学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

進学実績を考える

2009-06-02 | 教育
進学実績という言葉について考えてみたい。

よく中学校や高等学校などで,
どの学校に何人進んだかを示すのに
進学実績という言葉を使う。

この言葉のニュアンスは,
その学校があたかも進学について
功績があったかのように聞こえるし,
また,そのように受取られてもいる。

とくに中学校における学校選択制などがはじまると,
この進学実績というものは
強い影響力をもつようになる。

しかし,考えればすぐ分かることだが,
進学実績を作り出しているのは
ほかならぬ生徒自身である。
また,現在のように,
生徒の学習機会が,学校だけに限られず
学校外の私教育の場が豊富に与えられている状況下では,
学校が,進学「実績」を誇ることなど意味がないことである。

要は,進学実績は,
生徒の資質と能力と努力と運と機会の結果であって,
学校の「実績」ではない。

学校の「実績」といえば,
よい「実績」を出すことのできる生徒を
集めることができたという
広報や営業の実績ぐらいのことであろう。

いっそのこと,
学校の進学実績を公表することを
一切禁止してしまえば,
より実質的な学校選択が行われるように
なるのではあるまいか。



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10 Comments

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暴論ですね (理想は常識人)
2009-06-02 22:10:53
「進学実績」にとらわれて学校を選択する子どもや保護者ばかりだと考えるその発想は、生徒の資質に課題があり、能力に乏しく、努力を怠り、運も機会もないために「実績が上がらない」と主張したい愚かな教師の戯言にしか聞こえません。
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感想 (いちろう)
2009-06-02 23:26:13
コメント一つでやめようと思いましたが、
記事を読んでの感想も一つ。

この記事は、前掲の記事の続き物のようですが、
一つ気になるのは、
勉強の成績に囚われすぎている気がします。

テストの点でははかれないもの、
個人の立身出世より、社会を形成する力、
そういうところに価値を見いだして、
次の社会を形成する人を育てることが、
公教育の役割だと思っています。

某氏とのやりとりから形成した考え方です。
「テストの点」に重きを置くと、
公教育の役割を見失う気がします。
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Unknown (madographos)
2009-06-02 23:27:02
>理想は常識人さま。そういう読み方もあるのですね。勉強になります。
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Unknown (madographos)
2009-06-02 23:57:50
>いちろう様。コメントありがとうございます。「テストの点でははかれないもの、個人の立身出世より、社会を形成する力、そういうところに価値を見いだして、次の社会を形成する人を育てることが、公教育の役割」,おっしゃるとおりです。市場原理の学校への導入が,データとして表に出しやすい進学実績に価値を置きすぎる学校の状況を生み出しやすくなっています。このエントリーはそのあたりを指摘したかったのですが・・・。
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教養主義と進学 (ほり)
2009-06-03 00:27:12
こんにちは。

それまで進学実績--大学進学者数を公表してなかった学校が公表するようになったとき、私はなんだかがっかりしました。
そこは、カリキュラムを見るに教養主義を標榜しているように思われる学校で、生徒もそれなり生徒が集まるところです。それなのに、「その他大勢の進学校」の中に、自ら埋没しようとしているかのように思われました。
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Unknown (madographos)
2009-06-03 00:33:35
>ほり様。コメントありがとうございます。私が高校生だった時代,ある旧制から続く名門校では,大学は浪人して進学するのが当たり前,高校3年間は高校生活を謳歌すべしと大っぴらに言われていました。そのようなおおらかなムードはもうなくなってしまったのでしょうね。教養主義の崩壊は,高校を質の悪い予備校にするだけのような気がします。残念です。
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批判を受け付けていただきありがとうございました (理想は常識人)
2009-06-03 18:53:03
madographosさんは批判を受け付けない人かと誤解していたようです。
コメントありがとうございました。
進学実績を気にしているということは、学校を進学実績による序列化で見ていることを認めることになってしまった・・・というのが落とし穴だったわけです。
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ことば足らずですみません (いちろう)
2009-06-03 22:43:38
>市場原理の学校への導入が,データとして表に出しやすい進学実績に価値を置きすぎる学校の状況を生み出しやすくなっています。

まさに、その通りだと思います。
ただ、小泉時代の靖国論争を苦々しく見ていた者として、
対立することで巻き込まれては、大衆に流されると思います。
無駄な争いに与せず、「現場」を大事にして、受け流し、したたかに対応すべきと思います。
このエントリーでの「学校の役割」部分が気になって、
先のコメントを書きました。

荒れると困るので、これにて失礼します。
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Unknown (madographos)
2009-06-03 22:59:53
>理想は常識人さま。「学校を進学実績による序列化で見ている」人が多くいることを否定することはかなり難しいことなのではないでしょうか。なお,私は,進学実績を気にする立場にはおりません。
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Unknown (madographos)
2009-06-03 23:02:00
>いちろう様。コメントありがとうございます。「無駄な争いに与せず、「現場」を大事にして、受け流し、したたかに対応すべき」,そうありたいと思います。
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