昔,名校長と呼ばれた人は,人情の機微に通じ,子どもはもちろんのこと,教職員の心の動きをよく把握し,自らは威厳をもちつつ,それでいて,めだたず采配をふるうタイプの人が多かった。作業着を着て人知れず校庭の雑草とりをしているようなタイプの人である。人が見ていようが,見ていなかろうが,そんなことにはお構いなく,自らが正しいと信ずる道を行う人格者である。だからこそ尊敬された。
今,名校長と呼ばれようとする人は,鼻息が荒い。自分が赴任する前の学校の状態をこてんぱんにこき下ろし,「なんたるざまか」と憤慨する。そして,自分が赴任してきたからには,大改革を断行し,学校を生まれ変わらせるといきまいて,保護者にもアピールをする。そして,ほんの少しの成果でも成果をあげたと吹聴するばかりか,果ては他の教員や子どもたちのがんばりで得た成果も,すべて自分の手柄にしてしまう。とにかく,自分で自分の成果を大げさにアピールするのが,名校長の名校長たるゆえんであるかのようである。保護者も地域も,上手なアピールに幻惑される。そうか,そんなに学校がよくなったのか,そう言えばそうかもしれないなと思わされる。そして,さすが,名校長,馬脚をあらわす前に,栄転の運びとなるのが常である。
やれやれ。
今,名校長と呼ばれようとする人は,鼻息が荒い。自分が赴任する前の学校の状態をこてんぱんにこき下ろし,「なんたるざまか」と憤慨する。そして,自分が赴任してきたからには,大改革を断行し,学校を生まれ変わらせるといきまいて,保護者にもアピールをする。そして,ほんの少しの成果でも成果をあげたと吹聴するばかりか,果ては他の教員や子どもたちのがんばりで得た成果も,すべて自分の手柄にしてしまう。とにかく,自分で自分の成果を大げさにアピールするのが,名校長の名校長たるゆえんであるかのようである。保護者も地域も,上手なアピールに幻惑される。そうか,そんなに学校がよくなったのか,そう言えばそうかもしれないなと思わされる。そして,さすが,名校長,馬脚をあらわす前に,栄転の運びとなるのが常である。
やれやれ。
>やれやれ。
やれやれ。。
思い当たるような、(一応)当たらないような。
誰がやってもほとんど変わらないことばかり。
校長は公の場で、失言をしないように、そして型通りのことを型通りでないように挨拶している役なのです。
校長は名ばかり管理者です。
その証拠に、学校関係者や学校組織の外では、ただのおっさんとしてしか見られていません。
気さくであちこち歩き回り、あまり校長室にはおらず、目立たず黙々と仕事をされる方でした。夏休みには半パン姿で樹木に水をやり、郵便局の職員が校務員とまちがえたという逸話も残っています。(笑)
そうでありながら、いざというときには迅速な決断を下し、真のリーダーシップを発揮される面も持っておられました。若かった私にはその凄さの半分も理解できていなかったでしょう。
そういう校長が稀有な存在であるというのを知るのは、もう少し後になってからのことでした。
ところで最近の校長像、どこかの知事に似ていませんか?
欠点をあげつらうところとか、学力テストの順位が少し上がると喜ぶところとか…。そこの自治体の教師の多くも「やれやれ」なのでしょうね。
>保護者も地域も,上手なアピールに幻惑される。
うまいことおっしゃいますね。同感です。
最近の校長像、どこぞの知事に似ていますね。
どこぞの知事には困ったものだと常々思っています。
知事になる前から知事にならないように祈っていたのに・・。知事の本性を見抜いていたから。
国民が幻惑されているようです。
知事により、子どもが犠牲にならないかとても心配です。
知事の圧力により、部下の公務員が自由にものがいえなくなっていくようです。
言論の自由の弾圧・・。悲しいことです。