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「ウインドアイ」 ブライアン・エヴァンソン 柴田元幸訳 新潮クレストブックス

2017-02-03 | 読書



遁走状態 に続いてエヴァンソンの二冊目。
スタイルも内容もその異常性もあまり変わってない。ただ前作が19編だったところが今度は28編になっている。1篇が少し長いので内容が複雑で、こうなるとよく読まないと状況の変化についていけず置いて行かれそうになる。普段の読書はのってくると文字をなぞっていたものが、いちいち言葉を読んでいかないといけないことも多く時間がかかった。そのことは訳者の柴田さんも、普通のシンプルな書き方と違って頭ではなく体に残ると書いている。
たしかに、エヴァンソンの特異性は言葉にこだわっていることだそうで、柴田さんの言をまた借りれば、そのすわりの悪さを下手に訳していないか心配だったそうだ。確かに読みにくいしあまりにも飛躍した状況の気持ち悪さや、裏返せば滑稽な可笑しさを感じるところなど、この類を見ない作品は、一口の面白いと片付けられない。それでも妙な魅力がある。
主人公が何らかの作用で思いがけない事態に陥るという設定が定石で、前作で書いたことの繰り返しになるが、最初は異常な事態になっていても、本人はいたって正常に判断ができている。その矛盾や対処に狼狽し解決しようと動き回ったりするがそれに次第に慣れて、ついに取り込まれてしまうというパターンが多い。

「ウインドアイ」のように。
家の外から見た時と内に入ったときは窓の数が違う。いつも遊んでいた妹が、身を乗り出して確かめようとして、内側になくて外側だけにある窓に吸い込まれてしまう、でも振り返るとその妹の存在自体がなんだか曖昧になってしまっている。

また「人間の声の歴史」では蜂の棘を使って声帯を刺激する方法が出てくる。まだ読了はしていないが、ケン・リュウの「紙の動物園」の中にある「選抜宇宙種族の本づくり習性」を思い出す。ありえない方法をさも科学的には実現しているかのように書き出しているところなど全く面白いというほかはない。

また「死」をテーマにしているものも多い。奇妙な体験から生還できないときは、終末になって行き着くところは死であって、確かに死んでしまったり、消えたり、取り憑かれたまま飲み込まれたり、それに同化したり、いづれも本体は失われてしまう。「死の天使」「グロットー」「トンネル」

謎の組織に追い込まれて殺人を犯す、その過程が読みどころ「モルダウ事件」

また失踪者を探してみるが目的を見失ったり、道に迷い込んだり、忘れてしまったりする。「溺死親和性種」「グドロー」

エヴァンソンの知識を活用したモルモン教徒の話「ボン・スコット」

印象的だったものを

「無数」
列車が行違うときその間に立っていたが横に倒れたので奇跡的に助かった。気が付くと片方の腕がなかった。病院で高度なプログラムを使って誰かの腕を接合してくれた。だがそれはだんだん機能しなくなる(壊疽を起こすなど)と代わりの腕を探す。手足の学習が進めば、違和感もなくなるだろう。そういう結論だが、そこに行きつくまでの経過を語る文章が秀逸だった。

「ハーロックの法則」
落ちていた紙切れ二枚をつなぐとハーロックになった。散らばっている紙屑はまた何かを伝える単語になるのではないか、それにとらわれてしまった。英単語を分解して組み立てる、おもしろい方法。

「食い違い」
これには笑ってしまった。
音が遅れて届くようになった。医者に行くと「テレビのトラッキングを調整しなさい」といった。
また行くと「幸せですか」「我々は皆闇の中でのたうち回っているのですのたうち回らないほうがいいのです、心の生垣の専門医を紹介します」といった。また別の医者は「あなたは不幸ですね、時間の外に落ちかけています、内側に落ちればいいんです」という。混乱した彼女は耳栓をしても効果がない。ついに何時間も後に音が届くようになった。そのうち一度になだれ込んでくるのではないかと心配している。

「赤ん坊か人形か」
この違いが判らなくなった。脳のねじが緩んでしまったのだろうか。

「不在の目」
子供のころ怪我をして片目がなくなった。その目に現実にはないものが見えるようになった。人は皆何か一つのものに取りつかれ支配されている、不気味な形の物に巻き付かれたり脳を締め付けたりされて入院している。
そこから逃げ出した私は宿主を助けようとしたが、まだ果たせていない。

「もう一つの耳」
地雷で右耳を飛ばされた、意識がない間に誰かの左耳を縫い付けられていた。前線に復帰したが、新しい耳が命令する。それに従えば危険が避けられた。たどり着いたのは墓だったそこにある納骨堂に行くように言うので入っていったが。


少し時間がかかったが、それだけに練りこまれた面白さと、可笑しさ、つい爆笑したくなるほど愚かな勘違い行き違いも面白い。エヴァンソンの意表を突く設定と言葉に現代の奇才と言われるのが納得できた。


これが起きたのは、私がまだ、人間が人を収納する唯一のいれものだと信じていた――あれを信じると呼ぶのが適切だとして――ころの話である。それぞれの容れものには人が一個だけ入っているのであり、血と肉と骨から成るそれぞれの筒にひとつの人が押し込まれているのだ。そう私は信じていた、実は誰もが、その筒がいかなる類のものであれ無数の人であることを私が理解するに至る前のお話である。
「無数」

これから人の部品を結合する技術の話になる。




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