ルーマニア・ランニングライフ★Romania Running Life★

ダーリンはルーマニア人、マラソンシューズ゛と共に過ごす首都ブカレストでの日々。東欧の神秘ルーマニアを探索中+ラン遠征。

国境を渡った女性たち④~中国人の妻

2007-04-24 | ルーマニア・わたしの日常


ブカレストのはずれにある千を越えるバラック小屋のような店舗が軒を連ねる「チャイナ・マーケット」(=こちらでの通称、「ヨーロッパ」、なぜチャイナマーケットのことをこう呼ぶのか判らないけれどもみんなこの名前で呼んでいます)、狭い路地を進んでいくのも人とぶつかりそうになるくらいの密集地です。

「中国人だけでやっている店と、中国人とルーマニア人が一緒にやっている店が在るんだよ。でも、スリも多いから、僕の前を歩いて。」とマイダーリンに気を配ってもらいながら店を見て歩いていました。中国人店番の多い通りで、突然ダーリン、路地を掃き清めていた中国人女性に声をかけます。

「ヘイ、ユー、僕のことを覚えているかい?」
こんなせりふでナンパされても、誰も聞く耳を持ちません、その女性も知らん振りで作業を続けています。若く見える小柄なアジア人ですが、30歳過ぎくらいかもしれません。

「ヘイ、ユー、君だよ、君。君、僕に会ったことあるだろう。僕は君を覚えているよ。」~ダーリン、英語でさらにナンパしています。
中国人女性、ダーリンが余りにも何度も話しかけるので、不審そうにちらりとこちらを見ましたが、やはり無視。もしかして英語がわからないのかもしれません。

「君、ヤオウの奥さんだろう、今、拘置所にいる、ヤオウ。ヤオウは君のことを待っているよ、君の面会を待っているよ。」

ダーリン、英語で話しかけているので、私にはわかってきました。ダーリンの警察署管内の拘置所には中国人が一人いる、と以前に聞かされていました、その中国人男性の妻を偶然ここで見つけたようです。ダーリン、最初に中国人男性が逮捕されてきたときの取調べで、この妻にも出会っていて、覚えていたのです。

「ヤオウ」という名前を耳にし、中国人女性はピクリと作業の手を止めました。ダーリンとこの女性の様子を見て、近くにいた中国人店番の女性が私たちの間に割って入ってきました。少しルーマニア語が話せるようです。
 
そしてやはり、ヤオウの妻はまったく英語もルーマニア語も判らない様子、中国語で店番の女性から事情を説明してもらっています。でも、店番の女性も余りルーマニア語が堪能ではなく、さらに若い中国人男性が加わりました。

「あなたは誰?」
「僕は、ポリスマン。ヤオウが拘置所に入って2ヶ月。君は一度も面会に来ていないけれども、ヤオウは君の面会を待っているんだよ。ヤオウに会いに来てあげて。」

この若いお兄さんはよくルーマニア語が判るようで、二人の中国人女性に中国語で説明しています。やっと事情がわかったヤオウの妻は、少し悲しそうな、でもどうしようもないのよ、という表情になりました。

「知らせてくれて、ありがとう、貴方の電話番号を教えて欲しいのだけれど。」
「僕の電話番号?それは規定により教えられない。ポリスセクションに居るよ。」などというやりとりがあって、ダーリンは若い男性と握手をして分かれました。握手をするのは心通じ合った証拠です。

その場を離れてダーリンと二人で歩き始めました。
「ヤオウは、何をしたの?」
「中国人同士の争いで、相手を刺したのさ、相手は瀕死の重傷だった。」
「ヤオウは、あと、どれくらい拘置所に居るの。」
「僕には判らないよ。でも、あの子の手を見たかい?働きづめで荒れた手をしていたよ。働いて、働いて、ヤオウに会いに行く時間も無いんだろうね。」

ダーリンは続けます。「ここ、チャイナマーケットは、中国の田舎から出てきた、貧乏な中国人が、貧乏なルーマニア人に、質の良くない物を売っているところさ。」
 
ちょっと悲しい気分になりながらもしばらくまた、店を見て廻って、本日の予定終了~バスで帰途につくことに。ちょうどバスに乗り込むと、さっきの中国人女性、ヤオウの妻が一人で同じバスに乗り込んできました。

「やあ、君。ヤオウの所へ行くのかい?」~ダーリンは英語で話しかけますが、ヤオウの妻はただこちらを見てくれるだけで反応なし。「ヤオウは待っているから、行ってあげてね。」こちらを見つめていますが、反応なし。

「そうだ、君、名前、何ていうの?」~ヤオウの妻はなにを尋ねられているのかよくわからない様子。でも、私のことをじっと見ています、同じアジア人で気になるようなので、ダーリン、「この子は、日本人。」わたしも「大阪から来ています。」と説明。

「君の名前は?名前、ネーム。」~英語で尋ねても答えが返ってきません。「この子は、ヒロコ。僕は、ダヌット。君は?」~ジェスチャーつきで尋ねますが、首を横に振るだけ。もしかして私が日本人であると知って拒絶反応を示しているのかもしれません。
 
そしてバスは私たちが降りる停留所に近づきました。「僕達はここで降りるけど、君は?」~まだ降りるそぶりでは在りません。「ヤオウを訪ねてあげてね。」~マイダーリン、英語でもう一度繰り返し、「Bye!」、私はなんと言っていいのかわからなかったけれども、やっとのことで思い出した中国語で、「チャイチェン!(=再見、だったでしょうか、さようなら、の意味)と彼女に手を振りました。
 
すると今までまったく口を開かなかった彼女が、「チャイチェン」と返してくれました。はにかんだような笑顔と一緒です。初めて緩んだ彼女の表情に嬉しくなって、バスを降りるときに後ろを振り返りながらもう一度「チャイチェン」、彼女も「チャイチェン」。閉ざされた彼女の表情を明るくしたのは彼女の母語だったのです。

おそらく中国の寒村から出てきて、ビジネスのチャンスにと東欧までやってきた彼ら。「他の国に売れなかったようなものを、ルーマニアに持ち込んでいるんじゃないかしら。他の国で充分、利益を上げているから、ここで安く売っても、かまわないんでしょうね。。」(=ラン仲間の奥様のご意見)、そのチャイナマーケットで小売をしている彼ら。
 
言葉もわからず寄り集まって生活する中国人達。そんな仲間同士の争いで同国人を刺してしまったヤオウ。夫を拘置所につながれ、働き手をなくしたヤオウの妻。異国で日々の暮らしに追われる孤独感ははかり知ることが出来ません。



バスを降りて、ダーリンと二人で:

「彼女、全く英語もルーマニア語も判らないみたいね。」
「そうだね。」
「ヤオウは?ルーマニア語を話せるの?」
「殆んど話せないよ。」
「この国で、ルーマニア語を話せないのは大変ね、私のようにね。」
「でも、ヒロコは英語を話すよ。彼らは英語も話せない。きっと田舎の貧乏暮らしで教育も受けられなかったんだろうね。」
「英語もルーマニア語も話せなくて、中国人たちと一緒に住んでいるのかしら?」
「そうだろうね、1つのアパートに10人位住んでいるんだろうね。」
「中国人は、大家族が多いものね。」

そしてマイダーリンは聞いてきました。
「チャイチェン、って何?」
「中国語の、サヨウナラ、よ。」

マイダーリン、ちょっと待って、とメモ帳を出して、「チャイチェン」をメモっています。
「他に、知っている中国語ハ?」
「え~っと、ニーハオ、と、シェイシェイ、だけだわ。」~自分の無知にちょっと恥じ入ります。

マイダーリン、「シェイシェイ」(=ありがとう)もメモっていました、きっと拘置所に居るヤオウに今日の出来事を伝えるのでしょう。彼らの母語と一緒に。



どうぞ過去の記事もごらん下さい。
国境を渡った女性たち①~イスラエル編はこちら
国境を渡った女性たち②~韓国人女性編はこちら
国境を渡った女性たち③~北アイルランド編はこちら



今、ブカレストではこの紫の花がとてもきれいです。公園にも咲いているし、お花屋さんでも見かけます。
 

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4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
母語 (アイロンマン)
2007-04-25 21:30:00
母語って大切ですね。
大阪へ出てきた頃、大阪弁が全く分からず、岡山弁で離しかけてもらったとき、ホッとしました。
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母語は大阪弁 (マドモワゼル・ヒロコ/)
2007-04-26 21:36:45
今では数カ国語を操るアイロンマンさんもそんなことがあったんですね。
私ごとき、まだまだ未熟者です。。。
返信する
Unknown (Tulipan)
2009-10-05 06:48:37
まるで小説でも
読んでいるかのようでした。
ヨーロッパ中で見られる中華街、
そして中国人労働者たち。
ほとんど接することはありませんでしたが、こんな悲しい事件もあるのですね。

外国にいて母国語の大切さが
改めて分かります。
ブダペストでは、二代目の方たちは
ハンガリーと変わらないように
ハンガリー語を話し、中国語ができない人もいると聞きます。

外国文化をいかに尊重できるか、
ルーマニアの受け入れ方も気になります。私も同じように、ルーマニアに住んでいてルーマニア語は話せませんので。
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Tulipanさんへ (マドモワゼル・ヒロコ)
2009-10-07 22:18:27
>外国文化をいかに尊重できるか、
異文化との共存、受け入れ、ルーマニアではどうでしょうか?

いずれにせよ陸続きの国々と、民族の興亡をかけて領土争いを繰り広げてきた歴史。世界大戦後、東欧の共産主義国にあって、比較的穏やかな社会主義政策であったお隣の国ハンガリーなど比べると、ルーマニアは秘密警察も暗躍する独裁政権。これらとも切り離して考えることは出来ないのでは、と思います。

そしてTulipanさんのあたりの土地柄と、首都ブカレストではまったく違うこと、これもまた事実。ハンガリー人やドイツ人の多いハリギタ地方・トランシルバニアなどでは、比較的みんなが穏やかに共存しているように思えます。ロマの人たちとも。

ブカレストではジプシー装束をしたロマの人たちと接することはありません。道ですれ違っても、みんな毛嫌いしているかのごとくです。

けれど、清掃業務やごみ収集業務、建築現場などで働くロマ人、多く見かけるようになりました。

道端で物貰いをしているのはロマ人ばかりにあらず、清掃業務や3K職務についているのもロマ人ばかりにあらず、でも何かと、ブカレスト人の中には、ロマ人を低く見る姿勢があるように思います。

難しいテーマだけれど、私の目から見た記事をいつか、書きたいと思っています。

>母国語
「お母さんの国の言葉」、確かに母国語。でもそれが産まれて初めて覚える言葉なのか?
私は最近、母語と言い換えるようになりました。韓国へ自分探しの旅をしに行った女性に出会ってからのことです。
2世、3世も多い在日韓国人、両親ですら、日本で生まれ育ち、日本語しか話せない人が多いのです。

これまた難しいテーマで、亀レスでごめんなさい。
またTulipanさんのところも楽しみに訪問させていただきます。・・・同じ国でありながら、暮らしぶりがまったく異なることに興味を持っています。
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