Opera! Opera! Opera!

音楽知識ゼロ、しかし、メトロポリタン・オペラを心から愛する人間の、
独断と偏見によるNYオペラ感想日記。

TOSCA - NY PHILHARMONIC (Thurs, Jun 19, 2008)

2008-06-19 | 演奏会・リサイタル
NYフィルが定例の演奏会で、演奏会形式とはいえ『トスカ』を演奏すると聞いて、
まず思ったのは、”なぜあえてトスカ?”

それで浮かんだシナリオは、

① メトのオケと対抗してやろうやんけ!
わしらがオペラのレパートリーでもこんな上手いってところを聴かせてやろうやんけ!
(なぜか喧嘩腰な関西弁。オケ主導喧嘩売り型。これが第一の理由ということはないとしても、
わりと思ってそう。)

② オペラの普及のため、リンカーンセンターの一員として、
メトとシティ・オペラに協力させていただきます。
(オペラの繁栄を願うけなげ型。絶対ないな。)

③ 今年はプッチーニの生誕150周年。
(とりあえずなんとなく理由がほしい型。これも比較的ありそう。)

④ マゼールの、”実はオペラでもやりまっせ!”というところを見せたい野心。
(この後には、”言葉のないリング”だったか、ワーグナーの指環を、歌手抜きで、
マゼールの指揮のもと、NYフィルのオケの演奏だけで聴かせる、なんていう企画もあるとか。
あんなに伸びきったゴムのような『ワルキューレ』をメトで指揮したあとで、
まだ、そんな企画を打つか?!
もしや、”あれはメト・オケや出演歌手が悪かったんだよな。”と人のせい?!
怒れ、ジェームズ・モリス!!!指揮者主導型。)

⑤ マゼールの、”こんなすごい歌手を掘り出しました!”と、
まだメトに全く、もしくはほとんど手付かずになっている歌手を聴衆に紹介し、
”ああ、マゼールってば、人材発掘の才もあるのね”と感嘆させたい野心。
(マゼールってばとっても野心的。まあ、実際にいい歌手を発掘してくれるなら、
④よりは歓迎かも。指揮者主導亜型。)

⑥ このところ客足のよいメトに便乗させてもらうためにオペラを選択し、
自らの定期公演の客足も伸ばす、”シナジー”利用作戦。
(どこも経営が大変ですものね。経営陣主導型。)

⑦ メトの演奏もいいが、私らが演奏するとこうなります!と、
真に『トスカ』の新しい表現の可能性をもとめた結果。
(本来、最もあるべき姿だが、それでいて皮肉にも最もありそうにない芸術的理由主導型。)

会場は、NYフィルのレジデント・ホールであるエイヴリー・フィッシャー・ホール。
長細い箱のようなホールなので、サイドに座ると非常に鑑賞しづらいということを
去年のタッカー・ガラで痛感したので、センター席を選択。
舞台からの距離は、メトのグランド・ティアーに座っている場合とほぼ同じくらい。
ホールそのものの構造の違いとか、今回オケがピットではなく舞台上で演奏している、という、
どうしようもない理由以外は、メトでオペラを観る場合とできるだけ似た環境にしたつもりです。

まず、オケの音。
NYフィルには、ガンガン音を出すうるさいオケ、という勝手なイメージがあったのですが、
意外とすっきりした音でした。
ただ、オペラ専門のオケでないオケにこれを言うのも酷というものですが、
音がオペラっぽくない。
メトのオケの音が柔らかい木のような音だとしたら、彼らの音は固い木を思わせます。
でも、決して金属を思わせるような固さではない。”固い木”、これがぴったりくる表現です。
この固い木的な音が、オペラ、特にいわゆるメジャーなイタリア・オペラの演目を演奏するのは個人的に少し違和感がありました。
思えば、スカラ座をはじめとするイタリアの歌劇場にしろ、
ウィーンにしろ、コヴェント・ガーデンにしろ、メジャーなオペラのオケで、
音が硬いオケというのは少ないような気がします。

メトに比べて、やや個々の奏者の個性の強いオケというイメージもあるNYフィル。
もっと、自信満々、鼻持ちならない感じで演奏するのかと思いきや、
この『トスカ』の演奏会一日目について、NYタイムズのトマシーニ氏に散々な評を書かれたのも影響しているのか、
どちらかというと、自信なげな(もちろん技術ではなく、表現の面で)、
”これでいいのかな?”という感じで、演奏に確固たる自信が欠けていたように思います。特に一幕とニ幕。
まあ、トマシーニ氏は、レヴァインの子飼いかと思うくらい、いつもレヴァイン賛歌がすごいので、
NYフィルが『トスカ』なんか演奏したら、よほどすごい演奏を繰り出さない限り、
良い評は書いてもらえない、というものです。読み誤りましたね、マゼール。

しかし、トマシーニ氏でなくとも、私でもこれは散々なことを書きたくなる、と思わされたこの第一幕。
マゼールのオペラ作品での指揮の最大の欠点は、全然音楽が、その時にオペラの中で起こっている
ドラマと連携していない点です。
まさか、リブレットをきちんと読んでいないわけはないと思うのですが、
それにしては、、。

例えば、冒頭も、この作品には、前奏曲のような類がなく、
数小節のオケの演奏で、すぐにアンジェロッティの最初の言葉が入ってくるわけですが、
それゆえに、この数小節で、一気にアンジェロッティが政治犯として追われている危機感を表現しなければならないというのに、
ものすごくのったりしたテンポで演奏するマゼール。
しかも、ここは全セクションが音を出し、かつ金管が特に重い音を出しているので、
ただでさえ、さっさと行かないと鈍重な感じがするのに、その上にテンポが実際のろいのだから、何をかいわんや。
メトで指揮する人(つまり、オペラをメインに指揮している指揮者)で、
ここをこんなにのらりくらり演奏させる人、私は聞いたことがありません。
この部分だけ聞いても、”だめだ、こりゃ。センスなさすぎ。”と烙印を押されても無理はないというものです。

トスカとカヴァラドッジが絡む場面も、べたべたべたべた、、。
こういう演奏を聴くと、マゼールって私生活でもこういう恋愛してんのかな?と
思ってしまいます。
で、そんな風に何もかもまったりしているのに、なんと突然、
トスカが、カヴァラドッジが書いている絵の中の女性が誰かに似ている、、、
この瞳の感じ、どっかで見た事があるわよ、誰だっけ、、誰だっけ、、?と、
しばらく考えこむ、
弦がざわざわざわ、、とトスカの心を表現するところで、いきなり、テンポを早めるマゼール!!
馬鹿じゃないの?!ですよ。本当に。
誰だっけ、、と人が頭でいろいろ考えをめぐらせるときこそ、
テンポがスローになるものじゃありませんか?
どこでゆっくりまったりするかと聞かれれば、あえてここしかない!というところで、
逆に高速テンポをぶちかますマゼール。。。
どこの世界に高速テンポでじーっと物事を考える人がありますか!!
と、まあ、こんな調子で、作品中何箇所も指摘できる個所があるにはあるのですが、
十分、どのようにずれているかというポイントはお伝えできたと思うので、この辺で。

あと、これはトマシーニ氏の評にも触れられていたことですが、
ぎこちないトランジション、妙なアクセント、、、これは私も感じました。
そんな妙なことをするからか、本当なら複数のセクションの音が一体となって聞こえてこなければならない個所で、
度々、個々の楽器の音が飛び出して聞こえることがありました。
(音が大きいからではなく、他の楽器と一体となっていない。)
これも、メトで鑑賞するときには、『トスカ』のような、
オケが何度も演奏したことのある演目では特に、あまり見られない現象です。

さて、歌手について。
カヴァラドッジを歌ったフラカッロ。
彼は2006-7年シーズンのヴォイトのトスカに対して同役を歌っているので、
メトにも登場済みのテノール。
その公演のレポにも書いたとおり、カヴァラドッジには少し声が軽い。
特に一幕の立ち上がり、もっと思いっきりどしーっと音にアタックしてほしい。
ハミングしているのかと思うような声で歌われる、”妙なる調和 Recondita armonia  ”、、、微妙です。
しかし、第三幕の”星は光りぬ E lucevan le stelle ”で喝采を集めたあたりから、芯のあるしっかりした
声になっていったので(って、遅すぎ、、)、度胸と調整力の問題か?
あと、年齢がわりといっているせいか、見た目がまるで作品もパートも違うけれど、
『蝶々夫人』のシャープレスのよう、、。
もうちょっと若々しい人はいなかったんですか、、?といいたくなるというもの。

トスカ役のフイ・ヘ。この人は、全く名前を聞いたことがないノー・マークの中国出身の歌手。
こんな大抜擢状態で歌わせてもらうんだから、余程実力のある人なんだろうと楽しみにしていたら、、。

最初の、”マーリオ、マーリオ、マーリオ(カヴァラドッジの下の名前。)”と、
舞台裏からカヴァラドッジを呼びつつ現れる個所。
この部分だけは、お?と思わされ、
つまり、トスカ役を歌う質の声では確かにあるようだし、
”こんな役に合ってない声質の歌手を連れて来るな!ばかやロー!!”という事態だけは避けられたのですが、
聴きすすめるにつれて、彼女の歌の欠点が非常に気になってきました。
それは、
① 声のボリュームとカラーのコントロールが未熟。
② 肝心な個所の高音で音がずり下がる。
③ 演技、体の使い方が滅茶苦茶へた。
④ ディクション(歌われている言語の扱い)が最悪。
って、それ、致命的じゃないですか?はい、そうなんです。致命的です。
だから、私からすれば、申し訳ないが、彼女のそれは今のところは二流のトスカと結論せざるを得ない。
決して素質がない、とまでは思いませんが(どれも、努力次第では克服できる欠点ではある。)
まだまだ荒削りすぎて、メトはおろか、このNYフィルとの公演という場に立つのですら、
早過ぎるのではないかと思う。

ニ幕のアリア”歌に生き、愛に生き Vissi d'arte, vissi d'amore  ”一曲の、
それも最後の短いフレーズをとっても、
彼女の欠点の最初の三つがものすごい障害になっていることは明らか。
アリアの終わりの、signorで音が上がった後、最後のpercheに入る前までに音が段々下がっていく個所は、
声のボリュームがなめらかに大きくなったり小さくなったりしてこそ、このフレーズの美しさが生きるのだけれど、
彼女はこれが出来ないので、いきなり大きな音が針飛びして小さな音になるような、
ボリュームコントロールになってしまっている。
フル・ボリュームの高音のそのsignorは音がぶら下がっているし、
いくら演奏会形式で舞台をうろうろ出来ないからといって、手や体の各部、
表現に使えるものはいっぱいある。
実際、メトの舞台でも、このアリアをうろうろ立ち歩きながら歌うソプラノはいないのであって、
みんなその場で(たいていの場合はひざまずいた状態で)歌うのである。
だから、メトで歌っているソプラノたちと、このアリアに関してはほとんど同じ条件。
なのにこのヘさん、超でくの棒なんですよね、、、悲しいくらいに。

ちなみにこのアリア以外で立ち歩くシーンがあるのですが、
多少恰幅のある体格ではあるけれど、そんなに滅茶苦茶太っているわけでもないのに、
のしのしのしのしまるで象のような歩き方で、しかも、履いているヒールが高いのか、
膝がまがっているのが、ロングドレス越しでも見えて、いかにも見苦しい。
トスカのような役を歌いたければ、まずは身のこなしから特訓してほしい。
ただでさえ、アジア人であるというハンデがあるのだから、せめて身のこなしという出来る範囲だけでもいいから、
もっと磨かなくては。
仮に歌がものすごく良かったとしても、この体の動きではトスカという女性としての説得力ゼロです。

それから、アジア人のハンデといえば、彼女のディクションの悪さ。
スカルピアにカヴァラドッジを連れ去られた後、彼を解放してもらうにはいくら払えばいいの?
金額は?!と、堪忍袋の緒を切らすトスカの”Il prezzo! ”。
この言葉、彼女の発音が、まさに、かなで書いた ”いる ぷれっつぉ”
という発音だったのには、ぶっ倒れそうになりました。
”る”が一つの音になってる、、、。ありえない、、。
母音をどのくらい伸ばして発音するかというのも、もっともっと研究したほうがいい。
このIl prezzoですら、そんな調子なので、第三幕の幕切れ、
本当にカヴァラドッジが銃で撃たれてしまったとも思わず、
”さあ、早く立って!”と、呼びかけるシーンも、ありえないくらいイタリア語らしくありません。
非イタリア人の歌手に完璧なイタリア語を操るのは難しいし、
観客だって(私を含め)、どこまで細かくイタリア語らしさ&完璧さを把握しているかは疑問ですが、
こんなに明らかに、まるで外人(トスカはイタリア人だから、非イタリア人という意味の外人)
がしゃべっているようだ、、と思わせるレベルは問題外だと思います。

もっともっと精進してから出てきてほしい。まとめるとこの言葉に尽きると思います。




主役級のキャストの中で唯一私が世界のメジャーなオペラハウスで定期的に活躍できそうな
レベルだと感じたのは、スカルピア役を歌ったGagnitze(ガグニーツェ?)
というグルジア出身のバリトン。
地味なんですが、よーく聴いていると、フレージングにものすごく細かい神経を使っているし、
なかなか上手。
一瞬聞いたところではそんなに大きな声のような感じがしないのに、
一幕最後の”テ・デウム Te Deum ”のような、フル・オケをバックにしても、
埋もれない声の質をしていて、なかなか聴かせました。

ニ幕でトスカを追い詰めるシーンで、もっともっといやらしい感じが出るとさらに良くなると思いますが、
トータルではなかなか良い出来だっと思います。
トスカに刺し殺された後、ソリストたちが座るために用意された椅子になだれこみ、
そのままぐったりと死んだ姿勢で幕の終わりまで通していたのが素晴らしい。
演奏会といえども演技に手を抜かない、この姿勢がオペラ歌手には大事です。

諸脇役は、シティ・オペラに登場している歌手たちをはじめとする面子で歌われており、
特筆したくなるような出来の人はあまりいなかったのが残念ですが、
面白かったのは、三幕の羊飼いの少年の役を歌った、デイヴィッド・コーンという男性ソプラノ。
今まで私が舞台で観たのでは、女性やせいぜいボーイ・ソプラノが担当するケースばかりだったので、
大人の男性のソプラノが歌うのを聴いたのははじめて。
いやいや、これがびっくり。
あえて、男性ソプラノというだけあって、わずかに響きに違和感があるのを除いては、
限りなく女性のソプラノに近い声なのです。
カウンター・テノールというのは、やはりその名をテノールというだけあって、
やっぱりすごく男性的な声なんだ、というのを確認した次第。
ここまで女性のそれと区別のつきにくい男声は初めて聴きました。

第三幕になって、オケが断然良くなったのも印象的でした。
これくらいの出来が他の幕でも聴けていたなら、もうちょっと全体の印象も変わったはず。
ただ、相変わらず少し大人しめ。正確さにこだわりすぎているのかな?
もっと、最後なんて、自由に爆発してもいい気がするんですが。

そう、オペラの演奏を、数週間、数ヶ月練習したくらいで上手く出来てたまるか!です。
オペラの演奏には独特の話法と作品の理解が必要で、
メトのオケが今出している音は、オペラだけを演奏している奏者たちが、
何十年もの歴史を積み重ねて出来た結果であって、
どんなに技術が達者なオケでもそれをすぐにコピーすることは絶対に出来ないのだ!と痛感。
(まあ、逆のことをシンフォニー系のオケは、非オペラ・レパートリーを演奏する
メト・オケについて思うのかもしれませんが。)

翌日の、パーク・コンサートの第一曲目、『運命の力』序曲を演奏するメト・オケの音を聴いて、
ああ、やっぱりオペラにはこの音だよなー、と実感。

結局、最初に描いたシナリオのうち、実現されていたのは③と⑥だけ。
NYフィルがオペラでメトと張り合うなら、もっともっと頑張ってもらわないと、です。

Hui He (Tosca)
Walter Fraccaro (Cavaradossi)
George Gagnidze (Scarpia)
Jason Grant (Angelotti)
Michael Wanko (Sacristan)
Peter Tantsits (Spoletta)
Marcus DeLoach (Sciarrone/Jailor)
David Korn (A Shepherd Boy)

New York Choral Artists
Brooklyn Youth Chorus

New York Philharmonic
Conductor: Lorin Maazel

First Tier Center CC Left
Avery Fisher Hall at Lincoln Center

***プッチーニ トスカ (演奏会形式) Puccini Tosca (in Concert) ***

最新の画像もっと見る

9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
NYフィル聞きました。 (ゆみゆみ)
2009-10-10 22:17:20
昨夜はNYフィルでした。
ツィンマーマンのブラームス「ヴァイオリンコンツェルト」でした。TVで彼の演奏を聴いて、生で聞きたいとの願いが叶いました。この楽器がこんなに様々な音色で歌うことができるのだと驚きました。そんな凄い演奏でしたから、ソロと掛け合う弦楽部門は大層綺麗でした。ここも、第1ヴァイオリン・チェロ・ビオラ・第2。コントラバスがチェロと1Vの後ろに配置されていました。今これが流行りなのでしょうか?
NYフィルの第1Vは、殆どが日本人でしょうか?そのようにみえました。
ベルリオーズの幻想交響曲もN饗で聞いて、途中で飽きてしまったのですが、昨夜は楽しく且つ美しく、9月に聞いて少し違和感を感じたウィーンフィルより勢いがあって音楽がゆれていて、又聴きたい思いです。
アンコールの「ローエングリン」序曲ですが、最後の方で、トランペットかホルンかが演奏する3連譜は圧巻でした。できれば、他の管楽器が楽しげならもっとよかったかも。
今後楽しみなオケですね。
返信する
NYフィル (Madokakip)
2009-10-12 06:53:23
 ゆみゆみさん、

このエントリーはかなりネガティブで、
実際、彼らのトスカの演奏は全く好きになれなかったのですが、
『エレクトラ』でのNYフィルは悪くなかったですし、

http://blog.goo.ne.jp/madokakip/e/8a0c61ce18791445031cd10068f8c71a

今年のパーク・コンサートでのモーツァルトが意外と良かったのは驚きでした。(こちらはギルバート指揮でした。)

今年の(NYフィルの)オープニング・ナイトも幻想で、
これはこちらでテレビの放送があったのですが、
この時の演奏はあまり強い印象を受けなかったです。

という感じで、NYフィルについては
私は、いいなと思う時とそうでもない時の差が結構あって、
つかみかねてます。
今年からは音楽監督がアラン・ギルバートに変わったので、
その影響もあるでしょうね。
なので、おっしゃるとおり、これから演奏の雰囲気が変わっていく可能性もあるので、
楽しみです。

NYフィルのみならず、アメリカのオケは弦楽器にアジア人・アジア系の奏者が本当に多いですよ。
日本人だけではなくて、中国とか韓国の方とかも、、、。

配置なんですが、

>コントラバスがチェロと1Vの後ろ
というのはよくわかったのですが、
>第1ヴァイオリン・チェロ・ビオラ・第2。
との位置関係がちょっとわかりにくいです。
図に書くと簡単なんでしょうが、、。

『ローエングリン』の最後の三連符というのは、
あの(ってどの?って感じですが)有名なフレーズの部分のことを言ってらっしゃいますでしょうか?
なら、金管は全セクション(トランペット、ホルンに加え、
トロンボーン、チューバも)演奏していると思います。
返信する
言葉足らずお詫びいたします。 (ゆみゆみ)
2009-10-12 15:27:35
<第1ヴァイオリン・チェロ・ビオラ・第2>
舞台向かって、左からこの順に並んでいました。その後ろに、コントラバスでした。
<『ローエングリン』の最後の三連符>
有名なフレーズの、伴奏の感じで同音連打(ピアノではそんな感じ)。タタタ・タタタ・・。
です。私まで吹いている感じで息ができなくなりました。ここまで、ひきつけるなんて。
最後のアンコールで「ハンガリー舞曲」をしましたが、これは、無くてよかった
返信する
オケの配置 (Madokakip)
2009-10-13 06:22:24
 ゆみゆみさん、

そうですね、メトのオケの配置も(レパートリーによって多少変わりますが)スタンダードなものはそれに近いかなと思います。

舞台下手側前に第1ヴァイオリン、その後ろにコントラバス、
第1ヴァイオリンに並んで前列内側にチェロとヴィオラがいて、彼らの後ろは主に木管楽器です。
舞台上手側の前列は第二ヴァイオリンでその後ろにホルン、それからそれ以外の金管、
そして、打楽器、という大体そんな配列になっています。

ただ、カーネギー・ホールなどでの演奏会では、
金管が第二ヴォイオリンの後ろではなくて、
弦の後ろに客席に真正面に向くような配置になることが多いです。
NYフィルをエイヴリー・フィッシャー・ホールで観たときは、
メトのオケピ型(つまりゆみゆみさんがおっしゃっている型)に近かったような記憶がありますが、
今度機会があったらきちんと観察しておきますね。

>「ハンガリー舞曲」をしましたが、これは、無くてよかった

こういうお国もの系って、その国の出身でないオケにとっては雰囲気を出すのが難しいですよね。
返信する
Unknown (galahad)
2009-10-13 14:37:17
はじめまして。ライブビューイングのことが気になって、よく読ませていただいております。
オケの配置と聞いて、とんできました。←ウソ
このオケの配置はゆみゆみさんのおっしゃるとおり流行の「対向(古典)配置」といわれるものです。 古楽オケやオペラのオケピットの中は、だいたいこの配置になっていると思います。 オーケストラの演奏会では指揮者の好みと技量、演目によって配置が異なりますが、メトではレヴァインがこの配置が好きみたいなので、対向が多いのではないかと思います。 20世紀初頭までは対向配置が普通だったので、それまでの作曲者の意図にも合っているし、最近のピリオド奏法隆盛もこの配置の復活に一役かっていると思います。 Cb,Vc,Vaの位置は一定ではありません。 こんなこと、おせっかいだったらごめんなさい。
返信する
配置 (le Grand Condé)
2009-10-13 22:08:11
古典式配置効果で、よく知られているのは、チャイコフスキーSymphonyNo.6「悲愴」最終楽章、Adagio lamentoso の一音ずつ、舞台に向かって、
Vn.Ⅱファ♯右→Vn.Ⅰミ左→Vn.Ⅱレ右→Vn.Ⅰド♯左→Vn.Ⅱシ右→Vn.Ⅰド♯左 が有名ですよね. 
作曲者のイメージどうりの空間的な音のレイアウトの妙味が、よく聴き取れる箇所です. 
ちなみに、古典式配置(内周左:チェロ手前から2番目)、他の、アメリカ式配置(内周右:チェロ手前)、ドイツ式配置(内周右:チェロ手前から2番目)では、Vn.ⅠとVn.Ⅱが隣同士なのでこのあたり表現しきれず.

ヴィジュアル系ではないですが、ちょっとかしこぶってしまいましたか(笑)
返信する
勉強になります! (Madokakip)
2009-10-15 11:49:46
頂いた順です。

 galahadさん、

はじめまして!

>オケの配置と聞いて、とんできました

とはなんと嬉しく頼もしい!!

いつもメトで見ているあの配置が古典配置と呼ばれているとは、
全く知りませんでした。

>メトではレヴァインがこの配置が好きみたいなので、対向が多いのではないかと

今ふと思いおこしてみると、ボストン響の演奏会の時は、
同じレヴァインの指揮でも、古典配置ではなく、
le Grand Condéさんのおっしゃるアメリカ式配置だったような記憶があります。

>こんなこと、おせっかいだったらごめんなさい。

とんでもない!
また色々教えてください。
また、差し支えなければ、galahadさんのブログ、
ブックマークに登録させていただけたらと思います。

 le Grand Condéさん、

あら、デ・ニースがこのブログに!と思ったら、
le Grand Condéさんでした(笑)
でも、すぐにデ・ニースでないとわかりましたよ。
なぜなら、le Grand Condéさんの場合、かしこぶっていらっしゃるのではなく、
実際に知識がおありなのですから。

なるほど、、今まで考えてみた事もありませんでしたが、
確かに配置によって、音がつながって出てくる場所が変わってくるし、
楽器同士が近すぎるとニュアンスがはっきり出てこなかったりもしますね。
奥深い、、、。
返信する
配置 (galahad)
2009-10-15 21:17:11
古典配置は演奏する側にはけっこう負担になるので、指揮者がオケに無理強いはできないんじゃないかと思います。
>ブックマークに登録
もちろんどうぞ、よろしくお願いします。
こちらもリンクさせていただきますね!
返信する
ありがとうございます! (Madokakip)
2009-10-16 14:25:10
 galahadさん、

ありがとうございます。
今、galahadさんのブログをブックマークに追加させていただきました!
返信する

コメントを投稿