聞や本での知識にはかなり詳しく
そこに観戦の実体験を積んで、いまでは一端の御託を並べる素人評論家の様な見方か、或いは
有名選手やお気に入りの選手に入れ上げてまるで一心同体のように、一喜一憂して楽しむという見方との、
この二つが何と言っても一番楽しく幸せな方法なのだろう。

スポーツ好きの私も、自慢じゃないがサッカーは一度もしたことがない。
ボールに触ったことすらない。もちろん生の試合を見たこともない。
W杯、何とかカップ戦とかの国際試合に限っては見る様になって、今では選手の名前も結構覚えたし、
ルール(オフサイドを除いて、未だに良く理解できないでいるが)も、テクニックの名称も戦術も大分覚えて
楽しんでいる。
しかし当然ながら、日本が勝つか負けるかが興味の中心で、今のテクニックが如何に凄い物か、球を自在に操る
のはどんなに難しい事か等については実感がない。
従って他のスポーツ程にあまり凄いとか驚嘆したり感激したりは少ない。
それだけに勝手な事を言い、批判したりけなしたりの自分勝手なオダをあげている。この無責任で自由で勝手な
スポーツの見方がこの楽しさが一番だ。

そのくせ、何かの拍子にJリーグの試合を見てしまって、しかもそれが0―0だった時の90分には後悔する。
時間の無駄をしたと思って虚しくなる。やはりこれは本当のファンや愛好者ではない証拠だろう。

そのスポーツの本当のところは何も知らないのに、何だか知ったような気になって十分楽しめるというのは、
如何にもメディア時代の表層的で現代的で国民総評論家時代の象徴でもある。
これは政治に対する傍目八目、落語長屋のご隠居さんや熊さん八つぁんの様に愚痴や怒りの不満や批判を
言っているのと同じような、似たような事かも知れない。

これらは知らず知らずに一種のストレス解消、ガス抜きになっているのだろう。
好きなことがやれて、自由に好きなことを言え、思うまま気儘にやれて、これはひょっとすると今はとんでもない
良い時代なのかも知れない。


8月12日(日) 宴の後のピンポン!

2012-08-12 22:24:15 | Weblog

あれほど日本中を巻き込み酔わせて、さんざん我々に愛国心と日本人であることを思い知らせたオリンピックもいよいよ今日で終わりだ。
昨夜はバレーボールが3―0でストレート勝ちした。先々日には、韓国の大統領に竹島上陸され(日本政府は一体何をしているのか!)、気分を悪くしていたが何とその夜にはサッカー男子が韓国に完敗した。その上バレーも負けたらどうしようと,よりによって日本を倒すなら何をやっても良いと官民共に公言する様なあの韓国にとは、腹立だしく情けない気持ちのこの数日だった。
お陰で何とかスッキリした。男子は兵役免除だが女子選手は大金の他にどんな特典を逃がしたのだろうと考えると彼女等に一寸可哀相な気を覚える程にどうやらやっと平静な心を取り戻せた様だ。

TVは「鶴瓶の家族に乾杯」も「何でも鑑定団」も「世界街歩き」や「NHKスペシャル」とか「アサイチ」などの馴染みの番組もすっかり追いやられていた。来週からは通常番組に戻るだろうとほっとしているが、反面あの大騒ぎも日本人活躍の感激も喜びも或いは悔しさも無くなるのかと思うと一寸淋しい。
まさに宴のあとの虚しさというところである。

今日の自由練習には9人が参加した。
久し振りにテニスの雅昭由美夫婦も、夏休み中の春香ちゃんも来た。さすがテニスが上手なだけあってピンポンでも動きが良いし巧いものだ。

最も、卓球の始まりは彼のイギリスの大昔、貴族達がテニスに興じていたら俄雨。慌てて家に逃げ込んだ。それでもまだテニスをやりたくて、そこでラケットを短く切って大きな食卓でテニスのようにやってみた。その後ラケットも球も食卓も改良されたが、これが卓球の起源だそうだ。
つまり卓球はテニスから産まれたものだ。だからテニスの人はピンポンも上手なのかも知れない。
春香ちゃんも又一段と上手になって、気持ちの良いリズムに乗って軽やかに打っていた。

五輪の各種目でのあのもの凄さや世界の大きさ強さを、それぞれの好みの競技や経験のあるスポーツについてのあれこれを語り合いながら楽しんだ。

スポーツには何か、やはり人間を酔わす様な大きな力があるものだということを五輪の度につくづく思う。
我々の様なお遊びや趣味やリクエーションから、はたまたリハビリや運動療法の為のものまで、さらに学校の部活、実業団が、街には多くのスポーツクラブや公的機関の運動奨励、施設、官や民のスポーツサークルが乱立し、今や国民スポーツ花盛りである。国民総白痴化ならぬ国民総スポーツマン化時代である。

それに浪費される個人の時間と費用の累計蓄積では日本中で膨大なものになる。そのあまりの大きさは、労働力不足やその質の低下などから国の総生産や生産性低下を招き、スポーツに向けられたその非生産的な不労労働力は、体は滅法元気だが、教養や知識や意識や思考の低下の傾向がみられるという。
それは国民の平均的な文化レベルの低さといった偏った社会を招くのではないかという不安説すらある位なのである。
これは国家戦略的な規模で検討し、行政でも一考の要がある様な気がする。

しかしまぁこれは若い人も、特に老人に顕著だそうだが、医療費が著しく減少するという事を証明する統計があるという。これで自治体の財政が助かるならば、多少の弊害は仕方ないだろう。この中高年時代に大いに結構なこと事だ。

最近のノンポリ人種や激情型タイプや単純直情型や無思慮型、弱肉強食思考、思いやりの欠如、無神経そしてアンチ理科系の増加、文化系の低迷という社会現象は、巷で言うほど何も国民総スポーツ狂の勢ばかりとは言い切れないのだろうから(幾分はあると確信しているが)、この施策を暫くは続けても良いのではなかろうか。

スポーツは国力を表し、その国の文化程度、社会の成熟度を表すという。
しかし最近では、特に新興国の特定スポーツでの活躍、報奨金制度や国家組織の介入等による例外が多く、あまりこの言葉も実体を捉えていなくなったようだ。韓国のメダル取得者は兵役免除されるとか、特別生涯年金制度などがその一例だろう。

その昔、東京オリンピックを決める時に、開催反対派の学者が次の様な説を唱えていたのを今でも覚えている。
「巷では経済効果、インフラ整備、設備投資による景気向上の効果、国威発揚、我が国のPR等が東京開催のメリットとして喧伝されているが、まだまだ我が国では時期尚早だと思う。
日本の国力そしてスポーツの現在のレベルでは世界にとても太刀打ちできない。
次々と惨敗の種目ばかりが続くと、恐ろしいのは国民が自信喪失してしまい、国民総劣等感に陥り、その弊害が経済や文化や社会心理に与える負の影響は計り知れない。」概略こんな事だったが、本気にそんなことが危惧されたのである。

今を思うと隔世の感があるのだが、現在でも当時とあまり変わらない種目もあるようだ。スポーツの様々な効果を考えれば、我が国ももっと手厚い援助をしなくてはならないと思う。国民があんなに喜んだり民族的な自信を覚えたりはとても今の政治力では出来ることではないのではないか。

五輪TV観戦でつくづく実感させられたが、日本が勝たないと面白くないし悔しい思いがする。これはまことに心身共に良くない。
やはり日本が強くなってTV観戦者の心と体の健康の良い薬になって欲しいものだ。さあ、これから明日の早朝には早起きして閉会式をLIVEで見て、こちらもロンドン五輪の打ち止めとしよう。


8月7日(火)時の流れとピンポン球はどっちが速いか!

2012-08-07 14:59:01 | Weblog

 夏真っ盛りの8月に入った。まだ当分こんな猛暑日が続くのだろう。
五輪でも思った以上の日本の活躍で盛り上がる。その分毎夜の寝不足と熱帯夜とで、気分は高揚しても体調は盛り下がる。サッカー、競泳、卓球など大活躍だったと思う。金でなく銀や銅が多かった所も良い。派手な金の一人の天才よりも3人の努力家の銀や銅の方が尊く、真のその国の強さかも知れない。

暑さに負けてぼうっとした頭にいろんな妄想めいた物が浮かんでくる。
今年は蝉も居なくなったのかなぁと思っていたら、先週あたりからガンガン鳴き始めた。疲れて眠る午睡の耳にも飛び込んでくる。その鳴き声に心はいつか子供の頃の田舎の鶴ヶ城跡にセミ取りに行っている。
これは蚊取線香の香り、風鈴、蛍、縁台、蚊帳、氷水、ところ天、打ち水等と共に、未だに心に残る懐かしい夏の風物詩である。

数日前には町の中で赤とんぼを見かけた。こうなるともう夏も駆け足で、すぐに空には鰯雲を見る様になり、コスモスに見とれ美味しい果物を食べて居るともう秋も深まり、まもなく木枯らしが吹いて枯れ葉が舞い始める。
そうすれば今年ももう終わりに近い。いやはや速いものだというそんな思いをこの所毎年繰り返している。
まるで時間が、私がスマッシュした球のような猛スピード?で流れていくのではという実感である。

年を加えるほど年々、時間が早く感じられるものだという。
今日という一日は、若い人にはそれまでの日々を分母としての一日だが、老人では今までの長い長い日々を分母としての一日という訳で、同じ一日でも分子となる1日は、その時間的、物理的にも極めて小さいという。
これは詩人や文学者や心理学者がいうのではなく、面白いことに数学者が説明する老人の時間の速さの説明である。結構面白い見方でなるほどと思う。

夏休み中で子供達を町の中で多く見かけたり、お祭りや夏のイベントがあって何となく賑やかでざわついているこの頃だが、これも直ぐ静かになってしまうのだろう。あの明るい賑やかさから急に静かで寂しい町になってしまう。
秋とは妙なもので何故か、「黄昏」「終焉」「孤独」「滅亡」「寂寥」「輪廻」なんて言葉が似合うものだ。秋は頭をクリアーにはしてくれるが、何やら物悲しく一寸寂しいものだ。
最近は、春や夏が短くて毎年直ぐに秋がやってくるような気がしてならない。
秋とは何故か人に、人生の時間、長さ,短さ、儚さを感じさせるものである。

さて、そんな感傷めいた気分も一時のことで、今日も朝から暑かったがいつもと変わらぬように笑顔で会場に行った。
11人もが集まった。
皆さんも心にはそれぞれいろいろあるのだろうが、元気で明るく楽しそうにガンガンプレーしている。
こうして明るくプレーしている時が一番良い。それこそ時が流れているのを意識することもないだろう。
忘れているものだ。私の渾身スマッシュの球の方が、時間の流れよりも速い様な気がしてきたものだ。

ロンドンの卓球もシングルス戦では男女ともに準々決勝で4-0と完敗した。
最もダブルス戦では、女子は決勝に進み男子は準決勝で残念という活躍もあったが。確かに日本も強くなった実感だが、シングルス決勝で男女共に日本選手を見られるのは、リオだろうか或いはその次辺りだろうか。

体格、力強さ、手足の長さ、スタミナ、激しい気性だけでも(それ以上に技術の差はもちろんだが)まだ10年の格差があるように見える。
しかし必ず何十年後には追いつくことだろう。
卓球ブームが来て卓球人口の底辺が飛躍的に増加し、若い人材が育って、良い厚い支援援護体制という環境が出来れば、日本人は元々器用なのだから貧弱な体格を越えて、きっとそうなるだろうと思う。

我々が、青鳩でピンポン道をまだ追求し続けている内に、何とか男女シングルス決勝戦をする日本人を見たいものだ。
それを楽しみにしながら底辺の拡大の為に、我々も及ばずながら館の卓球一般開放という行事のお手伝いをして、子供にも年寄りにも少しでもピンポンを広めようとしているわけです。

 尚、冒頭の写真はテニスの雅昭くんの作品です。
最近の彼はテニスの調子が滅法良くて試合が多く、それに登山にハイキング、良いカメラを手に入れたと見えて撮影行などに大忙しで、ほとんどピンポンにはご無沙汰です。もうきっと今の我々のスマッシュは取れないでしょう?
4日の茅ヶ崎の花火大会でのものです。花火、富士山、建物の灯りそして水面の光と人影がまことに見事に撮影されています。花火の向こうに富士山も入るという難しく微妙な時間とアングルであまりにも素敵なので、このピンポン日記の暑中お見舞いにと使わせて貰いました。