吉村青春ブログ『津屋崎センゲン』

“A Quaint Town(古風な趣のある町)・ Tsuyazaki-sengen”の良かとこ情報を発信します。

〈エッセー〉067:山田太一さん死去を悼む

2023-12-02 20:44:44 | エッセー

写真①:テレビ西日本が発行した『大丈夫です、友よ』の番組PRチラシ(上段は市原悦子=右=と藤竜也)

=津屋崎の郷土史と自然のガイド本、吉村青春著『津屋崎学―A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide』(Obunest刊)277頁から

 

 ・連載エッセー『一木一草』

 第67:津屋崎ゆかりの山田太一さん死去を悼む

 

全国放映された山田さん脚本のテレビドラマ『大丈夫です、友よ』

(津屋崎は風景がよく、気に入りました)と撮影舞台に

 脚本家で作家の山田太一さんが11月29日、老衰のため89歳で亡くなりました。山田さんは、福津市津屋崎を舞台に撮影して平成10年(1998年)にフジテレビ系列で全国放送されたスペシャルドラマ『大丈夫です、友よ』(深町幸男演出、市原悦子、藤竜也主演)の脚本を書かれ、A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen (古風な趣のある町並み)・津屋崎千軒の良さを全国に発信いただきました。名脚本家の死去を心から悼み、合掌。

 私は吉村青春の筆名で平成23年(2011年)に発行した津屋崎の郷土史と自然のガイド本、『津屋崎学―A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide』(Obunest刊)の第18章津屋崎よもやま話の「第3節小説やテレビ・ドラマに描かれた津屋崎」で、『大丈夫です、友よ』を紹介しました。

 テレビ西日本が発行した粗筋紹介の番組PRチラシ=写真①=の中で、脚本家の山田さんは〈津屋崎は風景がよく、昔のままの造り酒屋があり、電車の終着駅ということも気に入りました〉と語っています。その電車の終着駅・旧西鉄宮地岳線「津屋崎駅」は、平成19年(2007年)3月末に津屋崎―新宮間約10㌔が廃線になって取り壊され、跡地には住宅が立ち並び、跡形もありません。

  『大丈夫です、友よ』は、東京で目標を失った中年男(藤竜也役)が古里・津屋崎で中学の同級生の女性(市原悦子役)と再会、希望を取り戻す物語です。演出の深町幸男さんは、『夢千代日記』『あ・うん』などのテレビドラマを手がけたNHKの看板ディレクター。昭和62年(1987年)にNHKを退職後、民放のドラマも多く演出し、平成26年に亡くなりました。深町さんが『大丈夫です、友よ』のロケ地に松林のある糸島市を検討していることを知った柴田治・「津屋崎町街並み保存協議会」事務局長(平成14年他界)が、白砂青松の津屋崎海岸の美しさや〈津屋崎千軒〉の古い町並みをアピールし、津屋崎がロケ地に選ばれたという。

 山田さんが語った〈昔のままの造り酒屋〉・明治7年創業の豊村酒造は、11月24日の文化審議会で国重要文化財指定が決定。私が所属している「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は同月29日、福津市津屋崎の景観撮影ロケに訪れた福岡市のアイドルグループ・HKT48のメンバー梁瀬鈴雅(やなせれいあ)さんと江口心々華(えぐちここは)さんを同市津屋崎3丁目の本会観光ガイド拠点事務所・「貝寄せ館」に迎え、津屋崎千軒を巡り、豊村酒造や、明治34年建築の旧染物屋「藍の家」(国登録有形文化財)などの町家の建築様式や魅力をガイドしました。

 津屋崎ロケに訪れた梁瀬さんと江口さんは、福岡県がYou Tubeチャンネルで12月22日16時に公開する県内の「美しい景観」ビュースポット紹介サイト「福岡県まちめぐりガイド」で、福津市津屋崎海岸の景色と「海とまちなみの会」の景観維持活動紹介のため、県民情報広報課から同市で「美しい景観」撮影にチャレンジするリポーターに起用されました。豊村酒造の主屋では、塩木の大きな松の梁組みなどを見学し、カメラで撮影。山田さんにも、このYou Tubeで豊村酒造をはじめとした津屋崎千軒の町家を見ていただきたかったのに、残念です。

 1983年から97年にTBS系列で放映されたテレビドラマ『ふぞろいの林檎たち』は、中井貴一さんや時任三郎さん、柳沢慎吾さんらによる群像劇。当時、私も毎回、視聴しましたが、大学生役を演じた柳沢さんのにぎやかなキャラが印象的でした。人生の機微や、生きていく中で本当に大切なものは何か、を感じさせる山田さん脚本のドラマがもう見られないのは寂しい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈エッセー〉067:大人の遠足、道草ウオーキング

2023-09-20 05:58:42 | エッセー

写真①:9月19日付読売新聞福岡面に掲載の“絶景の道”と宮地浜「夕陽風景時計」・松原を巡るフットパス2023参加者募集記事

 ・連載エッセー『一木一草』

 第67:大人の遠足、道草ウーキング

大人の遠足、道草スローウオーキングを楽しみませんか

“まちの富太郎博士”に野草や樹木の名前を教えてもらいましょう

 私が宗像郡津屋崎町(現福津市)立の津屋崎小学校時代、町内渡半島の大峰山・東郷公園に遠足で登った際、草むらに咲く黄色い花の名前を安部郁郎先生(植物に親しみ50年以上植物調査を続けている「宗像植物友の会」の初代会長、故人)に尋ねたら、ウマノアシガタだと教えてもらった記憶があります。図書館で日本の植物分類学の父・牧野富太郎博士の牧野日本植物図鑑で調べたら、精密な植物画が描かれていて舌を巻きました。

 今、牧野博士の人生をモデルにしたNHKの連続テレビ小説「らんまん」を毎朝視聴しています。「雑草という名の草はない。人が知らないだけ」という博士の言葉が、妻役の浜辺美波さんから語られ、植物観察の魅力的なシーンが次々と展開し、ワクワクさせられます。

 私が所属している福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」では10月7日(土)、“まちの富太郎博士”ともいえる宗像植物友の会会員の女性ガイド2人が同行し、午前9時から約3㌔の小径を2時間かけてゆっくり歩き、路傍の樹木や野草の名前、蘊蓄を聞ける“絶景の道”と宮地浜「夕陽風景時計」・松原を巡るフットパス2023を開催します。

 80歳の方でも大丈夫な道草スローウオーキングです。あなたも子供やお孫さんと参加し、童心に返って大人の遠足を楽しまれませんか。読売新聞福岡面に9月19日掲載された参加者募集記事=写真①=を読まれた福津市や古賀市の年配ご夫婦などから参加申し込みがありました。光の道として知られる宮地嶽神社参道や宮地浜「夕陽風景時計」、津屋崎浜などを巡り、ゴールのカメリアステージまで沿道の美しい景色、潮の香、野鳥の鳴き声を楽しみ、道草しながら秋の里歩きを五感で満喫できます。参加定員は申込先着順で30人です。

 ◆追記

:お陰様で10月5日、フットパス2023の参加申し込みが募集定員30人に達しまし

た。福津、福岡、大野城、古賀、宗像の福岡県内5市と同県宇美町、長崎市から47歳の

男性から82歳の女性までの皆様です。満員の御礼を申し上げます。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈エッセー〉066:津屋崎から祭りが消えた

2020-06-28 22:07:42 | エッセー
写真①:「津屋崎祇園山笠」延期を伝える立看板
    =2020年6月24日、福津市役所1階ロビーで撮影
 
・連載エッセー『一木一草』
第66:祭りが消えた津屋崎
 
4月の「津屋崎千軒よっちゃん祭」終了決定
7月の「津屋崎祇園山笠」奉納は来夏まで延期
   ふくつ夏まつり2020「第13回サマーナイトinふくつ」中止・・・
 
 2020年6月24日、福津市役所1階ロビーで津屋崎祇園山笠振興会(西野正信会長)により「津屋崎祇園山笠奉納は来夏まで延期いたします」と書かれた立看板=写真①=が目に付きました。無病息災を祈念するお祭りですので中止ではなく「延期」です(なお、奉納はしなくても7月19日の祇園祭は代表者のみで無病息災を祈願の予定です)、との断り書きが添えられています。新型コロナウイルスの感染症患者拡大の状況に鑑み、来夏への延期は苦渋の決断という。
 
 福津市津屋崎の氏神・波折神社に岡流、北流、新町流の3基の山笠が奉納される津屋崎祇園山笠は、毎年7月19日に近い日曜日にフィナーレの追い山を迎える夏祭りで、江戸時代中期の正徳4年(1714年)の始まりから起算して今年306周年となる伝統行事。A  Quaint   Town  Tsuyazaki-sengen (古風な趣のある町並み)・津屋崎千軒を活気づける夏の名物行事が見られないのは寂しい限りです。
 
 これに先立ち、例年4月に開催されてきた「津屋崎千軒よっちゃん祭」(同祭実行委員会主催)が2019年4月20、21両日開催の第22回=写真②=で終了と決定。実行委員会がfacebookに同年5月24日アップした「ご報告」の文面によると、「津屋崎千軒よっちゃん祭」を終了する理由について1.安全面を考慮し、継続開催は困難と判断しました。2日間で約25,000名と県内でも有数の集客のイベントとなりました。会場が複数かつ広域となり、駐車場の確保が困難となり、運営に関する警備体制について有志による運営であることから、安全に開催するために必要な人員の配置ならびに体制の強化が困難な状態でありました2.津屋崎千軒の魅力を発信するためには、大規模なイベントよりも、小規模かつさまざまなニーズに対応したものが必要とされています。常に津屋崎千軒の魅力を発信できるコトづくり・モノづくり・ヒトづくりが必要であると判断しました。イベントのない日の津屋崎千軒の交流人口の減少が顕著であり、持続可能なまちづくりを推進するためにも、新しい発想をもとにしたにぎわいづくりが必要です3.参加するすべての方々が幸せになるための環境の再構築をします。本会の運営および資金の確保、意欲の維持など、規模が大きくなることにより、相応の負荷がかかっておりました。これは、津屋崎千軒をみんなで楽しむ、という、本来の趣旨からの乖離であり、津屋崎千軒よっちゃん祭を終了することで、新たなまちの可能性を考える時間をつくることを、実行委員会の総意で決定いたしました。「新たな津屋崎千軒の豊かな在り方」を創造してまいります、としています。
 
写真②:「第22回津屋崎千軒よっちゃん祭」初日、来店者でにぎわう「豊村酒造」
    =2019年4月20日午前10時25分撮影
 
 私は津屋崎千軒よっちゃん祭が中止の危機に陥った平成22年(2010年)4月17、18両日、実行委員会の事務局長として「津屋崎千軒うみがめ祭・町家祭り」開催にかかわり、津屋崎塩倉庫ライトアップコンサートや塩作り体験教室、伊藤伝右衛門ゆかりの津屋崎写真展を企画運営、2日間で延べ8千人を集客できた経験があり、長年続いた名物イベントにピリオドが打たれたことは残念です。
 
 終了した津屋崎千軒よっちゃん祭に代わって、2020年は津屋崎地域郷づくり推進協議会(山脇清会長)が4月19日(日)の10~16時、福津市まちおこしセンター「津屋崎千軒なごみ」で新規開催を決めていた「津屋崎千軒まつり」は新型コロナウイルスの状況に鑑み、今年は中止に。また、一般社団法人「地域商社福津いいざい」主催の「お魚センター」1周年祭4月18日(土)9~17時(~19日)も延期になり、開催日は未定。
 
 さらに、例年7月に福津市津屋崎天神町商店街通りで開催されてきた夏の夜祭りイベント・「サマーナイトインふくつ」も第13回となる2020年は、新型コロナウイルスの感染症患者拡大の状況に鑑み、中止に。結局、2020年の津屋崎千軒らしい祭りは、10月11(日)の波折神社秋祭り(通称「オクンチ」)のみとなりました。波折神社が令和3年(2021年)に「ご遷座8百年」の節目を迎えるため、「波折神社御遷座八百年奉祝祭実行委員会」が同年秋に式・祭典、記念事業として奉賛金による社殿・合祀境内社・石垣の改修を行います。
 
 いずれにせよ、新型コロナウイルス禍の鎮静を願いつつ、祭り好きの津屋崎千軒人は力を結集すればWITHコロナの時代に応じた新たな津屋崎千軒興しの祭りを創造できると信じています。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈エッセー〉065:拙書3冊を福津市カメリアステージ図書館に寄贈

2019-11-17 15:41:42 | エッセー

 

写真①:『津屋崎学―A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide』など〝津屋崎の記憶遺産〟3部作


 ・連載エッセー『一木一草』

 第65:私家版・〝津屋崎の記憶遺産〟3部作拙著を寄贈

 

吉村青春著・〝津屋崎の記憶遺産〟3部作著書福津市カメリアステージ図書館へ寄贈

『鵲声(じゃくせい)-津屋崎(つやざき)センゲン』

『津屋崎学―A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide』改定版

津屋崎の四季―野鳥と自然のハーモニー

   私の母校・福津市立津屋崎小学校で10月15日、5年2組の40人の児童たちから依頼され、津屋崎塩田の歴史と「恋の浦」の海水での塩作りの講話を行いました。児童たちから「津屋崎の塩はどんな味?」「どんな塩がいいのですか」など活発な質問を受け、江戸時代から栄えた津屋崎千軒の町家や生活ぶり、古代の入り江の様子、絶滅危惧種のカブトガニやクロツラヘラサギなど貴重な生き物も生息する豊かな自然などを、次代を担う子供たちに伝える必要を痛感させられました。

  令和元年の「即位礼 正殿の儀」が執り行われた10月22日、津屋崎の郷土史と自然のガイド本、吉村青春著『津屋崎学―A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide』(B5判カラー、314㌻。Obunest刊)改定版を発行したのを機に、平成18年(2006年)発行の吉村青春第一詩集『鵲声(じゃくせい)-津屋崎(つやざき)センゲン』(A6判、175㌻。新風舎文庫刊)と、津屋崎の四季の風景や祭り、動植物、野鳥85種を写真計180枚と詩文で記録した同25年(2013年)発行のアルバム本、『津屋崎の四季―野鳥と自然のハーモニー』(A6判カラー、196㌻、非売品)と併せ、11月17日に福津市カメリアステージ図書館に寄贈。この3著=写真①=は、消えゆく古里の素晴らしさを記録する私家版・〝津屋崎の記憶遺産〟3部作と考えています。拙い著書ですが、これらを参考に次代の方たちが津屋崎の新たな歴史や自然の宝を掘り起こし、後世に継ぐ著作を生みだしていただければ嬉しい限りです。

  『津屋崎学―A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide』は、平成23年(2011年)2月12日発行した第1版の記述の一部を補正、追加した内容です。第1版は福津市立図書館に『鵲声(じゃくせい)-津屋崎(つやざき)センゲン』、『津屋崎の四季―野鳥と自然のハーモニー』とともに寄贈、収蔵いただいております。

 『津屋崎学―A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide』は、インターネットのポータルサイト「goo」に連載した吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」の『津屋崎学』の記事をもとに、東京にある発行所・Obunest(オブネスト)=ソフト開発のイースト株式会社および印刷会社の欧文印刷の共同事業名=で書籍化しました。私が会長を務めさせていただいている福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」(会員49人)のガイド養成講座の受講者教本に活用しています。収録した記事は、「第1章 津屋崎の魅力」から始め、「第2章 津屋崎塩田の軌跡~津屋崎は塩で保(も)つ~」、「第3章 “筑豊の炭鉱王”・伊藤伝右衛門と津屋崎」や、「第16章 卯建と鏝絵の町家巡り」、「第19章 津屋崎の食文化」まで全19章で構成したあと、「津屋崎年表」を掲載。平成15年から撮影した津屋崎の祭りや社寺、「津屋崎干潟」に飛来する冬鳥・クロツラヘラサギなどの写真402枚と地図60枚付きで分かりやすく表現しています。2011年11月22日付西日本新聞掲載記事で紹介されました。本書で、郷土の素晴らしさを多くの方に知っていただければ嬉しいです。

  改定版では、津屋崎千軒を代表する町家・「豊村酒造」=写真②=の主屋が明治20年(1887年)に建築されたことが、平成27年(2015年)に納戸から見つかった不動産台帳の記録で分かったことや、福津市の「新原・奴山古墳群」が「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として、平成29年(2017年)7月に世界遺産に登録されたほか、江戸時代から津屋崎千軒で営業の老舗和菓子店・「上田製菓」が同年に閉店されたことなどを追記しています。

 

写真②:津屋崎千軒の町家や卯建、鏝絵を紹介した『津屋崎学―A  Quaint  Town  Tsuyazaki-sengen  Guide』のページ

  『津屋崎の四季―野鳥と自然のハーモニー』は、津屋崎の美しい四季の自然と、あいらしい野鳥の姿を多くの方に知っていただき、愛しんでもらいたい――との想いを託し、私が平成18年(2006年)8月からインターネットのポータルサイト「goo」に連載した吉村青春ブログ「津屋崎センゲン」に連載中の『津屋崎の四季』、『日記』、『津屋崎の野鳥』、『催事』『詩』などから選んだ記事を収録したほか、平成24年(2012年)2月から始めたfacebook吉村勝利(青春)へのアップ記事などに写真を添え、Obunestで書籍化しました。

  掲載記事は、〈春の章〉・ホオジロから始め、〈夏の章〉・トビや「恋の浦」に咲くハマゴウの花、〈秋の章〉・マミジロタヒバリ、セグロカモメ、〈冬の章〉・天日干し、古墳群の夕暮れの4章に分けました。地図3枚、野鳥索引付きで分りやすく表現しています。表紙写真は2006年12月31日午後5時16分、相島(福岡県新宮町)そばの玄界灘に沈む「結びの夕陽」(本誌〈冬の章〉163㌻にも、その年最後の夕陽を見送るイベントとして写真付きで紹介)です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈エッセー〉064:津屋崎千軒の宝磨き

2019-10-07 09:49:14 | エッセー

 

写真:「津屋崎千軒町並みフォーラム」のポスター


 ・連載エッセー『一木一草』

 第64:津屋崎千軒町並みフォーラムをバネに

 

<津屋崎千軒>の魅力と宝を活かしたまちづくりを

「豊村酒造」の近代和風建築の特徴を守って

  福津市津屋崎の古風な趣のある町並み<津屋崎千軒>の「豊村酒造」で10月6日、<津屋崎千軒>の価値を伝え、持続可能なまちづくりを進めようと開かれた「津屋崎千軒町並みフォーラム」(市と「NPO法人津屋崎千軒を未来につなぐ会」主催)。正午、クロストーク「これからの観光と津屋崎千軒の役割」の終了後、ゲスト(来賓)のコメントも注目されました。

 ゲストの一人で、「津屋崎千軒町並みフォーラム」=写真①=を後援した国土交通省・観光庁の観光資源課の佐藤智介・観光資源活用コーディネーターは、観光庁の古民家等の歴史的資源を活用した観光まちづくりの推進について、地域に眠っている古民家等の歴史的建築物を宿泊施設、レストランなど地域再生の核となる観光資源として活用する取り組みで、国内外からの旅行者の増加、交流人口の拡大、地域の雇用の創出などの効果を目指していると説明。そのうえで、福岡県太宰府市の滞在型観光を創出する取り組みとして「大宰府天満宮」門前町の古民家を西日本鉄道が改修した古民家ホテル「ホテル・カルティア 太宰府」10月4日開業した例を紹介しました。

 もう一人のゲストで同フォーラムを後援した福岡県教育委員会の田上稔・県文化財課長補佐は「県が調査した県内の財力のある人が建てた多様な意匠を持つ建築物120件の中で、豊村酒造は一番の建物。醸造部門でも一番です。店舗土間の松の梁は、博多町家と同じく半間おきに蜜に組まれている」と、梁は1間おきに組めばよいとされるのに度肝をぬぐように“見えの大梁”と呼ばれる豊村酒造の梁を解説。「建物の中心の中の間の建具を取り払うと、開放的な雰囲気になり、魅力的な空間が広がります。豊村酒造の近代和風建築の特徴を守っていただきたい」と建物保存の必要性を強調しました。

  最後に、原﨑智仁福津市長が「東大の西村幸夫教授(現神戸芸術工科大教授)が2008年に福津市文化会館で、<津屋崎千軒>まちおこしへの提言、と題して講演(「津屋崎千軒海とまちなみの会主催」=写真②=された際、津屋崎の七不思議として本町の裏の町が3本も4本も道ができるほど発達している」と指摘されたことを思い出したと話し、津屋崎の魅力と宝を活かしたまちづくりをと提言されたことを紹介。「津屋崎のしとやかで上質な、静かな空間をしっかり磨き、津屋崎千軒の観光で持続可能なまちづくりを市民の皆様と進めていきたい」と挨拶し、会場から大きな拍手が起きました。

 

写真②:町並み散策地図「津屋崎千軒そうつこう」をスライドに映写して講演する西村幸夫東大教授=現神戸芸術工科大教授(208年7月19日、福津市文化会館で)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

〈エッセー〉063:津屋崎千軒町並みフォーラム

2019-10-06 18:26:37 | エッセー

 

写真:「豊村酒造」店舗土間で開かれた津屋崎千軒町並みフォーラム

=福津市津屋崎4丁目で、2019年10月6日午前10時55分撮影


 ・連載エッセー『一木一草』

 第63回:津屋崎千軒町並みフォーラム

 

<津屋崎千軒>の価値や重要性を知ってもらい

持続可能なまちづくりを進めていく第一歩

  福津市津屋崎の古風な趣のある町並み<津屋崎千軒>価値や重要性を知ってもらい、持続可能なまちづくりを進めていく第一歩として、市と「NPO法人津屋崎千軒を未来につなぐ会」主催の津屋崎千軒町並みフォーラムが10月6日、同市津屋崎4丁目の「豊村酒造」で開かれ、私も参加しました

  午前10時から店舗土間で始まった「フォーラム」には、106人が入場。まず、祖母が津屋崎生家出身という川口智廣・「全国古民家再生協会」理事が「伝統建築物の価値と活用」について、50年以上前に建てられた「古民家」をIT系企業のワーキングスペースに活用している例を紹介しました。続いて、千相哲・九州産業大学地域共創学部長が「観光基本計画について」と題し、福津市の観光資源を活用して観光客を増やし地域全体の産業に波及できるよう質を高める観光政策が必要と指摘。

 この後、大森洋子・久留米工業大学工学部建築・設備工学科教授の進行で、クロストーク「これからの観光と津屋崎千軒の役割」が行われました。パネリストの中村留美・福津市観光協会事務局長が「“光の道”で全国区になった宮地嶽神社に来る観光客の市内滞在時間を長くし、お金を落としていただけるかが課題」と説明。川口理事は「津屋崎は街中に宿泊施設を作りたいエリアだと思う。塩田作りプログラムやお酒造りのプログラムを体験してもらっては」と提案、千学部長は「これからの観光は地域主体のDMO(観光地域づくり推進法人)が求められる」と問題提起しました。大森教授が「地域の活性化を行政と地域の皆さんと一緒にやっていく。観光の利益も地域にどう返していくのか、地域づくりに活かしてほしい」とトークをまとめました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年11月26日〈エッセー〉062:夕陽風景時計は夕陽時計にあらず

2018-11-26 06:05:29 | エッセー

写真①:縦軸に日没時刻、横軸に方位と水平線に見える約150度の「パノラマ風景」が刻まれた宮地浜「夕陽風景時計」の版面

     =福津市宮司浜4丁目で撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第62回:夕陽風景時計は夕陽時計にあらず

 

〝七つ星〟の宮地浜「夕陽風景時計」

「夕陽時計」と呼ぶのは魅力格下げ

  最近、言葉を約めて呼ぶのが流行っているようですが、福岡県福津市宮地浜にある夕陽風景時計=写真①=までが夕陽時計と約められ、遺憾に思います。

  宮地浜「夕陽風景時計」は、福津市のまちづくりボランティア団体「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が、市制施行10周年記念事業として平成26年(2014年)7月6日、市民ら約2百人から寄せられた募金約40万円で「宮地嶽神社」参道石段最上部から、真っすぐ1.4㌔先の宮地浜に設置。会員の緒方義幸さん(福津市)の考案(実用新案登録)で、扇形に描いたステンレス製の時計版の縦軸に日没時刻、横軸に方位と水平線に見える志賀島(福岡市)や相島など島影の約150度の「パノラマ風景」を刻み、横八文字形の夕陽ループ曲線をたどれば、一年間を通じて「夕陽」が沈む方向と時刻が分かる時計です。幅1.1m、奥行き70cm、高さ90 cmで、時計版面はステンレス製。

  「海とまちなみの会」は宮地浜「夕陽風景時計」設置と同時に、福津市都市計画課と共働で同時計前を発着点として、「宮司・浜の松原」、2千kmもの海を渡る蝶・アサギマダラが立ち寄る「津屋崎浜」、江戸時代から製塩と海上交易で栄えた〈津屋崎千軒〉の古風な趣のある町並みを経て、年間約250万人が訪れる「宮地嶽神社」を回遊する「津屋崎里歩きフットパス」(歩程6.8km、所要時間2時間30分)を市内初のフットパスとして開設しました。「津屋崎里歩きフットパス」は平成27年9月30日、「新日本歩く道紀行100選選考委員会」(現NPO法人「新日本歩く道紀行推進機構」=理事長・下光輝一「健康・体力づくり事業団」理事長=、事務局東京)から『絶景の道100選』第一次選定45コースの一つとして、福岡県内からただ一か所認定されました。

  「宮地嶽神社」参道石段最上部から2月23日ごろと10月18日ごろ年に二度だけ、夕陽が参道を黄金色に照らしながら玄界灘に浮かぶ相島(福岡県新宮町)の背後に沈む光景が、平成28年(2016年)2月に人気アイドルグループ「嵐」のJALの国内旅行企画『先得』シリーズ新CMで、〝光の道〟としてテレビ放映され、全国的に知られる絶景スポットになりました。宮地浜「夕陽風景時計」も、NHK総合テレビで平成28年12月2日に「夕日の町に新名所」として福岡県内で放送され、同月28日の「NHKニュース おはよう日本」で「人気! 夕日が見える新名所」として全国放送されて有名に。

  「夕陽風景時計」は1号基が福岡県古賀市の海岸に設置、宮地浜「夕陽風景時計」が2号基です。その後、沖縄県などにも設置されましたが、私たち「海とまちなみの会」のボランティアガイドでは宮地浜「夕陽風景時計」は〝七つ星〟の夕陽風景時計と紹介しています。古賀海岸の1号基よりバージョンアップし、①時計版を真西ではなく、「宮地嶽神社」参道延長線上に合わせた②夕陽が沈む30分、20分、10分前の太陽の位置と軌道を示した③ここから見える水平線上の島々や山々、建造物などの約150度の大パノラマを描いた優れものだからです。考案・設計者の緒方さんは、季節毎に夕陽の沈む方向や、周囲の景観などから設置場所毎に夕陽風景時計を〝五つ星〟でランク付けしていますが、宮地浜「夕陽風景時計」は寄付き易さや居心地の良さなどから格上の〝七つ星〟の夕陽風景時計、と高く評価されています。

  「夕陽風景時計」は単に夕陽の沈む方向、時刻を刻んだ「夕陽時計」ではなく、水平線上に見える島々や山々などの約150度の大パノラマ風景をも描いた周囲の景観を合わせて楽しむツールです。このため、「海とまちなみの会」では時計版の手前に「夕陽と風景が分かる時計」のステッカーを貼っています=写真②=。夕陽風景時計は夕陽時計にあらず、のゆえんです。

  

写真②:「夕陽と風景が分かる時計」のステッカーが貼られた宮地浜「夕陽風景時計」

     =福津市宮司浜4丁目で、2018年2月23日撮影    

  ところが、2018年10月27日に開催の宮地浜ウォーキングイベントのチラシでは、夕陽時計として記載されていました。〝七つ星〟の夕陽風景時計が、格下げされてガイドされているようで、募金を寄せられた全国の皆様にも申し訳ない気持ちです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年11月21日〈エッセー〉061:鉄道があるということ

2018-11-21 15:43:54 | エッセー

 

写真①:「津屋崎馬車鉄道」の写真パネルなどを観覧する「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」参加の人たち

    =福津市津屋崎1丁目の同市複合文化センター「カメリアステージ」1階で、2018年11月17日撮影

・連載エッセー『一木一草』

第60回:鉄道があるということ

「津屋崎馬車鉄道」廃止後、西鉄宮地岳線「貝塚―津屋崎駅間」開通

さらに西鉄宮地岳線「新宮―津屋崎駅間」廃止後に来るものは?

  地域の宝・津屋崎塩田遺産や津屋崎馬車鉄道の歴史、文化を見詰め直し、後世に伝えたいと11月17日、私が所属する福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が同市複合文化センター「カメリアステージ」と初めて開催した「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」には、市内外から男女20人の方の参加をいただき、ありがとうございました。午前10時からは、「カメリアステージ」1階に同日まで展示の「津屋崎馬車鉄道と津屋崎塩田」回顧展の写真パネルを観覧=写真①=。この後、明治から昭和初期まで福間―津屋崎間を走った「津屋崎馬車鉄道」の津屋崎駅跡、<津屋崎塩田>の産業遺産・「塩倉庫」(旧熊本塩務局文書庫)などを訪ね、迷路のような津屋崎千軒の路地をそうつく2時間のフットパスを、五感で満喫。

  1頭の馬に引かせた木製の客車(乗客16人乗り)が幅91.4㌢の線路を走り、福間―津屋崎間を結んだ「津屋崎馬車鉄道」は、明治41年(1908年)4月開業、一日15本運行で年間18万人の乗客を運び、〝馬鉄〟の愛称で親しまれましたが、乗合バス利用の時代となり、昭和14年(1939年)3月に廃止。馬鉄津屋崎駅跡は、私が津屋崎小学生だった昭和30年代初めまでは空地で、松の木が何本か立っていました。この松は以前、6本あったといい、馬鉄の終点で馬をなわでつなぐ〝馬つなぎの松〟と言われていたという。

 一方、旧西鉄宮地岳線が大正14年(1925年)、当初開業していた「和白駅」(福岡市東区)までの路線が「宮地岳駅」(福津市宮司)まで延長され、「津屋崎馬車鉄道」廃止後、旧津屋崎町宮司までをつなぐ鉄道として利用されるようになりました。さらに旧津屋崎町時代の昭和26年(1951年)7月1日には「宮地岳駅」から「津屋崎駅」まで1.5㌔、1駅路線延長され、旧津屋崎町と福岡市が鉄道で直結。この日、路線延長を全町で祝う〝津屋崎どんたく〟が催され、津屋崎小1年生だった私も天神町どんたくパレード隊の〈紳士ダンス・チーム〉の一員としてラインダンスを披露した記憶があります。しかし、同路線の貝塚(福岡市東区)―津屋崎駅間20.8㌔のうち、新宮(福岡県新宮町)―津屋崎駅間が平成19年3月31日限りで廃線になり、津屋崎駅は解体、今は、駅跡のしるしは旧駅舎跡南側に建つ「電車延長記念碑」=写真②=だけとなりました。

 西鉄宮地岳線「新宮―津屋崎駅間」廃止後の津屋崎に、新たな鉄道が生まれる日は来るのでしょうか。

 

写真②:旧西鉄宮地岳線「津屋崎駅」前に建つ「電車延長記念碑」

     =福津市津屋崎1丁目で、2018年11月21日撮影

福津市内2番目のフットパスの魅力に手ごたえ

 フットパスとは? イギリスが発祥で、ありのままの風景や自然、古い町並みを楽しみながら歩くこと(Foot・フット)ができる小径(こみち。Path・パス)のことで、この小径を歩くことも言います。

  「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が、福津市内初のフットパスとして2014年開設した「津屋崎里歩きフットパス」(歩程6.8km。2015年9月に『絶景の道100選』認定)は、ありのままの風景や自然を楽しむコース。フットパス開設後、コースにある宮地浜「夕陽風景時計」や「宮地嶽神社」から宮地浜へ延びる参道を照らす夕陽が〝光の道〟として、全国的な有名スポットになりました。『絶景の道100選』認定3周年を記念し、17日に開催した「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」は古い町並みを楽しみながら歩くコースです。町家に卯建や鏝絵が残る迷路のような路地を抜け、コースわきの軒先に咲く秋の花、港町の潮の香、商家の女将さんとの昔話など、ありのままの古い町並みの風情が楽しめ、市内2番目のフットパスコースとして参加者に魅力をアピールできる手ごたえを感じました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年11月11日〈エッセー〉060:入浜式製塩と煙突

2018-11-11 08:13:02 | エッセー

 

写真①:「津屋崎塩田」跡地に建つ旧「旭製塩」の煙突(手前に並ぶのは「太陽光発電所」のソーラーパネル)

     =福津市西竪川で、2018年11月10日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第60回:入浜式製塩と煙突

NHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』で製塩が話題に

福津市・「津屋崎塩田」跡地に今も残る釜焚きの煙突

  世界初のインスタントラーメンを発明した日清食品創業者・安藤百福さんと妻仁子さん夫婦の半生をモデルにしたNHK朝の連続テレビ小説『まんぷく』・第6週の「お塩を作るんですか!?」で11月10日、赤穂の塩作りを学んで入浜式製塩に取り組むヒロイン立花福子(役名)、夫の萬平(同)さん夫婦の奮闘ぶりが放送され、お茶の間の人気を呼んでいます。江戸時代から明治にかけて〈津屋崎千軒〉の繁栄を支えた福岡県福津市の「津屋崎塩田」も入浜式製塩で、味噌、醤油、漬物など博多の味に津屋崎の粗塩は欠かせないと定評があり、製塩量は江戸時代には筑前の90%を占め、明治時代も県内の3分の1を賄い、〝津屋崎は塩で保(も)つ〟と言われたほど有名でした。

  入浜式製塩とは、堤防を築いて満潮時に海水を砂浜に導入する製塩法。塩が付着した砂を集めて海水の濃度を高めた濃い塩水・「かん水」を生成する採鹹(さいかん)工程を経て、釜屋の石釜に「かん水」を入れて焚く煎熬(せんごう)工程で結晶する塩を作ります。福津市西竪川の「津屋崎塩田」跡地には、戦後の塩供給量不足で自家製塩が許可され、昭和20年代に操業していた旧「旭製塩」の釜焚き用の煙突=写真①=が今も建っています。煙突の前の敷地約61,000平方㍍に並べられているのは、福岡市の会社が平成29年に建設した「太陽光発電所」のソーラーパネル群。

  私が所属する福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」は同市複合文化センター「カメリアステージ」と11月17日(土)、地域の宝・津屋崎塩田遺産や津屋崎馬車鉄道の歴史、文化を見詰め直し、後世に伝えたいと、「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」(詳しくは<A href="http://www.tsuyazaki-sengen.com/">本会ホームページ</A>)を初めて開催します。津屋崎橋近くの広場に建つ「津屋崎の製塩産業遺跡」とされる赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(明治39年建設の旧熊本塩務局津屋崎出張所庁舎文書庫)=写真②=や明治7年(1874年)創業の〈津屋崎千軒〉のランドマーク・「豊村酒造」などを本会ガイドがご案内します。どうぞご家族、お友達連れでご参加ください。お申し込みは、「海とまちなみの会」事務局へ12日(月)までにメールyosi3019@sage.ocn.ne.jpか、電話090-7451-8063で担当吉村までお願いします。

  

写真②:赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(熊本塩務局津屋崎出張所文書庫)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2018年11月2日〈エッセー〉059:残したい「豊村酒造」と「塩倉庫」のある風景

2018-11-02 15:28:14 | エッセー

 

写真①:津屋崎千軒のランドマーク・「豊村酒造」の主屋と高さ21㍍の煙突

     =福津市津屋崎4丁目14-18で、2018年11月1日撮影

 ・連載エッセー『一木一草』

 第59回:「豊村酒造」と「塩倉庫」のある風景

 創業144年の「豊村酒造」の煙突や酒蔵、黒塀

古風な町並みの風情残したい津屋崎千軒のランドマーク

  福津市津屋崎4丁目にある明治7年(1874年)創業の「豊村酒造」は、懐かしい町並み・〈津屋崎千軒〉のランドマークとされる町家です。高さ21㍍の煙突=写真①=は、迷路のような路地を歩いている時の目印になり、約3,300平方㍍の敷地を取り囲む黒塀=写真②=は“A Quaint Town Tsuyazaki-Sengen” (古風な趣のある町〈津屋崎千軒〉)の風情を醸しています。

  

写真②:懐かしい町並み・〈津屋崎千軒〉の風情を醸す「豊村酒造」の黒塀

     =11月1日撮影

  「豊村酒造」の主屋=写真③=は、明治20年(1887年)建築で、玄関土間天井には大きな梁が組まれ、玄関白壁には「杉玉」の両脇に「龍」を描いた見事な鏝絵もあり、第1回福岡県屋外広告景観賞・優秀賞に輝いています。煙突は平成17年(2005年)の福岡沖地震でひびが入り、老朽化した酒蔵とともに修復・維持を図るには多額の費用がかかるとして解体も検討されました。地元住民有志で結成したNPO法人が、地域の財産として酒蔵などの保存を福津市に訴え、市が2017年度に「豊村酒造」の建造物保存対策と煙突の現地調査を行った結果、煙突内部の鉄筋は傷んでいないことが分かり、2018年度予算で「豊村酒造」の煙突を含む建物の耐震診断など保存活用基本計画策定と津屋崎地区の観光振興の可能性調査を進めています。

 

写真③:「杉玉」の両脇白壁に「龍」の見事な鏝絵が描かれた主屋

     =「豊村酒造」で、11月1日撮影

  福津市津屋崎4丁目(土居)の津屋崎橋近くの「津屋崎干潟」に面した広場(豊村酒造所有地)に建つ赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(約6m×約5m四方)=写真④=は、明治38年に政府が塩の専売制をしき、翌39年(1906年)に建設した熊本塩務局津屋崎出張所庁舎附属文庫(文書庫)で、津屋崎の塩田が廃止になるまで文書を保管。老朽化し、屋根や床が抜け落ち、痛みが激しい。九州産業考古学会編集で2008年に発行された『福岡の近代化遺産』(弦書房刊)では、「津屋崎の製塩産業遺跡」として〈この倉庫は塩田で栄えた町の証であり、歴史的遺産として再生・活用されることを望みたい。倉庫近くでは、塩の積み出しが行われた船着場と思われる石垣も確認できる〉と紹介されています。

  

写真④:赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(熊本塩務局津屋崎出張所文書庫)

 2010年4月17日夜、私が所属している福津市のまちづくりボランティア団体・「津屋崎千軒 海とまちなみの会」がメンバーに参加した実行委員会で初めて開催された「津屋崎千軒うみがめ祭・町家まつり」~塩と炭鉱王が支えた津屋崎~では、「塩倉庫」前広場に特設した野外ステージで「津屋崎塩倉庫ライトアップコンサート」=写真⑤=を行い、約2百人の音楽ファンが来場したこともありました。

 

写真⑤:約2百人の音楽ファンが来場した「津屋崎塩倉庫ライトアップコンサート」

     =「塩倉庫」前広場に特設した野外ステージで、2010年4月17日午後7時撮影

  全国に現存する塩務局の施設(建物)は9個所あり、九州では塩の収納量や配置定員で施設を最上位の1等級から11等級にまで分けた等級区分のうち7等級の姫島出張所(大分県東国東郡姫島村)と津屋崎出張所の2か所だけ。「津屋崎千軒 海とまちなみの会」が2016年5月15日、姫島村に観光バスツアーで行った際、同村北浦にある姫島出張所=写真⑥=には赤レンガ造りの付属文書庫が残されており、県道沿いの北浦公園の物置として利用されていました。人口約2,000人の姫島村が文書庫を保存しているのに、人口約64,000人の福津市では残せないのでしょうか。

  

写真⑥:姫島村が保存している赤レンガ造りの「熊本塩務局姫島出張所」文書庫

     =大分県東国東郡姫島村北浦で、2016年5月15日撮影

 「熊本塩務局姫島出張所」文書庫のそばには、姫島村教委が立てた「専売所跡地」解説板=写真⑦=がありました。

  

写真⑦「熊本塩務局姫島出張所」文書庫のそばに立つ「専売所跡地」解説板

     =姫島村北浦で、2016年5月15日撮影

残し活用していきたい「豊村酒造」と「塩倉庫」のある風景

 赤レンガ造りの通称「塩倉庫」(熊本塩務局津屋崎出張所文書庫)を塩田で栄えた町の証の歴史的遺産として再生させ、「豊村酒造」の煙突や酒蔵、黒塀を、津屋崎千軒のランドマークとしてなんとしても残し活用していきたい、と願っています。

 この願いの意味も込めて、平成19年に発足した「海とまちなみの会」は町興し活動の原点に帰り、地域の宝を見詰め直し、後世に伝えたいと、福津市複合文化センター「カメリアステージ」と11月17日(土)、「馬鉄・塩田遺産を巡る津屋崎千軒フットパス」(詳しくは<A href=http://www.tsuyazaki-sengen.com/>本会ホームページ</A>を初めて開催します。「塩倉庫」や「豊村酒造」を本会ガイドがご案内します。どうぞご家族、お友達連れでご参加ください。お申し込みは、「海とまちなみの会」事務局へ11月12日(月)までにメールyosi3019@sage.ocn.ne.jpか、電話090-7451-8063で担当吉村までお願いします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする