ルーマニアから岩手にお婿に行った友人が言っていました、
「岩手の人はあたたかいよ、困ったことがあったら、岩手へおいで。」
ちょうど3年前に、はるひとくんという男の子が生まれています。おくさまはももちゃんという日本人です。メールやfacebookで連絡をとろうと試みたけれど・・・。
「岩手は特に今の時期はとても寒いけど、宮古市は沿岸だから天気が良いですよ!」
宮古市で自分の英語教室をやっていました。「僕は英語のネイティブじゃないから、英会話スクールに雇われても、ネイティブとはお給料が違ってしまう。」なんて言って、がんばっていたけれど。
気をもむこと数日、宮古市の避難所にいる方々の名簿の中に、家族3人の名前を発見しました。命は無事でいたんだ!3人そろって一緒なんだ!怪我してないかな?住んでいたところや英語教室はどうなんだろう?子供はまだ3歳になっていないはず。非難所で不自由しているに違いない。メールやインターネットも、電気が通じてPC環境が整ってからの話。
住むところに困るのなら、遠いけれどうちに来てくれても、とメールを出したけれど、少し遠くて現実的ではないかも。わたしにも何かできることがあるはず。彼からの返信メールを心待ちにしています。
一番上の写真は彼の出身地ヤシでの写真。
避難所にいる方々の名簿:
わたしは幸いにして、この名簿から友人の名前を探し出すことができました。が、被災地の状況は様々で、同じ町内でも住むところが損壊した人がいる一方で、ライフラインが無くてもなんとか自宅で寝泊まりする人がいたりして、そういった人は避難者リストに載ってこないそうです。避難者リストに名前が無いといっても、希望が断ち切れたわけではないのです。
宮古からのブログ:
宮古市の被害状況を調べているうち、津波が押し寄せたときに漁船に乗って沖合いに逃げ、陸地へ生還し、被災地の様子を毎日更新しておられるブログにたどり着きました、こちら『漁師の徒然なるブログ 』から。
@Osaka、彼岸の入り
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「漁師の徒然なるブログ」を読んで私の方が
元気づけられました。日本人の底力で乗り越え
ましょう。
津波を知らせて高台に誘導して
そのあと帰らぬ人となった日本人
人種を差別しない日本人
世界は一つの原点がここにあります。
少しずつ安否が確認される人。
確認できない人。
手放しで喜べない状態が今の日本ですね。
でも、日本人は捨てたもんじゃないですね。
我慢強く、前向きです。
海外の人からもいろんな声を聞きますね。
「日本の復興は僕らの手本になるんだ」心強い言葉ですね。
ドイツでは反原発の集会が震災翌日にあり、6万人の人が手つなぎで25キロにもなったとか。
イギリスでは、復興を願って千羽ツルを折ってくれているとか。
こちら長野では、直接東日本に送電出来る施設があり、送電を始めたそうです。
水力発電なので、微力ではありますが。
日本中・世界中で、支援の輪が広がっていますね。
1日も早く穏やかな日が来ますように。
そして、現場で一生懸命頑張ってれている人に感謝ですね。
マドモアゼル・ヒロコさん。
福岡のマリータです。
岩手の友人の生存が確認できたのですね。
良かった!
自分も同じことを思ったのですが、
地震が起きた時は、
ネットでいろいろ震災情報を
書いて手助けになるかなって思っていたのだけど、
現地の人々は、ネットへつながる環境を持っていない
ということを考えると、
やはりアナログ的な事も大事だなって思いましたね。
ヒロコさんのように、色々と出来ることを
やっていくことも大事なことだと思います。
再会出来たら、
ヒロコさんのお料理をふるってあげてほしいです^^
「漁師の徒然なるブログ」の漁師さん、まだ家族との連絡が取れていない、と記述があったけれど、その後を案じています。
ここにも人種を超えた原点がありますね。
ほかの県では、リストをそのまま載せていて検索機能は無かったり、で、最初から逐一目を凝らして見なければならなかったりする(アナログ的)一方で、岩手県のリストは検索機能が付いていてとっても探しやすく出来ていました。
リストに載せて、ネットで探しやすくするにも、入力という人力がいるはずだけれど、それを混乱の中でやってくださっている方々に感謝です。
安否も判らず、また、遺体を引き取りに来るはずの家族も行方不明になっていたりする今回の被害の甚大さ、いつまでもいつまでも心が痛みます。