ビールを飲みながら考えてみた…

日常の中でふっと感じたことを、テーマもなく、つれづれなるままに断片を切り取っていく作業です。

iPodが「アルバム」のあり方を変える!

2004年12月25日 | コンテンツビジネス
CNETの記事だったと思うのだが、iPodは「曲」との再発見をさせるといった内容のコメントをS.ジョブズがしていたと思う。確かにiPodを使い始めてからそのことに実感する。どうしてもこれまでのCDやMDを前提とした場合、例え新しいCDを買ったとしてもしばらくすると聴かなくなってしまうものというのも多い。お気に入りのアーティストでも本当にお気に入りのアルバムや曲というのは意外と少なく、結局、特定のものばかり聴き返してしまうのだ。それがiPodになると、メディアの交換というものが必要ないため、とりあえず持っている曲やアルバムを放り込んでしまう。で、再生させる時に好きな曲やアルバムを選べばいい。

しかし実際のところ、好きな曲やアルバムを選んで聞いているかと言われると、これは「No」だ。他の人がどうしているか知らないし、どうしてもこの曲が聴きたいということもあるけれど、僕の場合、ジャンルかせいぜい聴きたいアーティストを選び、後はその中の曲をランダムに再生させる。これまでのCDなどでは、同じようにランダムに聴いたとしても10~15曲の中からという感じだろうが、HDDプレーヤーの場合、桁が違う。どちらかと言うとどの曲がかかるかわからないという点で、DJのいない「FMラジオ」という感じだろうか。そのため最初に書いたような「曲の再発見」といったことを体験するのだ。あ、こんな曲あったんだ、とか今聴くと結構いい曲だな、とか。

こうした新しいデバイスやメディアによって音楽のあり方が変わるというのは、CDの登場以来ではないだろうか。

CDの登場は音楽「アルバム」を手軽に聴くことができるという点で大きな革命だった。それまでのレコードのぱあい、レコード針の交換やら盤に傷がつかないように慎重に取り扱う必要があったりと、どうしても「手軽」に扱うものではなかった。それがCDの登場によってよほどのことがない限り、普通に出し入れし、CDプレーヤーに入れ、選曲し、繰り返し聞くことが可能となった。JBLのスピーカーやマランツのアンプを使わなくとも普通のラジカセでもBGMには十分な音質が実現された。そうしたユーザーサイドの音楽生活が大きく代わることとなったのだが、もう1つ、CDの登場はアーティスト側のアルバムのつくり方も変化させることになった。

ベスト盤を除くとそもそもアルバムはシングル曲の集合体ではない。シングルになりうる「いい曲」の集合体が「いいアルバム」ではない。ビートルズ史上最高のアルバムとも評される「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」はアルバムとしての完成度を追求したからこそ成り立っているのであり、POPな曲を聴きたければ「ラバーソウル」(「ミッシェル」、「イン・マイ・ライフ」)や「リボルバー」(「イエロー・サブマリン」、「ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア」)の方が相応しいだろう。

そしてそのアルバムを作る段階においても、レコードが前提となっていた時代はA/B面それぞれ約23分・約5曲という時間的制限があり、その5曲の中での盛り上がりなどを考えて配列され、あるいは曲と曲を繋げるようなアレンジにするといったことがなされていた。昔のアルバムで片面の最後となる5曲目と10曲目にバラード系が多いのはそういった片面約23分・5曲という閉じた世界の中での物語を作り上げていた名残である。レコードであれば5曲目のバラードを聞き、ちょっとしっとりしたところで、レコードをひっくり返しまた新しい気分でPOPな曲からスタートするのだ。

こうしたストーリーに基づいてつくられたアルバムも、片面76分再生というCDの普及によって作り方は変わってくる。レコードであれば、5曲目にしっとりとして6曲目には全くタイプの違うPOPな曲があったとしても違和感は全くなかったが、CDのように連続して再生させると「ぶつ切り」感が出てしまいアルバムとしての完成度が低くなる。そのためCD時代のアルバムは76分という時間の中で(実際には40分~50分という時間の中で)トータルの完成品を目指すこととなった。

しかしiPodの登場はこうした「トータル」で1つの物語を作り出すという「アルバム」の特性を破壊するのかもしれない。

iTMSや音楽配信サイトなどはアルバムとしての楽曲販売も行ってはいるものの、中心は1曲毎の販売である。ユーザーは自分の気に入った曲だけを比較的安価で手に入れることになる。

こうした文化の下では、アルバムトータルとしての完成度というのは相対的に価値を落とすだろう。また最初に述べたように、そのアルバム、あるいはそのアーティストの過去のアルバムなどの中からランダムに再生させるような聴き方が中心となった場合、1曲毎の魅力を高めることが求められ、むしろ曲と曲のつながりや流れ、物語性というものは不要となる。この曲とこの曲の間に重く暗い曲を入れることでアルバム全体の深みを作り出す、といったことが必要とされなくなるのだ。

これは何とも寂しいことではないか。

アルバムの良さというのは、シングルでは見ることのできないそのアーティストの別な魅力や実験的な取組み、才能への挑戦というものをトータルで感じることがてきることだ。仮に今後は誰もがダウンロードしたくなるようなPOPな曲やその曲単位で魅力的であることが求められるのだとしたら、それを寂しいと思うのは僕だけだろうか。人間が明るさと暗さ、優しさと凶暴さ、社交的であることと内面的であることなど相反する側面・矛盾する小宇宙を抱え込むことで人間としての深みを持つように、売れ筋の曲だけを作り出すことだけがアーティストの魅力ではないはずだ。

いやそもそも自分の才能に挑戦を続けなければいけないアーティスト自身にとってこそ、そうした制約は彼らの可能性を狭めるものである。これからのアルバム作りというのは、そうした商品経済としての状況とアーティスト性という部分において大きな課題を背負うことになるのかもしれない。



サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド


ラバー・ソウル


リボルバー



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