maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

喜愛香港-055 北角(パッコック)-2

2004-05-05 16:28:01 | 虚々実々-喜愛香港

書局街が英皇道と交差した北西角に新光劇院が有ります。
ここは粤劇の常設館。
難儀な事に、開演が遅いので終るのが深夜、マゴマゴしてると地下鉄の終電車に乗り遅れるんです。
フアンは贔屓の役者に写真のような赤と金のド派手な看板(?)を送るんです。
劇場の入口にはこの看板が所狭しと並んでいます。
これを見て回ってるだけでもかなり面白い。
観劇して興奮覚めやらぬおっちゃん、おばちゃんがたむろして看板を肴にワイワイやってるんですが、まだ劇場内では演目が終ってないんですよ。
入場料が勿体無いと、最初から最期まで見るのは野暮で、自分の気に入ったところだけを見て、ドンと楽屋見舞いを送って、サッと帰るのが粋やそうです。
そんな事言われてもねぇ・・・。

粤劇というのは、日本の歌舞伎に相当するような古典芸能なんですが、人々の日常生活への溶け込み方となると到底歌舞伎に勝ち目は有りません。
有名な演目の台詞は詩や詞、成句などと同じように日常会話に登場します。
新光劇院に出演するのは超一流で、看板俳優の一流ホテルでのディナーショウの切符などは先ず手に入りません。
それ以外にお祭りや、廟の縁日はては夜店の仮設舞台で演じるドサ回りの零細劇団が仰山いてるんです。
格式のあるメジャーな劇団では歌舞伎と同じく、男が女性を演じるんですが、零細劇団では女性が演じる男役てのも有り。
演目を通しで演じないで、有名なサワリだけをするので、手軽に色々な演目を短時間で楽しめます。
追っかけのファンが居て、舞台に上がって衣装にお札を挟んだり、豪勢なのはお札で作ったレイみたいなのをプレゼントするんです。
場合によってはサワリの一節をデュエットしてくれますねん。
これはこれで中々ええもんです。

公園で同好の士が集まって、金切り声で声色を演じているのもよく見かけます。
廟街などには粤劇の声色をするカラオケ屋台が何軒も並んでいます。
あの独特なチュワン、チュワンというシンバルや二胡、妙な事にテナーサックスも入った音楽に合わせて劇のサワリを演じるんです。
素人ながら芸達者の多い事には驚きます。
何故か女形を演じるオジさんが多いんですなぁ・・・。
化粧無しで衣装も着けてない脂ぎったおっさんが、絹を裂くような独特の声でシナを作って台詞を語り、歌うんでっせ。
そらもう鬼気迫るもんがありますなぁ。
本人は完全に自分の世界に入り込んでるからエエけれど、見ているこっちはチョット気色悪い。

ちなみに日本では十把一絡げに中国の古典演劇を京劇と呼んでいますが、八大地方劇とされている京劇=北京、川劇=四川省、豫劇=河南省、昆劇=江蘇省(蘇州)、評劇=河北省、黄梅劇=安徽省、越劇=浙江省、粤劇=広東省以外にも、山東省の呂劇、上海付近の滬劇、河北省の評劇、安徽省の黄梅劇と、まだまだ有るそうですが他のは知りません。
呉晗が執筆した京劇の脚本「海瑞罷官」を姚文元(文革四人組の一人)が批判したのが中国全土を大混乱に叩き込んだ文革のきっかけとなったと言われています。
私なんぞも文革の終わり際に引っ掛かって、中国船が日本で修繕ドックするのに打ち合わせに行ったら、毛語録を持たされて、乗船している政治局員のお話が済むまで仕事との話が出来んかって往生しました。
臉面―この櫂に手をそえて」は四川省の川劇の特徴的な芸の「変臉(面の早変わり)」が重要な要素になっていましたねぇ。
例えば粤劇はアクロバティックな立ち回りが得意とか、川劇は空中を飛んだり、舞台で火を使ったりするとか、各劇には夫々特徴があるんだそうですが、正直なところ私には見分けるのは至難の業ですわ。

英皇道を渡って書局街を山側に進むと急な長い階段になっています。
階段を登りきると高層住宅の間のダラダラ坂、その先は曲がりくねった階段が山の方へと続きます。国共内戦後、香港に難民がドッと流れ込んだ時代には、この上の坂道に難民のバラックがひしめいていたそうです。
大雨が降ると、急坂をバラックの残骸と人間が混じって流れ落ちてきたというから悲惨ですなぁ。
場所は少々違いますが「スージー・ウォンの世界」という灣仔を舞台にした映画の名作に、難民バラックの大雨のシーンが有りましたねぇ。

途中から階段は山道に変り、20~30m先で山の方(南)へ行く道が有ります。
曲らずに真っ直ぐ行けばやがて下りの階段で、糖水道を上がってきた付近の高層住宅の中に入り込んでしまいます。
団地の中の迷路見たいな通路を抜けて英皇道に出たあたりは、台灣、インドネシア、タイ華僑相手の安ホテルが入ったビルが並んでいます。
こういうホテルはビルひとつ丸ごとホテルではなくて、一階には食堂や商店が並び二階は映画館。3階から5回がホテル、その上は住宅という具合に複合してるんですね。
中には今は無き九龍城砦のミニチュア見たいなビルもあるので、ウロウロするのも面白いんですが、ひょっとしたら二度とでて来られんかも・・・。
というのは冗談で、実は前回の深水捗や北角は犯罪発生率では、観光客の多い尖沙咀や灣仔、銅鑼灣等よりも何十%も低いそうです。
ただし不法滞在、密入国者の数は他の町に較べると多そうですがね。

さて、ぶらぶら散歩がてら英皇道へかえるとしますか。
さっきの山道を左に曲って山の方(南)へ行くと天后廟道に出ます。
これは自動車も走る広い道路。
天后廟道を右の方に下って10~15分行くと左手に立派な天后廟が有ります。
中国清朝第六代皇帝の乾隆年間(1735~1795)に建てられたそうで、香港の古名の「紅香炉(ホンコンロ)」はここの大きな銅製の香炉から生まれた、という話が有ります。
香港と言う名前の由来については「香木の積み出し港で、港に良い香りが漂っていたから香港」という説が有ります。
どっちがどうやら?両方とも後付けみたいな感じがしますなぁ。
それはさて置き、絶え間なく改装増改築を加えられたとはいえ、さすがに本物。
古い香港の雰囲気が濃厚に残っていて、見応えも雰囲気も数多在る香港の天后廟でも五指に入るんやないかなぁ。
浅海灣(レパルスベイ)に突然でっち上げられた観光バス向け、今出来の天后廟等は足元にも及びません。

ここまで来れば、路面電車(トラム)の走っている英皇道は目の前です。
丁度この辺りへ出てくるんです。
このトラム(路面電車)の停留所の近くには、路線バスの停留所も有れば専線小巴(緑のミニバス)の溜まりも有ります。
真下には地下鉄の天后駅が有ります。
地下鉄で帰るも良し、英皇道をブラブラ歩いて北角へ戻ってフェリーで海を渡って帰るも良し。
ここは交通が便利やからどうにでもなります。

次回は九龍灣へ釜飯でも食べに行きましょうか。

2004/05/05

喜愛香港-056 九龍灣

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