写真①:石段の上にある「堀三太郎屋敷跡」(「直方歳時館」)
=福岡県直方市新町1で、2011年4月23日午後2時25分撮影
〈直方・町歩きスポット〉 5
:堀三太郎屋敷跡(「直方歳時館」)
23日午後2時25分ごろ、直方市新町1の「堀三太郎屋敷跡」(「直方歳時館」)の石段=写真①=を上がりながら、町歩きの疲れを両足に感じ始めました。トイレ休憩のスポットになっており、畳の部屋で足を伸ばし、炭鉱王・堀三太郎旧邸の解説ビデオを観ました。
堀三太郎は、幕末の慶応2年(1866年)に新町の醤油屋の長男として生まれ、後に堀甚四郎の養子になりました。23歳の明治22年に鞍手郡勝野村(現小竹町)で炭鉱経営を始め、各地でも炭鉱を経営、貝島、麻生、伊藤、安川と並んで〝筑豊の五大炭鉱王〟と呼ばれるほどになったという。晩年は福岡県福津市福間(現同市花見が浜1)の別邸(戦後、売却され、精神科の「福間病院」開設)=写真②=で過ごし、昭和33年(1958年)に92歳で亡くなりました。別邸の正門は、2本の本柱の背後だけに控え柱を立て、切妻屋根をかけた「薬医門」で、大名や藩の御典医などに建築が許された様式という。
写真②:「堀三太郎旧邸」の本瓦葺きで格調高い「薬医門」(現「福間病院」正門)
=福津市花見が浜1で、27日撮影
堀三太郎旧邸はどっしりとした木造平屋で、明治31年(1898年)に建造。広い座敷や板の間、庭園があります。昭和16年に寄贈された直方市が中央公民館とし、市民ら筑豊一円の3千組が結婚式場に利用。老朽化に伴い、平成9年から2か年事業で解体復元、伝統芸能の生涯学習拠点として「直方歳時館」として名称を改め、無料公開されています。
敷地には、明治31年に建築された「なまこ壁」の土蔵=写真③=もありました。
写真③:「なまこ壁」が特徴の土蔵
=「直方歳時館」敷地で、23日午後2時45分撮影
和室では、子供たちが琴の演奏を習う教室も開かれています=写真④=。直方市の文化の厚みがうかがえる素敵な空間を体感しました。伝統芸能を教養や情操を育む下地に用いる土地柄は、城下町・直方の民度の高さでしょうか。
写真④:和室で開かれている子供たちが琴の演奏を習う教室
=「直方歳時館」で、23日午後2時30分撮影
「直方歳時館」位置図
(十字の所)