吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

2016年3月31日/〈津屋崎の四季〉1141:ソメイヨシノの花が満開

2016-03-31 17:38:45 | 風物

 

写真①:弁当を広げて花見を楽しむ家族連れ

     =福津市渡の「東郷公園」で、2016年3月31日午後1時30分撮影

津屋崎のソメイヨシノの花も満開

花見楽しむ家族で賑わう「東郷公園」

  花曇りの3月31日、福津市津屋崎の桜名所はソメイヨシノの花が満開。渡の「東郷公園」では、大峰山(標高114㍍)山頂に建つ「日本海海戦祈念碑」前の広場で弁当を広げて花見を楽しむ家族連れの姿が見られました=写真①=。

 宮司元町の「宮地嶽神社」境内の芝生広場でも、ソメイヨシノの並木に満開の花が咲き誇っています=写真②=。4月2日の土曜日から桜見物を兼ねた参拝客で賑わいそう。

  

写真②:満開のソメイヨシノの花が咲き誇る並木

     =福津市宮司元町の「宮地嶽神社」境内の芝生広場で、31日午前7時5分撮影

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2016年3月24日/〈福岡・町歩き〉017・朝倉市甘木散策

2016-03-24 20:04:38 | 福岡・町歩き

 

写真①:御影石でできたアーチ形の「眼鏡橋」

     =福岡県朝倉市秋月で、2016年3月15日午後0時10分撮影

 〈福岡・町歩き〉017

 :朝倉市甘木界隈

  福岡県筑前町弥永(いやなが)の「大己貴(おおなむち)神社」を初参拝した3月15日午後、朝倉市甘木界隈を散策しました。

  秋月の城下町入り口の清流に架かる「眼鏡橋」=写真①=は御影石でできたアーチ形で珍しく、風情があります。江戸時代後期の文化7年(1810年)、秋月藩によって架けられ、県指定文化財です。

  近くの天然酵母のパン屋さん「月の峠」=写真②=は、買物客が入れ替わり入店し、人気店の様子。古処鶏のガラをベースに作られたという一番人気のカレーぱんを食べると、出来立てで美味しくいただけました。

 

写真②:天然酵母のパン屋さん「月の峠」

     =15日午後0時10分撮影

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2016年3月21日/〈福岡・町歩き〉016・「大己貴神社」界隈

2016-03-21 05:04:54 | 福岡・町歩き

 

写真①:松尾芭蕉の句碑と平成23年に筑前町教育委員会が立てた解説板

     =福岡県筑前町弥永字大神屋敷の「大己貴神社」で、2016年3月15日午前11時20分撮影

 〈福岡・町歩き〉016

 :「大己貴神社」界隈

  3月15日初参拝した福岡県筑前町弥永(いやなが)字大神(おんが)屋敷の「大己貴(おおなむち)神社」境内に、松尾芭蕉の句碑=写真①=が建てられていました。

  石の句碑には、芭蕉が江戸深川のご本松で詠んだ〈川上と この川下や 月の友〉という句が記されています。そばにある筑前町教育委員会の解説板によると、願主は弥永の柳絮庵五滴(りゅうじょあんごてき)といい、江戸後期の文化5年(1805年)に建てられたとありますが、文化5年は正しくは1808年なので、あるいは文化5年は文化2年(1805年)の誤記かもしれないですね。

  解説板には〈世話人は、弥永の蘭稲(らんとう)、扇路(せんじ)、芝風(しふう)、下淵(したぶち)の淵魚(えんぎょ)、天民(てんみん)の五人で、柳絮庵五滴とは柳絮庵で五人の弟子(五滴)が育ったという意味でしょうか。このころ、当地方にも俳句をたしなむ文化人が集い、芭蕉を俳聖とあがめていたのでしょう。芭蕉は、江戸時代の正保元(1644)年に伊賀上野で生まれ、江戸に下って桃青(とうせい)と号しました〉と書かれています。句碑には、俳聖とあがめたことがうかがえる「桃青神」の文字も見えます。

  「大己貴神社」そばの駐車場の東側には、同神社の祭神・大己貴神(おおなむちのかみ。別名大国主神)説話のイメージをもとに、『古事記』に載せられている「因幡の白兎」や「ヤマタノオロチ」などの神話にちなんだ遊具を設置した「筑前町歴史の里公園」=写真②=がありました。

  

写真②:「筑前町歴史の里公園」の案内板

     =筑前町弥永谷口で撮影

  駐車場の隅には、平成23年に筑前町教育委員会が立てた「神功皇后と羽白熊鷲(説話)」の解説板もあります=写真③=。それによると、羽白熊鷲(はじろくまわし)は昔、筑前町一帯を支配していた豪族で、朝倉市秋月の「荷持(のとり)」(野鳥)に本拠を構え、白い鳥の羽根を付けて鷺舞いを演じ、まつりごとを行う鳥装の司祭者でした。ある年、九州に来て香椎(福岡市東区香椎)に宮を定めた神功皇后が、朝鮮半島の新羅と戦うため各地の豪族に命令して多くの兵を集めた際、熊鷲は命令に従わなかったことから、皇后軍に征服されたという。

  解説板には〈皇后は熊鷲を征服し、「我が心安し」(私は安心した)と語りました。この「安」が当地方の郡名起源とされ、後に「夜須(やす)」(郡)の二文字に改められました〉と記載。私は福岡県警担当の事件記者時代、汚職事件の内偵取材で夜須町の有力者宅に朝駆けしたことがあり、「夜須町」って妙な町名だなと思った記憶が残っており、この説話で町名のいわれに納得がいくとともに、夜討朝駆けに明け暮れた若かりし察回り記者のころを懐かしく思い出しました。

 

写真③:「神功皇后と羽白熊鷲(説話)」の解説板

     =「筑前町歴史の里公園」で撮影

  さらに、解説板は〈熊鷲平定後、新羅出兵の兵士はなかなか集まらず、皇后は「大己貴神社」(大神屋敷=おんがやしき)に社を建て、矛をささげました。これは、勝者が打ち込んだ楔、あるいは熊鷲への鎮魂だったのでしょうか。いずれにしても、熊鷲という在地豪族がヤマト(中央)政権に組み込まれていく過程を物語るのでしょう〉と感慨深く説明。途中下車気分で立ち寄った筑前町で「大己貴神社」や羽白熊鷲の説話に思いがけなく触れ、興味深い小旅行となりました。

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〈催事〉0432:宗像市世界遺産シンポジュウム

2016-03-19 17:10:03 | 行楽催事

写真①:宗像市世界遺産シンポジュウムで行われたパネディスカッション

         =宗像市の「メイトム宗像」多目的ホールで、2016年3月19日午前11時15分撮影

 

宗像市世界遺産シンポジュウム

「景観と調和した世界遺産のまちづくり」 

  3月19日、宗像市の「メイトム宗像」多目的ホールで開かれた市主催の世界遺産シンポジュウム・「景観と調和した世界遺産のまちづくり」に行ってきました。

  宗像・福津両市と福岡県が平成29年夏の世界遺産登録を目指している「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」は、構成資産の保護と、資産周辺の景観や環境を保全し、将来に残す一方で、住民の生活や観光との両立などの課題があります。シンポジュウムは、先進事例として石見銀山の取り組みを踏まえ、「景観と調和した世界遺産のまちづくり」を考えるのが狙い。会場に集まった傍聴者約150人を前に、島根県大田市・「石見銀山」の世界遺産登録(平成19年)に尽力した中村俊郎・中村ブレイス社長(文化庁文化審議会専門委員)が、「世界遺産への取り組みを考えよう―石見銀山における体験から―」の演題で基調講演、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」の登録実現には市民パワーの結集が必要と強調しました。

  このあと、行われたパネルディスカッション=写真①=では、パネリストの仲間浩一・宗像市景観アドバイザー(「宗像・沖ノ島と関連遺産群」景観デザイン会議委員)が、「景観と調和した世界遺産のまちづくり」について、「地域の暮らしのなかで作られてきた景観が、世界遺産になって壊されてはいけない。宗像の信仰を支えてきた暮らしが守られ、市外から訪れる人たちとの触れ合いが喜びになり、住民の環境が向上する景観まちづくりを」と提言。葦津敬之(あしづたかゆき)・宗像大社宮司は「世界遺産になったら、、守るところと公開するところを分けて保護し、長期的には沖ノ島周辺も含む海の環境も良くしていきたい」と語りました。

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2016年3月18日/〈福岡・町歩き〉015・「大己貴神社」

2016-03-18 17:17:23 | 福岡・町歩き

 

写真①:「大己貴神社」の石鳥居

     =福岡県筑前町弥永(いやなが)で、2016年3月15日午11時20分撮影

 〈福岡・町歩き〉015

 :「大己貴神社」

  3月15日、福岡県筑前町弥永にある「大己貴(おおなむち)神社」=写真①=に初参拝=写真②=。福津市の自宅から朝倉市へドライブ中、雰囲気が気になり、立ち寄りました。祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)と天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、春日大明神。大己貴神は大国主命(おおくにぬしのみこと)の異称で、春日大明神とは奈良の春日大社の祭神です。

  

写真②:「大己貴神社」拝殿

  筑前町教育委員会が平成21年に境内に立てた「大己貴神院社」の解説板では、〈地元では「オンガサマ」と呼び親しまれています。このお宮は神功皇后の伝承地で、皇后が新羅(大陸)との戦のとき、兵が集まり難かったので、兵が集まるように社を建てて祈願したとのことです。このときの社が、この神社であるとされ、我が国で最も古い神社とされています〉としており、大己貴命ら祭神3柱よりもっぱら神功皇后の解説となっています。

 社殿・拝殿=写真③=は、町指定の重要文化財。江戸時代末期から明治初頭の建造物で、二棟の切妻造、平入りの建物が前後に接続した形をしています。原形は八幡造と見られ、建物の中間に石の間を置き、前面の建物が拝殿、後ろの建物が神座です。

  

写真③:「大己貴神社」の拝殿と神座(右)

 拝殿には、中央部は弓形で左右両端がそり返った唐破風の向拝(拝殿正面階段上に付けたふきおろしの屋根)=写真④=が付いています。

  

写真④:拝殿に付いている唐破風の向拝

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〈催事〉0431:彼岸入り「あんずの里運動公園」賑わう

2016-03-17 14:31:16 | 行楽催事

 

写真①:園路を散策して5分咲きのアンズの花見を楽しむ行楽客

     =福津市勝浦の市営「あんずの里運動公園」で、2016年3月17日午後1時25分撮影

 アンズの花見客でにぎわう

福津市勝浦の「あんずの里運動公園」

  彼岸入りの3月17日、福津市津屋崎は晴天恵まれ、ポカポカ陽気です。

  勝浦の市営「あんずの里運動公園」では、植栽されている約2,500本のアンズの花が5分咲き。福岡県久留米市から来た年配の夫婦ら家族連れの花見客が詰め掛け、園路を散策して楽しそう=写真①=。

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〈催事〉0430:東京から「嵐」観光

2016-03-12 06:37:45 | 行楽催事

 

写真①:読売新聞に掲載された「嵐が見た絶景ロケ地に『共有したい』ファン殺到」の記事見出し入りの『週刊女性』広告

週刊誌・『週刊女性』最新号にも掲載、東京からも観光客

宮地嶽神社境内の〝光の道〟「嵐」ファンに根強い人気

  福岡県福津市宮司元町の「宮地嶽神社」の81段ある参道石段の最上部から1.4K先の宮地浜まで真っすぐ延びる参道の絶景が2月11日、人気アイドルグループ・「嵐」のメンバー5人が感動する〝光の道〟としてテレビCMで放映。以降、同神社に各地の「嵐」ファンの参拝が急増していますが、「嵐が見た絶景ロケ地に『共有したい』ファン殺到」の記事見出し入りの週刊誌・『週刊女性』3月22日号の広告=写真①=が10日付読売新聞に掲載されました。福岡の〝嵐神社〟としてファンの人気が続いているようで、そういう私もきょう12日午後、東京と福岡からの女性グループ8人のお客様を〝光の道〟で観光ガイドすることになりました。

   『週刊女性』3月22日号の記事を読むと、「福岡県にある神社」として「宮地嶽神社」の名前は伏せてあります。「神社関係者」の話などで「嵐」ファンの参拝が増えている様子や、CMで放映された〝光の道〟の影像制作の手法などに触れており、「嵐」のメンバー5人がロケで訪れた〈聖地〉に立ち、彼らが〝光の道〟を見て感じた想いを共有したいファン心理を1ページ特集記事で紹介しています。

  しかし、本日、玄界灘に沈む夕陽の絶景を観賞できる石段最上部の〝光の道〟遠望スポットへ立っても、夕陽が参道を照らしながら参道延長線上の玄界灘に浮かぶ相島(福岡県新宮町)背後に沈む〝光の道〟絶景の夕陽ハイライト観賞はできません。2月23日ごろと10月18日ごろの年に二度だけが、〝光の道〟絶景観賞が楽しめる日です。

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2016年3月10日/〈貝寄せの浜・「貝寄せ館」物語〉105:訃報

2016-03-10 15:48:35 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:福津市広報誌『広報ふくつ』2012年6月1日号に掲載された津崎米夫さんと津崎さんの記憶を元に作成された昭和初期の津屋崎千軒の町並み地図(「貝寄せ館」に展示)

 貝寄せの浜・〈貝寄せ館〉物語 105

:〝津屋崎の生き字引〟・津崎米夫さん逝く

 「海とまちなみの会」の最長老ボランティアガイドで活躍

「貝寄せ館」に残る津屋崎馬車鉄道写真や昭和初期の町並み地図

 私が所属している福津市の町興しボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の会員で、津屋崎馬車鉄道のボランティアガイドを続けるなど活躍されていた同市津屋崎1丁目の津崎米夫(よねお)さんが3月9日、92歳でお亡くなりになった。お通夜はきょう10日18時から、告別式は11日12時から、いずれも同市宮司1丁目のJAむなかた野菊会館西斎場で行われます。

 津崎さんは、大正13年(1924年)生まれ。昭和14年まで福間―津屋崎間を走っていた「津屋崎馬車鉄道」の宮司駅務員として勤め、〈津屋崎千軒〉の町並みの歴史や文化に詳しく、〝津屋崎の生き字引〟として多くの人に親しまれました。福津市広報誌『広報ふくつ』2012年6月1日号に、同市津屋崎3丁目に開館した「津屋崎千軒 海とまちなみの会」の事務所・〈貝寄せ館〉の4ページ特集記事が掲載された際、津崎さんの記憶を元に作製された昭和初期の〈津屋崎千軒〉の貴重な町並み地図とともに、津屋崎馬車鉄道や津屋崎千軒の歴史の話も聞ける同会の最長老ボランティアガイド(当時88)として紹介されました=写真①=。

  〈貝寄せ館〉内には、津崎さんが「津屋崎馬車鉄道」廃止の昭和14年3月31日に撮影した宮司停留所行きの馬鉄のモノクロ写真=写真②=が掲げられています。津崎さん、津屋崎のために辞書何冊分にも相当する記憶と知識を後世に語り伝えていただき、本当にありがとうございました。心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

  

写真②:津崎米夫さん撮影の福間―津屋崎間を走っていた「津屋崎馬車鉄道」のモノクロ写真(馬鉄廃止の昭和14年3月31日、福間駅停留所で)

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2016年3月9日/〈津屋崎の四季〉1140:咲き誇るアンズの花

2016-03-09 17:10:43 | 「貝寄せ館」物語

 

写真①:雨上がりの空に向かって咲き誇るアンズの花

         =福津市津屋崎2丁目の住宅庭で 、2016年3月9日午後3時50分撮影


雨上がりの空に向かって咲き誇るアンズの花

 福津市津屋崎は3月9日、朝から雨模様で肌寒い天気。雨が上がった午後、津屋崎2丁目の住宅の庭先でアンズの花が空に向かって咲き誇っているのを見ました=写真①=。

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2016年3月7日/〈津屋崎の四季〉1139:ハシビロガモの群れ飛来

2016-03-07 17:40:00 | 風物

 

写真①:池の上を飛ぶ雄のハシビロガモ2羽

     =福津市宮司6丁目の「新堤池」で 、2016年3月7日午後3時50分撮影

「新堤池」に冬鳥・ハシビロガモの群れ飛来

 福津市宮司6丁目の「新堤池」に3月7日午後、嘴が大きい冬鳥・ハシビロガモ(カモ科)の群れが飛来しました。頭が緑、胸は白く、腹は赤褐色の雄はカラフルで、池の上を飛ぶ姿は綺麗です=写真①=。

  雌は全体に褐色で地味ですが、嘴は雄と同じく大きい。群れ=写真②=で水面に円を描いて泳ぎながら、嘴を水面に付けて餌を採ります。

  

写真②:カラフルな雄と褐色で地味な雌のハシビロガモの群れ

     =「新堤池」で、7日午後3時50分撮影

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