ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

フランスからの招待状

2007-04-28 | ルーマニア・わたしの日常

poster of TPC 2007

今年も、フランス主催者側の計らいで「昨年度ルーマニアから参加の6選手を招待したい」と打診のメールが舞い込みました。これがなんと先週末。レースは5月16日から始まるので、練習不足が心配ですが、ルーマニアチームの人たちと一緒に参加することになりそうです。

今週の正式なインビテーションによると私のナンバーカードは16、マイダーリンは18。もう、ナンバーカードも用意して待っていてくださっているのです。
 
このフランス・ノルマンディーでの「ツール・ド・ペイ・ド・コー」大会、4日間連続で6レース、アップダウンありの合計91キロを走り、トータルタイムで順位も決まります。

2004年に日本選手団4名のうちの一人として初参加、日本では例を見ないランニング大会ですが毎日走ることだけに専念できるなんて願ってもないこと、と全力で走り抜けました。
 


この2004年の大会にルーマニア選手団として参加していたのが今のマイダーリン。招待選手たちが8日間同じ宿舎で寝泊りし、バスで各地を移動しながら連戦を戦うなかで、各国選手たちとも自然と輪が出来てきます。

宿舎ではいつも手作りの温かい食事とワイン・ビールが振舞われ、各国選手たちと入り混じりながら身振り手振りでランニング談義をしたものです。走ることは世界共通であることを知ったのもこの大会です。

「君ハ結婚シテイルノ?」「イイエ、シテイナイワ。残念ナガラ、一度モシタコトナイワ。」「オ~、マドモワゼル・ヒロコ!」、このときの呼び名が今の私のハンドルネームです。
 
日本選手団メンバー選考の際の暗黙の取り決めとして、過去にこの大会に派遣された人は次回からは選考対象外とする、というのがあることを聞かされていたので、私にとっては一生に一度のフランス遠征、走る気持ちも高まり、初参加で女子総合2位の成績を収めていました。



帰国後、ルーマニア人ランナーの彼はメールや手紙などを日本に送ってくれましたが、なにぶん歳が離れているし(ダーリンは当時33歳、一般の部のエントリー。私はベテランの部のエントリーでしたが、「歳、イクツ?」と尋ねられても「女性ニ、歳ヲ。尋ネルモノジャナイワヨ~。」と煙に巻き、幾つ年上であるかを明らかにしていませんでした!)、住んでいるところも離れているし、フランス遠征は一生に一度のはずだし、「ルーマニア人ランナーの彼」とは二度と会う機会もないだろうと思い“全く”関心なし、ラテン気質の熱いメールをもらっても、「大阪ハ、良イ天気デス。」などと返信していました。

ところが!思いがけず日本選手団として2度目の派遣をいただくことに!「前年度、2位だったからそのリベンジをしておいで。」と2年連続の大抜擢となったのが2005年。たまたまこの年の選手団3名はすべて過去の派遣経験者となっていました。

メールでルーマニアの彼に知らせたら、それはそれは喜んでくれました~彼らもまた同じ大会に引き続き招待されていたのです。
 
「二度と会う機会もないだろう」と思っていたルーマニア人ランナーの彼と再会したのもまたこのフランスでの大会。大会期間中は、移動のバスに乗り込んでもすぐに隣に座ってくる彼、食堂でトレイを運んでテーブルに着いたらまたすぐに横に座ってきて一緒に乾杯です。日本選手団として行動していたので、パリでの二人だけのデートなどはありませんでしたが、とにかくよく一緒に居ました。
 


ランナー同士がマラソン大会で運命の出会いをするのは良くあることです。私の友人達も何人もがランナー同士結婚して二人で一緒に走っている、赤ちゃんが出来たら奥さんはちょっとお休みだけれどもまた一緒に走っている、ベビーカーを押して走り、そのうち家族で一緒に走り出す、というカップルが居るものです。
 
ひと夏メールでやり取りがあって、初めてルーマニアを訪れたのが2005年の秋。これもまたイスタンブールで合流してマラソンを走ってから陸路ルーマニア入り、といういかにもランナーらしい再々会でした。
 
わずか1週間滞在したブカレストでたまたまランニング大会があり、フルマラソンの疲れや何のその、彼に引っ張ってもらって(=前を走りながらペースを作ってもらって走ること、風除けにもなってくれました)、いきなりの年代別優勝。



表彰台の一番高いところに上がった私に、いつもの入賞の常連のルーマニア人女性達が「コノ子、誰?」とばかりに見上げてくれている写真を撮っていただきました。このときに、「わたしはルーマニアで走ることになるかもしれない。」と運命の展開を予感しました。

そして2006年春にルーマニアへ。フランスでの大会で出会ったことがきっかけとなった経緯を大会主催者の方々もとても喜んでくださり、ルーマニアチームの一員としてダーリンたちと一緒に3たび「ペイ・ド・コー」大会に招待されたのです。
 
新婚旅行をかねて参加した私たちに最大のもてなしをしてくださったフランス主催者側。この大会はただ走るだけの大会ではなく、大きな家族的なつながりを持った大会なのだと再認識しました。
 
そして再び、ペイ・ド・コーの舞台へ。どれだけのパフォーマンスが出来るか、全く自信のないところですが、私らしく走りたいと思っています。

2005年大会の様子はこちらから。


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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (アイロンマン)
2007-04-29 20:06:07
人生の分岐点となった「ペイ・ド・コー」、今年もしっかり楽しんできてください。
もう永久招待選手として登録されているのでは?

私は5月18日からの100㎞トレイルに備えて生駒山で練習です。
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Unknown (マドモワゼル・ヒロコ)
2007-05-01 03:37:52
ハイ!かなり練習不足なので、とにかく大会の雰囲気を楽しんできます。
(最近の月間走行距離200キロ前後なのに、4日間でレースペース91キロはきついです)

アイロンマンさんらしい、壮大な100キロレースを予定されていましたね!
また、レースレポートを楽しみにしています。
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